アイデアの出し方

アイデアの出し方ということでは何度も書いているのですが、具体と抽象の揺すり、行き来がポイントだと考えています。今回は特にその点について書いてみます。

アイデアを出すには、具体と抽象が必要

図で説明してみます。

左が具体材料とあり、具体的な物事です。観察しまくる、体験・経験です。基本的に一次体験(あなたが直接得たこと)が良いですが、二次経験として誰かから聴いた話も含めます。本ブログでいえば、この具体材料に該当するのが、観察ノックアイデアノックと言えます。ふとした些細な観察や感じたことのメモ、こんなアイデアどうだろうという企画ですね。ややこしくなるのでこの具体的材料に抽象化が入っているとかどうかは一旦置いておきます。

右が抽象材料です。具体的には、思考やメタ化です。思考もメタ化も同義というと怒られそうですが、具体的に見たり聴いたりということでなく、問いかけであったり、なぜこうなるのかという好奇心、一段別の視点やずらして見る思考、またはメタ的にもっと引いて見るということです。ブログでは、アイデア考察的なことを含めて考えたことのアウトプットが該当します。また読書も思考をしていると考えています。頭が整理されたりするからですね。

アイデアの出し方としてはこれらの具体材料と抽象材料を組み合わせていくことで出る感じです。目に見える行動としては、具体材料がわかりやすいです。ただ見たり聴いたりを「漠然」としていても、経験はストックされますが「なんでこうなるのだろう」という問いかけ(ここでは抽象)がなければ得られるものがあまりないということです。少なくとも、一定の具体経験を何かにまとめないと使いづらいということです。

逆もまた然りで、考察や読書などで考えているだけでも、それが具体的なもの、より鮮明なことに結びつきづらいです。いちじくの実と思っていたら実というより花に近いみたいな知識やうんちくがあっても、それで「いちじくを食べたり」する経験がないと弱いということです。

このあたりは学習っぽい話ですけど、実際に両方得意というよりも、どっちかが得意、先行するという人が多いと思います。つい「行動」するか、つい「考える」かで分かれそうです。ちなみに僕は考える方です。だから意識的に行動する方を意識しています。無意識で出る方は放置してもやるので、意識してやる方を意識すると。日本語が変ですけど、そんな感じですね。

どちらか0でなければ、オッケー

勘違いしやすいのですが、こういう話をすると、具体材料は50で、抽象材料も50で、トータルで100ということですか?というツッコミがありそうです。そういう人もいるかもしれないのですが、上でいえば得意かどうか、意識しているかどうかで大分異なります。つまり、無意識で思考=抽象材料を集めやすい人は、行動を意識して観察や体験や経験を積んでいくといいとなります。この時このバランス自体は余り意味がなく、10:90でもいいし、1:99でもいいという感じです。大事なのは0:100だと「なんか頭でっかちかな」という感じになって止まるイメージです。考えても進まないことってないですか?

逆もあるでしょう。行動しまくって、100:0だけど、なんか「まとまってない、ぐちゃぐちゃである」ということです。まとめというのは抽象や思考の領域でしょう。読書をしろということではな決してないのですが、思考がまとまったり、まとめていくことが大事です。その時、具体材料は一旦置いておいてというのが大事となります。

バランス良くやるということを意識するのでなく、0でないならいいよねという感じです。

アイデアを出すには?

