何か学ぶとはめちゃくちゃ複雑なことをやっていることに気づけた

ジュンク堂がやっている本屋お泊りエア企画というのがあります。エアとは実際にそうしないでまあ例えばネット上でやるとかってことです。コロナ禍もあり、そうやってバーチャルでやる企画も増えた気がしますが、この企画かなり面白いなと。僕はまだ未参加ですが、まとめがあったので追ってたんですね。#丸善ジュンク堂に住んでみる2022夏エア開催 で読まれた本

そこでは参加者の読む本と表紙、あとおやつがあって、なかなか目にも美味しいのですが、全然知らない本もあって楽しいと。ふと、昔サービスアイデアとして出した創発する本棚ネタというのがあったのですが、それを思い出したんです。これなら創発できるなと。ただ数も必要で、全部読みたいとかはなくて、本当にいくつか気になるなっていうレベルではありますが、そういうものでしょう。

見つけたツイートはこちらです。ありがとうございます!

そんなこともあり、この本と出会って、早速読んでみて面白かったという話を書いてみます。

学ぶとは知識の単なる移動ではない

何かを学んで知識化するということは、ある情報を得て暗記したで得られるわけではないってことです。その知識化、定着化みたいなものって、めちゃくちゃ色々な作用というか、環境やリソースがあると。多層的で重層的に同時的で一部切り取ってできるって感じではないっぽいというところが、やはりビビッときました。

これは色々言えることがあって、つまり何かを学ぶのも、伝えるのも、色々なやり方があるのと、あとは伝えれば当然できるわけでもないし、「1+1=2」みたいに、その原理を得ておかないと、やはり使えないんですね。ここでいう使えるとは実用的というよりも、限られた世界といういわば閉鎖的な空間(物理的ということも含めて)でなく、外のオープンワールドで使えるかということです。

この閉鎖→外で使えるという感覚をおそらく学習の転移とかっていっていて、例えば、その計算を、「イベントをやった際に、左にいるグループと、右にいるグループの人数を足せばイベント参加者数になるよな」というわけで「足す」みたいなことです。これはシンプルですが、もっと色々できるわけで、足すというのも足し方で変わるし、ということで、これをどう工夫して落とし込めたり、定着させたり、違うことに転移させられるか。実際に本著だと、例題も含めて解けばその転移確率は上がるとは書いてるのですが、それでも限定的だというのもなるほどなと感じました。

ここで、明確なのは学校教育全てを否定しないですが、先生→生徒への伝達でまかり通る、それだけではやはり物足らないし、色々抜けるだろうなというところがありそうですよね。だから、高校も含めて、いわゆる「余談」がハマって面白かったり、そこでモチベーションになったりするというのも、一つの教え方なんだろうなと。僕は僕で予備校時代を思い返すので、そういうゆらぎが大事なんだと考えています。

基本的には形から入って型を身につける

守破離とかはそうですよねと。一方で、形から入るのは、形しか目に見えるものとか、やりやすいものがないからです。これは結果マネという言われ方をしますが、それ自体が悪いわけではないかなと。その上で、結果マネだけで終始やれば、単なるマネで、型にならないと。

著者の最新の研究とかはこれからっぽいですが、このあたりを、つまり結果マネするような近しいことみたいなのは、近接項という言葉で表現しています。逆に型とか、すぐ得られないようなものは実際に遠いので遠接項だったかなとして書かれています。これらの感覚というか関係性は、近接の近いものを得ると、遠いものは消失というか見えなくなる。逆もそうで、遠くを意識すると近くは見えない感じですかね。間違ってるかもしれないですが(笑)

その上で、結局型って何かっていうと、無意識下にないと使えないんですね。自転車なら、バランスを取りながら足を漕いで、前に何か障害物がないか、方向は正しいか、スピードは適切かとかとか。これを全部意識していたらだめですよね。無意識下すると。そうすると、頭で別事考えても運転はできると。でもですね、いきなりできないので、まずは適切なサイズで形をマネて、例えば自転車にまたがる、こいでみる、とかをやって転んで痛い(笑)のでそうなりたくない。こうなると、転ぶ。こうなれば転ばない。少しずつ「練習」していく感じですよね。

この時、結果マネとして、自転車の乗り方の、パーツをマネてもそれらは多分統合されなくて、漕いでいるだけを鍛えてもそれだけなんですよね。また漕ぐとハンドルでバランスを取る、正確には体のバランス感覚でしょうが、それを取るって言っても取れるものではない。取る練習をするしかないと。全体につまり学習者が馴染むのは時間はかかるとしても、それを体得するのは、各行動や動作を意識は最初はするのだけども、そのうち消えていって、無意識下する。それらが統合されてやっと、自転車に乗れる。型とはその無意識化されたものかなーと感じました。あくまで僕の意見です。

