『トークの教室: 「面白いトーク」はどのように生まれるのか』が面白かった

トークの教室: 「面白いトーク」はどのように生まれるのかの読書メモです。いやー面白かったですわ。

買った理由

駆け込みでジュンク堂にいって閉店間際だったので、時間もないし面白そうということで買ってみました。

読みの狙いとしては、面白いトークとかをしたいなんてなくて、どういうトークというか考え方をしているか。著者は放送作家で面白そうというのもありましたね。

面白かったポイント

いくつか紹介しつつ。

面白いネタは狙って作れない

P.24あたりにあるエピソードで、伊集院光さんですかね、そしてオードリーの若林さんもというところで、話のネタが欲しいから面白い出来事ってことです。そのために何かしようとして、「面白いネタ」を創りに遊びにいくと。それこそ「登山」いけば何か起きるでしょとか。でも何も起きないと(笑)

僕のメモはあるカフェで本を読んでいたので、「あーまさに、狙って得られるもの」って少ないなと。予定調和ではないですが、多分何か探そうと「カラーバス」的に引っ掛けようとしても、アンテナを立ててってことです。でも、「ないものはない」んですよね(笑)

だから、カフェして「色々な人の会話がいい感じで耳に入ってくる」ことで、「へーそんなの流行っているんだ」とか「そんなことあるんだね」とか、聞き耳をいい感じで立てる(笑)そうすると、全然違う世界にもいけると。まあ時には感情むき出しとかもあるのでその場合修羅場なので、あまりいたくないしですし。

中にはネットワーカーがマルチ勧誘していたりとかもありますからね。そういうのってどうにかならんかなと思いつつ。まあこれも、狙って得にいかずに「得ちゃった」に近い。

というところからも、狙おうは大事だけど、実は狙えないって感じですよね。禅みたいになってきました、「意識」として面白いものを得たいのは大事だけど、面白いものが落ちているとか、そのままあるわけではない。だから、実際は「なんだろう」って感覚(多分それはそのまま使える面白さではなかったりするし、自分が求めている面白さではないはず)で見てそのネタを集めて後で調理する、加工する感覚が近いのではないかというところです。

このネタですね。つまり、アイデア自体はいきなり得られずに、ここでは「面白い話」という完成されたものってイメージです。最終形態でしかない。そのためには、加工していかなきゃいけないと。最も「話の種」として登山に行くとか、遊びにいくとかが駄目でなく、それを狙いすぎると、期待値が高まりすぎて「最終形態の面白い話」というものを取りに行く。または「小さいネタ」もあるし、体験しているのだけど、それを「スルー」するんですよ。期待値が高すぎるからですよね。

この図解では、アイデアって右の最後にありますよね?なので、「かんさつ」して得られるものは別にあるし、それがネタですよね。そこで「あ、登山って登るけど、下山って言わないよな」みたいなことをたとえば気づくとする。そこからネタが生まれるかもしれない。これがネタ→加工という流れです。そして「こないだ、登山でなく下山してきたんですよ」というと、「なにそれ?」となる。この話が面白いかは別として、そういう切り口やネタが生まれる。

ここでは山に登るということを目的としがちだけど、実は下るのを好きな人もいないか?そのために、登らなきゃいけない。みたいな話です。実際にどういう人がいてとかはそこまでないですが、そういうのがあるのかなって仮想として。

なので、面白い話があるという人は、面白いアイデアがあるといってもいい。であれば、それは当然体験したり、インプットしている。ただそれを「狙う」というよりも、くどいですが「まさにその行為ややっているときは集中」しているってことですね。そして、何か種が見つかっていくと。

というように僕は捉えました。面白い話を一杯持っている人の集め方、ぜひ聞きたいですね(笑)

面白いの中に、笑いがありそれは一部

P.30あたりです。簡単にいえば「笑い」だけの要素というトークはなくて、話といっても同様です。なるほどとか納得とか、すごいという感嘆も面白いと。

その通りだなと思っていて、僕が違和感発想とか言っている中に「面白い」も入れているのはそういうことです。感情が動くことが全て面白いといってもいい。それくらい広いんですね。

