アイデア→考える→行動の水面下モデル

ふと思ったのは、アイデアや考える、行動というところで、それらの要素が見える見えないで「印象」が変わっているのではないかということです。

具体的には、

  • アイデアと行動は見えるが、考えるは見えづらいか見えない
  • 人によっては、「考えるがなくてもいい」と思い込んでしまい、アイデアと行動を真似する。それ故、考えるがないため、他人の真似に終わってしまう。真似ぶとは、学ぶということだが、これは真似ぶ=学ぶ=考えるということであって、この行為は省けない
  • アイデアは考えるに影響を与え、考えることを通して行動やアウトプットに紐付けられる。
  • 見えないブラックボックスである考えるについて、手入れをしない、向き合わない限り、アイデアや行動についての良い進捗や成果は得られない

というところを考えていきます。

考えるってなんなのか

まず哲学みたいに考えている私がいてーみたいなこと、メタ認知をしろってことでなくて、そもそも頭が稼働しているかってことになります。何も考えずにやるのは、無意識で習得でてきることか、何も疑問がないままそのままやるなどですが、ここでいうアイデアにおける考えるは、何かアイデアを出そうとしていたり、または出したアイデアがどうかというところの、「アイデア」を対象とした行為を指します。

インプット→考える→アウトプットということがアイデア出しであると言ってるのですが、これは超伝わりづらいはずです。分かる人には分かるし、そういうやり方にはなるよね、論理的にも「分かり」そうです。

ですが、これを実際にやると結構しんどくて、少なくとも今出来ない人が、「はいはい」といって明日出来るとは到底思えないわけです。

それはなぜか?

そうです。考えるってかなり地味で正解があるわけでもなく、また疲れるし、まあ大変なんです。それくらい面白くワクワクするのですけど、そこが見えづらい。

先に書いたように「見えづらい」「水面下」にあるため、見えないと。そんなことを仮説として考えました。

見える・見やすいのは「インプット」「アウトプット

見やすいとは、誰かが何かやっている事例ですよね。成功例でもいい。それってインプットです。やっている人は「こういうことをしたよ」というアウトプットですから、基本一致するわけです。

よくありますよね。事例集みたいなものから、成功本みたいなものでもいいし、なんでもいい。色々あるからこそ、そういうインプット(アウトプット)を見て、どうかと考える。

もちろん、これは大事です。ただ、ここではインプットは大事ではあるが、あるけれども、大事でしかないともいえる。つまり、インプットだけでは世界は始まらない。考えてナンボだということです。

しかし、「見える」というか「ある」というか、そうやって見えるのは、観察してあるのはインプットだから、「あーこういうパターンで成功するのかな」というのが分かるようになる。けれど、それをやるとは別で、そこで止まる。

そう見えるものに反応してしまうからですね。

アウトプットは考えた上だから良いのですが、ここでは人のアウトプットばかり見ちゃう話です。自分のアウトプットが出来るならスルーでオッケーです。

見えないのは「考える」

そして考えるは見えないです。「あの人は考えているよね」というのは、そういう状態を指す事はできますが、実際に考えている人を真似するとはかなりやりづらい。というか出来ないですよね。

もっといえば、僕が考えてアイデアを出しているといって真似したいとしますよね。でも、あなたは「こうやって考えている」というのを真似できるかというと、まあしづらい。

近いのが発想法です。ただこれも手段や補助線でしかなく、あくまで具体的なアウトプット、考えるは自分でやるしかない。正解がないからなおさら分からない=そういう性質のものなんですけどね、混乱するんですよね、きっと。

そしてこれは「真似しづらい」からといって、見えるものを真似する。そうすると、考えることをどっかでしないか、ほぼやらずに終わる。

ここまでが既定路線です。

残るのは真似したインプットの残骸

残骸というのは酷ですが実際にはインプットして「こうかな」みたいなものが転がっている。実際に転がっているならまだましです。試行錯誤をしたからですね。実際にはそれをして出来ないと思ってしまう。