著書でも、師弟制度の話があり、どこまで弟子の中に師匠を棲み込ませるか。まさに一体になり、一緒に暮らす、呼吸を合わせるみたいな感じですよね、これってやはり意味があるんですよね。ただ、誤解して欲しくないのは全部教育を徒弟制度にしろとかってことではないので、そういうやり方もあるとすると、またその有意義さもあるので、色々あったほうがいいよなあというところです。

プログラミングスクールですぐ仕事になるスキルは多分身につかない

本書にあった例でもなんでもなく。僕が感じていることです。

プログラミングスクールで、とくに社会人向けとしてプログラミングを学べるサービスがあります。それらが全部ダメとかも思わないです。その上で、これらは形を提供する意義はあるよなというところです。

一方で、文字通り3ヶ月とか半年とかですよね、1年くらいだと相当お金がかかりそうですが、それで身につくかって話ですが、まあ身につかないかなと。シンプルに練習量=練習時間=プログラミングをする時間もプログラミンを考える時間が足りないってことです。多くは仕事をしながらとかでやるので、学習時間が足りてないって感じです。おそらくスクールではそれなりにこれくらいやればできるみたいなことを言ってますが、間違っても絶対できるとは言わなくて、ここでは「就職」できるとかですよね、言えないですから。それはいいとしても、就職して即戦力はまずないなというところです。そういう意味でこれは偽りだろうなというところです。

ではスクールを卒業すると何が身につくか。プログラミングという概念ややり方の基礎や形ですよね。ロジカルなこととか、デバッグ的な考え方、問題発見の仕方とか、当然そのプログラミングの文法とかルールとか、関数とか、プログラミング言語特有の概念も学ぶでしょう。それはいいのですが、それって全て形かなと。

ここで就職はギリギリありですが、フリーランスで仕事を得るは罠だと思うのでそれは盛りすぎかなというところです。1万歩譲ってできるケースは、その運営側で仕事を用意して提供する、インターンシップのような形で滑り込む形かなと。それ以外だと、まず求人企業は戦力として見ないのではないかと。そういう意味で第二新卒としてそれから育てるという企業があれば「やる気がある人だね」というアピールにはなるので、この領域でやるならありでしょう。というかそこかもしれないですね、それしかないという感じもしますが。

身につくのは形というわけです。そして仕事では型が一定程度求められると。形から入るのはいいし、それは当然ですが、型って上で書いたようにすぐ身につかないと。僕は独学で身につけたと思っていますがそれでも中学高校大学というところで、本を買ってきて打ち込んでみたいなの繰り返しで、10年くらいやっていて、そこから新卒でプログラマをやりました。10年かかるとは思わないのですが、型として身につけるのは数年は必要で、シンプルに時間があることと、その練習量でしょう。ただ、同じ本を何度も解くのはあるのかわからないのですが、簡単な例題を解いても、例えばJavascriptでおみくじを作り続けても、それ以上は上達しないかなと。それって学習の転移が起きないからです、正確には起きづらい。全く起きない訳ではない。だから他の例題を解くのもありですが、例題は閉鎖環境で特殊環境ということに気づいたら、あとは自分で作るとか、誰かのサポートをするみたいな意味で、その技術やプログラミングを使うこと、まさにその感覚が「型化」するといえるのですが、そこが必須となります。

よく見かける初学者の方の動きは、一冊やある学習サービスをやったので、その後どうすればいいか。あとはそれで身についたと思っているということです。残念ながらそれで身についたと思っているのは多くは錯覚で、暗記に近い。例えば愛知県は人口800万くらいはいるはずですが、それを覚えても余り意味がないんですよね。では名古屋市は200万くらいはいるので、名古屋市は25%もいるとなるとき、名古屋市って大きな都市かもしれないなということになっていく。というここでは比較で気づくことで「知識」化するイメージです。ここで「愛知県は800万人」というだけでは、「愛知県の人口は?」という問いにしか答えられない。しかもこれはひねった問題だと「愛知県の豊橋市はどれくらいいるか?」となると、既に答えが分からないんですね。答えが分からないことがダメではなく、例えばそこで、愛知県は自治体数が50位合った気がする。仮に違っていてもそうすると、800万から50だと、20万人くらいは平均的にいると。でも名古屋市で200万いるから、それはなくて、600万くらいになる。あと100万人の都市ってそもそも他に愛知県にないならば、平均だと600万人が50都市にバラバラにいることになる。となると、10万人とかいてもいいくらいかもしれない。少なくとも100万はいないと。そういえば自分が住んでいる都市は5万人くらいだったから、そういう都市が多くてあとは大都市かもしれない。そういう分布で考えると、大都市の周りの衛星都市みたいなのがあるのが近いのかもしれない。

