当たり前を疑えるかが大事っぽい

当たり前という感覚を疑えるか?が大事みたいな話です。
なぜミスをするのか?
こんな本を読みました。面白かったです。
なぜあの人は同じミスを何度もするのか (日経プレミアシリーズ)
色々面白かったのですが、今回「当たり前」という話でいえば、自分が当たり前だと思っていることは、人に言ってるとか、そういう傾向が強い。言っているつもりで、実際は言ってないということですね。
本書の骨子というか最も大事なのは、記憶は曖昧で不安定なもの、故に自分が覚えている何かも「実際は再生成」されていると疑ってかかる。となれば、自分も人も間違えるものだ。だからこそ、優しくいきよう。人にも社会にも。と僕は捉えました。
そう捉えると、
- 僕が当たり前だなと思っていることは、実はそうではない
- 単に自分が知っているだけで、または経験しているだけだ
- そうでなければ全く分からないか、分かりようがない
という感覚が必要ということですね。
つまりそれは、一定の言葉で説明してどの程度理解できるかもそうですし、「カレーのたとえ」をしたら大体通じるわけでもないとか。要するに人は違うってことです。
ミスの話は、簡単に述べるに留めますが、おそらく2つ。1つは本当に記憶における展望記憶が弱いということ。これは著者がかなり弱い?と思うのでそれはそれで対策して乗り切ってるんだなが垣間見えて良いです。もう1つはメタ認知。自分が何をしているかとか、客観的にどう見えるかというやつです。
このブログでも書いていますが、考察とは、ある種の何かを述べた時に、それが正しいのだ!はっはー!ではなく、違う見方もあるのでは?という余地があったり。または自分が遭遇していないことに対してどういうことだろうか?と考えることなわけです。
それって、思考をある程度どこかにはめる、または接地(設置?)しておいてから、離れて飛び立って(距離を取って)見るって感覚です。
僕の意見だけど、僕=意見でなく、僕と僕の意見の距離を離す感じですが、これが苦手な人は確かに思考とか苦手かもですね。あと、ある程度脳のパワーを使うので慣れしかないですけどね。まあ全員が思考!みたいなのも怖いので、ある程度任せてください(笑)
当たり前ではないという当たり前
なので、当たり前だよね、ではなく、「ーだけ」でしょとか言わないで。乱暴にならないってことですね。
「もしかして、自分はこうしてきたが、違っていたのではないか?」というのは、過去を反省したり、間違いや後悔みたいに思えるかもですよね。でもそういうことではなく、今後改善できるかもしれない。ある種の希望ってことですね。未来のために。
それこそ、通じていると思っていたが実はロスというか、コミュニケーションとしては成立は弱くて危ういと。聴いて分かるが、説明するレベルでは分からないとか、「ざら」にあるわけですよ。そういうことに気づけるかどうかですよね。
当たり前ではない当たり前、くらいが着地として良いかなと感じました。
誰も思考が好きなわけでもない
僕は、文章も、人も、コンピュータも、アイデアも、ビジネスも、企画も好きなんですけど、好きのレベルバトルはしないですよ(笑)僕が単にそう思うだけなので。
そのうえで、皆がそうとも思わないわけです。
だから、シゴクリ的な話も、多分ですが、こういうことがいえそうです。
- 全体として楽しむという感じ。この人だからこういう事を言っているみたいな。
- 一つの考えのネタとして。まあ高度っちゃ高度かもですが。ありそう。
- でてくる話題で、関連しそうな、例えば文章や言葉ネタなら聴けるとか。そういうのもありそうです。読めるといってもいいですね。
- そこまで起業やビジネスを作りたいわけではない。というのもありそう。
なんてことを思っているのですね。だから、思ったより接点とは、物凄くシンプルで「ちゃんと挨拶する」とか「ちゃんと考えて向かい合って相手のことを考える」とかでいいようなというか。
え、そんなの普通でしょ?という人はそれでいいんですよ。僕も普通です、と思うので。でも、そういうことも普通ではない世界もあったりすると。ほら、当たり前が当たり前ではないんですよね。
そう、自分が当たり前なことをやるのはいいんですよ。当たり前だから。むしろ、でないと停滞しますからね。そうでなくて、人に対して自分の当たり前を押し付けたりそれが普通であるかのようは危険ってことですね。違いがあるってことは、その違いがある、ってことを注意していく、というのが良さそうだと。
最もこれは自分が注意していていも、相手によっては「相手が理解していることを、こちらも理解している前提」で話す人もいるわけです。その場合は相手に聴いたり、まさに相手にその前提は当たり前ではないのですよ、と促せればいいわけで。そこで喧嘩しろってことではないですよ(笑)
思考が好きじゃないから、他の人とわかりあえないです。みたいなことではなく、自分が好きを押し付けるんじゃないんですね。僕は好きだから、それを楽しむ。
だから、僕の思考好き→僕自体が楽しむ→楽しんでいるのを見るのが好き→楽しむ、みたいな少なくとも、僕の思考が好きという人は分からないわけです。楽しんでいるのをみて、怒る人って相当偏屈ですからね。そういう楽しいを見ていいなとか、面白いなと思ったりする。なんだろう?と思う。そこですよね。
そうやって、ああ、それが思考なんだ、自分も考えたいとなればしめたものです。でも、そうでなくても、楽しむならば、多分そこから何か学んでいける。そんな気がしているんですね。多分ですけど。
というわけで、当たり前はどんどん疑いつつ、自分の前提も絶対なんてないと思ってますが、まだまだ疑いようがあるなと(笑)
筆者プロフィール

- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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