noteは都会で、ブログはお家みたいな感覚でサバイブしていく

最近、noteとブログを色々やっている。

使い分けはそこまでないが・・・簡単な考えとして。

noteはちょっと都会のマルシェみたいな

noteも相当数の数がある。記事も人も。だから、完全に無料個人ブログから移行している人もいれば、交流コメントをどうするとか、色々あるのだろう。まあどこでもそうだ。

一方でビジネス、クリエイティブ、趣味、様々あって、交わることがないこともあるだろう。それはそれでいいと思うし、皆混ざればとかはない。ただ、同じハッシュタグでまとまるとかはちょっと面白い。知らない世界が記事にある。楽しい。人との出会いだ。

感覚では、都会のマルシェみたいな感じだ。ビルの隙間の空間、空き地で、おしゃれな屋台が出ていたり。気持ちよい感じの対応があって、ちょっと挨拶したり。思い思いで過ごせるのは公園感がある。

そこにたまに出るんだと。本当にマルシェではないが、ちょっと意識して。特段おしゃれするわけではないが、身を引き締めていく感じだ。

というほどしっかり書いてないけども。そんな気分としてある。

ブログは自分の庭であり家だ。

城というと強いが。出城みたいな。砦?に近いか。でも、イメージではマインクラフトなどで自分の街をつくる。そんな感じだ。全部自由だ。当然技術でできるとかできないとかはあるけども。

少なくともnoteは外だ、社会だ。一方でブログは家とか住んでいる街とか。親しみやすさが違う。

とはいえ、どちらもインターネット空間ではあるのは変わらない。実際はアテンションを集められないならば、ひっそりしているだけだ。

ただ、昨今はAIが学び終わっているらしい、人間のアウトプット速度以上に得るから得るものがないのだろう。これはこれで大変な話だ。

たまに都会に、安定の家

というわけで、noteはたまに使いつつも、テーマを決めていくというか。文体はおいておいて、AWAYという感じがある。悪い意味ではない。ホームになるかはわからない。

ブログは家だ。ここがAWAYになったら色々まずいので、ホームであり続けるだろう。誰かを招いてなにかしたら変わるが、その予定はない。頑張っても誰かに寄稿してもらうとかだが、それも自由度が減るのであまりないだろう。あくまで僕の考えやアイデアやアウトプットでしかない。

そこが信頼というか、一つの塊なんじゃないかと思っている。

信頼経済みたいなのものは一定量の上で

最後に簡単に。信頼信用みたいなものって、評価経済みたいなものとして、レビューが多いから信頼できるは確かにある。しかし、ネットワーク効果?ネットワーク性からすれば、べき乗則みたいなのがあって、一部の人しか恩恵は得られないだろう。ものすごく分かる。

恐竜の尻尾ではないが、ロングテール的にほとんど評価がない、いいねされない記事が価値がないわけではないのだ。しかし、全く同じ価値でも、注目度が最初から違う。それだけだ。同じところでいる必要はない。ずらしてずらしてやれるところでやろう(笑)

プラットフォームによってその信頼や評価はクリアされている。これはワーカーとして感じるところだが、一朝一夕ではないその評価は信頼だと思ってもいい。しかし、プラットフォームの終わりでリセットされる。これはわりと悲しい。NFTやブロックチェーンなどでつないで持ち回して、「え、あそこでそんな評価受けたんだ、いいね」みたいな、リファレンスチェックならぬ、持ち運べる評価はあったほうがいい。これはアイデアだなと。

だからこそ、noteはプラットフォームとしては外でありやはりそういう性質がある。うまくいっていたらいいかもしれないが、ブログでやはり自前で持つのが僕は好きだ。そういう意味で、XでもインスタでもSNSは基本外のものだろう。そこでは僕はやりたくない。それは気持ちやコストややり方や技術など色々あると思うが、僕はそうしたい。

自家用車が好きな人がいても、レンタカーで運転する人が好きな人もいるだろう。そんな感覚だろうか?

プラットフォームが消えるほどまで使い込めるかもあるが、わりと脆いのだ。そこだけは気をつけていきたいし、気をつけたほうがいい。自前で持つのもそのコストやメンテナンスや最低限の知識や技術がいる。だから誰にでも勧めるわけではない。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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