右脳思考を読んで自分のアイデア生産プロセスを見直してみた

右脳思考という本を読んだ。なぜ買ったかというと、自分のアイデア出しなどに参考にしたり補強できるかなと思ったから。

案の定めちゃくちゃ面白く、これによってさらに面白いというか、より自分のアイデア出しからアウトプットのプロセスが明確になったといっていい。

本をいくつか参照しつつ、感想も踏まえながら、久しぶりに自分のアイデア出しについてもアップデートできないかを考えてみた。

結論的には右脳思考は面白いのでおすすめというところと、自分のアイデア出しプロセスはそこまでアップデートできないものの、直観や感覚、違和感大事だなあというところが再確認できたのが良かったというところです。

右脳思考を鍛える

本書は書店で立ち読みして吟味した上で買ったのだけどこれは当たりだった。昔の本をアップデートして再刊らしいが、もともとの本を知らなかった。

著者が言う右脳思考とは、要するに僕がブログで書いている方が親しみがあるならば、違和感発想に限りなく近い。一つだけ注意するなら、アイデア出しは論理的にできるが、論理だけで考えずに右脳または感性がフルに使おうというところだろう。著者はアナログが大事というがデジタルを否定してない。むしろIT寄りといってもいいくらいで、その上でアナログが大事という意味は深い。

いくつかメモとして抜き出したものを共有してみたい。

一次情報の大切さ

一次情報とは生の情報だ。あなたが見た犬の格好であり、あなたが感じた肌寒さであり、目を疑うような美人であったりなんでもいい。あなたが直接知覚するということが一次情報だ。もちろん人の話を聞いたは人からの伝聞だが、伝聞といえど、目の前の相手から聞いた時でその相手の実体験なら一次情報といっていいだろう。

観察ノックもやっている中でまさに一次情報だよなあというところを感じる。アイデア出しにおけることでなくも、音楽シーンにおけるライブの市場規模拡大はそれを証明しているのではないかと情報がリンクした。つまり、人は目の前で感じること、体験すること、そこでしかない何かは価値だと思っている。それに払えるお金なら出したいしだせるというわけだ。

本書には何度も出てくるがそういう一次情報をきちっと噛み砕いておいて、あとで別の情報(それが一次でも二次でいい)と組み合わせると整合性や仮説が強化されるイメージだ。

20の引き出しはアンテナ

著者の別の本でも書かれているらしいので、20の引き出しは著者の代名詞かもしれないと思った。これは本書でいえば問題意識として出てくるキーワードというよりも、まさに「引き出し」だ。アンテナといってもいいし、興味やフックにかけたい情報群といってもいいし、関心ごとでもいいし、課題意識とかでもなんでもいい。引き出しという表現は良いと思う。

また本書ではインデックス(索引)をつけるみたいな表現が多数出てくるが、ラベルでも、アンテナでも、付箋紙でも、表現はなんでもいいと思う。

といってても分かりづらいので、僕の引き出しではないが興味をばばっと書いてみた。多分20くらいある。

  1. シゴトづくり
  2. 食べ物
  3. マーケティング
  4. 違和感発想
  5. 高校生
  6. WordPressの罠
  7. プログラミング=効率化
  8. IT
  9. 学ぶこと
  10. コンペ提案
  11. 抽象と具体
  12. 組織の変化
  13. ホラクラシー組織
  14. ABD
  15. 書店
  16. 読書
  17. 仮説思考
  18. 0→1
  19. コワーキング
  20. ライブの価値

例えばこうやって僕がキーワードみたいなものがあって、それらを引き出しに入れている。そして例えばあるブログ記事を読んだ時に「これはマーケティングに使えるな」と思えばそのマーケティングラベル、またはマーケティングにインデックスされるということだ。著者はアナログで袋やバインダーということもやられているようだがそれもわりとざっくりなようだ。

重要なのはこの話は「頭の中のデータベース」であって、具体的に書き出して、「この読んだ記事は3になるな」と作業をすることではない。多分ここがめちゃくちゃ大事。実際に僕も同じようなことをほぼやっているわけで。

マーケティングという単語は良いとはいえない(定義がわりと難しいので)けれど、経営やビジネス、営業や宣伝、コンセプト設計、概念検証、まあぶっちゃけビジネス的なものを支援したり、そこに活かせるという意味ならなんでもいい、と自分ルールでいい。シゴトづくりに活かせるものはマーケティングであったり、ITや学ぶことにつながる。抽象的なのはちょっとご容赦ということで。

こうやってその引き出しに対して、何かを観たり、聞いたり、話したりすると紐づく、勝手に紐づくというのが正しいと思うが、そういう状態になる。

注意点はこれは僕もなんだけど、たまたまそうなっていただけで、これを意識して「20個書いて」「ここに紐づくのはないかなー?」という全捜査は多分やめたほうがいい。実際に意識できるのは、書き出しているから20くらいになっただけで、3-5とか、実際は3つくらいが限界。意識的なという意味では。実際は1つのことを考えていて、潜在的に3個とか5個とかを勝手に脳が処理していくイメージだ。

