具体と抽象をセットで扱い、世界を理解する力をつける

具体と抽象。かなりとっつきにくいタイトルかもしれませんが、4コマと平易な文章で柔らかめです。ただ内容自体は慣れてないとハードかもしれません。

読後感として感じたものをメモしておきます。

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具体と抽象のセットで考えるべし

結論的には、本書的には具体を批判して抽象がいいということではもちろんなく、どちらも大事。で、具体と抽象をセットでバランスとっていこうということです。

抽象世界から具体世界はいけるけど、具体世界→抽象世界にはいけないというのは確かになあと。これは具体だけで考えて抽象を考えない人という意味です。

また本書は具体と抽象というタイトルを見て、「あーなるほど」と思えば読むことはないと感じました。具体と抽象を行き来するというのはどういうことかを短く端的に書いている印象です。

逆に「なにそれ?」と思えば読む価値は相当あるかもしれません。

本書からの気づき

分かっているとはいえ、本書を読んだのは冒頭にあった2つの読者像からです。1つは抽象レベルを磨くみたいな人、もう1つは具体世界の人に話をより伝えたい人。後者のイメージだったのですが、世界が異なるというものが失敗すると有能感みたいにつながりかねないかなとも思いました。

これは本書がそう書いているのでなく、抽象レベルを上げていくことで、その説明を具体でしても分からない人を馬鹿にしがちという意味でです。

具体と抽象を格闘ゲーム(ストリートファイター)と関連させる

たまたまプロ格闘ゲーマーの配信を見ていたので、それと関連させて紐づけて考えてみました。そこまで正確ではないですが、大体あってるはず。

具体とは

  • 勝ち負けしか見てない
  • 個別の試合である、短期的
  • 数値目標。XX試合勝つ、XX%ポイント上げる
  • 見やすい、見えやすい、把握しやすい
  • ケンの攻略において、Vスキルダッシュを止めるのが有効

抽象とは

  • 試合自体で得られたこと何か。何を学ぶか
  • 複数の試合、大会を通してなど
  • 目的、ーのために。どうしたいか。ビジョンや青写真的なもの
  • 見づらい、見えづらい、把握しづらい
  • 対戦キャラクターの対応シナリオやコンセプトイメージを理解する

という感じです。アイキャッチの画像は寝ぼけてたのか、一部表記がおかしいですね。まあイメージってことで(笑)

具体的とは、分かりやすくて良いと思いがちです。抽象的とは、分かりづらくて駄目と思いがちです。ということを聞いて、それ以外に意味があるの?と思った人は多分本書は読んだ方がいいです。世界が変わるという副題がありますが、言い過ぎではないです。

長所があれば短所があります。分かりやすいからこそ、その場対応であり、分かったつもりにもなりやすいです。長期で考えたり、本質に迫るのは具体というよりも抽象です。

格闘ゲームの話は半分スルーでいいのですが、具体的に考えると一試合ずつ丁寧に戦い勝つみたいな話です。ですが、100%勝てる人はまずいません。また負けたというので「ただ負けた」であれば、何も学んでないため成長できないでしょう。抽象とはもっと視点を長期でみたり、「何が駄目だったのか」を個別の具体的行動でなく、全体や見えない部分を考えるということになります。

そういう意味で気づくとは観察であると本ブログでは書いた気がしますが、それは具体的観察でありつつも、抽象的観察というのもあるような気がします。最初「聴く」と「聞く」とか入れてたのですが、どちらということもないのかなと思って外しました。

目標設定の罠

面白かったのは、具体的に目標設定などを掲げると例えばブログ記事を100本作成するとかになります。ですがこれって文字通り捉えると「100本」書けばいいんでしょとなる。

そうは言ってないのに、みたいな話はゴロゴロしています。実際は記事として成立する?ものをちゃんと書いてねということです。

抽象である目的は、例えば「ブログを書いて自己の考え方をメモする、人にもついでにアウトプットしていくことでアピールするために」というようなものです。これらは具体的というよりも若干曖昧です。

