単純作業的な作業は仕事ではなく、考えるのが仕事であるのもある種の偏見かもしれない

最近単純作業について考えることが多い。単純作業が良いとか悪いとかではなくて、こういったまとめを見たからだ。

バイトで割れた醤油おかきを手作業で取り除く作業をやり続けていたら頭がおかしくなりそうになり、心配したリーダーが塩味おかきのコンベアに配置を変えてくれてしんだ

僕自身の感覚では、ライン作業で同じ事をやるのはしんどい。やったこともある。1日でギブアップというところだ。それをずっとやっている人はすごいなと心から思った。これは本当に思っている。自分には真似ができないと。

一方で、単純作業が良いという人もいる。AIが奪ってくれるな「まで」言う程度に。それは僕からすれば「忌む」までいわないが、やりたくない「単純作業」をAIやロボがやってくれるから「良いこと」だと思っていたが、まさかそこに反対があるとは思ってもいなかったのだ。

仕事は何か?

ここで単純作業といっているが、これらは賃金などを得る、いわば労働のことだ、仕事といっていい。それを得られるからやっているのであって、ボランティアで無報酬ならばやらないだろう(ここは例外もありえそうだが、一旦なしで考えたい)。

単純作業をやりたい人とは、例えば一つの観点として、考えたくないがある。考えるとは、脳に負荷をかけることであり、例えば「1+2」は「3」くらいは簡単で負荷は低いが、「11x21」みたいになると、「えーと、11x20で220で、11x1があるので11足して、231だね」みたいな計算を頭でするか、自分なりのやり方があればそれを使う程度に頭を使う。少なくとも「1+2」よりも負荷がかかる気がする。あくまで計算する=脳に負荷をかける分かりやすい例としているのであって、この限りではない(他が合っても良い)。

ここで、「1+2」は「3」だというのを、1回でなく、100回「1+2」はをやり続けたら確かに壊れそうだ。しかし、そこに「1+2」を「3」でやるというのは、壊れるというよりも、「考える」「考えたい」からおかしくなるともいえる。面白いのは「機械のように」なったと思えば楽だという感覚があるが(これは当事者が言っており、かつ僕も経験から分かる、思考をしなければそれをやっていれば終わるからだ)まさに「機械」である状態に近い。

一応断っておくとこれはゾーンや集中とはまた違うかと思っている。ただ集中という部分では切り取れば一緒かもしれない。少なくとも僕が考えるゾーンとは、考えたり色々試行錯誤の上のものだと思っているだけだ。

単純作業は仕事ではないとは言い過ぎではあるが、単純作業という仕事なだけだ。そして、僕の中で「仕事」とは考える前提というのがあった。考えない仕事=作業といっていい。これを新人の頃に会得した、または心からそう感じたから(プログラマという仕事をやっていたからだけど、これが別の仕事、それこそライン作業だったら仕事=考えずにやることになっていたのだろう)そうやって生きてきた。

仕事は考えることであって、考えないのは作業である。単純作業でなく複雑な作業もあるが、そちらは考える要素が少しずつでてくるので仕事っぽいなと。一方で、考えない作業が考える仕事にないかというとそれはある。全て考える仕事で埋めることは困難だと思う。割合として100%考えないのが単純作業というわけだ。

仕事とは、簡単にいえば、考えてやることであり、考える余地がなければそれは仕事ではないとすら思っていた。自分の考えは変わらないのだが、世の中に「考えない仕事」を欲しておりそれをやりたいという感覚があったのが最大の収穫というか、気付きなわけだ。

考えずに生きられるのか?

友人とこのあたりについて話していた。バイアスとしては友人も考える人であり考える仕事だから、ITエンジニアだ、だからバイアスは「考える」ことが仕事であり、それが良いと思っているわけで、また単純作業も苦手だ。少なくともライン作業をずっとやりたいとは思えない。苦痛なわけだ。

ライン作業自体をやりたくないが、それが必要なところがある。そこの恩恵を得られている点をスルーすることはないのだが、そこを踏まえて自分がやりたいかは別ということは一応ご理解頂きたい。というか、そこは切り離さないと何も言えないといっていいからだ。

そのうえで、では考えることを仮にしないとか、望まないというのであれば「単純作業」が仮に楽でそれをやっていたいとして(当然お金ももらえる、ただ安いのはしょうがなくなる)、それが望ましいかというと、大きなお世話ではあるがおすすめはしない。というか、望ましくないのだ。

考えるということを、仕事に入れなくても、プライベートやその他で考えすぎていてだから仕事くらいは考えないのだがあるかもしれない。しかし、一般的にと断った上で、平日週5で8時間程度やるならそれはメインの仕事だし、それで生計をある程度立てているならその時間がほぼ全てになる。8時間は寝るだろうし、または食事や生理的なことを入れれば、1日1-2時間の自分の時間があれば良い方だろう。人によっては家事、育児、その他やることがあって、時間は一瞬で消えていく。この説明は要らないのかもしれないが、リアリティを出すために書いたわけだ。

そうすると、この8時間が全てに近い。そこで考えない時間を継続することで、考えない体質になる。考えないことが即ち駄目なのでなく、考える機会がなくなるのだ。機械だから、機会がないみたいな、言ってみたかっただけだ。

