ちゃんとお金を払ってくれるお客を見つけよう

一体どこまで無料でやるのか。そんな話はゴロゴロ転がっているというよりも、たまに見聞きします。自分でも新規で何かをやったり、ちゃんと価格を提示しておかないと舐められやすいのではないかなと思っています。

結論的にはちゃんと対価を頂く、またはちゃんとお金を払ってくれるといういわば「まっとう」そのものなお客さんを見つけようという話です。これはどちらかといえば、レベル的には「友達はいつもお金をたかってくる存在」みたいなことでなくて「友達は自分のことを考えて行動してくれる」みたいに、わりとまっとうな話です。

なぜか仕事のお客とかビジネスのお客となると、こういう「そんなの友達じゃないよね」みたいなことが吹っ飛びます。なぜか。それは未経験領域であったり、共有されるネットワークが小さかったり、あと単に「お金」を出す側が優位というだけな気がします。もちろんそれを優位にあざとく見つけてたかるという人もいそうですが、そういう人は関わらないのが一番です。一方でそういう人と仕事をしたところで何か対価が得られても自分が腐ってしまうのではないか。そういう意味で、ちゃんとしたお客とはちゃんといますから、そういう人と仕事しようねというところです。

前提

ちゃんとしている人は仕事などの対価を払う。また、仮にそういうちゃんとしている人がお金がないなどであるとき、その対応がまっとうであるのが普通。申し訳ないとか。

もちろんそういう姿勢を見せてみたいな詐欺っぽとか、騙す人はいるのだけど、それは一応例外としておく。

一番これが問題になるのは、ちゃんとしている人はちゃんとした人と仕事をする、というスモールなのかビッグなのかおいていてネットワークが出来る。集団とか集まりとか、類は友を呼ぶとかって感じでいいかと。

恐ろしいことにちゃんとしてない人は、ちゃんとしてない人と仕事をする。ここでしっかりと確認したいのは「仕事」とは何かということ。実は人を騙してなんとも思わない人はいないかもしれないが、騙す文化や風土があればそれは簡単に伝染し、いやいや私は大丈夫というほどあっさりと騙す側になるということだ。だからこそ、関わる人がどういう「仕事」をしているか。それは可視できるものってことでなく、どのように考えて、何を前後で読み取り、どういう世の中の捉え方で、それこそ価値観で動いているのかを理解したほうがいい。

これは何かといえば、結局仕事でなくてもあっても、その人と仕事をすれば分かってしまうことだ。逆にいえば、どういう考え方で仕事をしているかはものすごく大事で、むしろその仕事の仕方が見えないなら関わらないほうがいいくらい大事だと思う。

前提としてはこれくらいで、くどいけれどちゃんとやってもちゃんとしてない人であれば対価は得られない。だからこそ、誰とやるかって大事ということ。環境もそうだ。

無料から有料への転換率は相当低いと思ったほうがいい

ただこれはサービスにも見せ方にも、商品にも時代も、使うコミュニケーションもということで色々あるという上でだ。

アイデアを無料で提供していた頃から有料へ転換したところ、当たり前だが依頼数が激減した。一応記録はあるはずだがおそらく1割くらいだったと思う。例えば数ヶ月で100件の依頼が、数ヶ月で10件になるということだ。もちろん無料では仕事ではないといえるのでその転換は悪いことではない。

ここでは価値が変わっている。有料のものを無料でやっているという認識がある利用者でなく、無料のものを無料だからという利用者は一生無料である。つまり、無料でしか使わないということだ。

くどいけれど、もう一回書くと「無料だからやる人は無料でしか使わない」ということだ。だから先程の仕事は、無料だから使った人が100人いて、たまたま10人が「有料の価値があると思った」くらいと考えたほうがいい。逆に有料にしたら無料だからやるという人には出会わなかったし、合うことはなかった。それがいいかどうかはおいておいて、仕事における成長やサービスの改善という意味では「アリ」なんだけど、それ以外で無料にこだわることはない。

むしろ合理的にいえば、無料でなくても有料であっても集客や依頼が可能であればそっちで行列ができなくても、一定数依頼があればそうすればいいだけとなる。一方で、無料でこれだけ有料でこれだけ来ていますということを開示する人や事業者も少ないだろう。敢えて見せることはないからだ。

価値観が急に変わることは・・・まずない

例外はあれど、例えば寄付についてなんかは分かりやすい。人に寄付をすることがない、または絶対したくない人が、お金を稼いで生活する上で困らなくなったらどうなるか?