なので、「わはは」と笑えることもあるけど、それは面白いの一部って感じってことです。これはかなり大事な指摘だと思っています。

実際に「面白い」=「笑い」だけだと、「あれ、これ笑えないね」で終わるというか。もっと複雑なんですよね。味覚って「うまいかどうか」だけでなく、「酸味、辛味、苦み、甘みとか」色々ありますよね。状況もある、コンディションもある。そういうのが大事で。悲しい時に美味しい料理食べても「味がしない」とかもある。

そういうものなんですよね。これは解像度の話ですが、結局「話」「トーク」を色々するか、聴いて高めていくと。これはなんで面白いのか、笑いはないけどかなり聴けたぞとか。またはなんでつまらないのか。笑いを誘っているから?とか。色々分析出来ますよね。

ここで理想は自分なりの「面白い」を定義したり、こうすると面白いって思えるのだろうと考えられることですかね。

トークとかに関する本を買ったことはない?

ふと読んでいて思ったのは、そういえばこの本みたいな「トーク本」ってあまり買ったことないんですよね。受ける技術みたいなものでもいいです。それって、自分が上達したくないからとか向上心がないから。とかでなくて、それが普通だと思っていたかもと。自己理解ってことです。

つまり、僕はコミュニケーションで全部伝わるとも思ってないし、伝えたいという前提でですよ。その上で、こうしたほうがいいかなとか、これは良くなかったなというのは、多分やっているんですよ。でないと、うまくならない。

本を買って学ぶのも一つなので、それを批判するとかでもないし、買った人が駄目とかでもないですよ(笑)そういえば買ってないかもなと。

一方で買ったからうまくなるわけでもない。読んでも実践しないなんてザラじゃないですか。そして、買わなくても下手なわけでもない。やっているというか。

というわけで、意識するから上達するのか、意識しなくても組み込めば上達しやすいかとかは謎です。ただ、結果とか、色々な蓄積、取り組みをすること、その振り返りをしないとうまくにはなりづらいんでしょうね。

難しく考えなくても話をしたい人と、聴きたい人はいるのかも

P.36あたり。結構マッチングというか、バランスは取れるのかもと。つまり、トークを鍛えたいってことで話したい人はいると、一方で聴きたい人もいると。聴くばかりとかは辛いので話したいとかもあるし、話すばかりでなくネタが欲しいから聴きたいとかもあるってことです。案外と。

アイデアでいえば、アイデアをだしたい人がどれくらいいるか分かりませんが、まあいますよね(笑)僕もですが。一方で無造作?にだしたいのでなく、求める人にだしたいと。だからアイデアが欲しい人もいるよねと。そういうバランスや生態系までまだまだ見えてないんですが、見えてくると面白いですよね。

話すという娯楽

これはキューバではーというところで若林さんの話だったかなと。話すことが面白いし、それで暇をつぶすのかはおいておいてそれだけで楽しい。

僕は実際に誰かと話すだけで、相手が退屈してないと思っていますが(笑)(退屈なら次はないでしょう)一緒に盛り上がったりは普通にあるので、話って色々あるよなと。あと話自体は好きです。ポジティブです。でも、当然プロの喋り手でもないですし、なりたいと思ったこともないですね。プロ=それでお金を取ったり仕事をしたりってことですね、小商いならいいですけどね。飽きそうなんですよね(笑)

一方で、話すことで意識が変わるとか、そういうこともあるんだなと。アイデア一発で変える!みたいな難しさと一緒で、「話すことで絶対変える!」も危ない思想だと思っていますが、でも、変わることもある、変わらないこともある。楽しさを共有したりして少しでも楽しくいこうか、くらいです。当然人次第だし、その人気持ち次第とかもありますので、絶対じゃないですよ。

という意味で、話すを娯楽と捉えると、例えば「最近何楽しいですか?」っていわれて「話すの楽しいです」って結構豊か、いや大分豊かなんだろうなあと思ったり。

ニュースをそのまま喋るのはNG

面白くないトークみたいな例で反面教師ってことですね、一つがそれでした。そのまま伝えるというか。映画の話をあらすじを言ってーなら、その人と話す意味ないですからね(笑)他にあるし。書いてあるというか。