デジタルの危険性

あえてそういってるわけではないが、デジタルですべてやる、例えばネット収集→ネットでアンケート収集→パソコンで分析→アウトプットもクラウドで、みたいなことがあるとすると、おそらく致命的なミスかまたは全然身体感覚がない。当たり前だがこれらのアウトプットは教科書または薄いものになる。人間味がないといっても言い過ぎではないだろう。

もっといえば、誰がやっても多少の違いはあれ大筋は一緒のアウトプットになる。仮にそれが価値として認められるのは、そのプロセスや合理性や論理的な見方が求めるクライアントやお客さんにかなり不足していたりする場合においてだ。そうでないなら、その特殊な情報やスキルでない限り価値は低くなる。

それは本題ではないが、ここでのデジタルの危険性だなと思ったのは、具体と抽象で上げたように「具体的コレクター」だと何か思考していると思いこんでいる、勘違いしてしまう点と似ているということだ。つまり、本書的にいえば「仕事をした気になってしまう」だけで実際に何も成果や視点や考えを見出してないのにやっている気分になるのだ。これはまずいだろうなと思う。

身体感覚というと、別に手をものすごく動かしてマウスを使えとか(笑)そういうことではない。現場を観るもよし、同僚と話してみるもよし、対象の店舗へいって買ってみるもよし、そういうPCの前に座っていない時間や行為のことといっていい。

和菓子屋ってあるの?誰が買うの?

これはある友人が発した言葉で僕はこれを覚えていて、いわゆるここでの和菓子屋とは、地元の和菓子屋さんだ。有名店であってもなくてもいいが、和菓子屋さんで商売しているところは多くは老舗だろう。

これは本書にある話ではない。ただ頭だけで考えて分からないとか、違和感なり、違う視点を入れたり、仮説を色々立てる意味では思い出した話なので書いておきたい。

まずこの話を僕が覚えているのは違和感があったからだ。簡単にいうと、僕は友人と同じことを思っていたことがある。一方で、僕は「自分も買っている」ということを思ったわけだ。つまり、友人がBEFOREなら、僕はBEFORE→AFTERであり、分かるなあと思ったのだ。

地元に和菓子屋さんがあってちょっとしたきっかけで入ったことがある。色々な美味しい餅があるのだが買ってみたら非常に美味しい。よく考えると、大福であったりまんじゅうであったりをコンビニやスーパーで買えるけど、工場でないなら、こういう和菓子屋さんが作って届けていることになる。和菓子の市場規模はおいておいて、全然味が違うなと思った。

つまり、何かお饅頭を食べるとかお茶とお菓子という時に和菓子屋さんは出てくる選択肢だ。逆にもてなすとかお茶を出すそのお供にという経験や行動がないなら出てこないのだとも思った。これは仮説に過ぎないが、必要だから分かることは色々ある。逆に何度も和菓子屋さんの前を通っているが気づかない=存在しないことはめちゃくちゃあるだろう。

ぜひ和菓子が嫌いでないなら、和菓子屋さんを調べてみて買ってみると面白いと思う。洋菓子屋さんでケーキを買うのと同様、ガラスのショーケースにおかれた和菓子を買う。彩りが良かったり、工夫がされていて面白い。デパートや百貨店の和菓子屋さんもいいけれど、店舗で独立しているところも面白い。

そして和菓子自体はそうやってお供えでもいいし、お茶菓子として買われる。団体客へも卸されるだろう。よくあるのは購入していると次の客が入ってくるシーンはよくある。一見すると誰も人が入ってないように見えるがそうではないのだ。思い込みとは恐ろしいものだが、実際はそういう形で見えるけど見えてないことは多い。

もし仮に和菓子屋の認識が件の友人のごとくなら、この視点は使えると思う。和菓子屋にいけ!で色々発見があるからだ。嫌いなら無理しなくていい。ポイントは自分が知らない世界や知らないことに対して分からないなというところはオッケーで、そこから関わりがないから遮断するとはしないことかもしれない。関わらないとは最高の遮断であって、それ以上はないからだ。

もっといえば、自分がはまっているというか、ぐるぐる回って進まない時などはこういう別視点のトリガーやきっかけを持っておくと思わぬ発見があると思う。女性なら一人でラーメン屋に行く人は少ないと思うけれど、あえて行ってみると何か分かるかもしれないなど。男性ではパスタ屋に一人でいくイメージだ。

仮説思考で考えて遊ぶ

これも本書にはないが思いついたのでメモしておく。

僕はご飯が美味しい店というのを常に探しているわけではないが、お腹が空いて開拓できる状況ならわりとやっている。ある法則として、店の前がキレイ、例えば掃除されている、キレイに手入れされている(花があれば花がキレイに手入れなど)店は余裕があるから、ちゃんとお客がついている、だから味はまずくはないしいけると考えたことがある。これは店の前がある程度キレイ→味が美味しい。という仮説だ。

だからその仮説を検証する意味である料理店に入ったことがある。残念ながらこれは棄却された。そのお店のランチはかなり厳しい味だった。いや食べられない味ではないが、いわゆるお弁当みたいなものが出てきて期待値がかなりズレつつ、さっさと食べて出た覚えがある。

こういう話を出来るということは、自分なりの体験、仮説、何かフックとなる情報、ストーリーとなっていることが前提だ。僕はこれを思い出しながら話せるし書けるが、それはフックとなる情報として「店の前がキレイな店舗は旨いはず」ということをわりと使える仮説だと思っていたからに他ならない。

