アイデア発想法は論理的だが、アイデア生成自体は直観的だ

最近拡散思考とかを色々いじっていて、気づいたことがありまして。それを共有してみます。

話としては、アイデア発想における論理性、再現性はあるのだけど、でもそれは全体でしかないと。部分とくに、思考フェーズと思われるアイデアが生まれる瞬間や生成前後はとても直観的で、再現性を期待するのでなく、かなり偶発性があって、乱数勝負というイメージということです。

誤解がないようにいえば、運でアイデアは出るみたいなことを主張したいのでなく、一定の論理ややり方は手堅くある。そこはある程度迫れる。でもですね、アイデア生成の細かい部分は無意識とかであって意識的でなく、論理よりも非論理、直観や感覚が優位ではないか。

まさにそれは僕がそう思っていてまさにそうだよなーというところで、かなりマニアックかもしれませんが、かなりスッキリしたので共有します(笑)

拡散思考って何か

まず拡散思考を説明します。概念が違うものを組み合わせることで、つまり全然違うものを結びつけて、違う概念を得る。まさにそれがアイデアだという話です。

別に違う概念を組み合わせるとか、拡散思考というのがここで言いたいのでなく、ある程度見知っている話とか、領域にいると、どうしても常識化します。つまり見知っていて刺激がない。なんだか見たような景色で、デジャブ感がある。そういう時にオススメです。最後にまた触れると思います。

ここでギャップがあればあるほど面白いというのはまず伝えておきます。ただし、ギャップ=距離があるものが面白いけど、結び付けられてないなら、それはそれで練られてない(笑)着地が悪いアイデアとなるので、くどいですが、機械的にやればいいなんてことは1mmも思っていませんし、そうしては微妙ということですね。

さらにいえば、何かここで手法ややり方を提示しますがそれはあくまでそのようなやり方がある程度言えるかもしれない、くらいです。それをやればすなわち解決するなんて話でもないわけです。ということを何度もいうのは、それがまさに説明不可能なので、直観的と言っているんですね。

次に概念Aと概念Bがあるときどうするかですが、それを結びつける動きが以下のスライドです。

ここで少し迫っていますが、じゃあ違う概念をくっつけようとするとき、頭で何が起きるのか?ということです。これらの話は別にこの拡散思考に限らず、数多の、そうです、多くの発想法で見られました(笑)

見られましたというのは、悪いとか良いとかでなく、結果的になぞる結果となるというところです。

例えば、田丸さんならショートショート発想法というのがありました。ショートショート発想法で遊んでみた。不思議言葉づくりに共感。で勝手に僕がやっていますが、言葉をランダムに選んでそこで結びつけて、意外な組み合わせを作っています。モノとかサービスとかなんでもいいので、それで出てきた「形容された単語」がイメージとなって、ショートショートとしての物語としてみては、というところでした。当然ここでも「ジャンプ」の話をしているのでそこを迫ろうとしていたんじゃないかと、当時の記述から思い浮かべています。

僕の違和感発想でも同様です。違和感を収集するも直観的ですが、それを加工して切り口にするのは結構大変な気がします。切り口がないので分からない、取り出せないというところです。前書いたアイデア出しとは情報と視点という材料を集めて考えることの繰り返しですが、視点を情報から得られないので、ストアカでやっているのですがそれは結構難しいのではないか。改めて見返すとそう感じるってことです。難しいものを強要している意図はもちろんないですし、でないからこそやってきたというのもあります。【オンライン】日常生活からアイデア発想する「違和感発想法」を学ぼうで雰囲気が分かるかと。

アイデアのつくり方とかでいえば、意識と無意識で分けたことがあるのですが、ひらめくときって無意識なんですよね。または意識と無意識を繰り返すことで生まれたといってもいい。前書いたのでそちらも参考にしてみてください。書籍「アイデアのつくり方」にあるアイデア出しの5段階を考えてみたでは、組み合わせなどの思考は無意識としてあります。ひらめくのも無意識です。でも、その前後の資料集めや噛み砕く、そしてひらめいた後の検討は意識なんですね。この意識と無意識の融合というのが、それを何度も繰り返す行為は論理でなくて、直観ベースだろうなあと思うわけです。