気持ちは分かるのですが、それは考えてないので、真似で終わっている。真似でもいいのですが、「考える」が入ってない。

見えないことを想像したり、自分でどうかを試してないということですね。そうやって良いアイデアなり自分で使えるものが出来るはずがない、生まれるはずがないんですよ。

それを暗に知っている人がいるのか、やり方が悪いなあといいつつも、本当はそれを知っているけれども認めないなんて、こじらせパターンもあります。多くはそういう強固なこじらせらがあるのでなかなか厳しいんですよね。

残骸を見てどう思うかですが、虚しさかワクワクか。きっと考える人は次はどうすればいいかで残骸を見てワクワクするんですよ。僕はそんな感じです。でも、考えてない人は、「やめよう」って思うんですね。それで辞めることが悪いわけではないが、その繰り返しだと突破しづらいというか、アウトプットまでの一連の流れが組めずに、経験できずに終わる感じがします。

「考える」を外してアイデアはない

アイデアってひらめきですが、思考と言い切ってもいい。勝手に出てくるのは「脳が勝手に動いている」から出てくるのであって、センスとかではない。センスも鍛えられるので、そういう先天的なスキルではないってことです。

よって、愚直にトレーニングして習慣化して考えること、というのが実はアイデア出しとなります。それが論理トレーニングみたいなことだけでなく、ずらす方にベクトルが行くのでトレーニングしようがないと思いがちですが、いくらでも期待とずらすなんてやろうと思えば出来るわけです。

例えば、お笑いなんてそうですよね。期待される応答をずらすことで、笑いというギャップを、つまり想定される脳やシーンではないからおもしろい。ということなんですよね。

だからこそ、インプットはまず考えるに紐付いて、そこで一旦揉む。立ち止まるというよりも、脳に入れて考えるモードでミキサーにかける感じです。そこから、さらに整形したり、取りだして見てどうかを味見するのがアウトプットであり行動であると言えそうです。

そうやって考えるを通さないと、何かふわふわした、どこかにありそうな、何か違うものという「アイデア」にしかならないかなと感じました。

ブラックボックスを手入れする

最後は、考えるというのは見えないので、どうやって手入れするかです。向き合うというとあれですが、分かりやすいのでいえば、紙に書き出すことでしょうか。

書き出してみて今自分はどう考えているか、感じているか。ある種のマインドフルネスみたいなものといえるし、ぼーっと瞑想するようなものでもあるかもしれません。考えたことを証明するには、または考えるには頭で回していても限界がある(記憶量も)ので、書いて考えましょう。

書いてこれはどうだ、あれはどうだと、問いかけたり、整理したり、仮説を立てたり、やれてなかったことを見つけたり、共通点を探したり、連想したり、他の出来事と関連付けたりってことが考えることです。そしてそれが手入れとなります。

そうやって手入れすれば、脳が解像度があがり、ブラックボックスでなくなるので、「あー考えるってそういうことか」となるので、手入れしたことになると。

そうすると、インプット→考える→アウトプットであるとか、アイデア→考える→行動みたいなこととか、そういうものがばばっとつながっていくかと思います。

この考えるところをかなりやる人において、アイデアがないよという人は稀なのではないかと思います。

おわりに

水面下と書いたのは、考えるが見えづらい、水面の下で見えないんですね、ほぼ水面の下って相当綺麗でないと見えないですからね。

だからこそ、分かりやすいものへの警鐘でもあります。分かりやすいから駄目ってことではないですが、分かりやすいってことはなにか省いたり、飛ばしたり、ブラックボックスとしていることも多い。途端にそれで躓くこともある。そういう視点で見ると、アイデア出しもブラックボックスとしては「考える」がそこになるのではないかっていう仮説でした。

多分そうなんじゃないかというところで、より考えるを詰めていくと、どこまで人はアイデアを出せる体質になるか。そのあたりをもっと考えていきたいですね。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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