以上から、アイデアを出すには、具体的経験を増やすか、抽象的思考を増やすか、またはどちらかを全くしてない状態をなくすということになります。

インプットと言われる切り口、アウトプットという切り口ではあまり説明がしづらいのです。ちらっと先程書いたように、あえていえば、例えば具体材料の観察や体験自体が具体的経験でなく「これってなんだろう?」と考えることで抽象に行っている、正確には行き来する感じです。つまり、一つの体験=具体と抽象があるととてもアイデアにとっては美味しいと言えます。

読書はインプットと捉える人もいますが、読む身体は脳がぐるぐる回って色々と考えることで理解したり、想像したりとするので、結構まとまります。人に話をしてアウトプットもいいですが、少なくとも相談したらフィードバックをメモして、自分の頭でないところで整理することが抽象材料となる感じですね(頭だけで考えるとまとまらないのは、記憶領域や脳で扱えるスペースが少ないからです。個体差(笑)があってもそこで勝負するわけでないので、どんどん書いて整理しましょう)。

ヒントとしては、具体的経験をした時に「そのまま経験」として捉えるのでなく、メタ化つまり何かに転じてまとめるか考える癖をつけるということです。観察ノックなどで伝えているのですが、自分が感じた見たことをどう切り口とするか。まさにこれが具体→抽象ということです。読者は抽象から具体にいくと別のアイデアが出るはずです。また同じ具体でも違う抽象が出るはずでしょう。

一石二鳥的といってもいいでしょう。ある経験を1で留めるのでなく、2にも3にもどんどん得ていく。気づくということを意識するのでいいと思います。気づきとは「こうじゃないか、ああじゃないか、これ面白いな、なんだなんだ?」みたいなことでそれぞれ1つです。

具体的な経験をまとめて抽象化する、または抽象的なことと具体的なことと結び付けられるのであれば、アイデアを出すのはわりと容易です。なぜなら、物事をいくつか刺激を得るか与えるだけで、それらがリンクしてまとめてくれたり、または具体的なものを出してくれる状態になるからです。

自分のステータスを知る

これは人次第ではありますが、自分が何か足りてないからそれを埋めるというのは、良さそうなのですが実は平均化されてぼんやりすることが多いです。全部ではないのでしょうが。

例えば、具体的経験が足りないのか、まとまってないから思考が足りないのか。これって悩むというか、考えてどうなんだろうとするわけですが、正解はわかりません。そこで合理的な話でなく、感覚や直観を使ってみます。

一つは、「なんか頭がごちゃっとしてきてるなあ。色々インプットしても入らないかも」というキャパオーバーであれば、抽象や思考をしたほうがいいという合図でしょう。もう1つは「なんか頭だけで考えていてイメージが見えないとか、ぐるぐる同じところ回ってるかもなあ」というときは、具体的材料が足りないのでそっちを集めたり経験を積んだ方がいいでしょう。

実際には詰め込みすぎて分からなくなって挫折するとか、考えすぎて万能感を得てしまって何もできなくなるとか(笑)ネガティブなこともありえますが、寝たり、運動したり、健康的にいればわりと解決するという感じです。そういう時に、アイデアは閃いて降りてくることがよくあります。という意味では健康は大事です。まあなんでもそうなんですけどね(笑)

アイデア体質はどっちも鍛えることが大事

行動して経験を積めばいいのだというのは嘘ではないです。体験や経験があればより見える解像度が高いので良いんですね。でも、そこをさらに広げるとなると抽象化、まとめる、思考が大事になってきます。例えばある仕事をやってもまとめれば「同じことの繰り返し」といえる場合、実は得たいものが得られてないことがあります。つまり仕事Aと仕事Bはたしかに違う仕事というのだけど、実質一緒であるということが分かるとより理解が促進され、概念の圧縮と展開が早くなります。これも学習の一つだと思います。

例えば営業をする場合、既存のお客さんを回るというルート営業のようなものは、実は研究における基礎研究と同じだとしましょう(実際は知らないので間違っていると思います(笑))。だったら、ルート営業=基礎研究となって、より抽象化できます。具体的な経験をどちらもしていると、より強固に思考が出来るといえます。

