仕事に身体性を入れてエモくする

久しぶりにイベント参加していました。一つだけそこで気になったことを書いてみます。

情緒や喜怒哀楽的となると、身体性は分かりやすい

詳しくは省きますが、僕が参加したグループでは、趣味の話と料理などの話が出てきました。これがいい悪いでなく、なるほどなあと。確かに再現性は低いというか、計画性でない時の話で、そういう意味でエモいものでした。

ちなみに何の話かというと、心が動くというかそういう話です。僕は趣味というよりは、アイデアや企画の仕事ということで、リサーチも含めて人に役立てるとエモいということはずっと言っています。そのことを話したんですね。これって直観的にいうと分かりづらい話です。

対立構造ではないんですが、こうなります。

仕事における自分の情緒とくに楽しいがあれば、それは日常なので、仕事がエモくなるんですね。逆になければ、そうでない趣味など別のことになると。これもっといえば、仕事のロジックでやり続けることが求められるほどその反動が辛いかもしれないですね。より趣味等でエモさを求めると。それが悪いというかバランスを取るので正しい反応だなと。

僕は逆で、仕事=長期間=関わること=人生なので、やはりエモさが良いよねということで、自分の仕事を作るなんてことは取り組んできたしそうあったほうがいいよねということでした。

何も自分で仕事を作ってないから駄目なんて思ってなくて、単純に自分で仕事を作ってそれがエモいならそうしたほうがいいっすよねというくらいです。

話したそこにいた人たちがどうということはなく、やはり身体性って、仕事において「求めづらい」か「出てきづらい」のかなと感じたということです。たまたまその話や初めに出てきただけかもしれないですしね。

無意識で出来ることをエモくする

例えば、長期間、ずっとあるのは仕事かもしれません。いや仕事をしたくないというのもあるので、それはおいておいて。仮に自分が飯を食べるためにやる仕事がライターだとするじゃないですか。文章を書くと。

でもそのテーマが全く倫理に反するとか、全く面白みにかけるとします。あなたならどうしますか?

僕なら楽しめる余地はないかを考えるのですが、どうしても無理なら、それってやらなくてもいいと思うんですね。もちろんケースバイケースなんですけど、仕事を自分で作るという人や考え方においては、基本OSはそうじゃないかと。そうでないと、決して自分で仕事は作れないんじゃないかと考えています。

つまり、どこかにあるとか、誰かが持ってくるとか、そういうどこかにあるのでなく、目の前から作っていく、作り上げていく、見出すことが求められると。

それって、ないので作るんですね。何かこしらえることしかない。無意識でそれをやれるようになると、まあとても楽しいわけです。といっても難しい話ではなく、自分が無意識でやっちゃうことを仕事に転換できないか?という問いだけで良い気がします。

僕の場合は無意識でアイデアを探してますし、リサーチしていますし、企画的なものはどうかを考えています。無意識というと大げさなんですけど、実際にそうしているので、意識的にやっているのと感覚的なズレがないです。

ギリシア語で、クロノスという機会的な時間=時刻があるのに対して、カイロスという主観時間があるようです。ここでいえば、意識して何かやることってクロノス的と思っていて、無意識であっという間に時間が過ぎた的なカイロスがエモいということです。

つまり、エモい=情緒性=身体性ということなのですが、心が踊ったりワクワクするということです。それが集中してあっという間に時間が過ぎた。その時間って損した!とかならないですよね(笑)それを外からみて「リサーチにそんなに時間を使って!」みたいな人はクロノス的に見てますよねということです。ものさしが違うので評価も出来ないのですが、クロノスである人ほど、カイロスが羨ましいはずです。

でも構造が面白くて、集中してあっという間に時間が過ぎたという経験がある人ほど、そしてそれが無意識である人ほど「こんなことしていていいのか!」なんて思うんですね。そりゃそうですよね。それお金になってないとか、色々言えるからです。でも、実際は逆でそういう無意識、勝手に時間を使う、考える、手が動く、僕的には近いOSであるものはめちゃくちゃ強いです。というか、それをまず大事にするのがいいんじゃないかということです。

くどいですが、クロノス的に時間だけで見たり、楽しいとかエモいとかない人はそういう集中出来る人をめちゃくちゃ羨ましがっているってことです。要らないならそんなの「不要」で切り捨てればいいじゃないですか。そうならないのは、やはり人間って動物というか、もっと身体で生きるみたいな部分は捨てられないし、ずっとあるんだと言えそうです。

自分が楽しいことをやっていくという時代

こんなの前から言われているのですが、結局そうなるということですね。自分がつまんないけど人のためになるから。自己犠牲的なものはかなり辛いです。まず自分が辛いですし、「良いと思ってない」人のアウトプットを食べたいか、力を借りたいか。ないですよね(笑)そうやっていくと、結局楽しいとか面白いとかということしか、その周りにしか仕事は生まれないってことになります。

それが哲学でもこだわりでも、社会的な意味でもなんでもいいのですけど、それ理屈抜きに言えるかどうか。これもテストとか評価とかでなく、私がそう思うのだと思ったらそれで全てですよということですね。その全てを別に拡大解釈せずに、そのまま自分を受け入れると。

そんな時代は実は既に来ていて、準備が出来たらGOということですね。準備出来ないなら色々調べていけばいいと。実際にこれも準備して何やるかとかもゴールがないので、本当に「真っ白なキャンバス」に何を描くか状態です。であれば、自分が楽しいとか、これいいなあとかやったらいいじゃないですかとなると。

現代はこれが麻痺していて、「何をしたらいいか分からない」となるんですが、それも正解を求めている思考の結果なので、正解がない世界で、僕もあなたもゴールは見えないならどうするか。別にこれも答えなんかないんですよ。

右行ったら面白いと思えばそうすればいい。でも左がいいとか、まだここにいたいとか、色々あるので。あとは社会のルールとかじゃないですかね。バランス取りづらい人もいるかもですが、そういう人こそ自分で仕事を作る方向になるんだろうなあと。

そんなことを感じたので、情緒や身体性を仕事に入れていきたい人は文字通り「自分で仕事をつくる」「自分に仕事を合わせる」感覚がめちゃくちゃおすすめです。そうでない場合はどうするか?は答えも何もないです。無理して面白いことをやるのも辛いので丁寧に生きるとかでもいいし、それこそ人生の話になっちゃいますよね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

リサーチとアイデアの出し方講座

大橋のアイデアの出し方やリサーチの仕方などのやり方などを初心者向けに解説したUdemy講座です。本ブログのアイデアやリサーチネタが気になって、どうやってやっているんだろう?と思った方はぜひ。

気になる方はハードルを極限まで下げているのでチェックしてみてください!