言語化が出来ないと思考できないのか?

軽い問いかけですが、おそらくYESです。つまり、言語化しないと思考できないということです。

否定したいのですが、何かを考えるとは、結局イメージの生成がコストが高く、実際は母語的な言語でやってんだなと。セミリンガルと呼ばれる、母語獲得が曖昧なままだと、考えられるベーシックなものが土台がないゆえに考えづらいってことですよね。これなんかそのまま言語ってものがそのまま思考に直結するんじゃないかって例かなと。

言語化って何かというと、比喩から、表現から、知識から何でもですが、言葉で圧縮出来るのがスゴイなと。改めて言うわけですが、「起床から今まで」という時に、今が夜なら、「起床から夜まで」ということを表せるんですよね。これが圧縮と僕は呼んでいます。これを非圧縮、つまり平文でやると、「朝起きて、それで・・・という説明を全てする」ことになります。

省略とは違うのか?要約と違うのか?というのもあるんですが、平文でも省略すれば事足りると。でもおそらくですがその場合「起床から今まで」と言わずに、その表現でなく「朝起きて、今になりまして」みたいな「やや不自然」な表現になるというか。この表現がダメなのでなく、まとめられてないってことですね。それだけです。

より圧縮出来ることで、思考となりえるので、つまり「なんちゃら主義」みたいなものとか、まさに思想とかもですが、やはり言語の塊なんですよね。その主義の考え方とかもですし、または主義たらしめる何かというか。そういうのが面白いと。

自分の考えがないと嘆く人がいますが、多くは考えがないというよりも、考えてないということでしょうか。考えてないとは、誰もゼロから考えられないので、人から真似ぶですよね、学んでいくことが著しく少ないのかなと。

別にYoutubeでも本でもなんでもいいのですが、それを受けてどう解釈して、その自分の頭にそのままコピペするのではなくて、自分で考えてやってみる(同じ通りにやることも真似としてありですよね)ことが大事で、そこから世界が変わっていく気がします。

そういうのを疎かというか、下に見ている人はやはり結果的に思考できてなくて、考えに対してコンプレックスを持ちがちですかね。

思考するには普段から考える

思考というと高尚なイメージがありますが、哲学者でもないのであれば、研究者でもないのであれば、まあ思考するって限られます。むしろ日々の営みでどう思考があるかですかね。

つまり、無批判に鵜呑みに、何か言われたらそれをやる。そういう生活を繰り返すと、そりゃ思考はないですよね(笑)仕事早く終われみたいなことばっか言ってる、またはあ同時に考えているとそういう人でしかないと。別にブラックで働けとかではなくて。

そのアンチではないですが、意識高くやれということでもなくて、むしろ意識が高いとかでもない(ニュートラルかつ冷静に見て)のですが、少しでも「意識」に関することを言うと、意識が高いということの意識の低さが有るわけです。メタ意識と言って良いわけですけど(笑)

そういう中でも、普段の生活で、僕らは考えていくということが求められるというか、してないと、「あーそういわれたんでー」で終わるんですね。「んんん?それ違うんじゃないの?」「んー、これどういうことっすかね?」と突っつけるか。

この突っつきは反抗というのもありますけど、どちらかというと、そこで考えているからこそ出来ることかなと。考えてないなら「あーどうぞ」で終わるので。

それってどうです?面白いですか?どうですか?僕はヤなので考えていくし、面倒くさくなってもあえてやることもありますよ。けど、まあ面倒くさいコストがやばいと流石にですよね。結局ここで色々と時間もお金も資源の限界がありってのが実際のリアルですよね。

まあ、色々あれど、普段考えてないのに、「はい!」といって振られて考えることはできないですよね。考えていることが普段あるからこそ、いつでも考えることができるか、または考えるを示せる。それだけです。本当にそれだけです。手品でもないと。

ブログとかに書いておくのもあり

友人とかとわいわい話すのもいいし、記録したり、考えをまとめるのは言語化を鍛えてくれます。あれはどういうことだろうかなどなど。

僕はこうやって思考を書いているのですが、まあ人によっては全然おもしろくないと思いますよ。けどね、というところで、僕にとっては大事でそれを書き連ねることが意味というか価値があるってだけですね。垂れ流す感というところでは、垂れ流しは思考でいいけど、まあどうせなら有益になる、ここでは読者であるあなたにとってですよね、そこを意識していけばいいと。

だから、思考って言われるよりも、アイデア自体がこういうのがあるとか、アイデア自体の考え方とか、ビジネスの作り方とかですよね、といってもノウハウでなく思考より、プロセスよりになるって感じですよね。そういう感じを出していきたくてやっていて、まあそういうのも少しずつ出来ているというか、持続していって振り返るというだけなんですけど、やっているぞというところですよね。

というわけで、ブログはお薦めです。言語化鍛えたい人はですけどね(笑)

語彙はあまり関係ない

たまに言語化とかっていうと、表現力みたいになって、小説家みたいな話をする人がいますが、それはちょっとというか大分ずれています。というのは、別に情緒表現を色々してくれとか、その表現をしないとダメだとか、素晴らしい感動したスピーチみたいなのを目指すわけではないんですよね(笑)

自分の考えていること、感じたことをどう出すか。伝えるところから、そもそも伝える前に自分でこう感じたと言えるところとか、様々な状況があってそこをどう出すかってことですよね。

それは語彙が最終的に要ることもあるんだけど、多くは伝え方とか、相手に寄り添った表現とかであって、語彙の問題ではないんですよね。そこがずれていると感じる理由ですね。

表現力もそうで、難しい表現をして使い回すのも、またどうかなと。相手や読み手を想像してないならやはり心象が悪くなるし、読みづらいので、どうかなと。そういうことですよね。

おわりに

言語化によって言語によって思考するという話を書いてみました。なので、考えるって言葉で考えるのであって、イメージで映像や画像があっても、それは分かりやすそうですけど、実は頭に与える刺激を散らすだけかなと。実際に言葉がツールとして有効だからこそ残っていて、絵にならなかったのはそういうことかなと。別にイメージや絵を否定してなくて、とどのつまり、最終的ってことですが、言語になっていくかなと。

もっとも言語のみに頼るのが良いと思ってなくて、思考は言語になってるのかなーってくらいの保留感があります。当然言語で考えたくない場合は、絵→言語とかビジュアル化して考えるとか手続きを踏むことになるんですが、そこがコストでも慣れたやり方は楽なのでありかなと思っています。

僕は圧縮された概念とか言語がかなり好きなので、そこで色々と事象や社会を見て行きたいなあと、改めて感じたところでした。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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