舌っ足らずな話し方は、とくに語尾を伸ばす、一定のリズムが受け付けないっぽい。

舌っ足らずな話し方に最近苛ついているというか、感情をモロに出すのはおいておいて(笑)簡単に書いていきたい。

怒りは持続しないので、そんなことかと思う人もいるかもしれないが、まあ適当に聞いてもらいたい。僕が感じた話です。

舌っ足らずとは?

舌が足りない・・・わけではないだろう。話し方の癖だ。

ある動画を見ていてなるほどうまいなと思ったのでその方のリンクを張っておく(笑)

ここで、話し方、滑舌、語彙力の3つがあることで、「子供っぽい」と言えるわけだ。必ずしもそうではないだろうが、多分そうかなくらいで。

でここで気になるのは1つ目の話し方だ。2つ目の滑舌は言いづらいとか、噛んでいるとかだから、それはもうしょうがないというか、構造とかでしょうがないというか。3つ目の語彙力も「ありがとう」「気分がいいなあ、私」「人生で一番嬉しいわ」など色々あってもなくてもいい。あればいいけど、それをもとめてない。

というわけで、話し方だ。

とくに、上の動画では、語尾を伸ばすというのがある。もう一つは、「リズムが言っていて、小学生の読み上げるスピーチ」みたいなものだ。発音や発生なので難しいのだが。

話し方は多分改善できるっぽい

これは根拠もないが、話していって、それは文化、社会であり、人とその言葉を発して関わることが多いだろう。書き言葉だけで済んでいる人もいるかもしれないが、稀かもしれない。障害や持病などのケースもあるが一旦省いておく。

そのうえで1つ目のケースである、語尾を伸ばす。色々な例がありそうだが、

  • 「わたしはー、それでー、なんかー」
  • 「だと、おもいまーすー。」「じゃないかと思ったんですう」

どちらかというと「ですー」よりも、「ですう」「ですぅ」のほうが近い。伸びているのだ。伸ばしているのかは不明だ。

意図的かは不明だ。なおここで、アイドルのようなーというのは興味深い。とくにここでは女性アイドル特有の感覚がでてくる。あれは演技だと思っているが、それが移るのだろうか?いや、コピーだから写るのか?

そしてそれが「可愛い」のだろうか?僕には分からないがその価値判断はおいておいて、それが許されたりそれでいいともし思われるからこそ、残っているのだろうか?さてはて?

次に、「でした!」みたいな小学生風だ。小学生をバカにしているわけではないが、幼い、というかその話し方は子供だから、の話し方だ。大人がやるものではないだろうと、思っている。

例えば、「みんなでがんばった、運動会!楽しかった修学旅行!」みたいな、一定のリズムだ。小学生らしいが、なんだそれはとなる。大人が普通の話し方でやると。

「がんばったのだと思います」「いっしょうけんめいやってみたんです」みたいな、トーンが一定な感じで読まれると流石にイラっとしないのだろうか?さあ読者はどうなのだろうか?

これらは、僕は改善できると思っているので、意図的かなと思っている。だがしかし、人は自分の話し方を、しゃべりを聴くこともなかなかない。ただ、耳を押さえれば跳ね返ってくるその音がまさにそうだ。

話し方なのだトーンが自分が発しているものとは違う。それは分かるがそこは全くどうでもいい。話し方なのだ。

聴かなければいい。確かに

音声コンテンツを聴いている方、だと思うのでそこで出くわす。でなければいい(笑)

逆に、落ち着いた声はしっかりしていてこちらも楽しい。好みなだけかもしれない。そんな落ち着いた声は要らないという人もいるかもしれない。確かに(笑)

ここで面白いのは、音声、話し方では「ん?」と思うのだが、文章にすると声はない。僕が読み上げているわけではない。僕はそのまま読んでいる(発生はしていないはず)なので、声は消える。文字が動くのだ。

「私はこう思った」は「私はこう思った」なのだ。「私はこう思ったんですぅ」ではない。語尾が気になる。そしてリズムが悪いので、ずっこける。どこが大事か分からない。

そういうリズムをおろそかにしてはいけない。

反面教師として自分も言っていてブーメランもあるのかもしれないが、まあそれも一興か。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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