思考するというと哲学者になれということではなくて、なんだろう、どうしてだろう、これをやってみただろうかという問いかけ、そういうことが必要ということです。漠然と仕事を経験していて勝手に出来るというのは・・・成功ストーリーとしては面白いですが、まずないでしょう。必ず意識できるかはおいておいて、意識して思考して考えていったほうが上達するし、アイデアの材料となりやすいです。例えば「何か面白いものはないか?」と自分に問いかけるだけで、「面白いもの」というものが目に、耳に入ってきます。不思議ですが特殊能力でなく、人なら誰でも出来ることですから、信じてやってみてください(笑)

これらの具体材料、抽象材料はどちらも大事で、むしろ両方を行き来する感覚が分かると、具体で詰まったら抽象に、抽象につまったら具体にということができます。繰り返しになりますが、頭がごちゃついてきたらまとめればいい、なんか頭でっかちなら経験を積めばいいという感じです。

人によって具体も、抽象も違うとは思います。例えば一人だけの時間で考えることが好きならそれが抽象タイムです。思考を大事にしましょう。ある種日記もそういうことかもしれません。具体といっても、手足を動かすだけでないですが身体が動きやすい感じがします。観察はじっとしていても五感が動くからですね。それらで得た具体的経験や体験を材料にしましょう。

具体と抽象のランダム性である時アイデアが生まれる

自分に取っての小さな一次体験が、実は前に考えていた抽象や思考とリンクして「スパーク!」することがあります。それはアイデアハイ!のような状態で、とても興奮します。とはいえそこで出てくるものが全部使えるかはわかりません。デジャビューのように既視感もこれに似た感じがします。

アイデアではないですが、全く知らない人に出会った時話し方が友人に似ていて(具体的経験からの想起)、初対面なのにゆっくり語ることができた(抽象化してまるで友人のように)ということがあります。これはある種の脳内変換ですが、意図的にしたのではなく、勝手にそうなったというイメージです。

本を読む時は多くは、その本の内容を目で追って読んでいくわけですが、その時内容を追っていきつつ、頭に入れつつ、理解したり、イメージしたり、わからないぞ?といういろいろなツッコミをしつつ読んでいます。そこであるシーンや考えが今まで考えていたこと、今日見聞きした出来事というのとリンクします。例えば、落とし物をした人のものを拾って手渡したのですが、ある本で「陰徳」(いんとく)という言葉が出てきてリンクしました。とくに落とし物を手渡すことは陰徳ではないのでしょうが、実際に相手を知る、目を見たりということはせず、しれっと逃げるように去るのが「自然」だと思っていました。これは僕の考えですが、このような行為と言葉がリンクすることはよくあります。この場合正確にその状況かどうかはわかりませんし、言葉と事象のリンクをしないと言葉も覚えられないですよね。

アイデアというとアイデアを出したい!と力む人は「アイデア」そのものがあると勘違いされる人もいるでしょう。アイデアそのものがあることはなくて、あるのは「種」「原石」「そのようななにか」「ヒント」と思ってください。そういう意味では「アイデア」が転がっているという例えば「アイデアの種」くらいのニュアンスです。実際には、アイデアだと思う人しか「アイデア」にならないというなんとも不思議なことになっているからです。

上で「陰徳」という言葉は僕の中では印象的でした。一方で印象に残らない人もいます。人に何か善いことをするということで、困った人を助けるということでもいいでしょうが、そういうこととリンクするからです。これは「アイデアの種」になるかはわからないのですが、何か善いことをするというのを和らげる、つまり「陰徳」という視点を使えるかもしれないとストックできるんですね。そうすると、この陰徳的視点を使って何か使えないかとなる。これは文字通りヒントです。こういう気付きは普段からあなたもしているはずですが、気づいたぞ!とか分かったぞ!ということをものすごい発見だ!と思ってないと言っちゃだめというような環境にいると、鈍りやすいです。そこは要注意です。カジュアルに発見だ!面白いぞ!といってるほうが多分アイデアには多く出会えますし、拾えます。