答えは簡単で、寄付は選択肢にないだろう。そもそも行動として寄付ということがないからだ。しかしこういう人こそ「稼いだら寄付したいと思う」とさらっといえてしまう現実がある。人は嘘をつくし、僕も嘘をついていると思う。しかしそういう嘘がどうとかでなく、ここでは価値がいきなり変わることはないということだ。

無料で使っていた人が有料になってもお金を払うか。これは多くは低い率にしかならない。なぜなら無料で使っていたものは無料だから使っていたのだから。有料というお金を払う価値にいきなり変わることはない。

二重の意味で、これはそういう経験をしたからというのもあるが、一方で自分もそうだからだ。無料で使っていたサービスが有料になったり、無料だから使っていたサービスが使えなくなったりしたら躊躇なく辞めてしまうし、辞めた経験が多い。経験だけでなく、上のように価値の変化が急にあることは稀なので、突発的な事故みたいなことがなければまず変わらない。

人が良い人であれば、無料ユーザーや無料でも使うという人を教育していくみたいにちょっと客観的に考えるかもしれない。間違ってはいないけれど時間がかかるし、ここではそもそも無料だから使っている人には効果がないか、非常に効率的でないため、どちらかといえば自分が枯れてしまうのだと思う。枯れてしまうのは三重くらいの意味で駄目だと思うのでそうならないように、やはり客をちゃんと見てちゃんと判断していくのがいいのだと思う。

自分のバリュー(価値)はこれで、ではどれくらい払うんですか?

こういう自分はこれはできるからこれくらいもらっていいと思うみたいな会話はわりとドライというか、慣れてない人は多いと思う。というよりも文化的に慣れないという感じがする。これはお金の話とか、スキルとかそういう開示が下手とかよりも、むしろそれを開示し示してどうですかねという客観会話、またはメタ会話、または主張や意見をあてていく(喧嘩ではない)のが慣れてないのだと思う。

サラリーマンでなくても、勤める人は基本顧客→経営者→給料という形でお金をもらう。これに慣れると「どういう仕事が価値でそれがお金に結びついてるか」がわかりづらくなる。これは営業が仕事を取るからお金になるとか、プログラムを書けてソフトが作れるからお金になるとかって単に見えるところや自分の担当からでなく、全体が見えづらいということ。いや、そもそも経営者ですら分かってない可能性もある。

フリーランスであれば、これは副業であろうとなんだろうと自分の裁量が大きくかつそれを直接顧客に提出・納品して、それでお金を頂くということが多くなる。その場合であれば、結果的に「自分の価値や仕事の価値はこれです。どうですかね」ということを仕事なり会話なり、プレゼンでもだけどそれを示すことの繰り返しでしかないと思う。本質的には。その台詞を覚えて言えばいいわけでもない。

またこれは価値があると思っているからこそ言えるのだけど、価値があると思っている自分の価値を他人からみて「うーんそこまではねえ」と軽くでも否定されれば結構凹むと思う。とはいえ、凹んだところで話は進まない。

例えば僕であればアイデアを出すとか、アイデアについて考えるというのは価値がないと思っている人もいることは分かるのだけど、相談やアドバイスということで一応見える価値にはなっていると思う。そういう部分でいえば「アイデアを出すことって価値だと思うんですけどどうですかね」「いや、そこまではないねえ」となると、クールに決めていても「おう・・・」となるわけだ。

それはそれでいいとしても、この価値の提示→承認またはどれくらい受容されるかを繰り返す必要がある。これはなんでも一緒だと思う。うまくいく仕組みとはこの提示した時に承認率や受容率が一定程度高い、または一定程度あるのであとは認知される仕組みを作ればいいですよねということになると思う。いわゆる行列の出来る店、予約が絶えないサービスならコントロールが出来るのでストレスが減る。

では避けた方がいい客とは当然このように「バリューはこれで・・・」という会話が出来なかったり、「そんな話はいいからこれやってくれればいい」みたいに、コミュニケーションが希薄であったり、そもそも価値を認めてないというところかなと。価値を認めないのに依頼があるかというと、すべての人がすべての価値を見極めてやれるかというとそうではなく、色々と誤差があったりする。

