アイデアマンといえるのは、自分なりの発想法がある人だと思う

別に周知された発想法ということでなく、自分なりの、というのがポイントです。僕なら違和感発想法とあえていってますが、違和感を刺激にアイデアを出そうってことなので、人によっては発想法とはいえないかもしれないですし。

少なくともアイデアマンとしてアイデアを出せる人は自分なりの発想法を持っているなあというところです。それを名付けて言うかどうかは人次第ですけど、それがあるし説明出来るというのがポイントです。

自分なりの発想法を考える

これは特殊なことでなく、色々な既知があるのでそれに対して学んでいって試して考えて、「こうしたらいいんじゃないか」を探って自分なりのやり方として出したものが「自分なりの発想法」というものです。

僕は違和感がしっくり来たのですけど、人によっては連想が良かったりというわけですよね。他にも過度くらいインプットしてシャワー浴びるとかやり方は色々で、個別具体的なやり方はその人にカスタマイズされているので他の人がそのままやっても「どうだろ?」とある程度思えるものこそが本物かもしれません。まあそのままは真似できないわけですしね。

ここで大事なのは、既知の発想法をそのままやればいいというよりも、批判的に疑ってどうだろと思ってやってみてあとはアレンジしていくということですね。そうやって自分なりに作ったものは手垢がついて非常に安心して出来るかと思います。ここを手抜くと悲劇かなと考えています。

自分なりの発想法は強化される

さらに、そういうオリジナルなやり方は強化されます。されやすいです。まあこれは偏見も思い込みも強化されるのと同じロジックではありますが、物事や思考の陥りがちなことですね。

違和感発想法であれば、「あーこれは違和感だな」というところをちゃんと拾えるしそこから「やはりこうやってアイデアは出せるのだな」ということを再度確認するということです。何度もやるとそれに対して意識が無意識となり、「違和感」というところの解像度が上がるので、まさに「違和感」からアイデアが出せるということになります。

そうやって強化された、ゲーム的にはエンチャントですかね、自分なりに強くした武器や道具は強いし愛着もあるので、そういうやり方をしている人はまずアイデアに困らないぞというところでした。

アイデア発想を鍛えるには?

結構このテーマ言い尽くされてとは思えど、どうなるか。

そうです。日々楽しんで、面白くして、何か得ようとして。ってことになります。人生訓みたいですけどそうなります(笑)まさかそうではないだろう?って思ってもそうなります。もちろん、アイデアに対する構え方というか接し方次第で変わるとは思いますけど、大事だと思うなら尚更人生化しますよねということです。

例えば、アイデア発想法はある種の思考法といえます。考え方の枠組みですね、みんな大好きフレームワークです。でも、枠ってあるのであくまでその世界を分かりやすくシンプルに規定したので、色々と取りこぼしもあると。違和感発想も違和感だけしかない世界なんて嫌ですから(笑)そうでなくて、日常状態で違和感にフォーカスをあてるという訓練に近いんですね。そしてそこから考えようという思考法でしかない。

もっといえば、思考とはロジカルですから、かなりロジカルにやってもいい。ただ間違えやすいのは、ロジカルだから、論理的な分析だと捉えてしまうことですね。コンビニ前に人がいてご飯を食べていた、でご飯は焼き鳥だった、1本食べただけでお腹膨れるのかな?みたいな観察があったとして、事実を描写するのはロジカルや言語っぽいですけど、でそれだけならあまり意味はなくて「そういう人を何人も最近みるけど、一人立ち食い焼き鳥」でもあるのかな?みたいな視点が大事ということです。多分ないんでしょうけど、あるかもしれない。

事象をロジカルに見て、そこから感じたことはなにか。これが違和感という言葉に入っているのではないかと僕は考えています。違和感=論理+感情みたいな感じですね。どうしても気になるー!のは違和感ですけど、論理で100%説明できないし、気になるのは気になるからで終わりますし、そこを掘り下げてもやはり「コンビニ前に居て食べる人」が気にならない人もいるわけですから。そこで差異が生まれます。もちろん、気にしたほうが「正解」でも優れているわけでもないですよ。僕がそう思っただけで、そこで「あなたなりの違和感」を見つける必要があるってことですね。

そうやって思考法に近いところになっていくので、ロジカル、思考術、そして心理学であったり、さらに領域はどんどん大きくなっていくかなと思います。脳科学とか神経科学とかも面白いですけど、そこまでこうするといいまでの研究はぶっちゃけないかもしれません。

日常を楽しむというだけでも広い話となります。それくらい、個人と宇宙ではないですけど、相当距離感がある。哲学的でもありますが、別に考えて詰めていくわけでもないので、もっとカジュアルですね。一方でカジュアルとはいえ、やり方はやはりインプットして考えてアウトプットするという思考があり、学びというところに重なってくるのかなというところです。

発想自体と発想法を分ける

これは以前書いたのですが、発想やアイデアとして出てくることと、発想法は別です。これ分けていれば色々客観視出来る力があるので、それだけでも優位です。

例えば新しい書籍のタイトルアイデアを考えるとしましょう。タイトルアイデアっぽいものがアイデアですが、それを出すために色々調べて組合わせてなにかすることは発想法といっていいでしょう。実際にはそこまで厳密に分けなくてもいいとは思いますが。

