考えた末に起業したがうまくいかず終わった経験から学ぶ

先日書いた記事で、失敗談というところがわりとニーズがあるのではということを書きました。

リアルベースでは起業の失敗という話、他にも前話してきた学生向けの講義でも教授には失敗談が面白いから詳しくと言われたりしています(笑)

人の失敗や不幸は蜜ほど甘いかもしれません。一方で開示する側としては、そんな失敗しているんだね、だっさ(笑)みたいな感想は1mmくらいはありそうですが多くの人、そもそもここを見る人は学びたい、何かを得ようとしたい(怪しくないところでw)という人しかそもそも受け取れないので、開示していこうと思います。

失敗自体は僕基準での失敗です。時系列はバラバラのほうが説明しがいがある気がするので(そうすると第三者でも分かるような説明になるから)、そんなふうに書いてみます。

今回は起業の話です。タグとしては「失敗談」として、手応えや気が向いたらまた違う失敗談もわんさかあるのでアウトプットしてより高い学びに変えていきますね。

起業の失敗をこえてゆけ

世の中には起業=独立、転職など色々な話が溢れています。身近な人で起業した人がいるかどうか、直接話したかどうか、聞いたかでもいいですが、そういう人をリアルに知っていることがわりと大事です。聞いた話や見た話でなく、わりと知っている友人がしたかどうかとかって意味ですね。

そして、起業は普通に失敗するものです。というのは失敗しない何か万全万能の方策みたいのがあるわけでなく、もっといえば「俺は大丈夫」という人は多分絶対やばいです(笑)つまり失敗します。

僕の場合は、失敗なんですが借金とかそういうことでなく、起業したのかしてないのか良くわからない状態に溶かした感じです。これは説明としては間違ってないんですね。ただ失敗はあるということです。

僕は何をしたかったか、失敗までの道のり

僕自体はかなり慎重派です。自称ですが、わりと調べるしリスクも考えます。そのうえでやっているので、起業自体はわりと直観ベースだったり、感情が優先したのは、つまり勢いってことです(笑)が、それは否めません。今同じことはしないでしょう。

就職活動時期にたまたま某企業説明会でとなりにある人をナン・・・いや、声をかけて知見を広げるみたいなことをしていました。ある時女性だったのでナンパと思われて怒られたのも思い出しました。別に女性をナンパしているわけではないんですが、まあまあ(笑)

そこで彼は起業に興味あるといって、帰りのドトールで色々話した記憶があります。何を話したかまではさすがに忘れました。その時学生でしたが、そこからちょいちょい遊んだり、フットサルとかもやってたりとか。ちなみに友人の名前は鈴木といいます。

僕がプログラマとして働いている時に結構1,2年は面白かったんですね。恵まれた上司とか先輩で、すげーなあとか思っていました。プログラミングについてもですが、システムの理解とか年齢もあるのですがとはいえ10歳程度しか離れてないので、そこまで自分がなれるんかなとか思ったりしました。若いですね(笑)

仕事は面白く充実していたものの、提案要素、つまり企画要素がないことから、飽きが来ていました。辞める最後の年はお世辞にも良い態度ではなかったでしょう。実際に仕事も面白くなく、かなり淡々とやっていたので、楽なんだけど成果も出してないように思えるしこれは辛いということで仕事をやめたんですね。

その仕事を辞める年、最後の1年に鈴木と話をしていました。そういえば起業するなら誰かとやりたいということで、思い出した友が鈴木でした。

9ヶ月に及ぶ週1の何をやりたいか会議

会議というと固いですが、カフェでお茶しながら就業後に集まってとはいえ二人ですけど、あと別の友人も呼んでアドバイスもらったりとかあったかな。

これから起業をするとしたら我々は何をすべきか、ということでした。それをアイデアから、ずっと9ヶ月くらいだったのですが、ほぼ1年ですよね、話しました。

結論は面白いことに出ませんでした。僕らはこれで起業したいがなかったんです。賢明な読者ならここで「起業しない」が正しいのですが、鈴木は分からないですが、僕は止まらなかった。

