本を読むこと、本を書くこと

本を読むのは読めば進んでいって読み終わる。書くことも本を書けば仕上げ終わるという完成がある。

感覚としては「読んだ」と「書いた」は異なる感じは受けるが、終わるということ、連続してその結果の積み重ねであることは同様であると感じた。それが共通点といえる。

と考えると、読む=インプットと、書く=アウトプットという区分け自体が偏狭にすら見えてくる。というか、別に行為としてはインプットするは何か得るのだけど、同時に学んだり試したりを器用にしていることが多い。また同時に書くと同時に何か改めてインプットしている再学習に近いことも多いと思う。

コツコツ読んでコツコツ書いてということは大事だなあということだ。そしてやれば進むということは、やれないと進まないということでもある。やらないとかやれないとかって視点はおいておいて(やる気の問題となるので)、どんな状態でも「やると進むという仕組みやそのもの自体の概念」があることがめちゃくちゃ大事ではないかと考えた。

つまり、やる気があるとかないとかどちらでもいいが、やる気がある人でも「やる」ことで、この仕組みに乗っかれる。やる気がない人はやれないかもしれないが、「概念」として、「この仕組みがあるんだな」と思っている、選択肢があるかもというだけでも一つの救い(笑)になるかもしれないと。

だからこそ、読んでも書いても進んでいくというところを見い出せば、その仕組みに乗っかったことになる。だから読んでは進むし書いても進む。どちらもでいいとすら思える。これがインプットやアウトプットという区分けをせずにおく、つまり曖昧や統合するというところの価値だと思う。

普段のインプットの読書の効用

効用というと有意義な価値みたいなことになるが、最近は単にある種の世界観に没頭し、かつ読み手がコントロール出来るという点で有益なメディアじゃないかと考えている。

例えば映画は2時間と決まっていればそれで終わるし、今は倍速の時代で、飛ばして見るなんて普通だろう。

読書も飛ばすこともできるが、基本的のその流れは筆者がコントロールしつつも、その展開に付き合う必要がある。ここでは小説などでなく、あくまでビジネス書しかり、実用書しかり、そういった受け手=読み手というところがコントロール出来るということにある。

だから映画は見ないと進まないのと同様に本もそうだけど、想像の余地は読書に強い。理解という解釈、主観が入る(映画でも「すごい」「危ない!」などはあるけど)けど、ある種の内省や振り返りは「見ている時」には起こしづらい。もちろん慣れていれば批判しながらも見られそうだが、基本後となる感じがする。いや実は慣れていれば出来るかもしれないけれど。

読書はそこは批判的に読む前提もあっていいし、どこでも辞められるし、始められる。筆者の意図とズレても良いし、意図的に誤読をしてもいいと思う。その誤読で批判されてはたまったものではないが、とはいえそういうことも可能な余地感があるだけでも豊かな印象を受ける。

映画と比較すれば、感想は当然見る人によって違うが映像というビジュアルは一応それは唯一となる。遊びという意味では解釈が想像に委ねられると思われる(表現も当然あるのだけど)小説や活字の方が余地があると体感的に思ってしまう。

見終わったとか、読み終わったとかの単なる感覚だけかもしれないが。

書くことは振り返ること

書くことも振り返る感じが強い。読みは同時に内省しつつまたはインプットしつつだが、感想や読書メモはアウトプットと化す。

では書くことは、インプットや考えをまとめて出すこととなる。本となると、一定量と一定の経験が問われると思うので、少なくとも軽い読み物ではないのであれば、一定の思考が問われる。問われて耐えうるならばそれは読者の価値となるが、そうでなければそうでないだけだ。

もちろん思考とは哲学書みたいなことを言ってるのでなく、書き手側の思考がある程度あってそれを何かしら伝えることにおいて成功するかどうかという意味となる。

書かねば進まないが、書けば進むという先に示した「どちらも積んでいく」のは、実に心地良いと思っている。書けなくてもだが、書けば進むというある種のオールを漕ぐ感じは自力や自給という感じがして生きている感を受ける。読みはそういう意味では受動的といってもいいのだけど、書きを促進するには、そういったエネルギーを受けないと駄目なわけで、どちらもセットで大事と考える。

読んで書いて、書いて読んでを繰り返す

最終的にものすごく大きな目標であったりというよりも、些細な面白さや出来事を笑える方が幸せであるといえる。これは大きなこと、それこそ夢を実現するみたいなほうが「映える」のだけど、そういう「映える」を意識すること自体がとても人を意識している。他人のものさし的と言えるのだ。もちろんそれが他人のものさしであれ、自分のものさしがあるし、混在していてもあればいいのだと思う。

しかし、「夢を実現したい」というのが他人のものさしでしかほぼほぼないのであれば、それはまあ辞めたほうが良い。それを達成したところで、「映える」しか残らないし、そして「映える」だけいいじゃんと思ったとしても、それは「虚しさ」というお釣りがくる(笑)なぜなら自分のものさしではないからだ。

自分のものさしであれば、ぶっちゃけなんでもいいのだと思う。

そうなると、読んで書いて読んで書いて、を文字通り一生やっていくことで積んでいく感覚はとてもだが、ブログもそうだし、本もそうだし、読み物や書き物にはにじみ出てくるもんじゃないかなと思う。

ライター

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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