話の種でもいいし、体験として思い出せること、違和感でもいいが、こういうのは一杯ストックされているわけだ。これがたまたま食べ物屋の探し方というだけだ。

アイデアがスパークする図解

これは言葉にするとほとんどこの通りなので、本の図解を参考にしつつ、後述する自分のやり方と比較してもらうと面白いと思う。

「右脳思考を鍛える」内田和成著、東洋経済新報社、P.168より

この章は確かに実践をしている人でないと良くわからないというか分かりづらい部分ではあると思った。一方で著者は分かりづらければ読み飛ばしても良いと断っている部分でもある。

非常に僕としては面白い部分で、上の図を僕なりに解釈すると、

  • 情報1というものが何かある、得たり観たりする
  • それらはA,Bなどインデックスされる。つまり自分の引き出しや興味や仕事などとリンクして保持
  • 次に情報2という別の刺激や情報が入り、Aが刺激されたりする。Aとは情報1に紐付いた何かといっていい。
  • 最後に情報3というのが入ってきた時に、例えばもしかして、C、D、Eの可能性があるかもなというとき、Eのポイントに響いて新たな視点、これがスパークする、つまり発想するということになる

くどいがこれらを図解のようなイメージでやると多分うまくいかない。なぜなら多分これは著者のイメージであって、脳内のイメージでしかなく、具体化するとこれが分かりやすいかなーくらいのものだと考えられるからだ。

実際には、僕の言葉でいえば、情報1は具体であって、関連する情報2くらいはなんとなく掴める人は多いだろう。ただなぜ情報3が情報1を刺激するのか、なぜEとなるかは実は説明がしづらい。実際は「もしかしてこうかもしれない」「あっ!」という瞬間に起こるからだ。一方でその瞬間を捉えるのは大事だからその瞬間だけが大事なのですということでなく、それまでに考えたり分散して頭で問い合わせしておいて忘れた頃(実際には記憶やリソースからは消えているが水面下で動いているという意味)にやってくるということがこの図のイメージだと思う。

実際にはそう解釈出来るのだけど、くどいが、情報は3つあれば発想ができるとか、情報1に必ずAとかBとか2つ紐付けるのがよいとか、そんな薄い話ではない(笑)ノウハウの提示の難しさとはまさにここにある。具体を出せば具体に釣られるし、忠実に抽象化すると伝わらない、分からないと言われる。具体を出すからそれをやらずに考えて具体化してねが正しいが、これが出来る人は自分で考えているからにほかならない。

他のポイントはやはり、情報1は3つにタグ付けされるとか、残りのタグとか網羅できないなとか。そういう網羅性は重要でない。ダブっているとか、良くわからないがというほうが大事だと思う。もっといえば、ゆるい整理といってもいいし、あそび的な創造法といってもいいし、中間領域(どっちか分からないが緩衝地帯となる)、グレーゾーン(悪い意味で使われやすいが分けられないものは多数ある)、余白や余裕というぎちぎちわけないということが大事だ。

情報はフックをつけると思い出しやすい

想起の話で捉えたのが、P.182のレストランで美味しかったらレジ前のショップカードなどを持ってかえってまた来ようと思う行動の話。ここではそのショップカードがどこにあるか家にあるんだけど見つからないみたいな時で「ショップカードは持ち帰った記憶がある」ことから、思い出せるみたいなことと捉えた。

フックとして、実際にレストランでうまかったということと、持ち帰るという行動がエピソードや一連の流れとして記憶されていた、と言えると思う。

ここで先程のギチギチしないとリンクするのは、「何かを丁寧に真面目に全て管理して整理する」みたいな行動を取る人は「ショップカードがない、終わった、もう思い出せない」となるのだ。遊びがある人は「あーなくしたか、どこかに思い出せるヒントはないか、あ、確か一緒にいった人がいるし詳しい人がいるから彼に聞いてみよう」となる。前者と後者どちらが機転が利くかは当然後者だ。情報はないことにフォーカスを当てたりしてしまうと、たちどころに不安になる人はこういうところで真面目になるのではないかなと思ったりする。

もっと巻き戻せば、レストランがうまいからショップカードをコレクトするという趣味でない限り、またはそれが何か仕事につながっているみたいな必要性でない限り、そもそもショップカードを丁寧に並べたり保存する必要性がない。むしろちゃんと味わって美味しかったという評価の上で「行動した=ショップカードを手にとって持って返った」ことは、本能レベルで覚えているといっていい。これが重要でないことは忘れてしまうという所以だと思う。この意味に限りメモは意味がないといってもいいと思うし、覚えることって重要ではない。じゃあ何でもメモするなとか、覚えるなとかはかなり違っているのでちゃんとこのあたりは解釈しないとまずいところだろう。

フックという意味では、例えば人は一つの理由よりも2,3の理由があると行きやすくなったりする。上の例でいえばショップカードをいつももらわない人で特段気になったから持って帰ろうとした、というのはその理由の一つになる。何かフックとなり、きっかけとなるものが1つしかないなら行きづらいということだ。行列や有名、美味しいと誰かがいってた、色々なきっかけが行動を作っていることからもフックを意図的につくるのも大事だろう。

