アイデアでできることは限られる

アイデアで出来ることは限られるのと、その可能性が無限大ということを両極端に感じている。とくに前者がややネガティブ、後者がポジティブに語られるのだけど、結局その文脈に応じて誤解もある。

これについてちょっと書いてみたいと思う。

アイデアでできることは限られる

まず限られる方から。

簡単にいえばアイデアで出来ることってほぼないに近い。

花屋の売上をあげたいんだけど、どうしたらいい?

そうっすねーっといって出てくる「花屋がここにあるってことをお知らせするために、花屋はここですって看板でもおいたらどうですか?」というのが価値があるかは不明。

しかし「お、それな」といって始まることもある。このとき、依頼者がアイデア評価をして実行していくことが求められるのだけど、実行前にアイデアがどうということも普通に言われるしそれも分かる。

ただ実行してみないと何も分からないのも多いし、とはいえ、なんでもやればいいわけでもない。ここでまず断言できるのは、アイデアだけで何かは起こらないので、やるとかやらないとか、どう捉えるかによるということだ。逆にいえば実行するというのが絶対ないならなんでもアイデアに価値はなくなる。

アイデアに価値はないには否定的

前にも書いたような気がするが、僕はアイデアだけに価値はないというのは否定的。実際に行動とアイデアのセットが自分で完結するか、人によって完結するかもあるが、結局行動がないとまあかなりきついということは分かる。

とはいえ行動がないアイデアが全てダメかと言うと、思考実験であるとか、やらなくていいことリストにもなったり、「その考え良くわからないけどそういうものかな」という参考にもなる。あとやはり大きいのは自分では考えつかない視点やアイデアはあるのでそこが価値といってもいい。

仮に依頼者が考えつかないアイデアがなかったことで「アイデアの価値がない」という不安はあるのだけど、今も拭えたことはないのだけど、それはぶっちゃけていえば自分が価値があるというものを出すだけだって、あまり色々考えてもしょうがない。まあそれはよしなに。

ここまでのニュアンスとして、アイデアに価値は全くないは認めない。とはいえ、行動ゼロならやはり「ない」わとなる。しかし、行動ゼロベースってのも考えがたい(多くの人は言葉では「やりたいよ」というので)ので、多くは何かしら行動しようとする。そこで、視点としてアイデアが導くことも多いし、励ますとかってこともこれに近い。

可能性は無限大的なアイデア

次に、後者の可能性は無限大なアイデア。

これはもう組み合わせによって、つまり行動とかおいておいてもいいし、あってもいいけど、例えば「心のケア・サポート」をしたいっていうのも色々なやり方があるわけ。というところで話は終わるのだけど、それが無限大ということ。

他の例でも特段これということはないのだけど

本の出版をすることで人を救いたいならそうなんだと共感したりできなかったりはあるだろうけど、その考えや見方としてのアイデアは面白いよなあと。本屋をやるのもいいし、本を書かずに編集するとかもあるわけで。本を読み聞かせてもいい。本に関することをやるならそういう様々な組み合わせがある。だから無限大といってもいい。

こういう無限大系の視点がない時、そういう人ということなんだけど、発想枠が小さくなりすぎていて目の前しか見えないパターンが多い。どちらかというと視野なんだけど、実際は脳というかトレーニングで広げられるというところ。つまり、本来人は創造的だし、可能性はあるし、色々できるんだけど閉じている、一時的に閉じたという捉え方を僕はしている。

だからこういうアイデアパスをしまくるとなるほどと喜んでくれる方はいる。ここでも価値を感じている。

アイデアを出している人が言ってるという話

ここからは説得力の話。こういう話をあーだこーだ、アイデアを出してない人がしてもまあ微妙に終わる。出しているからいっていいとかいう話でもなく、単に出している人がいう意見というのはワンセットで強みというだけで。

僕は、アイデアをお金に買える、少なくともアイデア出しでお金をいただくという立場からいうと自身の価値を下げている、損なっているように思えるかもしれない。

顧客開発と共有の意義はでかい

が、そんなことはなくて、要はアイデアに期待しすぎないという顧客の教育的な意味でもあり、そこを理解しないできない人とはやらないという防衛線に近い。保険といってもいい。そこを理解共有できてないとお互いに不幸だ。どちらにしてもこっちが痛すぎる。

この魔法ではないですよねーとくどいほどいっても「魔法」になってしまうことがある。いやそれは無理ですよと。前も書いたように、なぜ1万円で10万円儲かる話ができるかみたいなことだ。それは無理でしょということで、価値をアイデアに対して投資したものでリターンをそのまま得ようとするのは違うかなと。そんなのは投資でなく、計画とルール的というか。