そういうところでもちろんお金を支払う人には仕事を提供していくのだけど、とはいえ誰でもやるのかということになると「仕事を選ぶ」ということになる。話がややこしいが、仕事を選べる人は仕事があるからなのかないなら選べなくなるのかということだが、これは正解がない。仕事がないことで選ぶなら仕事獲得ができないので蓄えがないときついだろう。だから選ばずにやるのだと思うが、選ばないのは経験がないとか経験値が低い場合のみとか、何か狙いがある時でいいと思う。

選ばずやればいいというアドバイスも一瞬あっても、それは短期の話で、実際は選ばないでおけば多くは環境が微妙ならば「ちゃんとしてない人」で仕事が構成され、全く成長できない、またはもっといえば傷つくというか、ストレスで退化する印象すらする。体を壊すかもしれない。それはあってはいけない。

無償でやってもいいとき

やってもいいかどうかといえば、仕事を無償化するとその仕事が価値があれば珍しく飛びつく人もいるけど、低単価化になったり、ちゃんとコントロールしないと結構難しいのではないかなと思ったりする。僕が答えを持ってるわけではない(笑)

例えば無償で絶対やらないとかはない。友人を手伝う時に気軽なアイデア出しや資料作成やリサーチ等は勝手にやるわけで、請求書を送りつけたりしたことはない(笑)もちろん論理的には可能だけど多分友達は去っていくでしょうね。

関係性の作り方もあるのでここはなかなか一概にいえないものの、知人や遠い人であれば実際に依頼+お金提示みたいなのが必要になってきて、近い人だと依頼だけでいいみたいな感じになる。とはいえこれは一般論でなく、その友達との個別の関係性であったり、またはどういう友達であるとか。

だからといって友人や親友に気軽に依頼をしてお金を出さないのはさすがにとは思うので、それこそご飯をおごるとか感謝を述べるとかは、多分あったほうがいいと思う。それが逆になくて関係性が維持出来るという自信であるとか、何かがあればいいが(恩を売りまくってるとか(笑))、現実的に考えてやってくれて当たり前と思っていれば既に崩壊しているかもしれない。もちろんキャラクターもあるのだと思う。

他には経験値がなかったりして初めてやる仕事とか、初めて要素が強ければ無償となりやすい。が、これは逆の発想もあってお金をもらうからちゃんとやるという設計にして、未経験全く知らないけどお金をもらうけど勉強しながらやるというのもあるらしい。

僕は怖くてやらないが、そういうやり方も出来る。ただ、これによってアウトプットの価値が微妙すぎたり、品質に見合わないならすぐ終わると思うのと、どこまでを求めているかによる。低単価や無償であれば品質改善まではなかなかいかないので、こういうのは長期よりも短期で慣れて見極めないところだと思う。

つまり、無償の仕事をやると何も価値が生まれないとかってことはないのだけど、なぜ無償でやるのか、その上で何があるか、または何を狙うのかは考えてないとちょっとねという話。僕がいいなと思うのは、関係を作りつつその人の仕事を見極めるために使うのはいいと思ってる。

無料と有料の見極めや提示の仕方

これはフリーランスなどのノウハウでもないのだけど、おそらくどこまで無料なのか、有料なのか。またはどこで金額を上げていくかは結構大きな課題だと思う。

実際に安いから依頼した場合は高くすると客は来なくなるだろう。ただ本質的には無料客=無料だから依頼したのであって、低単価客=安いから依頼したのだということで、高単価客=高いから依頼したというよりも、その価値があると思って依頼したという方が大きいと思う。

つまり、高ければいいわけでもないが、適切な相場またはその価値があるとすれば、見せ方もあるのだろうが、価格というラベルは消える。もちろん支払えない価格なら選択肢にならないのだが。

そうなると、価値を低めるという天の邪鬼でないなら、低単価で勝負したい人や安いものを沢山の人にという考えもあるのでそこはスルーしておいて、基本的に一人や少人数であれば単価は安くならずそこそこになる。そしてそれで回せる営業やマーケティングをしてそれでどうかというのが実際だと思う。その仕組をどのレベルで作れるかがポイントになる。

