調べ方ってなんだろうかを考えてみる
今回は調べ方、確かめ方の話です。
目次
自分なりの調べ方があるか
何か考えていて、仮に「良い思いつき」を得たとします。それをGoogle検索などせずに、どうあたりをつけるかというと、結構限られます。
とはいえ、Google検索結果にないなら「ない」とか、「ある」から駄目というのも早計です。
これは世界観というか、何を持って良しとするか、駄目とするか見極めの話で、極論を言えば明らめないなら常にありえるし、すぐあきらめればすぐ駄目になるという感じですね。
この時大事なのは自分なりの調べ方があるかです。自分なりの調べ方って何か。結構難しいですが、考えてみましょう。
データがあるか、体験があるか、分からないはなにか?
ざっくりしていますが、小見出し通りに考えてみます。
データがあるか
今年の冬は鍋といっても、より一人用鍋が流行るとします。これは店でも内食ででもです。その時、なんで流行るかは分かりません。ただ傾向や言えるデータがあれば説得力があります。
ですが、データがあれば未来が分かるのは乱暴でしょう。一定程度いけそうだというのは誰でも不安ですから「未来」を保証したいんですね。ただ、それは出来ない。
このせめぎあいが常にあります。これらを考え抜くと、データなんていらない、マーケティング・リサーチなんて要らないのも分かります。一方で、データの裏付けがないなら、考えたアイデアをどう検証すべきかに力を注げるのでそっちを考える感じですね。
データが既にあれば考えやすい。なければデータがあるほうがいい。それくらいですかね。
体験があるか
今度は自分の体験の話です。人の話でもいいので一人用鍋が良かったとか、そういうことです。なければ、想像の世界になります。
だからストックがいるんですね。人の話をたくさんしてもいいし、飲みにいったら見かけたとか、店頭で鍋グッズが売ってたとか、なんでもいんですよね。
ちなみにこの体験とかデータとか、「無理にそのデータを紐付ける」こともあるわけですが、無理するとこじつけになります。ここもせめぎあいですかね(笑)
分からないのはなにか?
一人用鍋が流行るとして、結局何が不安なのか、分からないのか、確からしさはどう言えるのかだけです。
例えばあるお店では一人用鍋が売れているという直接聞ければ固い話ですよね。伝聞なのか、新聞だったり、人づて、ニュース、ネットのSNSでも取得データはいいですが、その信頼度や検証できるかどうかです。
分からないのは何かとは、分かっているのは何かを示すことになります。
「これは一定程度確かなのではないか」とは、「一人用鍋が流行るりそうだ」といえるには、その理由がいるんですね。それをデータなり、体験なり、ここは確実に言えることなりで、示していくことになります。
どう確かめるか?
自分なりの調べ方とは、先回も書いたような独自のデータとほぼ同じ話です。
検索してあったらそれを何かしら検証してみる。気になったものはまず買ってみる。そういう試し方、調べ方ですね。これらが出来ていれば、確からしさを示せるので精度が高いです。
仮に「調べ方」が確立されてないと、「なんとなくのデータ、なんとなくの体験、なんとなく分からないですが」みたいになって、全くふわふわしたものとなります。例えば企画書がふわふわしてる。何が言いたいか分からないとなるはずです。
確かめるとは基本的なことですが実は分からないというか教わらないのかもしれません。
例えば「友人の家に行く時に住所を聞いてそこにいけばその友人に会える」のは、なんら不思議ではないです。ただ「友人の住所の指示が不明確」なら、結構辛いですよね。
道に迷ってどうすればいいか分からない時に誰かに聞くとき、誰に訪ねますか?知っていそうな人を探すと思います。また人当たりが良さそうな人を探すでしょう。
つまり、何かしら確かである、あろうとすることは「何か」で確認するはずです。地盤というか固める感じですね。
この固める作業があって、次のステップなり次があります。ふわふわしていると「あれ、今どこだっけ?」となり、迷子になります。
確かめ方の方法を知っているとか、迷ったらどうすれば分かっているとか、そういう人は万一迷っても、または確かでないことがあっても、あまり焦らず向かえるんじゃないでしょうか。
調べ方の企画があるのでは
そうやって考えていくと、確からしさを検証する企画みたいなものがあるんじゃないかと思い始めました。
ややメタ的ですが、
- 企画を立てているけど、そもそも自分は企画のどこらへんにいるのか分かっているかどうか
- 確かめる方法がないような妄想だらけではないだろうか(何が妄想なのか、計画なのだろうか)
- そもそも一人用鍋なんて絶対売れないのではないか、いや売れると本当に思ったんじゃないのか?