アイデアはルールでも計画でもなく、その性質上、不確定性があるってことを理解出来ない人も多い。

もちろん実現性というのが0の、タイムマシーンみたいなことはやっぱだめなので、それはもちろんない話で。

アイデアの価値は色々ある

価値という意味では依頼者が考えつかないというのは価値になりえるが、それは絶対じゃない。なぜなら相当考えている人もいるからだ。

こちらの担保というか価値としてはアイデアを考えているという一定の量と質で「アイデアを依頼する前の判断材料」としてもらっている、というかそれしか判断できない。相性とかもあるんだろうけど。

つまり、価値はアイデアについて話せるでもいいし、やりとりから見えたいわゆる「創発」的な価値でもいいし、客観的なアドバイスでもいいし、知らないアイデアというよりも情報でもいいし、こちらからはこう見えますという意見でもいいし、これらが価値だ。

実はこれは言ってしまえる説得力とか、経験とか、実績とか、根拠っぽいものとか、そういうことを言えばいいだけで、難しい話ではない。とはいえ騙すわけでもないのでこれは倫理の話だけど。

顧客が感じる価値が全て価値とはいえ、それをある程度まとめたり、これが価値っぽいですということは必要性は分かるので都度言ったほうがいいとは思う。

アイデア出しでも解像度が高いと色々見える

「でも」というのは、そんなふわっとしたことというある種謙虚であり、謙遜しているのだけど、低めても意味はないとも思っている。あくまで読者的にそう見えるだろうという意味で。

これをうまく伝えるのは難しいのだけど、アウトプットが同じようでも、または違っていてもよく見えないものってこういう細かい小さいものが多い気がする。そこは実践者でないと見えないのが価値っぽいという気づきだし、やったらやっただけ見える=解像度が上がるのでやったほうがすなわち良いし、すこぶる良いと思う。

これはシゴトづくりにおいて何でもということで何度も書いている話。自分だけの価値観という独自性ってことでなく、自分がこれはいいのではないかといって磨いた石はやはりダイヤにもなったりするっていう方向性の話だ。もちろん常にダイヤになる運命である「石」を得るのがアイデアではない。石ころを色々磨いて磨き方でダイヤにしていくほうが「アイデア」だと考えている。

解像度が高いと、人からの批判はかなり的外れになる(大抵は実践者ではないのだから)のと、あとは自分が見えることが人が見えないことという非対称性が出てくる。これはある種のチャンスで、そこで自分がよりやりたいのであればもっと磨ける。あとはお客さんとフィットしてぐるぐる回せるかどうかというところな気がする。

まとめ

まとめると、アイデアの可能性は否定しないし楽しいけど、行動をおろそかにしすぎたり考えなさすぎればそりゃなかなかですわというところ。

そして顧客開拓という意味でもそのアイデアレベルを完全同意とまではいかなくてもニュアンスとして「アイデアだけでは無理だろうな」くらいは欲しいし、「アイデアの期待値をあげすぎてもらっても困る」というところがある。

最後に、アイデアの価値自体を下げたり自分のアイデアの価値を下げたいのでなく、そういう文脈の中でも、つまりネガティブな話としてアイデアに価値がないという中でも色々「アイデアを出す価値」ってあるなあというところのアウトプットというところ。

価値については面白いのだけど読者によってかなり分かれると思う。僕は面白いので書いておくけど(笑)

例えば、アイデアを出すことだと「アイデア」自体が見られがちなんだけど、どちらかというと「そのアイデア」によって「そんなアイデアでもいいという」安心感の醸成だったり、心理的安全が生まれてコミュニケーションしやすくなったりっていうのはある。そういう意味でのブレストをアイスブレイクとして使うのはかなりいいと思う。でもこれも慣れてないと「アイデアの価値」を勝手に検証してしまうのでそこはどうかはかなり考えたほうがいい感じ。

このコミュニケーションのしやすさとかって価値なのか?それは求めるアイデアではないってなれば終わる。でも、そもそもアイデア自体は概念でありある種のゲームだから、「一つの固定的な価値」でなく、「違う価値を見出す」ことで面白がれる方が良いと思う。これは要は価値をどんどん作り出せるということ。アイデアってもっと小さくて面白くて、なんかとても「アイデアですね」といって拾うべきものでもない、アイデア分子とかアイデア原子みたいなイメージのほうが僕は好きかなと。

まあこれは僕が日常にアイデアを見出すということをするからそう見える(日常がアイデアであるみたいな)だけとは思いつつ。アイデア自体の実行性とか色々考えるとまあ面白くはない。エモさみたいな、もっと感覚的なみたいなものがいるかもとか、それがないとまあアイデアは面白くないですねえ。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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