みたいなのが正解ではないですが、まあまあいい線行くんだと思います。行かないこともありますよ(笑)

じゃあプログラミングではどういうことかというと、例えば、Javascriptで画像表示の仕方を覚えたとします。ここで覚えたというのがポイントで、覚えたから、「JavaScriptで画像表示の仕方を実装してください」なら、「こうすればできます」となります。ですが、これは閉鎖的であり例題的で、まず模範的なこのような依頼、指示、設定はないわけです。少しだけ変えた「Javascriptで画像をランダムに出してください」はできるかもしれないですが、「画像システムを作りたいのだけど、できる?」みたいなことになって、それって分からないですよね。それでできるわけはないので、「分からない」となる。この時、「画像システム」って何か、そして何を実現したいのか、自分のスキル=できると思っていることとの差異はなんだろうか、というところになって自分で問うて、学んでいくことになると。こういう刺激を受けて考えて動いていくことで、学習の転移が起こりやすくなると。決しておみくじ問題を解き続けるわけではないんですよね。

ですがこれは間違えているというよりも、誤解だと思うのですが、おみくじ問題を解けて作れるということ、ゼロから作れることをプログラミングができるとか、型があると思いこんでしまう。これはミスリードかなと思います。実際にゼロから作れるとは、言葉の定義もありますが、ここではおみくじ問題を作れるのではなく、顧客や要望に応じたプログラムを作れることなので、そのお題やテーマはそもそも何が飛んでくるか分からないわけです。当意即妙というか臨機応変というか、その瞬発性という反応速度だけではないですが、それが求められると。身につくとはそういう対応がある程度できる、全部ではないけどもってことになります。

これはとても時間がかかります。経験ということもですが、大事なのは、プログラミングだけをしていないこと、つまり他の学習があって色々と組み合わさって創発することかなと思います。ある別の概念、例えば掃除が好きでやっていてそれとプログラミングは共通していることがあるな、というのは発見です。そういうのを得ていくことで、強化するイメージです。それが頭の中にないとか、練習を続けられない=スクールが終われば終わったみたいな感覚ではきついわけです。事実として、働くとか仕事にするとはそれについてさらに高めていくか、学習し続けるからですね。そういう意味では好きとか嫌いとかってレベルでなく、まずやり続けられるし、その興味を一定以上の持続性がある、ということがポイントになります。

そのマインドセットの点でも、スクールを3ヶ月やって学んで就職して仕事にしてはやはり甘いんですね。儲かるのはスクールである点は変わらないのですが、多くはうまくいかないはずです。就職も色々と。これは全く就職できないケースもそうですが、うまく多少いかなくても粘るとか、違う道を探るとかという検討とか工夫をしないというのも含まれます。粘りって忍耐のように「耐える」だけでなく、そこで「これはどうかな」と試行錯誤するイメージが僕にはありますが、それもないときついと。なぜなら、スクールのように、先生がいてお題があって、正解があるとかはまずないからです。問題自体もどこにあるかも分からないので、問題を見つけ、正解はないので考え、自分で提案する=プログラミングをする、というのがリアルな仕事の感覚かなと。これはプログラミングとかプログラマではなくても、多くの仕事はそうだろうなといえるからです。

という意味で、やはりプログラミングスクールのジレンマというか、そのキャッチコピーは神話であるということを踏まえた上で、つまり無効化した上で、形から入る最適な手段かもなというところで、そこまでの期待値でならありでしょう。その先はスクールよりも、自分がどう使い倒せるか=手段化できるか、プログラミングもですが、手段化できるかって感じの課題となるかなと。

上手くなるには場数を踏むしかない

アイデア出しもやはり上達は確実にできるなというのは前のエントリで書きました。というように、学習の転移ですね、応用っぽいのができるのは、やはり失敗をしたり試行錯誤をしまくっていて、そこでめげずにやっていく。違う状況や視点を得て試してみる。違うことをやって経験値を増やす。そういうことがめちゃくちゃ大事になります。