頭のデータベースをデジタル化したのはScrapbox

これは僕の話だ。本書でいっているようなアナログな手法もデジタル(確かEvernoteだったはず)でもなんでもいいが、それは自分がやってみて回せるというものにしたほうがいい。そういう意味でやらずに何か行っても意味がないのと、やってみて続くかを検討すればいい。

ScrapboxはWiki風な自分メモとして使っているが、これは明らかに頭のデータベースとして使っていると思った。本書を読んで僕がそう感じたということだ。

Evernoteは僕は使いづらかったので、使ってないが、自分のメモの仕方や書き起こすとか、画像をどう保持したいかなどにもよるだろう。ここはもう正解はない。

イメージとして合ってるなあと思ったのは、例えば僕はScrapboxに入れた情報を当然記憶しているわけではない。多くは忘れている。キーワードで検索が出来るのと、タイトル付けやタグを作って管理もある程度出来る。どちらかというと、リンクさせられるという点が良いが、一方でそこまで見返してどうかという使い方はしてない。絶対見返さないということでなく、頻繁に書いているが見返すことは少ない。ただたまに「これは前書いたあれだな」とかいう意味で使っている。ブログ記事でアウトプットする場合はこれは前書いたあれだなとリンクするようなのとほぼ一緒だ。

この頭のデータベースは常時は安心感くらいしか生み出さない。あとは記録したことが分かる勉強ノートみたいなものだ。実際に誰かに見せることもなく気楽な運用となっている。

本書でも言われているように、こうやって記録したり、体験したり、仮説を書いたりしていると、それらがリンクしてアイデアとなっていくというのはそのとおりだと思う。だからScrapboxを書けということではない。日常でちゃんと感じてちゃんと見てそこでちゃんと考えるみたいな、ちゃんとその場に生きるみたいなのが一つのアイデアを出すコツとなる。これも抽象的だが、楽しむというのは一つのちゃんとした生きるみたいなことではないかなと思う。

正確な分類に気持ち悪さを感じるのはどうなるか

一つだけ断っておくとアイデアの解像度が高い人にとって、それはビジネスでもなんでもいいのだが、適切な表現でない、あまりに違うとか、流石にそれは言い過ぎという時は気持ち悪さを感じるのは当たり前だろう。それで高めていけるとか、より成長できるならそれがいいと思う。

ここで言いたいのは、例えば、ある種の情報や話を「ちゃんと捉えない」ことがむしろ良いということだ。ただ人の話を聞いてないとか、理解してないとは違うのでその違いは「ちゃんと」とか「適当」とか「いい加減」とかが、適切な塩梅でくらいにしかならない。

例えばビールというものが、缶や瓶にしか入って売られないだと思いこんでいるとすると、ペットボトルビールは絶対に考えつかない。以前書いた具体と抽象において、抽象度が変わる時に「ゆらす」と書いたのは、この概念自体を揺らす(自分の考えを疑う、固定概念を揺さぶる)的な意味もあったのだと勝手に意味づけたい(笑)

もっといえば、犬と猫の違いを説明する時に、かわいいというのは説明ではないが、どちらも可愛いが可愛さが違うとき、ある人突然、猫と犬は同じ仲間であるという見解が出されそれはかなり確証があるものになるかもしれない。犬と猫は違うでしょと考えるのも一般的にありだが、実は同じかもしれない。ここで大事なのは犬とか猫とが同じとか違うとかでなく、「可愛さ」を一択しか認めないとやはり広がりがなく、可愛さが広がらないということだ。これはたまたま「可愛い」という話で関係ないと思う人がいるかもしれないが、これが「人生」「仕事」「お金」「不動産」とかになってくると、目の色を変える人も出てくるだろう。

もちろん、固定概念とか本能レベルで、黄色や赤は注意喚起というところで、危険を避ける意味でも使えるしそれは生命を維持する工夫でもある。しかし、可愛い黄色や面白い赤もあるわけで、それもあるし、あれもあるというのが態度としてはアイデアを出しやすいニュートラル状態なのかなと感じた。

ここでいいたいのは、何かを正確に分類してしまうと逆にアイデアはでないし、分からない、正体不明、未知なるもの、気持ち悪さは逆に発想の源だといえそうだということだ。それがまさに「あそび」であり「余白」だが、そういうものを潰そうとして、キレイに整地すると、不思議なことに何も生まれなかったりする。もちろん、整地して整えたことで効率化出来るものはあるが、そういうものって全部一緒だ。論理として同じことが、再現性として同じものが作られる。それをやりたい人はいいのだが、それってかなり限られるというのはやはり注意しておきたいところだ。

以上がざっとしたメモと本からの気付きのアウトプットになる。

ひらめきのメカニズムを解釈して自分の生産OSをアップデートしてみる

先程書いた自分なりの発想というところはブログ記事にあげているが、それらも比較しつつ、さらに深めてみたい。

ここでは発想やひらめきがどのように起こるかということでそれ自体に興味があれば面白いが、さらに自分のやり方をアップデートしてみたい人も僕が勝手に検証してきて実践しているというところも参考になるかもしれない。