そうなると、いつ考えるのか?となる。考え方を忘れたり、当然仕事とは考えるものではないのだとなる。または考えて行かないと、となったときに考えられなくなる。そこまでいくと病気や障害とはいわないが、ダメージがデカくなる。と、思ってしまうわけだ。

人生は色々ある。価値観も色々ある。自分がなるべくやりたいこととか、楽しいこととか、様々なことをやったほうがいい。という価値観を僕は持っている。だから、自分で仕事を選びたいし、なるべく学びたいし、環境が良いところが良いし、という考えでいる。

件の友人も言っていたが、裁量ががないとしんどいと。裁量とは自己決定権みたいなもので、こうしてください→分かりました。ではなくて、AとBがあるけどAにするか、Bにするかは自分が考えて決める。または決める余地がある。もっといえば、AとBという選択肢は自分で生み出す。そういう選択感が欲しいわけだ。ものすごくよく分かるし、僕もそう生きている。選ぶとはシンプルかもしれないがものすごく大事だ。誰かに「委ねて」しまうことは即ち悪いわけではないが、しかし「自分の人生」自体を委ねてしまったらそれは大変なことになる。

どうしたらいいですか?が嫌われるというか、あなたの考えはどうなのか。そのうえでどうかならいえる。良きアドバイザーはそういうことを聞いてくるはずだし、僕もそうしている。こうしろという一般解ほど微妙なものはないからだ。しかし、そういう一般解的なものを嫌がる人ほどなぜか「自分で考えてない」し、「委ねている」ので、自分がしっくり来るものを得られないのだ。まるで哲学書に人生の答えが書かれているかのように、年齢が若いならあっても可愛いのだが。

仕事は考えてません。人生は考えてますはあり得るか?となるが、まあ厳しいだろう。

僕はもちろん性質はあるが、考えずに生きるなんて嫌だな、と思っているからこそ、単純作業を敵視するわけではないのだが、そこには投下できないなと思ったわけだ。

自分がこう生きたいを考える

当然考えるといっても、人生を考えるといっても、回答がいきなり得られるわけではない。というか、答えはない。しかし、自分はこうするといいかもしれない、こうすると楽しい状態が続くぞというのを探る感じが近いのだと思う。

当然その楽しい状態とは、「楽」ではない。そこだけは先の単純作業と明確に異なる。つまり、楽なのは考えてないということであり、負荷がないのだ。それが楽だ。楽しいとは、負荷に関係なく、心がウキウキする、もっとやりたいとドーパミンが出るみたいなものだろうか。大分違わないだろうか?

楽を基準に仕事を選ぶことは、ある種学生が「楽に稼ぎたい」というのと似ているかもしれない。これは明確に批判している。その延長には人生はないと思っている。言い過ぎというか、その人生は、楽な人生であるから、シンプルにその生き方をしている人がいたときに、その人の生き方なんだな、そういう取捨選択をしてきたのだなと理解するしかない。僕も人からみればおかしな生き方だろうから、そこを認めてもらうとかはおいておいて、お互い様であるというか。

だから一つだけ言えるのは「取捨選択」をしたのだと、もちろんそこでそれしか仕事がなかったとか、色々な病気や障害や事情があったのは考慮したほうがいいとも思う。当然だ。しかし、結果として、今そうなっていればそこを受け入れるしかない。これは人によっては受け入れがたい点もあるのだと思う。分かる。けども、そこを受け入れないと次へは進めないのだとも思うのだ。

まとめればシンプルだ。

  • 仕事が単純作業でもいいが、考えるを放棄しないほうがいい。とくに人生について。
  • しかし単純作業がメインの仕事となると、考えること自体をしていないし、楽になれてしまう
  • 故に他でも考えるということができなくなる

もちろん、考えればうまくいくなんて甘い話でもない。だから、まず考えるというところを失わないし、やっていくのだというところを作っていくしかない。とはいえ考えたくないのだ、という人に無理にどうこうはない。生き方、生き様とはそういうものだからだ。

そのうえで、考えて試行錯誤していって、どうこうする。これは僕が楽しいと思っている。というか、人生とはそういうもので、その上で面白い出会いや話があって、人生って楽しいと思っているし、仕事も楽しいと思っているし、様々な取り組みは面白いと思ってやっている。

それらの営みは思った以上に「考えている」のであり、考えないと生み出してないしやれてない。また楽を求めれば単なる「単純作業」になってしまうだろう。(プログラマが同じことをしたくないから、自動化してみたいなのは考えているのであるので単純作業ではない。作業行為自体よりも、作業に着手した人が脳に負荷がどの程度かかるか、かからない程度が高いなら単純作業というのが僕の定義となる)

あなたはどうだろうか。単純作業が仕事で良いのだという人は思ったより少ないと思っている。その是非はおいておいて、そもそも考えてどうこうしていくかは高度かというと、シンプルに好奇心とか「問いかけ」とか、「疑問に思う」とかそういう小さな繰り返しだ。そこを潰してはいけない。だから、環境が人をつくるので、周りに考える人がいるところにいってみて心地が良いか、それとも考えない人がいるほうが心地が良いか程度のアクションはしたほうがいいとも言えそうだ。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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