いい感じで、「人と人がつながる焼き菓子屋さん」を作ろうとしている宮本さんを応援しよう

人はなぜ生きるのか、何を持ってやりきったといって死にたいか。

いきなり、青臭いですが、全くこの手の問いが好きでたまりません(笑)学生時代にアイデンティティとはなにか、ということをよく考えたわけですが、自分自身って自分で証明できないんですよね。

つまり自分は社会的存在であって、自分がこうありたいから「こうあってね」となるわけではなくて、「あなたはこうあってね」というメッセージが強い。仮にそれを全部受け入れるとすると、あなた自身はゼロになる。

なんか宗教臭くなってきたのでここらで終わりで(笑)

さて今回は、メルマガでもちらっと書きましたが、地元愛知県でいきの良い若手が踏ん張っているのでみんなで応援しようというお誘いです。

それだけでは宣伝っぽいので、シゴトづくりにおいての視点も書いてみました。

宮本さんとの出会い

最近ですが、こちらのプロジェクトの立案者である宮本さんと、それを支援するFunFactoryの井上さんとお会いしました。要は飲んでただけなんですが(笑)

豊川に、人と人が、人と街が繋がる焼き菓子屋を作りたい!

FunFactory井上さんのことはさらっと書かれていますが、月1回お菓子屋さんが出来たのはFunFactoryという場があってこそです。字数制限とか書き方色々ありますからね。

それはさておき、宮本さんと話をしていて、人はなぜ仕事をするのかそのあたりが再度気になりました。上記ページでそれらに関するところを抜き出してみましょう。

18歳で豊川を離れて、お菓子の勉強をする為に大阪に行き、パティシエとして4年間修業していました。

パティシエとして続けていくことの難しさを感じ、地元である豊川に戻って会社員に転職しましたが、お菓子作りへの想いを断ち切ることが出来ず、何かやってみたいと思っていたころ偶然、あるレンタルスペースに出会います。

それが1日貸切で自分のお店ができる〈Community cafe Fun Factory〉との出会いでした。

恐る恐るそのドアを叩いたのですが、マネージャーの暁子さんと打ち合わせをした時、なぜだかもうお店のイメージはできていました。

ここから、『月に一度の焼き菓子屋』がスタートしました。

(同上より引用)

経緯ということでものすごくさらっと書かれているのですが、いわゆる菓子学校で学び、パティシエとして働いてみて大阪や東京は面白かったはずです。ただ「難しさ」と書かれているのは、僕の想像もありますが、「現場にはいって実際にやってみてどうかと、今まで考えていたものは違う」というギャップです。

常に脳内のイメージどおりに進む、生きられる人はまずいません。一瞬一瞬が常に変わる。まるで移動中の電車の風景のごとく。

休みがあれば自分がやりたいことといってお菓子の勉強や食べ歩きであったり、やることが多い。息をつく間もないくらい忙しかったり、時間がないと追われます。本当はなにがやりたかったんだろうか。

僕の友人は思考することを水中に潜ると例えたのですが言い得て妙です。実際に、働く中で日々時間がないのは、実は「水中に潜っている」ように、息が出来ません。思考できるはずなのに、息が出来ない。水中に潜っているけど、思考できてない(笑)なんたることだって感じですよね。

宮本さんが「FunFactory」という場で、お店を定期的に開催する、要はイベント的にということですが、このチャレンジ自体は結構やるのに勇気というか、意識を相当高めてないと「たまたま」でも出来ないわけです(本人も偶然出会ったという話をされたのですが、実際に偶然であっても、偶発的な確率も結局意識です(笑))

この話、僕がプログラマとして勤めてた時も、友人を誘って読書会を企画した時と似ているなと感じました。どういうことかというと、日々仕事をする中での楽しさはあるけど、何か一方で物足りなさがあったんですね。

それはつまり、自分で考えて動くということの量であったり、質であったり、仕組みだったりでした。つまり、自分で考えてやりたんだと、その結果は自分が全て受け入れるわけで、そっちのほうが肌にあってます。

そういう時に思い切って何かしたほうが面白いし、現状突破になります。ちなみに僕が合同会社を起業したのも27歳です。27歳って何か仕掛けたくなる年頃かもしれません(笑)

人はなんで仕事をするのだろうか?