少なくとも例題を解くだけ、閉鎖的な環境でやり続けるだけでは、やはりそこで上達はしづらいと。ここで純粋に自分がいるところが閉鎖的か、オープンかはわりと簡単でして、刺激があって面白いとか、あとは違う発見があるとか、自分が新しい上達や学びがあったかどうかだけかなと。僕はそう見ています。

これがないならやはりその環境は卒業したほうがいいでしょう。当然すぐ離れなくても卒業ベクトルがあるわけで。仮にいてもいいけど、とくに得られない閉鎖環境はわりと窮屈です。人によってはそういうまったりした、ここでは悪い意味でコンフォートゾーンですが居心地が良いかもしれません。ただそれは負荷もないし、何もないので、楽なだけで、それが目的なら批判しないのですが、それが目的でない=つまりそこで満足するで終わりではない、ならそこから出るべきという感じです。

学習の転移の確率を上げるということは、色々なことをやる、何度も試す、時間をある程度かける、そしてそれだけではフレームにハマるので外すために組み合わせる。ってわけですね。

ただ著者が鋭いのは、フレームを外せばいいわけではないと。仮に外すと創発眼鏡をかけるから、他のこと、例えばフレームにあったものが見えなくなると。確かにそうで、全部万能に見えるものなんてないってだけです。ただ、偏って今ある世界観が全てと思い込むのか、そうではないものもあるだろうなと考えて生きるはかなり違うものだろうと。

アイデア出しにおける切り口は意識と無意識である

最後は僕の話です。また書くかもしれませんが、アイデア出しってやはり具体と抽象の連続だと。そのあたりは色々書いたのですが、今回は、とくに近接というところで、具体ですよね、目に見えるものに引っ張られやすいってネタです。抽象は見えづらく遠いわけですが、型的であると。

切り口とは、視点とか見方、着眼点といってもいいですし、根っこに近い幹といってもいい。枝葉ではない、枝葉は具体とか近接ですね。色々あって見やすいところです。

この具体と抽象の運動、行き来ってことですが、これは現実世界では先に書いたとおりで、色々と学んで実践することにほかならないと。暗記でなく試すこと、試行錯誤してフィードバックを得ること。それですね。切り口というと、僕も「言語化」されるし、視点として確実にあるものだと思っていました。確かにその面もあるのですが、同時にこの切り口問題というか、ある種フレームですが、フレームとして提示しないと「フレームに認識」できないというのがあります。

著書では、T字問題みたいなものとか、遠隔連想問題みたいなものとか。前読んだ本だと、謎解きみたいなのがありましたね、部屋で電気が消えても本が読めるのはなぜかみたいなですね。

これってフレームがあるんですね。T字もそうで、平行とかって切る概念がまずはない。ただフレームに気づく人もいるわけで、ヒントとかもあればいけると。ここでこの気付き、つまり切り口に気づけるかが創発というかアイデアのポイントになるわけです。この時、切り口に気づけばほぼ問題は解ける、アイデアは見えるのですが、切り口があっても問題を解くために色々動かして正解(ここではそういうテストなので)にたどり着けるかもまた含まれると。

切り口があると安心してしまうとかもあるし、切り口自体を生み出せないとそもそも「アイデア」にはたどり着けないのではないか。例えば、無意識下と書いていますが、ある種学んで調べていってアイデア何かを考えると、多分無意識の編集が始まり「切り口化」された、または「切り口」らしきものが見えるんですね。でもこれって僕は色々自分でやってみたんですが、言語化ができないんです。一応前にやったんですが、考えるというところを類型しただけで、その一つの「なぜと考える」も、その人によって違うし、僕も毎回「なぜと考える」だけをしているわけではない。再現性はあるんだけど、必ずそれが現れてできるみたいな保証がない。そういう不安定性があるのも含めて切り口化というか、考えるというところだと思っていました。

それはそれとして、切り口を言語化できる、言語化された切り口ならアイデアを出せるは嘘ではないんだと思います。確かに「本」を読むというところでいえば、読むは目を動かして読むことですが、目が見えない人なら点字とか、音とかで得ることが「読む」ことですから。その視点が得られると、音読本というのが生まれると。ではその音読というのがアイデアか切り口化はおいておいて、本=読書=目で読む、というフレームしかない人は気づけないというわけです。だから、音で読むという切り口ですかね、を提示すれば他のアイデアが出るか?ですよね。