安易に価格で判断するのは指標設定ミスであるとか、認識や理解ミスということになりかねない。だからこそ、自分の仕事の価値はどれか、どの人にとってターゲットにとって価値が出やすいかを見極めることになる。これはわりと考える作業であり、実践して振り返るということになるので、思ったよりタフな気がする。面倒くさいとか、そこまで考えたくない人はフリーランスには向いてないというのは確かだろう。

お客さんが予算があるとか支払い能力が高いとかはおいておいて、少なくともちゃんとしているお客さんをどんどん開拓して良い人と仕事をすることで、自分の成長もだが、お客さんの発展にもなるわけで、また自分も評価されていると感じるので悪いことがない。この循環こそがフリーランスの成長方程式なんだろうと思う。

一方で逆に低予算や内容が厳しいというところで、そのままやっていたり、変化を加えないとそのまま変わらないので、搾取構造になる。搾取されたから二度と駄目とかはないのだけど、それこそ短期のメリットでなく長期のメリットに視線を移すことを恐れずにやる必要が出てくる。売上が落ちたり消えることの怖さは痛いほど分かるけれど、自分の価値に向き合うとかも結構慣れないと痛くて動けない。

問題は短期ではないいがこの循環になると、お金だけではないが、お客さんともコミュニケーションが出来なかったりする(そもそも誰がやっているか興味がないという話、淡々と仕事をやれば誰でもいいという考え。つまり作業者である)ので、成長がしづらい。そこで頑張っても、成長がないので仕事の質も変わらない、むしろ悪いままかもしれない。それでお金も低いので自分に投資もできないし、お客さんとも話せないので新たな情報や改善や価値向上もできない。そもそも何も思ってないお客さんかもしれないが、そうなると結局仕事という時間以上のスキルを多少なりとも、いや相当費やしても得られるものが少ないので成長ループが回らなくなる。

これは不幸だ。これは仕事ではないと大きく言ってしまおう。もちろん仕事の価値観や何を求めるのもあるが、少なくとも成長をこのループでは出来ないことは確かだ。

無償提供等が良さそうなケース

これは今まで考えてきたことで出てきたが、簡単にまとめると、

  1. 該当する仕事の経験がないので経験を積むため
  2. 経験値はあるが新規企画や新規サービスなので反応を見たいため
  3. 友人や知り合いなど一定の関係性がある関係において
  4. ボランティアやプロボノ、NPO、個人等で支払いは求めづらいが、その相手や団体に共感している時

これくらいで限定されてあとは個人のさじ加減なのかなと思っている。

1は最初は誰でも未経験なのでそれでやってみる。ただこれってネット使わなくても友人や知り合いにコミュニケーションをしたほうがいいのかもしれない。そういうのが嫌ならやれないのだけど。

2はマーケティングっぽく、試してどうかというところ。無償提供というよりも実験なのであまり無償とは言わないような。もちろん自分主体でなく誰かの手伝いであれば自分が承知してやるべき。

3は関係があれば話は別。そもそも見ず知らずの人に無償でどうかといってる時点で、では他の価値やなぜやるのかという話にならない感覚や価値観なら辛いよねというところだからだ。

4もこちらが価値を感じた場合。関係値がなくてもいい。とはいえだからといってお金を出せないから誰でもやってくれるみたいなのは違うのはある。

無償提供がまずいケース

無償提供をやるべきではないケースは、端的にいえば相手が信用できないとか、その先が微妙とか、搾取であるとか、要はちゃんとしてないだろうというケースだ。

もちろんこれは誤解もあるのだろうが、誤解であればフォローの連絡があるはずであるし、結局そういう関係性が作れるかどうかだけなんだと思う。

  1. 無料で相談に乗ってくれたら有料で依頼を出すという話をする人(無料で相談に乗って終わるケースが99%ではないだろうか。つまり、無料で相談に乗って欲しい架空の台詞でしかない)
  2. 良いものならお金を払うが、良いものでないならお金を払わないという成果報酬や事後払いが前提で、その人や団体が信頼できない場合
  3. 最初は安いけど2回目からは正規または高くするということを依頼側が言う場合
  4. レベニューシェア(売上を分ける)ことで報酬はお互いに出さないけどやりませんかという提案

2については、コンペというのはそういう仕組みだ。悪くいえば事後払いでかつ選べるので主催者優位だ。もちろん作品の選定がフェアに行われていればそれだけでチャンスにもなるからやる人も多いのだろう。