ここで感情の話です。職場とか仕事がつまらないのは実際です。学べるかどうかがわりと主でしたので、かなり表層的で辛かったと。立場も詳しくかけないですがまああるので、要は自社での立ち回りとは違うものが求められるってことですね。そこで僕が感じたのはこのままでは駄目だ、少なくとも場所を変えなくては。とはいって転職とかないし、プログラミングやるなら自社で経験積んだほうがいいとなります。

ですが、転職なら起業をしておきたい。なぜなら学生時代に起業はしてみたいと思っていたからです。

だからここで「テーマやビジネスとしてやること」がなくても起業しちゃったんですね。これが最大の失敗ということはお分かりでしょう。

後悔は全くない

早速行動だということで、会社をやめて、半年後には会社登記は時間があった僕がやって会社がめでたく出来ました。ただやることがないのでどうするか。一応話が出来る人には辞めたことと会社作ったことをいいつつ、ねだれるわけではないのですが仕事を得て行く必要があります。

ここで僕が仕事ください、助けて!という性格ならいいのですが僕はそれができなかった。今もそんな変わらないです(笑)ただ、ここで大事なのは、同情からの仕事を得てそれで何か食い扶持を得るって品がないとか思ったんですね。品なんて言ってられる場合ではないなら違ったのでしょうが。

もっといえば美意識みたいなものです。例えば仕事がないなら食えないですよね。だからアルバイトもですが短期バイトをわりとやっていた時期でした。アルバイトもですが短期バイトもおすすめできないのは、単純な仕事が多いというところで、スキルも求められません。もちろん現場や環境、やり方次第です。例えばバイトから入って社員とかもやりたい仕事ならありですから。ただとくに短期バイトや登録制バイトはわりとひどいです。ひどいというのは、働く意識、リテラシーやモラルです。こういうと馬鹿にしていると思われるかもしれませんが、事実であり、そこで働いているとやべえなと思ったりしました。

では、美意識で起業した会社で仕事がないことはいいのか?それと、短期バイトでなんとか食えることでいいのか?という葛藤になります。実際は美意識とかでなく、自分たちの会社で仕事を得てやることがベターです。ただトライというかそういうモードや環境をあえて作っていわば追い込んだのですが、「うーん、これはどうもしんどいぞ」(笑)となって終わっていったというところです。

知り合いから仕事をもらったりは少しはありましたが、一方で僕も僕らも、こういうことをしたいのだという提示が下手くそでした。いや下手くそではなく、分からなかった。今も同じですが「社会を面白くする」というアートっぽいミッションでした。今もこのステートメントはいけてると思ってます。

ただこれって何ができるかとか何をしてくれるかは分からないし、企画というふわっとしたところはあってもやったことはない。イベント企画をしてお金をもらってプロのやる企画っていうのもなんか違う。色々違う、しっくりこないが続きました。

ここでストーリー的にはどんでん返しや何かきっかけで変わるというのがあると面白いのですが、そのままほぼ自然消滅というのが僕の会社づくりの失敗でした。

消化不良感はほぼなし

実際に、というか今でも結局一緒です。何がかというと、仕事をする中でどう時間を作り出して仕事を生み出すか。仕事とは同じ仕事でもいいし、違う仕事をつくってもいい。これを起業といったりしますが、あまり構える必要はないです。

そういう状況をサラリーマンやっている中でこのままじゃやばいということで、舵を切った判断は僕は自分を褒めたいとすら思っています。あの時やっていなかったらめちゃくちゃ後悔したと思うので。面白い方に舵切って良かったなと。

そして消化不良というところでは、やれることは本当に美意識とか、プライドみたいなのがあって出来ないこともありましたけど、そもそも仕事くださいって言ってそれで貰える関係性や何かがないと続かないでしょう。あとそうやって得意なことを見つけていくとかもありですが、そういうモードではなかったなあと。どちらかといえば良い人が多かったので、そういう人に話すと普通に「何がしたいのか、それに合わせて仕事を出す」くらいの厚いケアがあるでしょう。

僕はそういうのに頼りたくなかったんですね。恥ずかしいというか、なんか嫌じゃないですか。感覚的に友人に就職先を紹介してもらうみたいな感じというか。あれはなんでしょうね。感覚なのか性格なのか。それくらいはするわって出来なくてもそれなりにそうしたいみたいな。まさにプライドですよね。