その人が面白かったとか、心が動いたとか。このあたりで「こたつ記事」って話も出てきますが(取材せずに簡単に書くような記事ってことですね、定義は色々ですが)、そのまま右から左に流すのって価値になりづらいですよね。

例えば狙いは色々あるのでこの本も、僕が面白かったところを紹介しているし、そこで定着させる(自分の理解を)というのを意図しています。だから本の商品性質もありますが全部内容を出すことはまあ駄目じゃないですか、してないですけど。なので、そこから面白いなと思ってもらったらチェックしてもらえばいいし、参考にしてもらえればって程度でやってます。

プロとしてのトークと、市井の人が話すしゃべりは別かも

厳密にそう定義されていない感じもありますが、著者はプロのトークを作るとか、見てきているので、トークの解像度がかなり高いですよね。つまり、プロトークと、市井トークというか。どっちがいいとかでなくてですね。

ここで言いたいのは、お金を取る、仕事としてやるというトークがプロってことです。芸人さんのライブとかそうですよね。彼ら彼女らはプロです。って意味で商品を出すのでそこは意識するし、磨くと。

一方で市井の人、つまり僕のような人が別にプロでもなんでもないので、話をどうするか。楽しむかってまあ別じゃないですか。趣味というわけでもないですが、話すのは楽しい。

プロだから努力し、市井の人だから努力しないとかってことでもない。むしろもっと曖昧で、境界はなくて、トークって色々あるよね、楽しもうよってのが著者の主張というか言いたいことなんだろうなとこのあたりで感じてきたところです。

ただ、正直なところトークを楽しむとか、話を楽しむとかって、その話または話自体の構造ですよね(著者はそもそもショートショート作家的なことからキャリアをスタートしている)。そういう話のメタ的な構造とか、客観的に見てどうするか。放送作家とか台本とか、脚本とかもですし、お話をもっと色々見たり、パターン、どういうアウトプットになるか、イメージできる。それってめちゃくちゃ「専門性」が高いというか、経験値があって解像度が高いわけです。

だから「一般の人」がですね、「話」をして、ここがどうとかって言えない。著者はできる。だからどうということではなく、その違いがある。

そこを踏まえると、市井の人がトークを楽しむというレベル感、世界線と、プロ芸人が何かトークを磨くとかというのは大分差がある。

当然この本の読書想定は、話を少しでもうまくなりたいとかかもしれないし、どういうことかを考える時間をとってみる。みたいなものかもしれないです。

少なくとも僕はトークをうまくしようとしてこの本を読んでないのでこのあたりは人によって大分変わりそうですね。

そして、例えばですが、クリティカルな、つまり重大なミスとか、エラーとかでなければ、トークを振り返ってどうしようかなんてなかなかならないですよね。しないから駄目でなく、するからいいとかでもないですよ。そんなことを感じました。

切り口は大事

トークでも切り口が大事というところでした。アイデアも全くそのとおりです。もっといえば、トークアイデアというのがあるとき、それはどういう切り口から出せるか。切り口さえあればいくらでも出せるわけですね。

著者が「ゆるパイ図鑑」というのを作っていてさっと読んでみたんですが、確かに「パイ」を集めていて面白かったです。ただぶっちゃけそれだけだったので、そこに期待はなかったんですが、ネタ本として面白いかと思います(笑)

紙上トークレッスンは面白い

これは売れてない芸人さんを呼んできてフリートークをやってもらって磨くという感じの企画があると。前やっていたというところで、著者がそれを紙面で、つまりこの本でやっているんですね。

登場人物は3人いて、会社員の人と、学生さんと、プロ芸人の方。面白いです。

学生さんの話が一番気になりましたが、興味ない話を打ち切るというのが個人的に受けました。まあ気になる人は読んでみてください(笑)

芸人さんは流石プロだなと僕は思ったんですよ。この方は映画の話を切り口にしているといっていて、著者の指摘で「ではない話」ということで、自分の話をすることに抵抗感があった、というかできなかった。それが出来たのと、著者の指摘で話のボリュームを調整していったと。流石プロだなと。こういうのって意図的にできないし、慣れてないとこれくらいかなと調整もできない。

