インプットとアウトプットの話

インプットとアウトプットの話です。

インプットとアウトプット①:情報が蔓延するからこそ、情報は価値になる

インプットとアウトプット②:情報の(表向きな)価値と信頼性は別物です

が面白かったので、何か感じたことを書いてみます。

お金という観点で考えると、アウトプットが価値となる

投資知識のブログ公開というアウトプットがお金になっていくという話ですが、なるほどなあと感じました。

僕でいえば、アイデアそのもの、アイデアの出し方がアウトプットで、それによって信頼醸成、依頼という流れですので、これもお金と言えます。

インプットは、アイデアを出すためにいろいろな情報を見る、聞く、試すことなどです、アイデアを考えて実行して試すとか、人のアイデアやビジネスを考えてみることが、アウトプットでありつつも、それでフィードバックとなるのでインプットにもなっています。

ぐるぐるとこれらのサイクルが回ることで、一体感というか、土台が作られ、まさにサイクルによって強固となるイメージです。

これは概念とか抽象論でなく、具体的にやればそうなっていくという話ですね。

アウトプットが価値というのは筆者は乱暴だと断りつつもまさにその通りだなと感じました。

インプットしまくっても、人より100倍入れても「出すものが微妙なら100倍の請求はできない」からです。自明の理です。もちろんインプットをするなということでもないし、インプットを省力化してケチって、しないことでよりアウトプットを出せるかということにもつながります。しかし、インプット自体はもちろん観察するとか、より深堀りするなどをするとよりインプットが増えるし、考えることも増えるので、結果的にケチるという感覚は微妙な戦術な気がします。筋が悪いって感じです。

それよりも、インプットに制限をせずにアウトプットの段階で削ぎ落とすとか、編集加工をすることでよりよく伝える。まさにアウトプットを工夫するほうが良いのかなという感じがしました。

アウトプットの10倍はインプットする

昔書いた気がしますが、10倍は言いすぎかもしれませんが、人の文章を読むスピード(自分の文章でも)と書くスピードは明らかに書くほうが遅いです。これはタイピングというよりも、書くことがわりと論理や紐づけがあるから一定の「緩やかさ」を担保しているからではないかと思っています。

早く書ければ早く考えられるかというとちょっとわからないですが、そこまでの差があるのかな?というところです。むしろ具体例を抽象化するほうが高速道路に乗れそうですね(笑)

1,000文字の文章のために1万文字はインプットしているのかもしれないなあと思いつつ、とはいえそのインプット9,000字は無駄なのか?というとそんなことはなく、インプットしたからこそまたそこで得た気づきや学びを1,000字で圧縮したり、重要だと思うことをまとめたり、という理解です。もちろん、そもそも定量的なものでインプットとアウトプットを測ることがナンセンスかもしれません。

感覚的に本を一冊読んで気づきがいくつかあればいいという時、その気付きがどのレベルかは結構難しい。人生においてものすごく大事なら文字数比較は意味がないですし、仕事に役立つTIPSであればカウントできるかもしれないし、とりとめのなかったという気づきならアウトプットしないかもしれないからです。

なんにせよインプット量を抑制せず、アウトプットにつなげられるものはつないでいって、入り口をしぼめず工夫していくって感じですね。

アウトプットしかないというよりも、アウトプットで学ぶ

冒頭記事の後編では、アウトプットは誰でも簡単にできる世の中だからしてみてはという提案となっています。

また、情報については、情報は過剰ともいえるくらい多く、情報自体の価値はコモディティ化したといっていいでしょう。つまり、いろいろある。

ただ例えば飲食店の口コミ情報がある時、その知らないレビュワーの口コミを信じられるかどうか、または口コミサイトはどうなのかという時、自分の知っている友達がSNSで口コミしたほうが同情報は信頼性が高い。また好みもあるだろうから、どう総合的に判断するか。

ここで感じるのは、たくさんあるので取捨選択というよりも発行元であり、発行主であり、その人の考え方や背景、文脈を知っているか。それが信頼性になります。友達のほうが「飲食店の食べ歩き」をしているわけではないが、信頼できるというケースです。そうなると、今までも言われていると思いますが、誰が×情報=誰の情報という、少なくとも発信者が問われます。

正直個人が問われても辛い時代ですが(その分の何かリターンがあればいいけれど)、一方で匿名でも貫ければそこに信頼は生まれます。というかペンネームしかりハンドルネームでもいいわけですから。それはいいとして。

そういう個人でも信頼性が求められるという感じです。個人でもというと変なのですが、今は逆転していて、組織の信頼性が高かったけれど、個人でも信頼性があればそこでいけるみたいな感じでしょうか。もちろん、個人といってもいろいろな個人がいて、一概にまとめられないのが実際です。

例えばインフルエンサーの個人と、影響力がない人の意見は異なります。ただ情報として異ならないなら、評価が異なります。人気投票ではないのですが、支持されるとその意見が評価されます。これは純粋に信頼性故の価値でしょうが、一方で意見や情報としては影響力がなくても本質を突いていたり評価できる点もあるでしょう。

全て影響力やら人気やら支持数で決まるわけでもないです。一方で、無名の個人が何かを発信して影響力は無視して、信頼というものに転化するには、やはりアウトプットしかないかなあとも感じました。

有名になっても然るべき準備というかインプットとアウトプットがなければ、見る人にはばれてしまいます。もちろん、無名なら何をやってもいいという意味ではないのですし、実力がないなら何をやっても駄目ということでもないです。アウトプットということをして、磨いていくという感じですね。まずはそこからということで。

自分はどこへいきたいか?

抽象的になりますが、アウトプットをしていくことで、ブログ価値の向上というか、アウトプットレベルの向上、それは文章の品質から、見せ方などです。

また文章ということでなく、アイデアや情報自体、その信頼性も担保できるということを出していきます。

当然それらを依頼や仕事につなげていきます。単純なアイデア出しをベースに、シゴトを作っていくことです。

どこまでできるか分かりませんが、そうやって考えてアウトプットしていくことで、少なくとも自分は仮にブログでアウトプットしなくても、別の行為で何かやっていたはずだし、し続ける何かがあるっぽい(この原動力については好きとか、なんかやっちゃうみたいな低レベル(より本能的という意味))という話です。

そうすることで、関わるお客さんもですが、社会が変わっていくとか、良い方向に何か力になれるということを、1mmでもやっていくというところが、生きがいでありやり甲斐だなあと感じています。

自分の得意なことや貢献できることをあえて狭めるとか、あえて無理にやるとか、それは除いた上で、ニュートラルに動けて、それで人に役立てればとても面白いし、楽しいし、何よりもっとやりたくなるんですよね。そこがモチベーションだと感じています。

おわりに

インプットやアウトプットの知的生産術的な話は面白いですね。メタ認知というかメタ的に考えると、整理される気がします。

久しぶりにブログ論とかもやってみますかねえ。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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