具体材料をミックスしたりランダムで混ぜても多分、スパークは起きづらいです。次元が一緒だったり、まとまらないので、散漫や漠然としてそのまま散らかったままなんですね。(ある種アイデア発想法とはそういう概念レベルをずらすこと、または意図的にずれるような思考モードにするということでわりとあっている気がします。あとは自分がやりやすいコントロールしやすく仕組み化できれば、あなたもアイデアマンになれるというわけですね!おめでとう!)そこで、抽象やメタ化、思考でまとめてアクセントや密度を濃くする感じです。上で言えば善行、陰徳みたいなことをもっと別の教えや考えはないのか、喜捨なども面白い言葉かもしれません。堂々と名乗って寄付するのが悪いわけではないですし、面白いところですよね。

混ぜていくことというとかなり感覚的に「難しい」のですが、やっていることは、具体的な経験を積む、考えることで、勝手に混ざるという感じです。混ぜようとしなくても文字通り混ざります。あなたは同じ人なので、あなたの脳が勝手に処理してくれて、面白いと思うものを面白いタグをつけたり、意外というタグでまとめてくれたりするんですね。確か睡眠はそういう処理をしっかりしてくれるので寝るのも超大事なんですね。整理が大事=思考が大事=健康が大事と色々言っていますが(笑)

そして、アイデア何かなにかという考える時、求められる時、出したい時に、今までの経験と思考がばばばばっと出てくるというかそこから出てくるものが問われます。材料を集めてないと何も出ないですので、集めましょうとなります。考えてなければフックがなくて「すー」っと抜けていって何も引っかかりがなくなります。だからメモや問いかけというものが大事になってくる感じですね。これって興味、好奇心、なんだろう、おや?という感じを大事にして、そこから考えていくと自ずと生まれるのではないか。

そうしていると、意見や考えが固まってくる気がします。これって例えばソーシャルメディアなどで答え合わせをするものでもなく、ある意見は分かるがここは違うと述べられます。または事実と意見の違いであるとか、自分で再現できるかどうかも分かってきます。その細かな違い、解像度があるので見えてくるという感じといえばいいでしょうか、それが学習において、経験していく上達する、気付きで成長するというところで実はアイデアが生まれてくるのではないかという仮説です。だから学習とアイデアはめちゃくちゃ似ていると思っていて、学習なきところにアイデアはないといってもいいのかなと。学習というと堅苦しい学問みたいな話でなくて「なんでこうなるのか?」「だったら調べてみよう」みたいなことを言っています。それがないとやらないし、始まらないですからね。

アイデアの材料は転がっているので探しにいこう!

僕から言えることは、アイデアは常に身近にあります。材料がということです。材料として収集しないとアイデアになりえません。意識して得ることもいいですし、経験を蓄えるのもいいし、観察しまくるのもいいですし、自分が興味が薄いことをあえて見てもいいですし、そこはわりと興味ベースでやりましょう。そうでないものはほとんど消えちゃうからです。または覚えるとか、考えることができません。嫌な苦手ことであえてやりたいならそれも良いですが、面白くはなさそうですよね。アイデア出しは苦行ではないので(笑)

転がっているのをどう集めるかという点では、観察、経験・体験ということを挙げました。醤油が切れたから醤油を買いに行くという行為でもアイデアの材料はあります。どの棚にあるかでもいいし、同じように調味料を探している人があれば何を切らしているのだろうか、またはスーパーならコンビニなら?調味料を手作りする人がいたよなあとか考えてみたり。これって今までの蓄積です。そして考える習慣=癖がそのまま出ます。そういう意味では文字通りアイデアの材料を探すことで、なんでも面白がれるという感覚はわりとありえるんですね。

ぜひ、アイデアがどこかにあると考えている人は、それは一旦おいておいて、材料を集めてみる、そしてそれを混ぜてみる、ということを意識してみてください。多分アイデアが出るはずです。

わからない点があればお気軽にご質問等いただければ幸いです。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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