概念をくっつけようとする時に頭で何が起きているか?僕は解明したいのですが、どうも連想の類を拭いきれない、つまり、シンプルにいえば脳内データベースにアクセスして何か出てくるか?それだけです。何か出て来ればそっから動けるけど、何も出てこない「No Result」だとそれで詰む。だからそれなら「脳内データベースを充実させる」くらいしか手段はないんですね。これは今回の話でも同じなので、対策として何かが変わるわけではないです。

アイデアを出そうとする時、まさに直観的行動が炸裂する

具体的に例を出してみます。これはあくまで例ですから、同じようにあなたがたどるわけではないでしょう。また違うアイデアが生まれるかもしれません。ぜひやってみてください。

ここでは「コップ」と「鉄火巻」という言葉を出してみました。イメージや定義は様々ですが、無機質と食べ物で大分異なるかなと。ジャンプ度は分かりませんがそれらをどう結びつけるか?

それだけです。上で黄色で囲っているのが、それぞれの直観的行動と思われることです。

つまり共通点を探し、直観で面白さを見て、連想したり、ということをやっています。このプロセスではリニア=直線的でスムーズに流れているように見えますがそれはないです。詰まったり飛んだりしています。整理しただけなので、スマートに自然に流れるようにこうなるわけではないです。そこは表現の仕方で誤差があると認識してください。

大事なのは、共通点を探せばいいとかそういうことでなくて、仮に共通点が何か?と考えた時に、まさに脳がその時何をやっているかということです。僕はここで論理的にはならないと思ったんですね。

つまり、「コップはこういう形だから、鉄火巻は円柱とか筒でー」みたいなやり方ではない。もちろんそうやって分析する人もいるんでしょう。ですが、もっと一瞬だったり、もっと感覚的で、似ているのはこれかな?とやらないと、なかなか出てこない。もちろん謎解きみたいに色々と考えて出すとかもありですが、多くは直観で解けないとなかなか難しい気がします。

直観で出せないとダメということではないんです。ただ、この脳内の動きをどう説明するか?もちろん、脳内データベースに何か知見や経験があるからなんですよ。ただ、結びつけるとかってもっともらしいことが言えるんです。ですが、「じゃあ面白いと思うこと」なんて人によって全然違うし、連想も全然違うと。

これをもって、半分言いたいことは言えたわけです。なんとなくアイデア発想という型はそれっぽいし、論理的に言える。でも、理解ではそれは半分くらいです。実際にやると、こうやって非論理であり感覚的、直観的、身体的といってもいい。頭だけで何か練ってやるものではない。そういうことが言いたかったのだなあというわけです。

さらにもっと言いましょう。インプット→思考→アウトプットというのは僕が示しているアイデア発想の鉄則です。これは揺るがないです。ただですね、思考フェーズを分解して切り出してみる。今回は拡散思考みたいなことを言ってるのでそれでやってみる。

ですが、人によって全く出てくるものも、連想具合や飛ばし具合、ジャンプ具合、面白さも違う。問いかけも違う。つまり思考フェーズ内は全然論理的ではない。違和感発想法もそうだと。他の人の発想法については一旦おいておきますが、示されたところで「考える人がそこで任意に出してくる」という行為を示すだけなんですよね。

ここを無理に直観的でなくて、論理的に説明出来るとするとやはり厳しくて無理というか、僕は説明ができないなというところで着地しました。当然これを説明出来ればそれはそれで面白いのですが、アイデアはそれで出ますから、ブラックボックスでもいいのだろうと。ホワイトボックスで見える化、仕組みの中身とかですよね、それもまあしらべても良いのですが、一旦ここまでとしておこうというのが僕の理解でした。

ゲシュタルト心理学ではないですが、全体は部分の総和ではない。みたいなのがあります。つまり、全体はそのまま全体なのだと。部分を統合すればいいってことではない。これ分かりますかね?部分最適化とかってありますよね。でもそれで全体になっても全体最適化ではない。不思議ですがよくあるわけです。なんでしょうね?直観的にはそうなっているのだろうくらいしか分からないってことですね(笑)

直観的なアイデア生成を磨くには?

