承認欲求は仕事で満たしたほうがいいっぽい

仕事=労働というところでは、お金のためだけではしんどいという感じがしています。ですので、仕事=労働なのか仕事なのかという定義はあれど、一旦ここではいわゆる「誰かのために働くこと」=仕事としてみます。

それで、承認欲求は誰かに認められたい的なものですが、これってやはり日常生活の延長で満たしたほうがいいんじゃないかって話です。僕の考えです。

批判的に見るのは、SNSで満たすとか、メルカリで満たすとかですね。それ自体が悪とかではないですが、満たし方を間違えると、生産に行かないのが難点じゃないかって話です。

上手く伝わるか分かりませんが書いてみまっす。

メルカリで売れると、SNS投稿での承認欲求より高い

メルカリの調査でそういうのがあります。正確なところは読んでもらって。メルカリ、「100円以下の利益でフリマアプリに出品する利用者」の意識・実態調査を発表

簡単にいうと、メルカリで出品して売れると、「あー必要としている人がいるんだな」「役立ったんだな」「自分が要らないものでもいいんだなあ」みたいな感じで、誰か=買った人ですけど、に承認されたことになります。

その対応ぶりでもいいし、商品がやすかったとか、なんでもいいんですけど、仕事として考えると「そうった価値のやりとり」が素朴に行われることで、メルカリなどのプラットフォームって面白いですよね。僕はこれを批判しているわけではないです。

ここでメルカルハイと呼ばれるような、何か売れるものを探してしまうのは「まあいい」のですが、そういうのってハマればありえる状態ですから。ただそれが常態化していって一概に線引きは出来ませんが、例えば「これメルカリで売れるから買おう」もまあ消費行動としてありえるかなと。

ただ「メルカリで売れるから自分が使わなくてもいいから買おう」は、明らかにまずいかなと。どちらかといえばテレビショッピング等でどんどん買うけど「使わない」って人がいるみたいですが(2,3の品でなくて、一部屋に倉庫のように積んであるようなイメージです)これはあ明らかにNGかなと。NGとは、どこか中毒かメンタルをやられているという意味です。診断できるわけではないので、ちょっとやばいのではないかってことです。

その上で、こういうハイ状態になったり一時的にどうこうはいいと。でも、「承認されるため」だけに「買う」とかは明らかにおかしいですよねと。手段目的化ということですが、もちろんこの錯誤は常にあるのですが、あるかはないかはおいておいて「今月も売らないと承認された気がしない」って、笑い話ではないってことです。

メルカリに責任があるとかは酷な気もしますが、社会の多くの人が参加すればそのようなことも起こり得る。それがブームや流行、多くの人が動く怖さだなと感じます。良いこともあるけれど、悪いこともあると。

それで、SNS投稿した時のコメントをもらうと承認されたと思うわけですが、それよりメルカリで売る方がその満たされる率が高いみたいな話が面白いなと。

だからこそ、メルカリで売るって、とくに少額利用者というのがポイントです。1000円以内とかでしょうかね、それなら別に大したお金でもない、手間暇もかかるから、なんですけど、そこでやり取りがあることで、欲求が満たされる。これをどう見るかですが、昔の物々交換DNAみたいなのがあるのか、そういうのが全くないとやはり人は求めるのではないかな、って僕は考えています。これが正しいとかではなくて。

代理販売をしても満たされる

僕の経験では、メルカリはやらないというポリシーなので、メルカリはやっていません(笑)それはいいとして。

古本の処分として、代理販売というサービスを使っています。前紹介したと思うのでそこは省略しますが、これによって代理販売なんだけど、誰かに売れることで承認欲求は満たされる感じがしました。

とはいえ、これは誰が買ったかも分からないし、極めてシステマティックな感じがします。そのまま処分しても二束三文なので、少しでもという利益期待もあるので、とはいえ「プレミアム」が付くことはなくて、より次の本を買うためくらいですね。という意味では本の売買サイクルが回っている感じです。

正確には承認欲求のためではないので、メルカリの話と比較するとやや見劣りしますが、ふと思い出すのは世の中的な「副業」って誤解されがちなんですね。というか、している人が多い気がします。