だからこそ主催者や団体等が信頼できるかがめちゃくちゃ大事になる。出来ないところとはやらないというのは切り捨てになるが、切り捨てても大丈夫だと思う。トートロジー(同じ言い換え)みたいになるのだけど、信頼出来る人や団体であれば、ちゃんとやるので何か起きても対応するし、また評判として評価される(あそこの団体はちゃんとやっているなど)ので結局お付き合いしたい人気が出てくるのだと思う。だから人気があるコンペがすべてとはいわないがそういう設計がされているのだと思う。

一方切り捨て御免で大丈夫なのは、そもそもそのレベルで信頼できない人はコンペ後のフェーズがあって例えばアイデアの事業化みたいなことだけど、その部分でお互いにマッチしないし、コミュニケーションできないので進むことはないから、というところ。

要するに短期的に見ると将来の客を捨てているのでマイナスと思うのだけど、長期的に見るとむしろ捨てられるべきというか、そこからは何も生まれないということになる。短期で見るとこのやり取りで疲れてしまうが、長期で見ればガンガン捨てて良くなる。

他にも言えるのは、審査基準が明確でないとか、良くわからないケースもあるのだと思う。個人的な戦略というか戦術はとりあえずワンチャンスで最初はやるけどそれ以降は吟味ということだ。一度で決められないこともあるからだ。

ただこれは先程の切り捨て御免と矛盾している(笑)切り捨て御免はどちらかといえば傾向とパターンであり、まあ明らかに不安な、曖昧な、何を考えているか見えないならコミュニケーションリソースが無駄なので辞めたほうがいいってことにもなる。ちゃんとしていればそれが何かでケアされたり補完されるということだ。

3についてはこれはフリーランス側がいうならいいけど、依頼主が言うのはNG。そして正規とか相場が分かるならそれを払えばいい。テストケースとかがあるのは正直微妙で審査をしている時点でクラウドソーシングの悪い部分というか、質が低い応募者を精査するというところがあるのだと思う。それが含まれている時点で厳しいというかそこは戦うところではないかもしれない。

これはつまりお金を払いたくないのであって、1回目を安くとか無料でやって次に依頼がくることはほぼないのだと思う。

4は今までいくつかあったがこれで出来たケースがなかった。だから絶対駄目というよりも、これも関係性が築けるかどうかだ。

この場合は、そもそもコミュニケーションの時点でビジネスライクになりがちで何をもってやるかが見えづらい。営業メールで誰にも出している可能性がある。

僕が関わったケースでは、大体連絡が来なくなる。逆にいえば連絡が来てちゃんとクローズする人はレベニューシェアをしないのだろう。

もっといえば、今払える予算やお金がないから出来ないけれど、例えばプログラムであるとか、ビジネス設計みたいなスキルがいることをちゃんとやれば出来ると思っている人がいるとする。一方でこの時のマッチングという意味では、僕がビジネス設計を出来るけどなぜあなたに手を貸すのかの理由が欲しい。その理由が大体においては自分本位、つまり相手はこちらのことを考えてないことが普通だ。これでは話にならないというか、短期では良くわからないが、長期では全く駄目という結果になる。

レベニューシェアとか良くわからない言葉を使わずに、ちゃんとお金を払えばいいだけであるともいえる。またその対価が安くても払うのは説明は要るが大事だと思う。それによって何か信頼できないとかがあれば別だがそもそもこれでやれないなら明らめるしかない。誰もが低単価でやらないし、無料ではやらないし、ましては信頼できない、なぜ自分がというのを分からなければやらないからだ。

仮にこれが成立するならば、世の中の営業メールのコミュニケーション率はもっと上がっているので困る人はいないのではないかともいえるほどだ(笑)

先達の事例も参考になる

AIベンチャーは「ヤフー知恵袋」じゃない タダ働きからの卒業宣言 (1/5)のマスクドさんの記事あたりからそういえばというのを思いつつ、そこで参照されてた、無償での情報搾取の記事も超参考になりました。