そこでやりきったというのもありつつ、同時にこれは無理だなというか持続できないなあと。鈴木との会話も多くなかった(仲が悪いわけではなく)ので、鈴木自体もどうしたいかは分からなかったのかもしれないところで、僕がつくったロジックや組み立てで行ける部分はあったと共感してくれたことには感謝しています。いわゆるビジョナリーとか今後の世界観を示すみたいなことはわりと得意ですが、続けるとなると弱い(笑)

そういうところもあり話し合って解散となり、めでたく僕らは次のステージなのか、分かりませんが歩むことになりました。

失敗から学びを最大化する

ここで面白いのは、登記が自分で出来なかったらもしかしたら会社はできなかったかもしれません。他にもし副業みたいに会社勤めしながら何かしている人がいればそのような道もあると理解して辞めなかったかもしれません。ただその場を変えるのはやはり辞めることくらいしかアイデアがなかったのでやはり仕事は辞めてた気がします。

他にも、テーマが決まらないのによくやれたとも思うのですが、本来はWhatで考えるため。でも、サイモン・シネックではないですが、ゴールデンサークルからいえば、僕はWhyからしかできないと思っていました。今もまさにそうです。たまに書いているのですが、人→仕事→お金っていう順番が変わらない。これって多く稼げるとか分からないし、そもそも多く稼げる興味がそこまでなく、仕事自体を生み出しそこでやっていければいいという意識なので、お金から入る人とは相性が良くないですし、まあ一緒に出来ないですよね(笑)

それはともかく、僕も鈴木をWhyとしてどういうことをしていきたいかと自分たちで詰めていってわかんねとか、ここはやりたいとか。例えば僕は企画としてイベントをやっていたりしました。小さい仕事ですが、ファシリテーションなり講座なり、起業講座とかもやりましたよ(成功してないけど)、ワークショップもやりましたし、企業へのヒアリング調査とかもやってました。そういう意味では何もしてないわけではないんです。

鈴木はどちらかというと小売業、要するにとあるベンチャーで入ってすぐ店長やってたのでお店作り=店長で経営を学ぶみたいな意識でやっていました。ステップとして面白いと思います。とはいえそれでどこまで学べたかはまた彼の言葉を待つことにしましょう(笑)

そういうおぼろげながら意識はあって、創発ではないですが、意識と環境を作れば何か生まれるかもしれないってことでした。実際に会社でやれたことはかなり限られます。とはいえ、その意識と環境、とくにイメージするアイデアと人で相当のことはできるのではないかと。

むしろお金を入れること、お金が入ることでアイデアや環境を破壊する、無能化、無効化するという感覚すらありました。それくらい資本主義というワールドではお金が大事となります。お金が大事でないというと狂ってるの?(笑)と言われる感覚です。お金も大事だが、それを優先事項にすると壊れるくらいかが今のラーニングでしょうか。稼げなかった人に言われても響かないかもしれないですが、そういう人ですらラーニングしているということに驚いてください(笑)

今でこそ、動機づけとしての報酬は筋がいいか分からないくらいはいってもいいでしょうし、心理的安全という言葉が広がってからはそういう理解を出来る人が増えた気がします。実際は違うんでしょうけど。10年前ではそうはいかなかった。もちろん、東京でない名古屋という土地だとまあもっと辛いとなります。でも東京でやりたいとかもなく、というところですよね。

会社をやっていたから得られたことはそうですね。起業しましたとか、合同会社だから代表(社員)ですとか、そういうことは嘘でなくなりました(笑)一方でこれが最大の課題ですが、仕事を生み出すことが超難しいと感じた一方でそれをやれるならばどこにいてもいいというフリーダムを感じました。今流行ってませんがノマドワーカーみたいなところですよね。そうしたいというよりも、仕事との向き合いややり方を編集してどこでも出来るようにすればそうなる帰結、というか結果的な話です。

別にノマドワーカーになりたいとか、起業家になりたいとか、フリーランスになりたいって意識は僕はほぼありません。結果的な適合する形態や概念がそれになるくらいで、多分サラリーマンって昔は憧れた時代があって(自営業が乱立するのに安定するから、ただこれは自分で考えない、工夫することを忘れさせる仕組みという面もあったわけです)それも理解出来ますから。それくらい時代で変わるし変化するということですね。

失敗の恐怖は少しずつ失敗してなれるしかない

僕もはじめて辞めるとかはめちゃくちゃ怖かったです。冒頭に書きましたが、慎重派です。自転車で日本を野宿して縦断したことがあるのですが、それでも野宿のやり方を琵琶湖を回って練習したくらいです(笑)説明になってますか?