ざっくりいうと、パッケージみたいな「副業仕事」というのがあって、それをやるという理解の人は多分あまりうまく行かないです。ここでいう上手く行かないとは、そういうパッケージを求める人はなぜか「ものすごく稼ごうとしている」ので、ギャップがあるんですね。

他には承認欲求もあるかなと。これは少額でもいいので、サラリーマン的に勤めるだけでは「自分の存在」が分からないとかです。これは重症ですが、敏感な人はすぐ察知する傾向があると思います。勤めて1ヶ月もすれば分かるという感じですね。こういう人にとって、副業ってもっと会社の仕事ではなもので、自分の身体を確認するというか、心からやりたいことをやる、ある種趣味的でもあるのですが、趣味と副業の違いは、自分が消費するのでなく、作り出す、そして売ることです。これはかなり違います。マインドセットが似ていてもアウトプットが異なることはどこかに記憶されてもいいかと思います。

長くなるのでこれはまた別として、ここでは代理販売などでも一応は売るとか、もっといえば「委託」してあとは売れるといいよねーくらいの「軽い見立」や立場が功を奏する、それによって気負いもないし、手間もないというところです。箱にまとめて送るだけなので。

自分で仕事をすると直接依頼は深く満たされる

違う例を出してみます。

僕が仕事をしているところでの話です。数年前に仕事をした方から久しぶりに連絡があり、またお願いしたいという依頼でした。こういったリピートなども信頼の蓄積でしかないのですが、ありがたいじゃないですか。というか、涙が出そうになったんですよね(笑)

別に自慢でなくて、そういうこともあるというだけで、ここではそういった人に信頼されたり、それこそ年月が経っても忘れていない、印象に残ったということが、深い信頼につながりますよね。

だから、「ああ仕事していてよかったな」と、ここでの仕事は僕がやっている一連の行為全てですから、ある種生きててよかったくらいの感動となるんですね。これって誰でも仕事をしているとありえるのですが、全くそういう領域で仕事をしない人もいるので、人によって異様に異なる気もしています。

ここで、承認欲求が満たされてないからということでなく、普通に「信頼される」ことで、やっててよかったというのは、メルカリの比ではないなと思ったんです。ただ、メルカリと比べていいでしょみたいな話でもなく、別にどっちでもいいやんということでもあります。だからその比較はあまり意味がない、言っておきながらですけど(笑)

ここでいいたいのは、メルカリもあるのだけど、他にもいろいろとやれることがあるんじゃないですか?という問いかけです。それがたまたまメルカリを突破口にしてもいいけど、一つの選択肢、とくに「用意されたパッケージ」などはかなり批判的に見ていいのじゃないかって話です。

ツイパクユーザーはそういう意味で正しい

ツイパクというTwitterなどのツイートで、人気があるものをコピーして、自分のツイートのようにする人がいます。はた迷惑ですが、見抜けないのが面倒です。見抜けないとは、元のソースをロンダリングしたり、アカウントを変えれば出来てしまうからですね。

え?なんでそんなことするの?って思うわけですが、これはこの承認欲求を満たす意味で正しいと思います。やれってことではないですよ(笑)理屈として合っているってことです。そういった方の記事を読んだことがありますが、理屈としては通っていると。

例えば、ツイパクしたものでツイートするわけです。そうすると、人気だから知らない人も含めてものすごく反応してくれる。俺は神!とまではいわなくても、人気者になれると。ちなみにこういう疑似体験をするアプリかサービスがありましたが、こういうのは倫理的にも正しいですよね。さて、それで満たされた承認欲求、つまり、ツイパクする=コピペするだけで、満たされるってめちゃくちゃコストが掛からなくないですか?

メルカリなんか手間だし、仕事も手間だし(笑)そういうのって仕事なんて数年はかかる(笑)そんな時間をかけずにインスタントで承認欲求を得られる。そういう意味で、彼ら彼女らは「ツイパク」するわけです。そうすると、5秒で人気者になれるわけですね。

犯罪かどうかは分からないですが、まあ元の人は不快感極まりないですし、著作権的で争えるかとかですよね。本来はRTなど機能があるので共感やいいねはそちらを使うだけですから。実際にねじれとして、ツイッターを「承認欲求」を満たす道具として使ったってことなんです。このアイデアは鋭いですが、まあ駄目ですよねってことです。