まず本書は、

「右脳思考を鍛える」内田和成著、東洋経済新報社、P.186より

著者のやり方として図解はなるほどと考えさせられた。

上の図を説明すると、

  • 現象を観て、問題意識を感じたり、逆に問題意識があって現象を切り取る
  • それらの反応や感情や考えたことがデータベース(頭の中ということ)に蓄えられる。
  • それらを繰り返すと、ある問題意識がひらめきにつながったり、問題意識→データベース→ひらめきだったり、問題意識→現象→ひらめきだったりでひらめきが起きる

ということだ。実際は問題意識とは、関心や興味、上で書いた引き出しということだったりする。あなたの興味や関心、仕事といってもいい。抽象的にいえばあなたの生き方、考え方、何か違うんだよなという違和感でもいいし、まさにそれだ。それによって、世界や社会に落ちているものが全く違うように感じるからだ。

それらが頭の中に蓄積される、または頭の中から消えていく。本書はあくまでちゃんと管理するとかよりも、右脳ベース、つまり、感覚や直観を大事にしてそこからちゃんと認知しておけばちゃんとアイデアは出てくるよというメッセージでもあるといっていいだろう。もちろん、メモしないとか、デジタルで記録するなとかではない。あくまでこれらは補助具として、主従なら従ということだ。現に僕はこの考え方をキーボードで打っているが、キーボードは従でしかない。Scrapboxのメモを見て書いているがScrapboxも従だ。その前にメモ用紙にペンで手書きしたメモがさらにあるがこれも従だ。主とはここではなんだろうか。簡単にいえば、自分が感じたことを丁寧に扱うということだと思う。それが結果的に丁寧なアイデアというか、丁寧なアウトプットになるのだと思う。

ひらめきが出てくるのは、結局どこで出てくるかわからない。だから何もせずにぼーっとするのはありといえばありだが、本当に何もしないなら何もストック=データベースがない、現象の認知がないから、何も生まれない。また問題意識とは興味関心だが、これは本書では問題意識からもあるし、見ていて刺激を受けてというパターンについてちゃんと説明されているのは素晴らしい。どちらかが優れているとか、良いとかではないので相互補完的に、相互的といっていいだろう。どちらも大事だ。

この図解を自分で分かったという人は、ぜひ自分なりのアイデアやひらめきについて出るやり方と書いて欲しいと思う。僕は早速やってみたが、これが正しいとかどうかはおいておいて、自分がこう思うことをアウトプットすることで、やり方が似ていれば強化されるし、違うならまたその差異から学べる。書くだけで自分の思考の整理にもなる。何か感じたらぜひアウトプットをしてもらえるといいと思う。報告頂ければ見に行きたいと思う。

僕のアイデアの出し方

まず今まででまとめた僕なりのアイデアの出し方があるので、過去とはいえ読み返したらほとんど今と変わらなかった。

アイデア生産工場については、3つの工程に分けていて、インプット→アウトプット→成長学習ということにしていた。多分成長学習は意外かもしれないが、成長と学習が大事だからこそこれを強調したい意味もあったのだと思う。

インプット工程はまさに観察で、今もやってる観察ノックもそうだが、本書で言う現象を観るというのはここになるだろう。インプットというと具体的に本を読む行為を指して分かった気になる、読んだからいいよねみたいな義務的なタスクになるが話はそういうこうとではもちろんない。あなたの日常であり見たものは手抜けないので、妙な要領や知恵は不要だ(笑)

アウトプット工程はわりと感覚的で、既に脳に頼っていますが、脳内が自動的に仕分けると書いています。これ引き出しに整理は勝手にやるというイメージでいいんじゃないでしょうか。さらに、課題があってインプットすることもあるけど、インプットしてから課題にあててくもありだと、良いこと書いていますね。自画自賛。

リサイクル感があるかもしれませんが、なんでも学べるというところで、アウトプットした後はそれによって教えられるし、話せるし、ネタになったり、ストーリーが生まれたり、さらに展開してもいいし、ばばっと楽しくなりますね。

このあたり読み返して特段違和感はなく、ただ強いて言えば成長に寄ってるなーくらいですね。いいとは思うんですが。

それからしばらくして2018年のエントリはこちら。

基本的なものはアイデア生産工場と同様ですが、4工程に分けて、ちょっと書き方が変わっています。インプット→メモ→調べる→アウトプットという段階ですね。

どちらかといえばサイクルや仕組みよりも、コツといって書かれたものが面白いかもしれません。

アウトプットにおけるコツは紐付けでしょう。別に覚えるということでなく、関連や広がりやつながりを意識していって、もしかしたらというように考えているということですね。これは今度書こうと思っている仮説思考にそのままつながりそうです。

それらを経てかどうかはおいておいて、本書を読んで書いたのは以下の仕組み?というかイメージです。

問いかけをぐるぐる回す仕組み

問いかけからスタートして、それらが頭や出力されたものや組み合わせを通してアウトプットに変換されるイメージ

汚くて申し訳ないですが、考えたというエビデンスということで。

問いかけ

本書では問題意識でしたが、僕は問いかけのほうがしっくりくるなと。言葉のアヤというか、雰囲気だけです。問題意識と同様といって構いません。

この問いかけは何を起点とするかというと、相談や依頼など仕事っぽいものもですが、興味という自発性や違和感という反応などがあります。本書でいう「観る」「感じる」みたいなのところともリンクしそうですね。

