お金稼ぎだけはビジネスじゃない

最近メルマガにも少し書いたのですが、シゴトづくりにおける意義というか何をもってお金を稼ぐか。これってどういうマインドでもいいのかというとやっぱ駄目じゃないかという話です。

固くいえば、哲学や倫理が必要で、もっと意識高くいえばノブレス・オブリージュみたいな(笑)気高くいこうぜって感じです。もっと柔らかくいえば、お金稼ぐ「だけ」ではいかんよねというところです。

実際に稼げているかどうかのみで語るのも非常にまずいなと思っていて、逆にどのような状況であれ「哲学」「倫理」があるかどうか。そこが大事だと考えています。

そんなマインド的な話です。あまり面白くないかもです。

もしお金儲けだけが全てだとしたら

哲学っぽい問いです。やりだせば延々と書けてしまいそうですが、端的にいって2点この問いでは微妙感を感じます。

1つは、その人生が面白いのかい?という感じです。というか僕は面白くないと思います。方針としては分かりやすいですが、例えばすごく良いお客さんなんだけど平均購買単価に比べて半分くらいしかない。逆にものすごく嫌なお客さんだけどその倍買ってくれる。そんな状況ってありそうです。人柄良いあまり買わない、人柄悪い一杯買う(笑)

そんな極端なことはないかもしれないですが、上の原理原則があるならば「金」が全てです。つまり、人柄なんてどうでもよくて「ニコニコ」して「買ってくれる人」「金を持つ人」がお客さんになります。ちなみに面倒なので高級品の売買などはここではスルーします。

そうすると、お金だけで動く客→それで動く事業者、店、会社、スタッフとなって、組織的にもそうなります。金というと品が悪いなら「売上」といいましょう。もっとも利益と売上は異なるのですが、売上としましょう。売上をくれるなら誰でもいい。ぶっちゃけ誰でもいい。

これはすごく分かりやすいです。この組織において起こりうることは・・・想像したくはありませんが、売上をあげれば何をしてもいい。騙し合いがはびこるかもしれないですし、そういうスタッフ同士は当然信頼関係は生まれない。その荒んだ環境でスタッフがお客に対応が出来るのか。当然否です。

結果的にそれがすぐそうなるかはおいておいて蝕んでいき最後は滅びる。そんなことを僕は思います。これが1つ目です。

2つ目に、世の中は資本主義経済がベースっぽい部分もあれど、社会主義みたいな別視点の考えもあり、もっと高度化して資本主義だけど社会主義っぽいものとか、逆もまた然りというところでガス抜きや国民の不安や期待をコントロールするというのもあるわけですよね、きっと。

とはいえ、お金があれば何でも出来るとなると、おそらくお金がない状態であれば詰みゲーみたいになってどうも気に食わないというわけです(笑)別にこれは財を持つ資本家層を倒せ!みたいなことではないです。悪いことしてたらアカンですが、金持ち=悪なんていうのもかなり歪んだ見方ですから。逆に清貧=素敵というのもまた微妙です。

そういうどちらでもない中で、やはりお金のちからはある程度はあるよねーというところでギリギリ保留しつつ、でもお金だけではないもの、それは人のつながりなどの安心感や人同士のふれあい、もっといえば楽しい趣味でもいいし、人生としてどういう風に生きたいかというものがそもそもあるんだと思っています。

1つ目にも近いですが、お金が全てでオッケーなら何してもいいよねみたいなところがわりと通ってしまうのはまずいなあと思ったりしましたし、しています。

そもそもお金を稼ぐとは、事業なり投資なり何かリスクをかけてやるものでそのリターンを得る。またはお客さんや社会に必要とされるもの(公害等は駄目ですが)を通して喜んでもらうことで成立する。つまり、そういう経営者や起業家って少なくともお金だけでーとは言わないし、思ってないはずだと思っていました。それで楽観的にはそういう人は少ないのだろうと思うのですが、一方でなぜかそういう倫理や哲学がすっ飛ばされて、成功したイメージの「人物像」が「お金」ということになってしまうのはかなり微妙です。

つまり、歪んだ成功者のイメージが一般に広まることはかなりまずいのではないかと。そしてそういう歪んだイメージで何か成功できるかというと、まずそれはないだろうなあと思っています。哲学や倫理がないところで、出来ることはものすごく少ない。一方あれば全ての小さなことも大きな可能性にになるのではないか、と思っています。