- 今もだけど、何をすればいいのか、完全に詰まったかもしれない。いやそんなことはない、ここからもいけるはずだ
企画を立てるだけでなく、考えはじめて企画書に整理をしても、様々な疑問が全てクリアになることはまずないと思います。仮にクリアならそれは「計画書」であって、「企画書」とは、今後起こりうることを立体的にイメージとして頭に想像出来るようなものだからです。それがある計画書であれば完璧ですが、まあ普通はないというか、そこまで完璧なものは逆に壊れやすいのでやりすぎも注意でしょう。
考えていく中で、一体どこにいるか分からなくなる。何をしているか分からなくなる。この分からないが大事で、この経験がなければこれを解消することもないですから、経験値が低いと言えそうです。
逆に経験値があるとは、こういった「不確かな」状況において、自分なりのやり方、今回であれば「調べ方」「確かかどうかを確かめること」があって、それを試して現在位置を把握できることです。またはそういう人は企画の経験があるといっていいでしょう。
何をもって調べることが終わるのか?
もっと違う言い方をすれば、「調べる」ことの終わりがなにかです。Google検索すれば調べ終わりなのか?言葉の意味を調べれば終わりなのか、考え方をまとめたら終わりなのか、企画書にしたら終わりなのか、課題を洗い出したら終わりなのか、同僚と会話したら終わりなのか、「AですBです」と回答すれば終わりなのか。「分からない」といえばいいのか。
世の中には全部分かる人なんていません。逆にいえば、多くの人は知りません。僕もです。そう考えると楽になりませんか?そういう時に、知識だけでなく、やり方だったり、そもそも知らない状況が一緒だから、多くの人と「知らない程度」が一緒であるからこそ、「調べ方」「確かめ方」が価値になるといってもいいでしょう。
この延長でいえば、マーケティングとかはまさにそこなのですが、どうもここは色々と加工していくしかなさそうです。具体例を示すと抽象化できず応用できないことが多く、抽象的にいくと良くわからないと思われるからですね(笑)
おわりに
今回は調べ方の話を書いてみました。
気になったのは、企画を立てたり調べていく時に「そもそも調べ方が分からない」というメタ的というか基礎的なところに引っかかるのではないかということです。
例えば日本の人口はどれくらいかというのを調べたい時どうするか。労働人口はどれくらいか。そのデータが分からなくても何か売れる商品、サービスが出来るでしょう。でも、確からしさをどう担保するか。データだけでは無理です。しかし、データすら知らないのであれば話にならないと僕は考えてます。
でもデータは全て覚えられるとかそういうものではない。だけど、調べ方が分かっていれば「そこを省いて」進められる。例えば、A→B→C→Dという4ステップがあれば、Aがあって、Bはわからないけど「多分こうすれば分かる」といえば、Bを調べなくても、Cにいけます。さらにCも違うデータからいけそうと分かれば、Dに。
これがBが分からないから調べる、Cも調べるとなると、多分相当時間がかかるわけです。
時間がかかるから駄目でなく、短い時間でも初見で調べて何かを言う場合では、おそらく調べ方を知っていて省略できる方が早くかつ正確な気がします。もちろんあえて確認することもあるでしょう。
これは抽象化の概念に近いですが、話が長くなるのでこのあたりで。
面倒なのは、この調べ方も僕が正解があるわけでないです。こうやったらこうだった、その記録や計測を持ってこれも仮説と検証で、こういえるっぽいのではないかの連続です。「ぽい」からこそ、あまり連続でやると精度が悪くなりそうですしね。
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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