そうやって、タイトルっぽいものと、タイトルを生成するやり方は別とは、結構ロジカルです。プログラミングでいえば、関数自体に分けて処理を考える、ゲームなら描写と移動計算を分けて考える、フレームごとにどう処理されるか分かるので、そういう動作をプレイヤーは取らないとか、まあかなり論理的です。つまり明確に計算や知識が出てくるわけです。

例えばある程度知識がないとアイデアは出ないとすると、片っ端からタイトルっぽいものを見て雰囲気としてまとめてみる。「漢字だけ」なのか「文章っぽい」のか、文字数なのか、副題があるのかどうか、英語にするか日本語がいいのか、もう色々ですけど、調べると解像度が上がるわけですね。そうすると、発想に生きてくる。「あ、これなら今回の書籍は漢字っぽいものにしたほうがいいのでは」というものになると。もちろん、それが採用されるとかは別問題です。

発想法は学習に近いです。ロジカルに学んでいくやり方に近い。再現性がある、何度も試せるという土台に近い。ですから、発想法があるから発想できるのか、発想するから発想法となるのかは、正直分からないです(笑)分からないので考えるのは趣味ですけど、どっちかだけあるのはないのかなと。両方セットですね。当然最初全く知らないなら分からないですが、アイデアがない人っていないので、自己認識、セルフイメージ、やり方やトレーニングへの感覚だけなんだと思ってます。興味も大事ですし、やりたくないならやはりつまらないですから。

順序は色々でしょうが、仮に、アイデアを出す→なにかこうすればよさそうだ→発想法っぽい→それを使って試す→なにかうまくいったぞ→または駄目だったかも→繰り返して磨いていく。これって学習プロセスでしかないので、学習として入れてしまえば楽なんだろうと。もっとも皆が皆アイデアを出したいとか、発想したいと思うわけではないでしょうし、それを学びたいのと学べる形にできるかもまた別なのでってところですね。

アイデアが出せるかの見極め

発想法があるかどうかを聞くのもなかなか野暮というか聞きづらいですよね。仮に言ってもらっても良くわからないこともあるかもしれません。

ただ日常の観察レベルとかにほぼ比例すると思うので、何を見てどう感じたかがやはり解像度が低い人はアイデアを出せないのかなと思います。ジャンルや分野関係なくです。逆にいえば、日常観察レベルが高い人はアイデアが出せるといっていい。

というと、雑学や博学として知識が多い人になれみたいに思われがちですけど、そこを目標にするんじゃなくて、副産物としてそうなるくらいで、仮に色々知ってるねという認識も一つの状態に過ぎないくらいでいいのかなと思うわけです。少なくとも目指さないならそういう意識になるはずです。

知識が増えて来れば「これ」と「これ」は結び付けられぞというものが増えるだけなので、広げやすいです。広がりやすい、連想しやすい、違和感なら違和感を感じやすい、こっちでは違和感だけどなんであっちでは違和感とならない?文化とかって面白いですよね。

潜在的にいえばそういう目に見えない観察や視点こそがアイデアの骨子です。発想法は潜在でなく顕在でしょう。目に見えるやり方やコツや考え方のことですから。だから、発想法として顕在しているものを見ても、違和感発想法を見ても学んでも、自分の潜在的な、内面であったり深いところでどう気づいたか学んだかは意外に手薄です。というか定着しないものも普通に多いわけです。だからすぐに使えるとは限らないんですね。

見えるものや具体的なものに心や目が動く。でも実際はそこで見えることは確かに多いし影響されるんですけど、それも一部なわけです。焼き鳥を食べるだけ見ても、その人がなぜそこで食べたか、そういう人が多いかは分からないので考えるしかない。勝手に決めつけるというよりも、仮説として保持して保留してこういうことがいえるのではないか?を考えていくわけですね。非常に地味だと思う人は多分きついわけですが、これを面白いと思える人は一定数いると思っていて、万人は無理だけど、面白いと思える人はどんどん磨けるのがアイデアや企画の領域だとやはり痛感しますね。

なので、アイデアが出せるかは最近何が面白いかという会話がどこまでできるか、そう聞けばいいというよりも、どういうものが出てくるかで見極められる感じがしますね。いきなり仕事するのは怖いならば、最初は軽めで振ってみてどうかを見極めると。それがどう日常から得ているかかなーと僕は考えています。

俺はアイデアマンだ!なんて言わなくてもいいわけですが、アイデアを出せる人になりたい人は、発想法とかどうでもいいので(笑)自分はどうやってアイデアを出せるか、出すやり方=メタ的に見てどうしているかを考えることまでやると。そうすると、学習とアイデアがセットになって強化されてより実践しやすくなると。駄目なら色々修正してアップデートしていくし、いけるならそれを強化すればいい。そういう感じで考えると楽かもしれません。

まあくどいですけど、すべての工程で、見て考えたのしむ、こうじゃないかと考えて楽しむ、仮説を出してみて色々出してみて楽しむ、アイデアとして出してみて楽しむ、というように楽しむがあるのがやはり大事ですね。アイデアマンはやはり発想、アイデア、企画などの領域や思考状態において必ず楽しむがある人となります。そういう楽しむを入れられてないと飽きたりつまらなくなって辞めてしまうので、持続性が低いのかなというところですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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