もしどこかで観ることがあれば応援してます(笑)

あとこのコンビ芸人などでは、どちらかを立てるという傾向にあるので、目立つ方で取るみたいな。目立たない方はその役がいいとか悪いとかでなく戦略ですよね、主張しづらくなると。こういうのは環境もあるなと感じました。この方の才能(やれること、好きなこと、できること)ではなく、そうなってしまうのだなと。

で、このトークレッスン自体は打ち合わせして著者が改善していって、というところがBefore→Afterがでていて面白かったです。いわゆる「実践例」みたいな感じですね。これも、著者は流石プロだなと思いました。こういうことをやっていないと、即座に言えないし指摘もできないし、改善もできないですよね。当たり前のことをやっているのだろうけど、これできる人なかなかいないなと。

魂の仕事と、需要の仕事のバランス

上のトークレッスンの続きで、編集者の人と思われますが、著者が振り返りをしているんですね。このトークレッスンどうだったかみたいな。

ここで面白いのが、編集者の人が「お金になるということは、上手にこなせること」が多いということを言ってます。逆に「魂が入る」ような思い入れがある、やりたいなと思うようなことですね、そういうのはお金になりづらい。

端的にいえば、

  • 魂が入る仕事、好きでやりたいこと=ニーズがない=お金になりづらい
  • 上手にこなせること=ニーズがある=お金になりやすい

みたいなものです。好きと得意が違うという方が分かりやすいかもしれません。

著者は「自分が書きたい本は売れないけど、自分が面白いからやるのだ」といっていて「需要とは別」と言っているんですね。

ここではバランス理論で着地というか僕は理解しています。好きでやる!というとそれだけになるんですが、実際は得意が混ざっていることが普通だし、全く苦手な要素がないというのもまた「異物」がないので気持ち悪いかもしれないとすら思っています、僕がですね。

そして、ニーズだけ、言われるからやる、やってほしいからやる。これだと主体性ですよね、自発的な感じがなくなるんですよね。ロボットではないけど、「オレがやりたいのはこれだ」というのがない。だから、そういうのが欲しいって人もかなりいるんじゃないかなと。いわゆる、好きが見つからない問題ですね。

どちらも大事かなと思います。僕の仕事にひきつければ、アイデア出しはニーズがあるから仕事になる、けどアイデア出しを学びたいはそこまでニーズがないか僕がうまくマッチングできてないか見せられてないというところです。やりたいのはアイデア出しよりも、今は「アイデアだしを学びたい人」とかに教えたいんですよ。でも、それって誰でもいいのでなく、押し付けになりますよね?(笑)そこがポイントですよね。無理にはできないし、意味がないですから。

なので、ニーズがあることをやるのは経験ですよね。そこで得ていって、自分はこれが得意だけど、一方でこっちをやりたいとか深掘りしたいとか。そういうのは多分出てくる、と思っています。振り返りとかしないと見えないですし、色々な人に話すとかアウトプットしないと流石に何も見えないと思ってますが。それをやれば大体見えてくるはずというところで、そうやって「好き」っぽいかもがあれば自分の範囲でやってみる。そういうのがいいのかなと。

逆もありですよね。好きっぽいのがこれだからやっていって、そしてこれ得意なところあるなとか。開発されたり、経験して勝手にうまくなったとかもありますからね。

アナウンサーの人が余所余所しくなる話

これはその通りだと思ってまして、著者の見解で納得しました。

アナウンサーの人の声ってプロだから聞き取りやすいんですよね。ですが、主観でこのアナウンサーの人の体験話を聴くと、失礼ながら「嘘っぽい」って感じることがあるんですよ。話の内容が良くても。逆に良いほど「どこかの台本を読みあげているだけ?」「誰かの話?」まであるというか。極端にいえばですよ。

