具体性の罠みたいなのがあるかもしれない

ラジオでも話したのですが、ざっと書いておきます。

具体的であることは良いのか?

ここでは良いとは、思考を促進するかどうかです。

実際にはそうとも限らないのが一つの結論というか仮説です。

なぜかといえば、考えるとは、揺さぶりがあるからですね。批判や仮説やなにこれ?みたいなのがないと、頭は動かない。恒常というか保持するというのが脳にはあると思っています。

こちらの記事で、アイデア出しの話をしていますが、アイデア出し=思考=考えると捉えるとまさに、具体→抽象→具体→抽象というように少しでも動くと考えているように思いました。

という意味で、考えるには、具体例を示されて、それだけで終わらないのが肝心で、というかそれだけなら「良い話聴いた」だけですよね。

実際に使う、考えるとは、「それをこういう話があったらこうしてみた」とか、「その話を持って自分も見直してみた」みたいなもの。行動でもいいし、考えるでもいいし、それは様々あると思いますが、行動の変容でも、解釈の変化でもいい。それがないと考えたことにはならない気がするわけです。

もちろん、正確には、自分の考えてきたものを再確認できた、という見直しもあるので、変わるとは必ず変化とは言えないこともありそうです。

抽象であれば考えるかというとそれも難しい

考えるは、具体→抽象にいく時にも、逆でも起きている

こちらはイメージとしてですが、具体例を示されてそのまま受け取るは鵜呑みということになりやすいです。では抽象で示されたら分かるというかですが、分からないですよね(笑)

抽象で示されたらそれを頭では具体例を想像したりしてそれで理解を促す。

具体も抽象もどちらもいるし、行き交うことで、考えることになるし、それで理解しようとする。

または具体例を自分で示すこととは、

  • 具体例がある、示された
  • 頭で考えて別の具体例を示す

なども考えていると思います。つまり、具体性レイヤーみたいなのがって、少し抽象化したらそれも考えるになるわけですね。

自分で考えることなくして、具体と抽象の行き来がまったくない、ベクトルとしてないというわけですが、それって考えてないことになるんですね。という仮説です。

セットというところでは前記事にも書いたのもほぼ同じです。中庸として、バランスとして両者考えていく。実践が具体となりやすく、まとめや振り返りは抽象となりやすいって感じですが、これは感覚もあるので人次第かなと思いつつ。偏りすぎると頭でっかちや行動のみとなっていく感じがします。癖やタイプもあるので5:5でなく、いい感じでバランスしていくしかないとは思います。

分かりやすい具体例は思考停止にもつながる

ここで投げかけておきたいのは、具体例はそれだけを有難がることはちょっと待てよ?という話です。

AIに指示する具体的なプロンプト集は確かに一時的には短期的には便利なんですね。ただそれは抽象化したり、自分でパターンを考えたり、自分の趣味に適用する(例えばダーツに活かしたい)ことは思考できなくなっていると。

正確には、

  • プロンプト集でスポーツの例があった
  • 自分のダーツ趣味にも活かせそう
  • プロンプトを自分で書いて、ダーツに活かすトレーニング方法を考えた

が理想ですよね。これは考えているし、思考しています。

一方で思考停止とは、

  • プロンプト集があった
  • 役立ちそうだったので読んだ

だと、役立ちそうで終わっているし使えるとは言えない。あと試してないので考えてはいない。あと自分の話題ややりたいことに紐づけてないので、これはこれで分かったつもりになりやすい一時的にそうなることを否定しないし、学習はそういう部分もあると思いますが。

そこで、試したり、考えたりして、どうなるかを、AIを使って遊ぶというかやらないといけないんですよね。

そうしないと、一生プロンプト集を手放せないし、なにかあるたびに見るわけですが、プロンプトを入れて使える人はそんなの見なくて使えるわけですよね。そこに到達できないわけですね。

AIの使い方、またはプロンプトを入れられるという学習や理解をするということは、プロンプト集を捨てて、自分で打ってAIを動かせることですよね。期待通りでもいいし、違うのもでいいけれど、自分で動かすためにプロンプト集があると。

しかし、それを見るだけ、または参照するだけとして使ってしまうと、そこで意味がなくなるというか、考えてはいないですよね。

これを具体性の罠とか、具体的であることで思考停止するのではないかという話としているわけです。

もし、具体例があることでより学びが促進しているならそれはご自身が頭を使っていて、考えていて、自分なりの仮説や課題、やりたいことに紐づけたり、実践するからですね。これが出来てないと、「プロンプト集がある」けど「どうしていいかわからない」となります。これが考えているかどうかの違いです。

これは思ったより如実に現れる気がします。

全てを網羅できない

具体も全部わからないわけです。プロンプトを入れてどこまでやるかをやれば、多分本一冊いや、永遠にできる。抽象でパターン化しても、それもどこまでやるかとなる。

例えばパターン化は、「自分の興味」×「テンプレート」=欲しい出力、みたいな数式っぽいものです。これでも一定の役割がありそうですが、それでもキリはないわけですね。

つまり、具体も抽象も限度はない。故にどこかで、一旦諦めるか、一旦保留するか。その中で考えていくしかない。

まさにこれが、学びだと僕は考えています。世界の全てを理解することは・・・できないですし、知ったと思ったらそれが退化というか、学ばない態度の始まりとも言えそうですから(笑)

全てをパターン化出来ないし、全てを具体で語ることもできない。

例えば、自己紹介でもいい、自分の1日を説明してくださいといったらどうしますか?かなり端折りますよね?省略してポイントだけ伝える。1日を全部説明するなら、24時間動画となるし、または24時間話し続けるか。またはスケジュールカレンダーを作ってそれで示してもいいし、「面白い一日でした」というふわっとした説明でもいいわけですよ。

それは正解はないんですね。ただ、どれを切り出してどのレイヤーで話すか、レイヤーとは、具体度といってもいいし抽象度といってもいい。伝える相手がいるならば、そのコミュニケーションとして適切に分かる(相手が全くわからない話であれば伝わらないが、同じ話であれば飽きてしまうという矛盾性がある)ようにしていくわけですね。

ここが難しいのですが、面白さでもあるなあと最近感じています。

おわりに

というわけで、具体的なものは分かりやすいが、それだけとなりやすい。という話でした。とはいえ抽象は好まれるかというと、どうもパターン化したりとかという思考を得意とする人はあまりいないか、研究者とか、思考を専門とする人でないとあまりいないかなとも感じてきています。

だから、僕が偉いとかはなくて、単にそうであれば、示し方は色々変えたほうが良い。つまり、具体レイヤーである程度示しつつも、なんとか集はいらなくて、そこから抽象レイヤーにもっていくほうが面白い。

それこそ、目の前に反射しているだけが具体なら、抽象はぐっと耐えたり違うコンセプトを見出すことができる。もちろん、反射反応が大事なこともあるのですが、それだけではしんどくて抽象概念が必須です。一方で抽象だけで練習はできなくて、そのために具体がいる。

だから両方なんですね。両方のバランス次第かなとも思いつつ、踏ん張っていきたいです(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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