じゃあどうすればアイデア生成として、直観的なものも色々出せるようになるか。いくつか今までも述べていますが、結局連想とか、飛ばしとか、色々な視点ってことですよね。これなんなのか?

簡単にいえば、毎日を楽しく生きるとか、好奇心を持つとか、面白いことをとことんやるとか、そういう話にしかならないというか。これだけみると、哲学というか、よい生き方、処世訓みたいですよね(笑)

でも、本当にそれだけというか。自分の人生をいい感じで生きているからこそ、アイデアもいい感じなものになるというか。すごい曖昧な事を言っているようですが、実はそれくらいが本質かなという直観で書いています。

じゃあ連想を拡げるには物事を知りましょう。知識を知りましょう。本を読みましょう。勉強しましょう。どれも良いと思います。ですが、何かを覚えるとか、暗記するとか、それだけ覚えてもあまり使えなくて。なんでそうなっていて、こうなっているのか。仕組みはどうなのか。自分なりの仮説や問いかけを持って、何千万回(笑)繰り返されたであろう「主体的に」、そうです、自分が自分で主体的に人生を生きる。楽しむ。遊ぶ。それがアイデアの源となるってことになります。

例えば、デッサンで何かを描く。ものをみる、すごく細かいことが見える。それも楽しむことですし、物事がよく分かると。人と語るのもいいですよね。徹底的に調べるのもいい。世の中には分からないことばかりですから、毎日僕はそれを痛感しています。それに愕然とするんじゃないんですよ。そうやって知らないことばかりだから学ぼうとする。そうすると、乱暴にいえば、その態度やマインドセットはアイデアに反映される。なぜなら、そのアイデアの源があなたの態度でしかなくそれが反映されるからですね。

これが対策というか、アイデアが直観的に出るのであっても、こうやって前後を固める、確率を上げるためにそうすると。当然、せっかちな人はそれで役立つのか、意味があるのか、効果があるのかって(笑)なるんですけど、それは筋が違うと。なぜなら期待というところは既に論理的ですから。実際は期待などのものさしがない世界に既に入っていて、それが直観の旅とか直観世界といってもいい。論理の世界から飛び出すと怖いんでしょうが、論理だけで成り立つことって社会でないですから。感情や歪んだ感覚が良くも悪くも社会を回すことになっている。認識ですらそうです。

そうやって考えるとまさに、今までやってきことが別にそう間違ってもいないと。積み重ねてきたものややってきものが一気に昇華してスパークする(笑)そうやって見えてくるのは超気持ちいいわけですね!

集中思考も紹介します

少し盛り上がってきてので、一旦クールダウンします(笑)

集中思考というのも考えました。別にこれは普通かなと思います。なのでさっくりと。

つまり、拡散は視点を拡げるとかに有効ですが、この集中思考はどちらかといういわゆるアイデア出し初学者の人が想定するものかなと。やりがちです。もちろん悪いとかってことでなく、アイデア発想というとき「何かテーマを考えてそれで絞り出す」みたいなのがあるんじゃないかなということです。

これは否定しているのでなく、集中思考が大事なこともありますから。掘り下げて深掘りする。壁打ちなどでもありえます。ただ、後で書くのですが僕は拡散思考を期待されているのだろうなーということが結構感じます。実際にアウトプットは拡散がメインじゃないかとすら。

拡散思考も集中思考も補完関係にあり

どっちがいいかとかになりがちですから、明記しておきます。

拡散思考は視点を拡げる、集中思考は掘り下げて詳細を得る。それだけです。なのでどちらも大事です。それだけです。

くどいですが、どちらが良いとか悪いとか、有利とかないですからね(笑)

なので、思考フェーズにおけるとき、拡散して拡げるとか、集中して考えるとかは切り替えがあるのが望ましい。または意識しても無意識でもあるからこそ、アイデアって生まれるんですね。その説明は直観的にはできないので、ここは感覚で掴むしかないと。実践ですね。