違う言い方をすればそこに入りづらい、感情を移動というか移入しづらいわけです。この人の話、なんだよね?本当?って感じです。

著者はそれをナレーションなどで、情報系ならアナウンサーはそれで良いが、ドキュメンタリーとかで感情が入ったりとか、実況とかもそうですね、「映像の外」からか「映像の中」からか、といっています。

外からならナレーションでいいし、アナウンスでいいんですよ。情報をしっかりと届けられるし、感情が入ることで乱れてはいけないので。でも、中だと別です。「え、これ面白いに、笑わないんだ」とかそういう白けが入るんですね。

アナウンサーの人自体それほど多くないと思っていますが、そういう人が留意したいのはこの主観の伝え方ですよね。ただ身につけてしまったらなかなか難しいだろうなと。一方で僕のような素人はニュースを読み上げるのは難しいですよね、可愛い鳥の話とか「可愛いのでいいですねー」って思って読み上げるのでそこが出ちゃうわけです。それアナウンスではNGですよね。

なので、ここでどうしろって話ではないですが、実際に冷静さが売りになればNGなこともある。色々あるのでうまく使い分けたいし、その場にあったものってあるんだなという話で着地してます。

トークバルーンを楽しもう

最後はスピーチバルーン=漫画のフキダシよろしく、色々なところで「トークバルーン」という話に花を咲かせるというか、話自体が色々なところで起きている、それ楽しいよね。という世界観が伝わってきました。

なので、プロの話があるでもいいし、挨拶して世間話でもいいし、学校で学ぶ先生の話でもいいし、駅員さんとの何気ない会話でもいいし、道案内の会話でもいいし、同僚とのランチの会話でもいいし。話がめちゃくちゃあるというか、一杯そういうのが今まさに起きていると。

そういうトークの塊というか、トークが一杯あることが楽しいなと。僕はそう読み取って、これが著者の世界線というか見えている景色かもしれないと感じました。

僕でいえば、僕の話もですが、人の話も面白いならそれをみたいし、知らない世界がほとんどですが想像したいと思うし、そこで学びたいし、理解したい、気づきたいと思うんですね。できるかどうか、できているかは別として。なので、そういうトークや話で、社会、人を知りたいし、社会を見たいというのが率直な感覚です。

例えば初対面の人。その人の話って、言葉でもなんでもですが、その人の世界でモノを見ているわけです。だからそのメガネというか見方が面白いというか、考え方といってもいい。そこを僕は楽しんでいます。皆が皆、多分そういうメガネがある。けど、うまく出せる人もいればそうでない人もいる。かもしれないのですが、多くはネタはあるんじゃないかと。

ただ「それをいってはいけない」とか「自分の話は面白くない」とかだったり。そりゃ「あったことをただ言う」だけでは面白くないですよね、その人が「何を感じたか」は面白さになるので、そこが欲しいんですよね。これもトレーニングでできる部分もあるので、やるかどうかはおいておいて「面白い話」にするって色々できるかもしれないですね。これをプロ的にやることはないですが、小商いならやりたいかなと(笑)

そういう色々な人を通して、その人の世界、見え方、メガネですね、を獲得していくと、僕はですが、社会が見えたり、社会ってこういう人もいるし、僕も含めて解像度が上がると思っています。とはいえこれはキリがないので、僕の趣味というか信条のようなものです。分かりあえない人もいるし、馬が合わないなんて普通にあると。でもですね、考え方が色々あるから面白いので、それとは別って考えているわけです。これも、理想と実践の違いはあれどですね。

そうなるとき、少なくとも色々な人と話すとか、色々な人を知るとか、人の話で何を言いたいか聴くとかって、まあやらないといけないと。そのうえで判断ですからね。それをやる前に何も見ずに聴かずに勝手に判断はできないって感じです。まず聴くというか、話すというか、そういう行動があった上で何か言いたいし判断したいって感じです。

面白いかどうかはおいておいて、僕の社会像イメージは上の著者がいうトークバルーンの感覚というか、色々な人が話して楽しんでいたり、ワイワイだけでなく、真面目な話で語り合ったり、落ち込んだけど次いこうと励ましたり、高度な専門性の高い研究の話だったり、くだらない落ちがない話だったりなんでもいいんですよ。でもそういう話が色々なところ展開されているのって豊かだなと感じたんですね。