脳内データベース

問いかけはこの脳内データベースに対して行われます。本書でもあるようにデジタルデータとか、頭の中のある部分という意味ではなく、仮想、バーチャルの話です。実際には記憶なのかもしれないし、エピソード記憶の起点となるエピソードへ参照しているとか、細かいことは分かりません。ただ言えるのは「問いかけ」することで、脳が「ぶーん」と動き出して、何かないかなと動きだすということです。

問いかけとは「眼の前の花は何かに似てないかな」というものだったり、「今日までに調べて出す必要があるテーマがあったがそれに使えないか」などなどです。それに対して脳内データベースはあくまで自動的に反応します。

ブラックボックスといってもいい。ただメンテとしては体調が良いとか、睡眠が足りているとか、ストックしているものがあるのが前提です。

出力

これはアウトプットということでなく、脳からの返事みたいなものです。こんなのあるよ、こんなのあったじゃん、これも使えそうみたいなことを脳が返してくれます。プログラミング的にいえばDBに対してSQL打ったら返ってくる結果です。Excelでいえば数式書いたら計算して返してくれる結果みたいなイメージです。

問いかけるとここが連想されたり、出てくるイメージですね。

組み合わせる

組み合わせは今までのアイデア出しからも、意図的な組み合わせもですが、無意識の組み合わせも両方あります。無理にやっても駄目なことも多いですが、とはいっても全く何もしないと何も起こらないわけなので、色々試すというところです。

アウトプット

ここでは最終的な見える形を指しています。具体的にはアイデアなら文章や言葉なのか、イメージなのか、デジタルデータなのか、図解した何かなのか、それともキャッチコピーみたいなものか、コンセプトであるのか。粒度はバラバラですが、問いかけの質によってこれらは変わるのではないかなと思います。良い質問って思考を促進するみたいなことが言われると思いますがまさにそれを自分でやるイメージですね。

その後問いかけはぐるっと回ってまた次のターンということで、回っていきます。休んでも回るし、休んでなくてもどっかで回るイメージです。それを表現したかったので、問いかけを最初にして強調してみました。

問いかけフェーズ

問いかけの特徴はわりと生きてて変化するということ

問いかけは結構断片的です。例えば脳内データベースにアクセスして良い出力がなかった場合すぐに問いかけを変えるか、アプローチを変えないと会話をしているならかなり不自然になります。

会話として成立するには、相手の言葉をほぼリアルタイムかあまり時間をおかずに話す、リレーが要求されますよね。それがしんどい人はいるかもしれませんが、それはおいておいて、良いのないよ!という結果もあるわけですね。なんかないか?といってもないものはないという状態ですね(笑)

そして問いかけの賞味期限や寿命は正直分からなく、ある程度出力結果や組み合わせだったり、アウトプットに満足することになれば消えるのでしょう。そうでなければ問いが変わりません。問いが変わらないということは実は思考してないのかもしれません(クロスポストが嫌われるのは実はこういう理由かも)。

ここで大事なのは問いかけが消えようが生まれようがその問いかけはわりと生きていて、走ったらすぐは消えづらいという傾向があるのではないかということです。それくらい脳に問うことは刺激を与えるんですね。だからこそ、リラックスしたりどこかで緩んだ時にアイデアが出るのはそういうことなんじゃないかなと。

脳内データベースはブラックボックス

脳内データベースはブラックボックスだと言いました。とはいえ、観察したり、観たり聞いたりしたものをちゃんと感じたりしないとストックされません。

ストックとは目で見たものが入るというよりも、脳にちゃんと入れることをしないと、咀嚼しないと駄目というところでしょう。本書でもあったようにアナログというのが強いのは実は脳はデジタルだと情報量が多すぎる、アナログだといい感じに処理できる。かゆいところに手が届くではないですが、いい感じにハマるかもしれません。

アフォーダンスではないですが、バットを渡されて握りやすい方を握るように、学習はあるのでしょうが何かあるかもしれません。脳に心地よいのがアナログだというのは思い込みかもしれませんが、紙に印字するとディスプレイで分からなかったものが見える(誤字脱字など)のは不思議ですが何かあるかもしれません。

Scrapboxを脳内データベースとして使っていますがこれはデジタルです。Google検索もありますがこれはGoogleのデータベースですよね。この対比をすると情報量でGoogleに勝てるわけがないですが、Scrapboxは一次情報=僕が考えたことの塊であるわけですが、Google検索は二次情報といっていいでしょう。頑張っても1.5次情報にしかならないため。この時1次情報は確かに価値があるので勝てるかもしれないのですが、2次情報が駄目なわけでもないということです。どっちも大事というところですね。

例えば二次情報としてGoogle検索をしてアイデアを探したり、何かビジネスのヒントを探すことは多くの人はしている気がします。が、これは正直意味はそこまでないでしょう。どう調べるかにもよるのですが「何かないかな」は何もヒットしないし、そもそも「検索」できないんですね。つまり情報の海に溺れて終わるというか、溺れなくても泳いで終わりということになります。明確なテーマや調べたいことにアクセスするならいいわけなんですけどね。

