暇を持て余しすぎると良くない思考(悩み)みたいになるのかもしれない

暇って、良いかどうか・・・まあそれは浅い話なので、暇がいいとか悪いとかでなく、暇になるとどうなるか。そのあたりを考えてみます。
暇すぎてやることがないと、思考はあまり良くない方向へいく
暇の定義ですが、「人が、時間があって、持て余すような状態。またはとくにやることがないなど」という感覚です。退屈はそれ自体に飽き飽きするので、暇=退屈ではないと思うんですね。ただ、暇=時間が出来る、という人もいたり、暇=今のやっていることを辞めたい、仕事とかを辞めたい、という「暇をこう」ですよね、なんてあったりしますよね。
暇=時間がある=考えることが出来る。これは良さそうですよね。しかし、考える時間がある=考えられるのだけど、悩むと思考は別です。思考=考えるですね。
悩む=同じことをぐるぐるしていて、とくに脳に負荷をかけるけれども整理されない、同じことを繰り返すイメージです。思考の一部だけど、「A地点からB地点へ移動する。そしてB地点からA地点へ戻る」というある種の動きを繰り返している。AとBは当然変わらないか、同じといってもいい。悩んでいる時、悩むというのは、AかBかを検討しているかもしれないのですが、Aにしよう!だと決断ですよね。でも、「Aにしたら、Bができない」とか「Bにしたら、Aができない」とか。これが悩むですよね。
思考は、ロジックみたいな論理や整理ができているといえます。上の説明でいえば「Aにしたら、Bができない」「BをえらぶとAができない」までは同じかもしれません。しかし、思考をしているなら、例えば、AとBを踏まえて、優先順位をつけるとか、重視しているのはAの方向性だから、Aにしてみるなどまで行く感じです。
そういう意味で適した悩みはありですが、悩み続けても意味がないというのはそういうことなんでしょうね。もっとも、悩む時間はC時間までとか、決まっているわけではないですよね。または、C時間まで悩んで良い、そうしたら決めるというのは明らかにルールがあり、決めているので思考していると言えます。分かりづらいですが、そういうことかなと思います。
それで、暇で時間を持て余すと、思考をするのでなく、持て余した時間でどうでもいいことを「思考」する。または思考でなく「悩む」ことが多くなる。
例えが良いかは分かりませんが、考えなくても良いこと、杞憂ですね。空が降ってくるみたいなことを考えはじめる。それはないんですけど、隕石くらいはもしかして降ってくるかもしれない(笑)けども、まあ考えなくていいですよね。そういう考えなくて良い、要らんことを考えてしまう。これが暇で時間を持て余した人が、思考っぽいことをすると、または時間があるといろいろ考えてしまいがちな人だと陥りやすいのかなと。
だから駄目というよりも、そうなりやすいということを知れるといいですよね。
適度な忙しさはあったほうがいい
故に主張としては、暇が悪ではないのですが、悩んで動けないとかなら、それなら何かしたほうがいいわけですね。何かとは本当になんでもいい。思考する以外のことをやろうと。スポーツでもなんでもいい。クイズを解いてもいい。今の悩みで考えちゃうことではないことをやろうってことです。切り替える感じです。
適度なというのは、これが忙しすぎて考える暇がない、となるとこれは逆ですね。つまり、やりすぎだと、今度は考えたいのにその時間がない。それでつかれてしまう。まあストレスになりますよね。
難しいですけどここでは適度な忙しさ、というのは良いのではないかということですね。
考えたところでどうにもならないことは・・・多い
僕の考えですが、じゃあ特定の課題だ、問題だ、というのを取り上げてもそれをどうこうできる・・・ことは意外に少ないと思っています。社会的なものであったり、文化風習みたいなものとか。例えば田舎で噂話が好きという人が多いのを、改めて!といっても、まあ難しいですよね。それがエンタメでもあり、生き方でもあるというか。一部だけ切り取って駄目とは言いづらいというか。例えばそのため、いろいろ知られていて円滑にコミュニケーションができたりするかもしれない、とかがあるわけですね。
考えることはある程度したほうがいいとは思うんですね。しかし、考えなくてもいいというか、考えても意味がないこともあるかもしれないと。
なので、ある種のバロメーターというか、「ああ、これ考えてもしょうがないかもな」と思ったら、それはある種一定程度考えたならば、次へ行くのが良いと思います。それは、一定程度とは脳内でぐるぐるするのでなく、紙に書く、計算する、説明してみる、とかなんでもいいです。そういうのがないと考えたことにはならないですね。やってみてください。
ある程度出来たら、整理ができるはずです。整理ができない、わからないのも多いかもしれないですが、でもそこまで考えたら次へいくと。
次へいくとは、結構思考も行動ですから、行動しようってことですね。行動をしていって、ある種確認したり、間違いを見たり、そうやっていくこと。そうやって修正と改善を通して変えていく。それが動き方なんじゃないかなと感じました。
同じことをしているならそれは改善のサイン
同じことの定義になるんですが、ここでは悩んでいる、進展していない感、というのでいいかなと思います。それならば、改善すべきなので、行動をしていけばいい。
逆に悩んでいない、進行しているならそのままでいいですよね。ただ、そこで考えられてないな、上っ面だなみたいな満足がないなら立ち止まるべきかもです。この場合は、「考えよう」なので、ある種「悩んでないのが悩み」みたいなことかもしれません。
このバランスを取るしかないわけです。
考えてないなら考えようですし、考えすぎなら行動しようみたいな。それだけで割り切れないんですけどね。考えたいのに考える時間がなければ、行動したいけどアイデアやどうすればいいかわからないなんてざらにありますよね。
そんなときは、そんなことがあるのが人間だとか、直感と論理は常にずれるよな、くらいである程度の許容を持つのが作戦としていいかもです。
例えば、自分はそれ向いてないしやりたくないかも?だけど、勧められるんだよな。なんでだろ?けどやったら結構良かった。そんなことないですか?
逆に、やりたいし試したいけど、全然駄目だった。合わなかったとか。
そういうのの繰り返しですから、数、量をかまして改善していくしかないっすね、という話でもあります。
そして、暇で時間があることで考えすぎるくらいなら、何かなんでもいいからやったほうがいい。その何でも良いからは、自分が良しとしなくてもいいからやる。そうすると意外かもですが、慣れたり、得られることもある。偏見や自分が知らないだけということもありますよね。楽しんでいきましょう。
筆者プロフィール

- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。