という意味で、話自体が面白いとか、話すことが面白いからこそ、著者は作家なり放送作家なり、言葉や話に関する仕事をされているのではないかと感じました。素晴らしい仕事だなとも。

やってみたいこと

トークとか話すとかって思った以上に、買った時は軽めで捉えまくっていたんですが、結構大事だなと。僕にとってですよ。

ポッドキャストで話をしていますがこれも好きでやってるんですけど、そういうのってまあ嫌いならやらないし、一人で話すとかってなかなかと。上手いかどうかはおいておいてですね。

ってことで、シンプルに話すのは大事というか自分にとって大事だから今だと1年半くらいですが始めてますけど、これも大切にしようと。なので、プロでやるとかでなくて、もっとやれそうだなと。そういう感覚を感じました。例えば話の組み立て方とか、著者レベルでは当然ない、プロレベルではないので、ただ、僕のレベルでも言えることはあるのでそういうのを大事にすればいいなと。これは小商いとかもですが、自分が仕事を作る時にめちゃくちゃ大事な考え方です。

なので、トークに関するアドバイス、組み立て方とかそっちがいいのかなと。機会を見つけつつ。

あとは、ショートショートではないですが、そういう作品というか読み物を作るのもいいなと。そればかりではないですが、アウトプットする枠を作るとアイデアを拾って加工できるなと。これもやっていきたいと思います。少しずつですね。

他にも先の話とかトークってことで、メタというか分析したり、客観的に捉えることってそれが「分かる」人でないとやらないですよね。だから才能って感じで捉えて、僕は面白いと思うしもっとやりたいのでやっていこうかなと。例えば、話がうまくなるというのは筋が悪い感じなので、「ある話やトークがある、または筋書きがある」時それは伝え手に伝わるか、または改善できそうか、改善アドバイスが言えるかとか。そういうのってそこまで意図せずやれそうだなと。

というわけで、何気なく買った本ですが、意図せずして自分のトーク熱というか、話自体への興味を開拓されたというところで非常に満足でした。満足というか、学びが多かったといっていいという感じですね。著者のトークの関する話に釣られて?引っ張られて色々考えられることがあるし、自分でも言えることをまとめてもいいだろうなと。これも意識はしつつも、おそらくこの感じが消えないなら勝手にまとめたり、ネタは増えていくのかなと思いました。

蛇足:読書体験の拡張の話

最近書いてなかったかもですが、いや書きましたね(笑)本を読む時にメモを書いてそこで脳を動かすイメージでメモしていると。これは、今までもメモはしていたのですが、よりツッコミを入れたり、どういうことかというのを考える感じですね。

積読ネタですが、やっていることは読書のやり方でもある、またはメモの作り方でもあるので、思考方法に関係してくるかなって話ですね。

上で、買った理由を書くというネタを書いたのですが、それでいえば、本を買う前→読んでいる最中→読み終わった後、この3つで大分景色は違うなと。最初は買う前とか買ったところでは、狙いや意図がある。それは妄想もありますよね、推測とか。

読んでいる最中は全部を本って読むまで掴めないですが、一方で確実に読んで理解していくと、その積み重ねになる。ここで色々細かいツッコミやメモがうまれると。面白いとか、これはどうかなとか色々考えていくと。ここで脳が動くというか、頭が動いている感覚があるという感じですね。ここを強化していくイメージです。

最後の振り返りというか読み終わった後は、今までも読書メモしているし、そこまで変わらないのですが、真ん中のフェーズが細かくなったかもというのはあります。とはいえ、ネタによってはそうでもないので、多少、読む前→読んでいる最中→読んだ後で、少しだけ全体の本体験、読書体験を拡張できているかもなというところですかね。

このあたりまた書いてみます。今の時点では多分ですが、なんでその本を買ったのか、読もうと思ったかはメモしておいたほうが吉です。忘れるからなのと、あと狙い通りではないことが殆どなのと、何気なく買う読みたいのもあるだろうと。そして本を読むところへの動機づけにもなるよなというところでした。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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