学生時代に社会起業家という言葉が流行っていて、今も若干通用しますかね?(多くの言われる側は嫌がるんですが(笑))、働くこと、仕事をすることに日々の食い扶持を得るというのはある種立派ですが、ある種労働者然としていて、違うなと感じました。

例えば、サラリーマンというのは経営的責任はないですし、ぶっちゃけ意識レベルは低くてオッケーです。これを言うと違和感がある人もいると思いますが、得られる給与や責任や役割からすると、当然経営者側と差は歴然なので同様のことを仮にしていても、全く判断レベルが異なります。

脱線気味ですが、そういう意味でサラリーマンに起業家意識ってやっぱり違うかなと。もちろん、僕はそのような意識が好きですが、これは起業をしたいとか、何か違う感覚で行きたい人への話です。サラリーマン足り得るには、保証しろよ、その分抜かりなくやるからな。というところが大きいはずです。そしてそうするならワンチャンスの出世を狙うとかですよね。

どちらがいいとか悪いとかはなくてどっちを選ぶかだけですね。

それで、働くということで、宮本さんにとっての働くは、おそらく人を喜ばせることだったといえます。これ当たり前すぎるかもしれませんが、自分で自分が試して自分で動いて得られるその感覚と、「言葉」だけでは意味が異なります。それが勤めた場所もあるのでしょうが、描いてたパティシエでは厳しかったというか難しかった。

では私は何をしていけばいいのか、どうしたらいいのだろうか。そこで思考が止まって、ただ流されればいいとか、社会への愚痴とか、あと極端になると「仕事とはつまらないことをやることである」ということにもなりかねません。これはこれで人次第ですが、僕はそうは考えたくないですね(笑)

そしてノワゼット(Noisette)というお店を開いていると、色々と出来事が起きる。

また、月一焼き菓子屋は、焼き菓子を作った私がお菓子の説明をしながら販売することを大切にしてきましたが、

回数を追うごとに多くなるお客さんを1人で対応していると、お客さんをお待たせしてしまうことがありました。

そんな時ふとお客さんを見ると、お店に何度も来て下さるお客さん同士が、面識はないのにお互いのお気に入りの焼き菓子を紹介してくれているのです。

そんな素敵な方達のお蔭で店内はいつも幸せな笑顔で溢れていました。

Noisetteの焼き菓子を囲んで、笑顔になる人や繋がっていく人を目にしてとても嬉しく思いました。

(同上より引用、太字は筆者注)

お菓子を囲むとは表現でありますが、実際に起きているのは、「お菓子を提供する」→「それらを食べたいお客さんがいる」→「同じ感覚を共有しているし、その場の空間で、宮本さんが忙しいからお客さんが説明をしはじめる」→「お客さん同士が仲良くなったり、説明をしてくれて笑顔になる」→「美味しいお菓子が食べられる」→「また来たいと思う」(ブラボー!)

僕は仕事柄、自分は接客業はやることはないと思っていますが、接客する人の動きや店はよく見ています。良い店は何が良いのか、悪い店は何が悪かったか。それは店の数だけ、店員の数だけ、また自分のその時の思考や気分の数だけ、まるで毎回読むたびに違う本と同様、毎回違っています。

自分の提供するお菓子で人が喜ぶのは醍醐味といえます。本来はお菓子作りをしている人はお菓子が好きだから、そのお菓子を食べて喜んでくれる人がいることってめちゃくちゃ当然のことなんです。仕事のやり方や仕組みが確立されていると、お客さんが目の前にいないことがよく起こります。会社という形態が駄目なのでなく、きちんと働き手にフィードバックがなければ、やっぱモチベーションを続けるのはしんどいです。

そして、働く意味とは、結局シンプルです。僕が考えるのは、人を幸せにするというよりも、ラクにするということです。ラクにするとは、自分が苦労すればいいのか?ということですが、ここにポイントがあります。そうです、自分が好きなことであればほぼ苦労は感じません。それを持って、自分が出来ないであろうお客さんや違う人に提供すればマッチングができます。

宮本さんなら、お菓子づくりです。僕はお菓子作りが出来ません。お菓子を誰かに贈りたい、自分が食べたい時に、宮本さんの出番となりますよね。

例えば僕がプログラマをやっていた時は、プログラミングを組んでほしいお客さんがいたから、僕が提供していたことになります。

ではこの2つの違いはなにか?そうです。それは目の前にお客さんがいるかどうかです。そしていてもいなくても、そのお客さんからのフィードバックがあるかどうかです。

もっといえば、自分の提供する仕事をもって、そこに価値を感じている人がいるかです。実はこれらは仕事というものを一つにしてそれでやらなくても、趣味でもなんでもいいんだと僕は考えています。ただせっかくだから、自分が力を入れることでやっていくのが色々と楽しいというか、楽しさ指数がぐっと上がる気がしています。

人はなぜ仕事をするか。簡単にいえば、人への愛です(笑)結局、愛がなければ、自分の利己だけでなり、人に何かを提供することはまずできません。もちろん生存本能であったり、自分のためにというのはあっても、他人や社会というところに対してポジティブなイメージがなければ、愛になりづらいという感じがします。

どうすればシゴトになるのか?