上にも書いていますが、何度も繰り返すことで、アイデアって出てくる。違うかな、うまくいくかな、こうかな。そういう地道なことでしかないんですよね。

集中思考だと当然周りは見えづらい

先程も書いたのですが、僕に相談がくるアイデア相談、壁打ちというのは、拡散を期待されているかなというのが多いです。実際に何かを掘り下げるというのは実はそこまで得意とかは思っていません。

じゃあ、起業のあるテーマで相談したら深まらないのか?ってことを思いますよね。僕も思います。ただ、ここでは、相談者がある領域やテーマで考えてしまって他の視点が消失している。そういう事が多いんですね。なので、他の視点を提供する。それで色々と見えてくることが多い。

それはつまり、視野を拡げることにほかなりません。そうすると、最初に考えたいテーマにも広がりが出てくる。コップで考えていたら出てこないけど、「鉄火巻」の話をしたら、「運ぶ」って確かに視点としてあるなと気づく。コップに触れて慣れていると「運んでいる」ことすら気づけないんですね。客観的に見られるといってもいい。

僕にとっては色々なネタがあるのでそれを提供することで、拡散させているといってもいい。相談者からすると、拡散された、または違う視点やヒントが得られたとなる。僕の評価も、そういう形で色々な視点で提案してもらったということが多いのですが、文字通り色々な視点で同じ視点や切り口ではないようにしているだけなんですね。

これが出来るのは、リサーチで色々なインプットをして、コミュニケーションとしてそれを精度高く伝えるようにする。そしてアイデアとしては、そこにある会話や問いかけを元にして思考して、アイデアが生まれる、またはヒントが生まれる。まさに会話的にコミュニケーションをすることで、先の連想や直観、問いかけや飛ばしをしているわけです。思い出すことも大事ですね。そういえばこういうのありましたとか、こういうことを言いたかったんですかね?など認知や認識のズレを修正したり。

これって手前味噌ですが、僕だからできるなあと。もちろん、リサーチも、コミュニケーションも、アイデア出しも、言葉やその整理、思考もそれぞれすごい人は一杯いると思うんですよ。でもですね。それらを掛け算する、つまり、リサーチ×コミュニケーション×アイデア×言葉みたいになっていくと、ほぼライバルはいないと。当然ですがそこで需要や評価がなければ詰むのですが(笑)そうはまだなっていないと(笑)

そうであればそこを更に磨いていくと僕の中ではとても良い形で思考やアイデアのおすそ分けができて、お客様も楽しく学べて、結果的に社会が良くなると。それも大げさでなく、そのまま社会が幸せになるんじゃないか、という感覚も見えてくるわけです。

となると、とても楽しいので俄然面白くなって、どんどんアイデア思考も磨いて説明していくわけですね。

おわりに

今回の説明はややマニアックですが、一般的にいってアイデア出しのやり方は解明されていると。でも、論理で説明出来るところは一定までで、それ以上となると、身体やフィジカルですね、実践して直観的なものを体得しないといけないのではないかと。守破離であれば、守的なところは論理でいけるけど、破くらいになると試した上で直観的なものを確かに得ているとか、そうだよなと感じるイメージです。

論理的に色々言えるけど、そこで説明者の僕が水面下でもやっとしていたので、これでかなりスッキリしました。当然直観なので説明できないはある種放置感もありますよね。ですが、全然説明せず放置するとかではなくて、ギリギリまで説明できるところまで粘ると。でも、やはり分解はできないかな、それこそそこはまとまりで、直観ワールドがあるのでそれはそれでいいんじゃないかと。

これをもってアイデア発想の精度が上がるとかはないんですが(笑)、思考フェーズで言えることはかなり直観的ということで、論理的にこうですよねといっても多分伝わらないなあと。出来る人は分かるけど、出来ない人は「そんなもんかな」くらいしか伝わらない。なので一緒にやるのも手です。それは違和感発想ワークショップでも感じています。あとは、短時間でなくて、まさにこれは僕がアイデアサポートとしてやっていることですが、一定期間一緒に考えることです。こうすることで、アイデア出しを学ぶとかもありつつ、アイデアも生まれつつ、どちらもお客さんも僕もハッピーになる感じがまさにあるんですね。

というわけで、アイデア発想における全体は論理的だけど、アイデア生成では直観的という話でした!

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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