同様に一次情報の塊、ここでは脳内データベースをデジタルで検索してもそこまでというところです。Google検索よりもアナログな、脳にヒントを与えてくれる可能性や確率は高くなると思います。ただ、それも限界はあって体験がない、知識がない、勉強してない領域であればかなりポンコツです(笑)使うとしてもきっかけや切り口の刺激としてです。

では1次も2次も使えないのかというとそれはないです。1次情報をストックするというよりも、「脳がストックしていた」という結果論に近いです。脳にある何か知識をどうこうでなく、問いかけや刺激によって部位を目覚めさせるほうが近いでしょうか。同時に1次情報なりをストックしたり体験しないと枯渇します。というよりも、脳内データベースが空になるか、新鮮さがなく、どんどん腐っていきますという感じです。だから、常に新しいものは入れつつ、使えるものは更新していって、かつ1次だけでなく二次もいれつつ補強して、って感じになります。

アナログの刺激、つまり脳内データベースをアナログで使う場合とは、紙に書いていたなとか、本にあったなとかそういう感覚的な話ですね。

くどいですが、どちらかが優れているとかはないですが、両方大事で、脳内データベースはScrapboxなどですがこれは問いかけ検索が近いでしょう。Googleなどのインターネット検索は二次情報検索に近いでしょう。

基本的に脳内データベースは拡張したほうがいいですが、といってもデジタルは無限ですがアナログは限界があります。どれだけ広い書棚があっても目で見える範囲やファイリングも限界があります。だからこそ、そういうアナログはわりと洗練された使いやすいものにしておきつつ、デジタルで補うイメージがいいのかなというところです。

書いていて思ったのはそもそも脳内データベースをデジタルでつくるということが出来ない場合もあるかもしれませんが、そこはスルーしておきます。ちなみにデジタルでやらなくてもアナログにこだわってもいいかもしれませんが、結局好みでしょう。

出力は脳内データベースの結果

最近の情報が多くなるとは思うものの、ある時過去の何かを思い出すこともありますし、これは本当に分かりません。おもちゃ箱に色々入れたら出てくるみたいな感じでしょうか。またはそこで遊べるというか。情報のおもちゃ箱という表現が本書にあったか忘れましたが、そういうニュアンスの表現はあった気がします。

何も出てこない時があります。その時は単に経験がない、知識がない、イメージがわからない、そもそも問いかけがミスっているなどでしょうか。ただ、そうはいっても、わからないところがわからないみたいなことも「分かる」ので、どこが分からないは分かるレベルまでは噛み砕きたいですよね。

例えば、花の市場規模を調べるなら分かりそうですが(調べ方がある程度)、花屋にいってお祝いの花を自分で選んできてと言われても店員さんに聞いて駄目という場合かなりの人が困るでしょう。僕も困ります。色のイメージとか花言葉とか分かりませんが、どう選ぶかがないと選べないからです。こういう場合は脳がエラーを起こして「ないですよー」となって問いかけやり直しとなるイメージです。

この時にストックが足りないから増やすのもありです。ただ初学者においては多くは何がどこにあるか、今何を聞かれているのか分からないように分からないばかりだと話が始まらないので、そういう基本的な学習は必須となります。だからこそ学習が大事という所以です。これ別に教科書的知識を入れておけ、何でも博学になれというよりは、考えるということのほうが大事かもしれません。上でお祝いの花を選べない時なぜだろうかを考えて、突破口となるアイデアをひらめくかもしれないからです。ニュアンス伝わりますかね?

出力自体は選べるというよりも、出てくる、出てきたという感じで、そこから使えそうなものを次の組み合わせに持っていく感じでアイデアを出します。

くみあわせるはパズルかもしれない

組み合わせも自動的な部分と、そうでない手動な部分なります。意識や無意識とかそういうことですね。組み合わせたら絶対何か生まれるというわけはないのですが、一方で思考実験みたいにどうなるかという感覚が大事です。

困った時はどうするか?みたいな時に、とりあえず落ち着きたいから仲が良い人にLINEするみたいなのは、解決になるかはおいておいて落ち着く意味では有りなわけです。道に迷ったら空を見るは月や太陽の方角を知っていると使えますよね。シビアな方角は困りますが。

こうしたらどうなるんだろう、面白いかも、ワクワクするぞ、これはもしかして良い解決になるかもという良い意味で、というかいつもですが「勘違い」をしてそっちに思考を走らせる。これが組み合わせに近いです。

組み合わせとは文字で説明すると「概念A」や「情報B」をランダムに組み合わせることになりますが、全部総当りでやっていたら死ねます。だから脳内で勝手に筋が良さそう(これも主観ですよね)でやると。そういう意味ではセンスになりますが、脳を鍛えるとか、学習すれば出るのでそういう言い方は好きじゃないというところです。

これは前書いたかもしれないですし、本書にもあるように「真面目に整理するな」というところと同様で、真面目に組み合わせる=総当り=総パターン=網羅=全部やる、と死ねます。というか時間的に無理です。何がいけそうかはぶっちゃけやってみたり、振り返ったり、変化を感じたり、想像したりしないとまあ無理です。仮に全パターンやって出てきたものは「いいかもー」くらいで心を打つものではないかもしれません。が、AIが写真を作ったりイラストや文章をかくときに、それに人間が感動するかもしれないですし、絶対ではないですよ(笑)