読者にとってはここがメインのはずです。僕の哲学はどうでもいいからです(笑)

結局宮本さんは、月1回のお菓子屋さんをやり続けて、その売れ行きから、これはいけるかもと判断したはずです(確か)。それが自分が作る焼き菓子の可能性に気づいて、店舗を作ろうとしたという話につながります。そして空き家をたまたま見つけて今回のプロジェクトのように、そのための費用を支援してくれないかとなります。

それで、今回のポイントは耳タコになりますが、結局試行錯誤です(笑)手を動かしてどこまでやるかだけです。ぶっちゃけこれはパワーが相当いるので、下手に自分が好きでないとか、そこまでやれないなあというのは辞めたほうがいいです。お互いに(自分も、関わる人も)不幸になるからですね。

具体的には、

  • お菓子作りというパティシエ経験がある(企業や店舗で勤めた実践経験)
  • 妄想でなく、実際に焼き菓子が通用するかを自分で月1回でお店を開きそこで試したこと
  • 趣味でやりたいのでなく、お客さんとの関わりから色々な広がりをきちんと踏まえ、どうしていきたいかを考えたところ、もっと可能性を感じたこと
  • 空き家ツアーなどチャンスがありそうなお誘いはとりあえず乗ってみてどうかという意識のあり方があった

というところです。

簡単にいえば、仮にパティシエになりたいなら、別に勤めなくてもいいのですが、勤めた方が料理の腕や味の品質は上がる。またはやり方を学べるので、その上で自分なりのやり方というのもありですよね。

また何かやりたい、とくに自分の店を開く場合、場所を借りて開くのは現実的には融資を受けてとなりますが、そのリターンが得られるかどうかというと、ぶっちゃけ今の時代は店舗ビジネスは厳しいというか、プロしか出来ないのではないかなあというくらい情報とモノが飽和しています。かつ、コト消費が進んでいて、簡単に人はものを買わない(ものが溢れているからこそ、品質に差がないからこそ、購入体験や気持ち良いところを増やしたいと考える)わけですからね。そういう意味で月1の販売がものすごくグッドになります。当然これは趣味ベースでやる人もいるわけですから、何を試したいか、何をどうしたいかを考えてないと、開業というところにつながりません。

最後の空き家ツアーはおまけのように感じますが、この手の話は実は水面下で膨大の試行錯誤が隠れています。例えば開業したいから場所を探す、調べる、話を聞くだけでも結構な労力がかかります。予算とか保証金とかになると、融資をしないと駄目でそれらはぶっちゃけ個人では辛いわけですね。

考えるだけでは駄目で、かつ動きながら、試行錯誤をして自分の意識を高めていって、そこでやれるかどうか。ここらへん非常に好きですね。僕もかっこよくいえばそんな風に生きているからです。一方でただ遊んでいるだけのようにも見られますが、まあ人は人、われはわれということで(笑)

シゴトになるかどうかは、試行錯誤といいましたが、そのために何をどうしたいか、何が今できるか。1%アクションということで、考えたことの1%でいいのでやってみることが大事です。最初は小さな一歩が大きな前進になるというのは耳タコだったかもしれませんが、実は耳タコでなくて、実際にやって感じていれば「そのとおり」だからやっているはずなんですね(笑)

さあ、やりましょう。手を動かしましょう。なんでもいいからやってみましょう。今まさにやりましょう!

宮本さんの気付きと社会への不安

最後に書かれている気づきがおそらく愛知県豊川市という地元での行動、人との話から得られた集大成?というか、宮本さんを動かしたものになると思います。

しかし、いくら場所があっても根本には、何かを貫き、成し遂げようとする人がいないということも分かってきました。

何のつても無い27歳の女性が、開業を決意するには並大抵のことではありません。

もちろん、やる気も想いも有り余るほどあったとしても、壁にぶつかって断念してしまうことも少なくないと思います。

それでも、ここまで皆さんに背中を押してもらい、力になってもらうと私にはある想いが沸いてきました。

私がやらなきゃ誰がやる

途中お話ししたように、私がここまで来ることが出来たのは繋がりが繋がりを生んだからこそです。

その繋がりはきっと私にしかできないことがあるのだと思わせてくれました。

(同上より引用、太字は一部筆者注)