そういうところでは、自己の支えになるだろうということで失業というか、困ったらこうしてみたらどうかというリストをExcelで作りました。それはそれこそハローワークにいけば仕事がある(本当にあるかと、いい仕事があるかは別)みたいなこととか、誰かに相談すれば何か良いヒントをくれる(友人知人問わず)、本を読んで落ち着くとか、そういうことを書き出したものです。つまり、精神安定剤になるなら他人がどうこういう話でないので(反社会的なことはだめ)そこでやればいいということですね。

そのリストにあることを実行したかとか、そのリストの内容はあまり意味がありません。書いたことでもしそうなったらこうすれば何かケアできるから大丈夫だくらいです。だからといって無茶していいわけでもないですよね。無茶というか無謀といったほうがいいことはやめたほうがいいです。多分そのまま終わります(笑)何事もなかったかのように、しれっと。

一方で違うアクションを起こすことになると、それだけラーニング可能性が高まります。具体的には起業失敗するとかあるかもしれないけど(失敗した)、やってみたら色々と今までと違う人やつながりが生まれて全然違うなあとかってことです。出会える人の数も違うでしょうし、それもコントロールすればいいだけでしょう。プレゼンという意味で、こうやって伝えると分かりやすいとか、分かりづらいとかも経験が積めますよね。

自分の方向性も精査できます。それって経験ややってみるという思考でなく、試行がないと検証しづらいです。僕のようにやれば失敗するでしょうが、失敗しない人もいるのでしょう。また違うやり方をしたけど失敗する人もいるでしょう。それは自分でやってみて何か感じてどうだ、をやらないとまず自分のものにはならないのがリアルです。

だからこそ簡単に儲かりますみたいなうまい話にのっちゃう人はそういう経験値または試行や思考も、そして自分で考えてやってみることが不足しているといっても怒られないでしょう。

会社を作るということは単なる枠だと思っていたし、その通りでした。実際は仕事があるかどうか、そしてそれを仕組み化できるかどうか。これって経営者がやってることです。経営をしたいかどうかはおいておいて、フリーランスでも経営的な要素が多く含まれます。社員を雇うとかがなければ自分だけですが、それでもバランスが求められます。そして会社をつくる=法人の価値はなくはないでしょうが、出来る人なら個人とか関係ないし、出来る人ならどこにいても海外にいても連絡が来るでしょう(笑)もちろんそれなりの出来るがないと、価値を出してないとそうならないでしょう。

最後に、僕は失敗すると思っていたかどうかですが、もちろんそんなことはなく、テーマがないなりにやらんといけんということでやってみた結果です。僕を知る人はそんなチャレンジフルな人と思っているか分かりませんが、それくらいやらないとやりたいとか、やってみようって結構出来ないのだなあと思ったのも事実です。

友人鈴木の名言を残しておきます。この言葉は末代まで持っていきましょう。

不安や恐怖はなくなることはない。それにどう向き合うかだ。ゼロにならない不安や恐怖と友達になろう。それをなくすのでなく、どう付き合うか。その不安を可能性っぽく楽しんでいけばいいんじゃないか。それが最良の不安との付き合い方だよ。

by鈴木(大橋の脚色はあると思う)

ということです。逆にこれが出来れば多くのチャレンジは調整できるので、背伸びしたストレッチ的なチャレンジも、ここは守りたいとか、そういうことも出来ます。これちゃんと教えてくれる人なかなかいないんですが、とはいえ僕が教えられるのでなく、不安ってなくすって方向が筋が悪いだけなので、消えないものと戦っても増えるか意識しちゃうのでメンタルがやられるだけなんですよね。ならば、今後やっていくことやれることで楽しくいけるほうにもっていたほうがいいんじゃないかくらいですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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