これをやるとどうなるか。麻薬中毒ではないですが、ツイパクハイみたいになるはずです。5秒で人気者ですから、ちょっと手を出すと、次もまたとなるんですね。多分そこからツイパク辞めましたっていうのには、かなり時間がかかるか、承認欲求を本来どう得るか、自然に得るみたいなことを獲得しないと、これは脱却できない、深い心の問題となりそうです。

承認欲求を意識しなくても日常がごきげんかどうか

ご機嫌かどうかってかなり曖昧ですけど、日々楽しいとかって事がある人なら、機嫌がいいんですね。だから自分はもちろん、人へのあたりもいいわけで。笑顔でニコニコしている人ってなんかいいじゃないですか。思わず話したいか、何か良いことあったかそれだけでお裾分けみたいになって、エモいわけですよ。想像するだけでも楽しいですからね。

それがないと、自分はなんて惨めなんだとか、運がないとか、駄目な人生だーみたいなことを思ったり言っているとやっぱそうなるわけですよ(笑)

だから、仕事で得るのはいいっぽいとか書いてますが、仕事でなくてもいいけれど、多分ポイントは生産系ってことです。つくるってことです。モノでなくても、サービスでもいいし、何か自分で生み出すこと。それによって、世界が変わるというのは大げさではないです。

ブログみたいな記事書いてもいいですし、これも文章をつくるですからね。絵を描くのもいいですしね。地図を作ったり、服を作るとか、モノでもいいし。それを売るとかになると困っちゃうとかもありますが、少なくとも売れるかどうかは、売れる売れないでなく、地味に中長期にやるほうがいいです。そうでないと、普通は売れなくて終わりますから。

その時売れない=自分のモノやアウトプットが価値がないんだ、だめだ!みたいな理屈ではなく、うまく伝わらないんだろうなとか、想像して考えてまた修正するだけです。その心と行動をうまくずらすというか、客観視していくのがポイントですね。

生産系って時間は確かに使うのですが、お金はそこまでかからないことが多いです。あと、時間も使いたくないとかって人もいそうですがそれはさすがに無い物ねだりですね。あと、時間を使うからにはみたいな人もいますが、順序としては、時間を費やすことでまず生産が生まれるので、そこはまず作るってことになりますよね。

他にも自分だけで世界を閉じないほうがいいと僕は思っています。家族とか、パートナーとか、子どもとか、親や様々な関係がある、職場もそうですが、多様な課題がある時、それって社会といっていいわけです。そういう社会からもかなり影響を受けるので、自分だけの問題と考えないほうがいいかなと。

だから目安に過ぎませんが、50%くらいは自分でいろいろやれてもそれくらいしかできなくて、残りは誰かや特定の人からサポートしてもらってくらいでいいような気がします。それを依存だーとかでなく、むしろ色々な人に頼れることのほうが自立という考え方があって、僕はそういう考え方が好きですね。

おわりに

承認欲求自体は別に僕もあるし、誰もがあると。ただそれって出来れば自然に満たしたほうが良いということです。

自然というのは、日々の暮らし、つまりそこに仕事とかがあるのですが、仕事せずに暮らせる=お金を得ずに暮らすには結構特殊な仕組みがいるわけですが、他に自分の活動や何かがあると。そこに入れていくのが良いと。

メルカリが承認欲求装置となることのみを批判するわけではないですが、それもやりすぎてこじらせた承認欲求装置とするとまずいですと。ただこれも仕事もやりすぎてワーカホリックなら同じですから、それは同様に言えるわけです。

ある程度仕事として、人と価値を交換してということをやりとりすれば、僕はかなり人生は楽しいのだと思います。だから、メルカリを少額でやっている人はなんかこんな小さいやりとりだけで、楽しくていいよねくらいならめちゃくちゃ健全ですから、それに対する文句はないです。

一方でメルカリもですが、自分が生産したり、つくることで、色々な人とやり取りする、それによって人やネットワーク、知見が広がっていくみたいなことを有機的、自然的にもっとできればいいんだろうなというのが見えてきました。

というわけで、承認欲求をこじらせて何かにハマりすぎないようにという着地にしてみました。座りは悪いですが、承認欲求はゼロにもできないし、向き合って付き合っていくものなので、そこは不安とかと一緒ですね。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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