これを見て思ったのは、会社設立当初は交流会とかよくいってたのもあって、怪しい人が多かったなあということですね。

情報交換は存在しない

情報交換というのも、ほとんど意味がないことが多いです。びっくりしたのはある起業イベントで出会った人で名刺交換したのですが、情報交換したいと言われて、今欲しいのは何?何が提供できるの?とか一瞬で思ったのですが、別に時間があるのにその後話しかけてこずになんだったんだというケースです。つまりこれは社交辞令の挨拶で「情報交換」なのですが、情報交換って価値の等価交換でなく、単に「情報が欲しい」のであって、発話者の情報が価値があるならそれを示してこそだと思います。

反面教師にするなら、情報交換をしたいなら、まず情報を出すべきとなります。それで相手が「おお、ならばこれを」という返報性の法則になります。人はそうやって出来ているので。逆にもらってありがとうじゃあ!となる場合は次へいきましょう(笑)

情報交換という会話はあるのですが、誰かと合う時にとくに初対面ではありえないということですね。情報交換するならまず情報をくださいその上でとか、有償ですといえば連絡が来なくなると思います(笑)

協業もない

協業とは信頼出来る人とやるべきというか、しかやれないので協業で、という繰り返しですね(笑)

他にもWebマスターの手帳もより詳しく書かれていて参考になります。フリーランスに無償で仕事を依頼するという暴力行為について思うこと。ということで、この手の無償ネタは確かによく見かけるのですが、筆者が書いている通りで届けるべき人は見ない、アナウンスミスなんだろうなあとか思っています。

まずですが、本記事もですが、この手の記事を見る人は逆に「自分はそういう存在になってないだろうか」という視点で見るので大丈夫なんですよ。もしやってたらもはや粛々と次に活かすしかないです。気にせずいきましょう。ただ問題は書いたところでやっちゃってる人に届いてないので、まあこれこそちゃんとしてる人はちゃんとより良くなるみたいな話なんですよね。

防衛するしかないので、ここはドライな割り切りOSを是非入れてもらって相手に悪いなとか、どう思われるだろうとかを一切考えず処理しましょう(笑)

話を聞きたい

最近はほぼないですが、取材レベルでも話しても記事化されないこともあるのでこの時間はきっついなあと思ったりします。相手が調べているならまだしも全然調べてないと「そこから説明するのか」となるからですね。偉そうにいってますが、やったことが消えるのは結構きますよ(笑)

取り組みや何を考えているか話を聞きたいは起業当初結構ありましたが、その関係性が続いている人は・・・ないですね。なぜならそれは動物園の動物みたいに、珍しく生態を見るだけだったからですね。

逆に自分からも言えるのは話を聞きたいといっても、その人の考えがインストールされればわりと良くてそうなると本を読んだりするほうが効率的です。別にその人の価値がないのではなく、わざわざ「時間を作って話を聞く」って本とは別なんですけど、さらなる何かの価値を得たいとか見たい場合ですけど、まあ結構探求してなければない話です。

単に合うのは意味がなくてそれ以外でなにかしたいとかがありそうですが、迷惑ですよね(笑)

この話を聞きたいから合って欲しいとかって結構失礼な話でありがちです。僕も昔やってた気がするので駄目なんですけど(笑)まあそれはおいておいて、結局会うための理由や何をしたいかなど自己開示をある程度しないと話にならないと。その上で、スケジュール等が空いてたらという感じですよね。

成果報酬はない

これもない話です。もちろん成果報酬型を謳うサービスもあるわけですが、これは仕組みとして一定の成果が出せる確率があるから計算されているわけです。でないとちょっとという感じです。

それは仕組みとしてあるところや自分から言うのはいいでしょう。が、人が成果報酬でというお願いは別問題です。

僕はないですがレベニューシェアが近いでしょう。これについては、成果報酬はできないのでまずは簡単な依頼をしてください、それで報酬をください。(それが成果だからね)、とやると多分連絡来ないのではないかなあとか思います。

単にお金を払いたくない、低予算でやりたい、という人を探しているだけの体の良い言葉「成果報酬」なのでしょう。本来的に成果報酬自体の言葉は悪くないのですが、これも初めての人にそれとかはちょっとどうにか・・・ですね(笑)

色々偉そうに書きましたが、新規で何かやる人が出てきたり、いろいろな経験がSNSにアップされたりできるからこそ、キリがないネタではありそうです。僕も正解があるとは思っていません。自分で考えていくことでどうするかを見ていくしかなさそうですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。