倫理や哲学は儲からない

良い意味でそれらは学問や人の精神的な部分、社会のルール(文化ルールは色々ある)であり、なかなかそれはそれとかこれはこれって言いづらいです。

ただ、人を騙してというのは倫理に反する。仮に人からものを奪いそれを売りお金を得れば原価ゼロです。売上が全て利益になる。でもそれってまず捕まりますし、反社会的です。

倫理や哲学って罪を犯すというレベルというだけではもちろんなく、合法なら何をやってもいいのか、違法なら何をやっても駄目なのかという考え方もそうですし、一言でいえるものではないと思います。

倫理的であれば貧しいというのも違うし、金持ちというのもまた違うと考えます。哲学者は貧乏なイメージですが、実際は哲学者が貧しい心を持っているわけではないでしょうが、発狂するかもしれませんが(笑)、実は社会のために、自分が気になったりして考え続けただけの人ともいえます。それはあまりに偉人を軽く言ってるかもしれませんが、そういう意味合いはありません。

時代が進み進化している、とくに社会が進化すれば、人も高度になっていくと思っていました。実際は過去の過ちが生まれないかもしれません。しかし、一方で古代の人が色々な文明を生み出したように、もっといえば昔から若者に対して苦言をいう大人がいたようなレベルで人間的な部分は実はほとんど変わってないのかもしれないなというのも思ったりします。実際は分からないですが。

そういう中で、倫理や哲学などお金儲けとは遠いようなことかもしれません。実はそれがなければ人を喜ばせるとか、人を楽しませる、社会に対して貢献するということがそもそも出来ないかなと思います。心理学もそうですが、結局人のことを考えていくと見えてくる科学であり、学問が科学的な検証が全てあるならば、社会学などの人文学的なものも結局哲学ありきです。

儲からない=悪いということではなく、儲からないことをやることや儲からないことがきちっと考えられていて、そこから儲かるとか儲からないとかでない領域で動けること、これは単にボランティアをやれとか、低賃金や低単価で働けってことではなくて。

一言でいえば、意識を高くした考え方がスタンダードになっていけばいいなあと思いました。とはいえ一方でこれらは危険な部分というかリスクもあり、そういう人達がいても「賢い人達は誤つ」のであり、なんだかなあという点もあります。何が正しいか間違っているか分からない点で、一時期話題になった「共感」さえ得られれば何でもいいのか。それも違うなあというところはあります。

自分の考えを手抜かない

自分の人生は一回きりです。そういう中で手を抜いた考えというのはどうも自分ではオッケーが出せない感じがあります。休日にダラダラするしないとかってことでなく。

自分の人生がある、その中でどう生きるかは基本選べる。その時どうしたいか、どうやってみたいか。そういうのを「なんでもいいや」といって選びたくない。出来うるだけ考えてみてやっていきたい。

そういうところに行き着きます。そういう思考の中で、やはりお金、倫理や哲学、自分の人生戦略、またはQOLみたいに人生の充実度をどう設定したり設計するか。

難しく考えているわけでなく、それ違うんじゃないかと思えばそうは生きない。それいいなと思えばそうしていく。たまに、考え方が理路整然と書かれていて胸のつっかえがとれる個人のブログ記事なんかがありますが、僕も僕で、小さなところであれ、こうやって生きてもいい、またはその生き方は少し違うかなとか、そういうのの一つであればいいと思っています。

お金稼ぎだけに走り倫理や哲学ないなら、それって僕が考えるシゴトやビジネスではありません。まただからといって、ボランティアや非営利なことのみが全て良いというのもややピュア過ぎます。そういう中で何を見出しどう生きるか。いや、もがくといったほうがいいし、生き抜くというほうがものすごく着地がいいです。

僕はそうやって生きているしこれからもそうやって生きていく。自分の中ではしんどい道を選んでいるつもりはないですが、楽な道を選ぼうとかはあまり思いません。ですが面白い道だなあと思ってやってますよ(笑)

おわりに

久しぶりに倫理とか哲学とかいって頭がやばくなったと思われたら申し訳ないですが、そういうことでもないです(笑)いたって冷静に熱くなってしまいました。

自分が考える理想を誰かに押し付けるのでなく、ただ自分の中で希望や人生の見える面白さをやっぱ失えばかなり辛いので、そこを楽しく、ワクワク生きていくかだけかもしれませんね、最後は。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。