豊川市というエリアにおいて、つまり宮本さんの地元となりますが、まちを盛り上げたり、応援する人はいて、人とのつながりが増えてきた中で、

何かを貫き、成し遂げようとする人がいない

という気づきを得られたわけです。これは宮本さんの思い上がりなのかというと実はそうではない。実際に、覚悟を持ってやる人はごく少数です。なぜなら、多くの何かをやりたいと思った人には以下のような不安が襲いかかるからです。

  • それをやってどうするの?
  • 今のシゴトを続ければいいんじゃないの?
  • あえてリスクをとる必要は?
  • 笑いものになりたくない
  • 本音と建前は違うんだよ。若いよね。
  • やりたいことをやれるほど社会は甘くない
  • ちゃんとしろ!(笑)(要は定職につけということ)

おわかりだと思いますが、要するに新しいことや、何かやることに対して、日本だけとはいいませんが、非常に厳しいのがぶっちゃけ変わりません。これはもう国家レベルといっていいでしょう。

じゃあそれに甘んじて嘆くだけかというと、それって癪じゃないですか(笑)というのが僕の考え方です。一方で、何かをやろうとか、それいいね!、僕も手伝うよという人は実際はかなりいます。ですが、そういう人にアクセスできない、僕の言葉で言えば「気持ちの良い人達につながれない」と、社会はそういう「否定社会」にしか映らないんですね。

幸いにも僕は社会を疑い続けて結果(笑)、社会自体は好きなんですが人は好きですし、大学生時代に出会えた気持ちの良い大人がいて、「自分が描く未来や社会とか、自分がこう考えることって結構筋いいんじゃね説」を持つ事ができました。一方でこれらは「人が良い」から騙されるとか、「性善説」とかを感じる人もいますが、さすがに僕はそこまで人が良いとは思ってません(笑)

つまり、人に対する目利きを鍛えて、それによって、「あーなるほどね」とやばそうなら、さっさと逃げますし、あと人の良さもやりません。逆に「この人すげー面白い」なら、「どんどんやりましょう」といいます。僕を知ってる人はそのとおりと思うはずです。だってそのとおりやってますから(笑)

何かを貫くとはかっこよさよりも、実は泥臭さです。そして成し遂げるにはパワーが要ります。泥臭さとパワーを持った若手は恐ろしいポテンシャルを秘めています(笑)

そして冷静に考えると、やる人がいないのは、ぶっちゃけ教育だと思っています。どういうことかといえば「新しいことをやりなさい」「社会に対して貢献をしなさい」「人に対して愛を与えなさい」とか、最後はキリスト教っぽいですが、そういうのってないんですよね。どちらかといえば「集団の中で目立たないようにしよう」とか「相手が嫌がることをやめよう、だから主張すると波風立つからやめよう」(笑)みたいな、なんかこれだけ社会が発達しても「個人」というものを尖らせるものを極端に嫌う人も多いんですよね。

とはいえ、僕世代であれば相当個人に対する感覚は変わっていて、社会的に今後僕らがメインで社会を作っていくことを激しく意識していくと、やはり今後は自分の持ち味を、良い感じにやらないと辛いかなあと思います。そのやり方が分からない人も多いと思いますが、シンプルに自分の気の合う人や気持ちが良い人達に(馴れ合いではないです)、囲まれるってことなんじゃないかと。これ他力本願でなくて、立派なスキルです。

最終的には上のような、ネガティブな感情やまわりからの謎の否定も、ポジティブなフィードバックと人たちでほぼ消えるというか、多くは洗浄されます(笑)人を洗浄すると危険かもしれませんが、表現ということで、要するに「否定している人も、心配だから」なんですよね。「でも、心配とは、相手のことを考えると否定でなく、アドバイスとか、はなむけの言葉にになる」はずなのでそこが面白いところですよね。

もっといえば、これらの言葉に押しつぶされて、やっぱやめようとなる人は出来ないんですね。妙なテストなんですが、ここで突破するからこそできる。もちろん「褒めて伸ばせばいいので、微妙」なんですが、社会はどうもそうなってない。仕方ない点を踏まえつつって感じですね。

僕が27歳の頃はなぜか怪しい人たちが周りにめっちゃいました。友人達がでなくて、怪しい話を持ってきたり、逆によくわからないから話にノリそうになったり(笑)まさに社会経験というか、怪しい人達を知らないからこそ「ビジネスは詐欺です。騙せばいいんですよ」というのが通じるというかそういう考えの人達もやっぱいるわけですよね。色々な意味で駄目すぎですが。良い経験でしたが、その時なんか違うぞと思えたのは、やはり学生時代の良い大人たちに会えたという経験でした。現状や風景が違う時、ギャップに悩む時、うまくいかないとき、支えてくれるのは周りの人というのもありますが、やはり自分のコアなところで「何をお前は考えどういきるか?」という言葉がいつも出てきます。

そんな宮本さんを君も応援してみないか?