出るときもあれば出ないときもある。それくらい切り口化しても不安定です。なぜなら先に書いたように、認知的リソースというわけですが、見えるものとか得られるもの、あとは状況リソースとしてどういう場所で何をして、どういう人がいて、何を自分はその時やっていてというところで、1秒単位もっと細かい単位で世界は変化しているわけですね。もちろん恒常性があるので1秒毎に変化しているって感じはしないですけども。そこで、切り口を持ってきても、僕とあなたは違うから切り口を出してもあとは、切り口とあなた、切り口と僕みたいな一対一の関係性になって、そこからはわりと「あなた」の努力みたいになると。

これってなんだろうってことです。ここで言えるのは、切り口自体は言語化した、意識化した、明確に「音で読む」というのは言えたし、あなたにも伝わると思います、そういうことだろうと。ただ、これはものすごくロジカルで、それが常にあるわけでもないし、それが使えるわけでもない。もっとふわっとしているという感じです。

そういう意味で無意識的には創発的で、感覚的というか、意識的ではない。「あ、美味しい」「楽しい」くらいの一瞬の感情、神経細胞への伝達(笑)みたいな感じで、説明ができないと。そういう部分が切り口という「言語化」したものでなく、出てくるアイデアがということです。

少しまとめると、例えば、

言語化された切り口:「音で読む」(意識的に操作可能)
言語化されない切り口:「音で読む」から連想されるアイデア(無意識で操作不能)

というところです。例えば音で読むというところを提示されたら、そこから何が出せるかはその人次第、つまりみんな違うというわけです。あなたは何を思い浮かべるか?僕は何を思い浮かべるか?

例えば音で読むとなると、先の点字もですが、音読サービスを思い浮かべました。アイデアというところで、どう着地させるかもよりますが、音で読むということであれば、目で読むはフレーム的であったので、他の知覚で読めないか?つまり匂いで読むってできないか?なんてのも無理ではないですよね。そして僕はまさに今「創発」したのですが、それこそ「良い匂い」は記憶を思い出させるわけで、この匂いとシチュエーションがリンクするので、その匂いから物語を構成できないか。海の匂いに良い思い出があれば、その匂いから海と、そのポジティブな物語を想起できます。読むとは想起や想像の連続ですから、海の匂いから始まる物語みたいなのができるかもしれないと。当然、文字とか音読みたいな言語ではないので、表現が難しいですけど、一つ方向性としてありかもしれないなと。五感とすると、あとは味覚ですよね。味覚で読むってどういうことだろうかとかも考えられますよね。あとは身体も頭と腕とかでなく、足とか違う部位を使えないかと。例えばエアロバイクを漕ぐと自分が進む感覚があるわけですが、そこに物語と連動して「まさに足で読む」みたいなことができないか。

これってどこから取ってきたアイデアではないです。今書いている段階で僕が創発したものです。アイデアとして優れているかは評価する人次第ですが、少なくとも「目で見る」というフレームの人からすると、到達できないアイデアではないかと思います。

これを証左とするならば、やはり切り口として提示した「音で読む」だけでは、刺激としては弱いというか、そこでアイデアが生まれるかというところではきついのだろうと。実際に、何度も書いている通りで、その音で読むというのが、頭の中も含めて編集されると。どういうことかを様々な経験、感覚、状況で理解が変わるからです。そういうところで、何か出てくるというのをわりと創発とかアイデアが出るというのですが、何か出てくるためには、インプットや考えたことが塊としてないといけない。つまり事前準備があると。正確にはこれは教養っぽいのですが、何かに役立つから調べようというある種の妥協学習(笑)みたいなこととか、打算的学習ですよね、そういうのではないんですね。音読サービスも使ったことがあるのですが、これは自分で使えるかもしれない(これは後で使えるのでなく、面白そうってくらいでやってみただけです)って感じでやった経験が思い出されたというわけです。そういう経験がないと、リンクしないと。五感とか他の部位とかもこれも連想ゲームに近い。それに気づく人もいるわけですが、フレームを変えることはできても、そこからさらにアイデアとして違うものとすると違う感覚がするというところが明確になった感じがします。

だからこれを持って、切り口提示が意味がないとは思えないんです。ただ、切り口提示だけでアイデアが出るとはいえなくて、切り口は補助線的でしかない。ヒントですよね。本著にあるような、課題を解くヒント提示みたいなものだと。だから正解ではない、ガイドでしかない。僕も切り口は正解ではないと思うし、正解はそもそもないので、考える材料というか型ですよね、そういうものだと。型ってそれで終わるのでなく、やはりメタ化すればツールです。そしてそれをどう使うかとなるので、切り口もツールであり手段なので、それをどう使うかってことになります。