だからこそ抽象と具体はセットのほうが優れている気がしますが、どちらかといえば抽象(ために)+具体(細かい数字設定)とすると、「具体」が目についてしまって、「ために」がすっ飛ぶということです。これは本書にも書かれていてなるほどなあと思いました。

だからこそ「具体的に決めればうまくいく」みたいなのに「なんだかそうじゃないよな」と思ったのも大分すっきりしました。もちろん、本書でも「それらを踏まえた上で、具体的行動でやってさらに動けるみたいな人」はそれでいいと書いています。つまり、起業家を想定しています。起業家自体は具体→抽象→具体・・・の連続であり、行き来しているからで、具体的にやってこけたから終わりということでなく、また具体的な行動をやるだけという話です。

会話や言葉の抽象度、抽象レベル

仕事をする場合において、こちらの会話として伝えたいことを含めたAが相手にどこまで届いているか。ソナーを打つかのように確認することがあります。多分このソナーを打つのが下手だと「いや、いまそこじゃない」「ああ、行き過ぎ」みたいな、「背中掻いて、いや右、もっと右、違う左」(笑)みたいなことになりがちです。

だから丁寧だと僕は思っていますが、「今ここらへんですか?例えばこんな感じで」「近いかもしれません」「ではこれはどうでしょうか?」「ああ、それです。そこが分からない」「それはですね・・・」みたいな会話になります。

相手の抽象レベルもそうですが、こちらの抽象レベル、ここでは「プロトコル」的なものであり「通信規約」みたいなものが合っているかという感じです。「こちらA、了解どうぞ」「こちらB、了解どうぞ」みたいに、自分が名乗ってから通信する無線のごとく、取り決めが要るんですよね。

この相手の抽象レベル、つまり逆にいえば「相手がどの程度具体的イメージがあるか、またはないか」を察して、そのあたりに「伝えたいもの」を入れる感じです。

極端なことをいえば、抽象度が高いメッセージを出しても、具体性でしかキャッチ出来ない場合、会話が通じません。

分かりやすい話し方

やり方はいろいろあるのですが、せっかくなので上の格闘ゲーム(笑)を使いましょう。

ケンというのはゲームのキャラクターの一人です。詳しい人はまずいないとして、キャラ設定は適当ですが、特徴的なのはダッシュです。これを止めればいいし、無効化すれば困るというのが一つのこのキャラクターに対する対策とします。これは具体的な話です。

抽象的な話では、対戦キャラクターに対するイメージ、つまり攻略コンセプトはあるか?となります。言っていること伝わりますか?

つまり、ここではケンが具体的なキャラクターですが、ストリートファイターには多分30キャラくらいはキャラクターがいます。つまりケンはそのうちの一人に過ぎません。では、ケンというキャラクターへの対応は他の29キャラクターに対応できないのか?というとそうではないでしょう。特徴的なものでさえ、応用が効きますから、抽象化すれば「キャラ特性を把握する、それに応じた動きをする、一言でいえばこうなる」ということが抽象的にいえばいけるわけです。

説明のうまさとは、抽象→具体→抽象という感じかもしれません。キャラクターの対策コンセプトはあるか?→ケンだったら・・・→つまりコンセプトはこれ、具体的対策はこれという感じです。

そうすると、ケン以外でも応用がききます。つまり、抽象的な部分が応用可能にさせてくれるわけです。具体的な「ダッシュをつぶす」は、ケンの動きに応じた対応となり、それ自体しか考えないのであれば他で応用が出来ません(実際はダッシュをつぶす、ということをマスターしたら、他でも応用ができることを覚えれば抽象概念で理解したと言えると思います。)

分かりづらい点は具体で慣らしていって、それをまとめや要約では圧縮して抽象でいくという感じです。

分からないとは何かを思い出す

具体的な事例があり、それを読んで理解したとします。分かるとは一体何か。Aが分かった、Bが分からないとか、Aのこの部分はどういうことかという問いが生まれることがあります。

問いが生まれるとは考えた結果な気がします。分からないというだけである時、分かった部分と分からない部分の切り離しや何が分からなかったが言えないでしょう。

哲学的ですが「分かるとは、分からないことでもある」というわけです。

分かりやすいという時、分かったつもりになりやすい気がします。分かりやすくいえば「Aです」というとき、あなたは「Aです」と人にいえば伝わるであろうから分かったと思ったかもしれません。