パズルという表現はそれくらい客観的にまたは楽しくというニュアンスです。パズルが嫌いな人もいると思うのですが、想像ゲームです。今起きてないことが起きたらどうなるか。その先その先を読む感じです。ただ、パターンの限界や全部やるのはもはや囲碁将棋、最近は戦略シミュレーションゲームでさえAIに勝てません。だから人間らしくパズルを解こうみたいな感覚的な話ですね(笑)

アウトプットは見える形にしていくのが大事

見える形とは、商品ならプロトタイプとか見える形です。もっともそれにこだわる=プロトタイプのあり方とそこからアイデアが膨らまいので壊す前提がいいのでしょう。

着地点が見えないとふわふわするとは、問いかけをしても着地が見えんぞといって怒られる感じです。もっとしっかり固めてくれと、そうでないとアウトプットできないぞということですね。

抽象的になっていますが、アウトプットとは都度変わるし、何を求められるか、自分がしたいかなどのバランスで変わります。

例えばですがあるアイデアを考える時に、それってアイデアのどういうレベルかはよく考えます。その範囲に持ってくるのが正解かどうかは分かりませんが、少なくとも要求があればそこにいくように考えるということです。ただあまりにも無茶なら出来ないわけです(短期で売上10倍にしてみたいなもの(笑)出来る人がいるかもしれませんが、僕はさすがに知らないですし、無理だろうと思っちゃいますね。出来ると思わなければ出来ないみたいな話はさすがにスルーです)。

またアウトプットを決めていなければならない、ということもないです。なぜなら問いが抽象的で長期的に考えるテーマだとすると、問いかけは一生レベルでぐるぐる回ります。例えば僕ならシゴトづくりにおけるコツはなんだろうか?と言われたら切り口が色々あります。スタートアップやベンチャーで成功するとかは興味がなく、経験もないのでアドバイス出来ません。自分が経験したことがないことをアドバイスは出来ないのでそれが僕の力ということでしょう。

では好きなことをやるのがいいかというと、それだけでもない気がします。友人と話していて思ったのは何か理由が、人に言うものがなくても始めていいわけですしね。理由=言葉=対外的なメッセージは誰かを勧誘したいとか、コミュニケーション的な意味でです。そうでないなら、勝手に家を作り始めて完成させてもいい(土地や不動産、DIYや建物などの基本的なルールに則っていることが前提ですよ)わけです。少なくとも実際に手を動かさないなら思考は脳内は自由ですから想像ゲーになるだけですね。

そんな中で、自分にとって近い問いかけはぐるぐる一生レベル、または長期で回るでしょう。哲学的な問いでもいいしなんでもいいでしょう。今手掛けている仕事の課題解決的なアイデアであればもっと話は短期的です。それはそれで考えて出ないならそこまででしょう。あの時は出来なかったけど、今はできそうだというのは成長にほかなりません。アウトプットはその時の自分のレベルかもしれないし、一生その問いかけはできないかもしれないし、そのあたり答えはないですね(笑)

というところを考えるか考えないかはおいておいて、問いかけから始まって、脳内データベースにアクセスし、出力されたものを得つつ、組み合わせをパズル的にして、何かアウトプットを得ていく、出していく、固めていく。そしてまた問いかけに戻るか、さらにデータベースに突っ込むか、または問いかけがアップデートされるかは自由というか決まりがないです。ぐるぐる回ることが伝わればいいのかなというところでした。

アイデア生産プロセスは大きく変わってなかった

本書を通して自分のアイデア生産、アイデア出しのプロセスを見直してみました。意外にもそこまで変化はなかったのと、同時に強化されたのは右脳または直観、もっといえば観察や見るということです。アナログとデジタルの融合はやはり僕は好きなので、紙に書いてそこからデジタルにしたりしなかったりと色々さらに磨いてみたいと感じました。

同じように考える人がいるものだなと共感したのと、考えたからこそ、アイデアを出してきたからこそ分かりみがあり、すごく共感できたのかもしれません。逆にやってなかったら「ふーん」で素通りしていく感じがしますしね。

もっと効率的に出来ないかとかもありますが、インプットをスルメのようにしゃぶっても味がなくなりますし、ネタの賞味期限があります。だから更新し続ける必要があるんですね。

脳内データベースの反応速度や出力速度を上げられないかは改造人間みたいな感じですし(笑)筋の良いアウトプットをどれだけ出せるかってもう量稽古しかないのかなという感じです。それでもどこまで出せるかはわからないですけどね。

実際にアイデアを出すはここまで書いておきながら手段でしかないです。何かをどうしたいか、どうなっていきたいか、この場合どうしたらいいのだろうか。そういうものがあってはじめて「アイデア」が生きています。それも全部委ねてしまったらただの考えない人になります。それはさすがに僕はヤなので、アイデアを通しつつ、自分がやりたいこともですが、仕事であったり、色々なものをアイデアを通して面白くしたいとそんなことも感じました。

途中に書きましたが、ぜひアイデアの生産プロセスとか、こうやって自分はやっているというものあれば書いて共有してください。見に行きますので!

では良いアイデア生活を!

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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