言語化されない切り口としての領域は操作不能といったのは、例えばあなたが考えた他のアイデアや気づいたことを僕がコントロールはできないと。もう一つは僕もこの操作をコントロールしていないということで、両者は無意識的であるというわけです。他者操作ができないのと、自分の思考操作でもないと。ただ操作はできないけど、切り口とか刺激を与えると出てくるよなというのが、とても創発っぽいというか、ブラックボックスで面白いんだなと。

ここまで考えると、僕の切り口という感覚が大分見えてきたんですね。つまり、切り口があれば誰でもアイデアが出せるかなとも思っていたし、一方で出ない人は出ないだろうと。当然その切り口を受ける側において求められることがあるのですが、投げっぱなしもおかしいなと。もっと相互作用的つまり、その場では遅いのですが、もちろんその場で試行錯誤するのもいいのですけど、様々な知見や経験を得ていく、それは先でいう「形」だけではなくて、型を得る感覚だったり、少なくとも型までいかなくても、問いかけや工夫をして、認知リソースというかリソースとして材料、原料ですよねが豊富にあるか、得ている状態を作らないといけないと。そういう意味で原料量というか、そういうもので決まるなら、日々の生き方、暮らしで、そういう問いかけをしているか、またはし続けているか、そしてそれらが「形」でなく自分で考えて生み出しているのか、とかが問われると。

それをしていないのに、形として切り口を得てもやはりアイデアは出ないんです。それが遅いという理由です。ただ始めるのはいつでもできるし、上達することは明確といえるので、始めるのが遅いということは絶対にないです。これは絶対にない(笑)むしろ、事前準備ですよね、つまり、必要とするものも含めてしないものも、色々得ていく。興味でいいのでやっていく。そういう感覚というか身体性ですよね、を使ってやっていくとまあ柔軟でかつクリエイティブなリソースがどんどん膨らんでいく。メモするのもいいし、好きなことを研究するのもいい。それって何かに使えるとかではないですよね?というか、使えるものを記憶するとかってなかなか狙い通りに行かない、かりに狙っても使えるかなんて分からないですからね。少なくとも使えるとは、短期的に考えた形的なアイデアくらいでとどまると。そういうくらいで期待値は下げておけば、うまくいけば儲けものですから、って感覚がいいのではないかなと。

そうやってクリエイティブなリソースが増えていく、ここではそれが記憶とか状況リソースみたいに蓄積されていって、切り口でなくても、事象、観察など当然アイデアを出すという局面でも、刺激されて、「ばばばばばっと」アイデアが出てくる。これが創発ですし、切り口が意識化されてないというところの産物だなと。だから、切り口が悪いわけではない、ヒントではあるし使える。ですが、ヒントを得てその先はアイデアを出そうとする人、その人の全ての経験が問われる。それだけなんだろうなと。

だから、アイデア出しって、逆にいえば切り口ヒントがあり、その人が何か生み出したいと考えて動いていればやはり学習して定着するものがあるので、何か出ると思うんです。その何かがうまくいくかはここでは別問題ですけど、出るところまではいくと。ここまでは発散モードですよね、そして検討は収束モードとして、これは創発後の世界なので、別の脳を使ってこれも練習していけばいいと。企画って両方いるんですが、どちらもいるので、どっちかしかないと総合的な意味で企画ができるわけではないので、本当に企画って総合力だなと感じたわけです。

長くなりましたが、この知見はかなり面白いというか良い気づきなので、アイデア出しで詰まるなあという人はこのあたり、とくにヒントについて取り扱い方を変えるとか、結局ヒントはヒントでしかないので、僕の主張は変わらないのですが、そこから自分が考えるところにどう踏み込んでいくか。そこが問われる気がしました。

おわりに

他の本も面白いと思ったので、紹介されていたものは少し読んでみたいなと思いました。冒頭に書いた通りで、ジュンク堂の企画を漁っていたら見つけた思わぬ発見でしたが、とても良い体験でした。そういう意味で、エア企画は今度参加してみるつもりなので、またそのあたりは秋頃にでも(笑)

学習、学ぶこと、学び方、創発、教育もですが、幅広く学ぶことについて色々と考える人は何かしらヒントになるかなと。僕のようなアイデアを出すとか、企画する人にもヒントになる気がしました。とくに伝達ですよね、教育として何かやり方を伝えるというところで、研究的知見が詰まっていて楽しかったです。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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