新しいことにチャレンジしているか

シゴトクリエイターの大橋です。

アイデア天一は40投稿中15位でした。投稿数が大分減ってきている気がしますが、それはおいておいてもはやプロとして追い込まないとやれない感じかもしれません。

どれくらいの人が付いてこられるか見ものですな。

さて今回は新しいことにチャレンジしているかと題して思考メモです。

やり方を変えて行く必要がある

昔から変わってない部分ってあると思います。ただ変わる部分と変わらない部分というのは、環境に応じて柔軟に変化するわけです。

例えば僕は幹事的なことってわりとやれるんですが、やりたくてやるというよりも、多くは「自分より幹事でまとめたがらない属性が多い」人達が多かったことによります。これはリーダーシップがリーダーシップがあるとかでなく、その中で最も「リーダーシップ」があるまたは適している人が選ばれるのと似ています。

というか集団だとよくそういうことがあります。内弁慶とかって違いますけど、ある人、例えばAさんを自分から見たのと、他人から見たAさんが違うのが当たり前です。人ってそういう意味で分かりません。一方で面白いなあと思うわけです。

自分のやり方を意図的に変えないといけないと思うことがあります。また新しいことをやるとは、やり方が同じでないか、ただの作業になってないか。そんなことをちょっと感じました。

新しいことをやろう

新しいこととは、新しい趣味でもいいし、新しい記事を作成するでもいいし、新しい勉強でも新しい本でも、新しく走るとか、新しくアイデアを出すとか・・・。

なんでもいいんです。要は企画かもしれませんし、要はシゴトづくりかもしれません。要はWebサービスかもしれません。

また新しい人との出会いかもしれませんし、それらは何でもいいのかなと思います。

そういうことやるんだなあと、自分の中で再確認しつつ、一方でそういう感じがかなり好きです。「しょうがないなあ。飽きちゃったよ。次やるか」って感じです。伝わるでしょうか?

あくまで「めちゃくちゃ新しいことやりたい!」ではないんですね。どちらかといえば「しょうがないなあ」感がある。で、それは「マンネリで作業感」があるよりも、「新しいことに染まっていたい」みたいなほうが強い。ただそれだけともいえます。

これも、上の幹事的な立場になりやすかったというのと同様です。自分を社会という場においたときやっぱなんか面白いことやりたいし、新しいことやりたいよね。ただそれだけなんじゃないか。そんなことを思うわけです。

この場合の新しさが社会的にインパクト与えんとアカンとかってあまり思いません。多くは社会という言葉を口にしすぎて色々なものが抜け落ちている、足元見えないほうがちょっとなと思うわけです。そういう自分が足元を見えているかは分かりませんが(笑)

自己満足でいいじゃない

自己満足って悪いことって言う人もいるんですが、大いにいいじゃないですか。自己満足ってそれだけで表現しているし、それが「痛い」「見てられない」とかって、見た人がいるから言われる、または思われることですよね。

自己満足だけであればそんな見せることをしなくてもいい。でも少し一歩踏み出して見せたり、公開したり、小さく動く。それもすごく良いことだと思います。

また自己満足はそもそも自己満足すらしてなければ、他者満足にも人を満足することもできないかなと思います。自己満足あり、他者満足もあり、だからお客さんの価値となるとか、こちらもやっていて嬉しい。それが満足じゃないか。しいてはシゴトじゃないのか。そう思います。

大いに自己満でいいんですよね。そんなの駄目だとかいったら無視しちゃってください。自己満足すらできない人に言われたかないよと言ってやってください(笑)

いつやりたかったことをやるの?

やりたいことを環境、自分、他人、今の状況、収入、時間、社会、スキル、なんでもいいんですが、「誰か」「何か」のせいにする人がいます。

分かるんですけど、それって結論的に「楽」なんです。今何も出来ないとかやりたいことができないのは「なんとかのせいだって」いえば終わりですから。これを言い訳といいます。言い訳が悪いわけではない。言い訳もオッケーです。

ただ、本当にやりたいことがあれば言い訳している意味がないです。つまりやりましょう。言い訳をして終わるくらいならその程度だと本当は思ってるんじゃないですか?ということを自問自答して多くの人は「そうなんだよね」で済んでしまう話かもしれません。

いつかっていつも思うんですけど、明日ではないなら、明後日か。半年後、1年後、3年、5年、えーいいつだ?となりませんか。人って不思議でそういう「ポーズ」「カッコつけ」が簡単に出来ます。今やってないから全て駄目だとかそういうことでもないです。ただいつかやりたいなと思ったら、やっぱやりましょうよ。やりたくて、そしていつかでなくてやっぱやりたいんだ。そんな思いがあればやっぱやりましょうよ。

もちろん最初から、やろうと思ったやりたかった何かがイメージ通りやれることは稀です。だから何度も何度もやりましょう。僕はこういうどうしてもやりたい、やり抜きたいって思えることって、1個でなくてもいいと思います。でも、やっぱ1個でもあれば相当楽しいです。

その1個のやりたいことってめちゃくちゃ些細なことでもいいと思います。花に水をやるとかでもいいし、空き缶を拾ってみるとかでも。そんな小さなこと「いつやるか」なんて問わなくてもいいって笑う人がいるかもしれません。でも、「いつやるか」っていうのは小さいことであってもなんであっても、やっぱ「やるんだ」「やりたいんだ」ということであれば大きな一歩だし、大事なことなんですね。

例えばAさんが花に水をやることをいつかやるといい、Bさんが夢のために転職するとします。どっちがすごいとか駄目だとかナンセンスです。人と比較するのももう辞めましょう。やっていいことって、単に自分が惨めになるというか、自分の人生だから、人の人生のように生きなくていいじゃないですか。自分の人生だから、AさんならAさんが花に水をやることが大事なんだから、そういう人生でいいと思います。Bさんが花に水をやることを軽視する言われはないし、転職をするから花に水をやるのは大事なことではないって変ですし、比較する意味がないってことです。

おわりに

自分の人生を生きるって当たり前のことなんですが、もう一度いうと「自分の人生」を「自分が生きる」のって案外見えないことが多いです。人に生かされた、もちろん親がいて生まれた(例外あり)わけですから、意思で生まれたわけではない。物心ついたら何か生きていた。

だからこそ、魔王を倒そうが仲間と仲良くやろうが、わりと自由なんじゃないか。自由っていうのは自分で決められるだけであって、それが出来るということではないです。決められないと思う方が不自由で、もちろん自由だと思わされて不自由というのも罠ですけど、ここでは、自分が生きたいように少なくとも生きるんだ、そう思わないと一生そうはならないってことです。

自分がもし自分の人生を生きてなかったら、人生つまらんのでやってられんということで、色々やろうとするだろうなと思います。もちろんこんなことをいってるのは、僕が自分の人生を自分で生きていると思ってるし、また楽しんでいるから言えることですね。

 

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

ビジネスアイデア相談窓口

ビジネスアイデアに関する、アイデアや企画、事業、起業についてカジュアルなご相談はお気軽に壁打ち可能です。

詳細はアイデア相談窓口(お仕事依頼)をご参照ください。