しかし、多くは「Aです」とは、説明者の解釈が「Aです」であって、あなたが考えて組み立てた考え方ではないです。正確には「誰かがAですといってました」ということになります。これは理解したとは言い難いでしょう。

自分の言葉で言えること、書けること、説明できること。もちろん僕もですが全てそのようにできるとは思っていません。ただ理解したと言えるのは「再現性」があるということだと思います。または応用が効くということでもあります。

だから、分かりやすい、具体的である、というのは「そのまま通り抜けやすい」んですね。今回の記事の説明は多分分かりづらい人が多いのだと思いますが、それくらいでいいんじゃないかくらいです。最も別に煙に巻いたり、あえて分かりづらくしてるわけではないです。

本書はもっと「抽象」を「分かりやすく」書いていますので安心してください(笑)

ただ、ここで書かれたことを「なんかごちゃごちゃしてる」と思って、かつ抽象的な思考を鍛えたいならぜひ読んでみてという感じです。

具体で話す意識は少し高まった

世界はそこまで具体世界と抽象世界に分かれてない!と思っていたのですが、これはもう人次第というか、環境次第です。

具体的にいえば分かるは当たり前かもしれません。作業指示として細かいものを言わないと動けないのか、抽象度が高い「良い感じにやってくれ」で通じるかでは全く価値が違ってきます。これはツーカーとか阿吽の呼吸ということでなく、「お客様のために」ということを言ったら「確かにお客さんAにはこうするだろう、Bにはこうだろう」というのが分かることです。具体的にというのは「Aさんにはこうしてください。なぜならこうだからです」と言わないと分からない場合です。

僕自身は抽象的な話が多いとか、そういう傾向はあったかもしれませんが、また分かりづらくても分かりやすく書こうということ、説明するとか、話すとかそういう「伝えよう」とはしています。もちろんしていても伝わらないならまた別なので、姿勢と結果は別です。

そういう意味で、世界の断絶まで感じてないのですが、「抽象」VS「具体」みたいな人もまあたまにいるかなあというところです。具体で突き詰めて話が始まればいいのですが、「それって結局こういうことですよね?」「いや、Aで、Bで・・・」「えーと」みたいなエンドレスになりますよね。

本書のターゲットである後者(具体で話すことの意識みたいなもの)を意識したのですが、気付きはあったものの、そこに関してこれという気づきまではなかったかもしれません。ただ具体と抽象を行き交うというところで、具体だけ浴びせてもいけないなあと感じた点はありますね。

おわりに

コミュニケーションも抽象と具体だなあと思っています。本書もそのようなことが書かれていたはずです。

伝わるとは、抽象度の高さがそろっていて、かつそれについて理解がお互いにできるもの、概念を伝え合うこと、みたいなことを思いました。

哲学的なことに慣れてないと、「具体的で分かりやすいのに、なんでわからなくなるの?」みたいなツッコミになるのですが、具体が駄目ということでなく、それ個別の概念しかなければ、まとめたりということが出来ないんですね。

それこそが人間の知能だということですが、なるほどなあと思いつつ、抽象的に話せば別にうまくいくわけではないですと本書にも書かれています。そのとおりです。

ですから、抽象的な思考も踏まえつつ、具体もやる。具体と抽象を行き交いながら、人の抽象度に合わせて話をする。本書にも書かれている通り、「具体的なことを抽象的にまとめられてるイラッとする」みたいな話があって、情緒的=具体的とひも付きやすく、抽象的=論理的という感じです。

抽象的にまとめると「感情がない」みたいに思われるのですが、それと情緒は別です。というと、これ自体を「情緒がない」となるのですが、具体の世界と抽象の世界で戦うわけではないので、レベル合わせをしないと話はかみ合わないなあというところです。議論とかもそうですよね(笑)

本書を読んでもらえれば、抽象論もブログに書けて楽になるかもというあざといことを少し思いましたが、これからも普通に書いていきますね(笑)

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