宮本さんは、そういう意味で最後に書かれているような「自己主張」感がある人というよりも、魅力を持って人を惹きつけたり、こいつは何か応援したほうがいいんじゃないかオーラ(言い方)を持っている素敵な人でした。いわゆるギラギラした何かでなく、己を貫き、成し遂げられる人ということですね。成し遂げるとかってぶっちゃけなんでもいいんですよね、その人の生き方とリンクすれば何でも出来ますから。

そして、宮本さん以外が誰かやるかというと、ぶっちゃけ世の中は「自分がやりたいこと」をやらなくても、生きられます。ただリビングデッドで、死んだように生きることになります(笑)死んだように生きるって死んでるじゃんって思うのか、生きているよねと思うのかの解釈の問題ですが、まあ僕は嫌だなと。

死んだように生きないなら、逆に舵を取るしかない。自分がやりたいことがある、応援する人も一人や二人じゃない。いけるで、いけるで!みたいな熱ですよね。

だからこそ他の人はやらないはずです。それは良くも悪くも、お菓子の情熱や人をつなぐ魅力が宮本さんが持っている持ち味であり、行動力もですよね。結局自分がやるのは大変だと皆知っている、だから応援する側ならやれるよということなんですよね。もちろん、応援する人も僕のような気持ちの人がレベル感はあれど「あなたがやるなら応援するよ」と言ってくれないと応援もしないはずです。

ここでも人の問題となりました。つまり起業をするとか、何かやるときのリスクをとってもやるという人が非常に少ない。少ないことに気づいてというか、もしかしたら豊川に人なしとはいいませんが、もしかしたら豊川に一人かもしれない(笑)それくらいやる人も、そしてそれをやりきれる人(やり続けられるかどうかだけ)も、全然少ない。

だからこそ、僕は宮本さんを心ばかりですが応援したいと感じました。DIYをして空き家を直していって、その店舗がもちろん成功する保証はないです。では失敗するためにやるか?というとそれはない。どうすればうまくいくだろうか、それはお客さんのためになるか、お菓子を売ることであり、結果的にまちを盛り上げることなどをたくさん考えて形にしていくことになります。

自身に言い聞かせているような、宮本さんの言葉として

ネガティブで不安な気持ちは、ワクワクする楽しい気持ちに変えてあの場所でしかできないことを、

あの場所を必要として下さる方と一緒に作り上げたいです。

(同上より引用)

という言葉が刺さりますね。自分ももちろん不安だといのは、不安は0になることはない。必ずついてまわる。しかもチャレンジなら尚更だ。でも、一緒に考えたり、一緒に話していけば見えるものもあるかもしれない。その先は光か闇かというよりも、どうも光っぽいものを見ていけば光だし、闇っぽいなら闇という一択に近い気がしています。

つまり、気持ちの良い人達と良い形で作っていけば、まあまず「筋が悪い」ものはできないでしょう。というか、そこから筋悪を作ることのほうが難しい(笑)

このストーリー、宮本さんとともに見ていきたいと一瞬でも感じたら、支援はもちろん、シェアなどよろしくおねがいします。

クラウドファンディングは最初が肝心なので、気になった!なら爆速で支援してください(笑)爆速シェアもぜひぜひ!

おわりに

僕は何かチャレンジする人をほぼ否定することはありません。もちろんお菓子作りで成功する確率なんて分かるわけはないです(笑)成功しそうだからやるとかそういう打算的な話でなく、なんというか応援したいからする。

あと、起業とかもですが、チャレンジ数自体が増える方が面白いと感じています。お金の支援は限界はありますが、気持ちの支援やシェアなら誰でもそのSNSなどを持っていたりすれば出来るんですよね。これ良いSNSの使い方だなあと感じます。まさに気持ちの循環。

もちろん僕の視点では、空き家活用としても面白そうとか、起業チャレンジをしていく人がどうなっていくかを観察するのはすごい好きです。自分の気付きや学びにもなるからやっています。

あと、このプロジェクトなんか楽しそうというか、もちろん宮本さんと関わりがないと「よく分からん」のですけど、僕の記事を読んでなんか面白そうとか、楽しそうだなと思ったら嬉しいですね。少なくとも僕は楽しそうだと感じたので心ばかりの応援というところです。

応援頂いた方と、ノアゼットでお会いできることを楽しみにしています!

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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