絵が描けないから描かないと一生描けない。描いてから考えていくという手順でいくと良さそう。

頭に浮かんだことをどう文字などで表現できるか。つまり書くということですが、これについて少し考えてみました。

基本的に頭に浮かんだこと→書き出すの繰り返しでしかない

頭に浮かんだことを書き出してみる。この繰り返しが学習だ

文章が得意、つまり書くのが得意な人はこれを無意識でやっていたりします。無意識化されるとコストが低く感じるというか、さらに楽しいならより得という感じですかね。だからコスト感がむしろプラスなわけです。得意でない人がこれをやって真似すると、とてもしんどいですよね。

これは何でもそうかなと。僕ならイラストを描くことはまだまだ無意識化には遠いのでコストです。コストなので、時間が掛かる、何か違うなと思う。全く同一の構造かなと思います。

なのですが、とはいえ魔法の学習方法=一回で全てマスターできるということはなくて、単に脳の構造上の問題じゃないかと。だから、上のように、繰り返すことしかないんじゃないかと。効率的にやるとかはあれど、それって微差でしかないという認識です。

言語化というところでは、頭に浮かんだことは何かですが、それはこういうことというのをXとします。そのXを書き出すしかないわけです。あなたが思い浮かんだのは「X」なのだけど、出てきた書き出したものは「X」ではない。または言語でXを示したら(まさに表現といえますが)全然違ったと。

とはいえ、一度書かないと見えないので、頭でイメージしているだけではまあ難しいですよね。そこで、書いたものを今度は、Xとの違いがどこにあるか?という感じで差分を見ると。

これを繰り返していくことが学習ではないかという話です。

表現力があるとかないとかって?

ここで例えば言葉において、表現力があるなしというのがあるかなと思います。例えば、僕が「紅葉ってきれいですね」という時、「紅葉がきれい」という言葉、伝え方では過不足があると。足りないのか、満ちているのか。まあここでは不足としましょう。

そうすると、おそらく以下のような形になるかなと。

伝えたいこと:紅葉がとてもきれいであった。感動したこと
言語化したこと:紅葉ってきれいですね、という言葉
伝わったこと:紅葉はきれいであるという認識

みたいなことです。ここで、言語化したもの=伝わったことは、かなり乱暴ですが仮にそうしても、足りないわけですね。

あなたは「紅葉がとてもきれいで感動したこと」を伝えたいのに、「紅葉がきれい」というのは、別に誰でも知っている、または広く知られていることですから。あと紅葉自体に、興味がない人もいるでしょうし、そういう人とはなかなか共感が得にくいわけですけどね。

こういう時に、学習としては、「紅葉ってきれいですね」と言い続けても仕方がないので、「きれいなんです」と連呼するのも表現ですよね。写真で伝えるのも「表現」なのかなと。絵で描いてもいいですし。言語的表現に頼ると「赤色、黄色では表現できないような色の数々」などもありでしょう。これらは言葉で表現することができるかどうかってことですよね。

表現力、ここでは言葉で表現する力は、シンプルに語彙ということもありえるのですが、ひらめきとかアイデアとかいう意味では、体験や経験、そしてその言語化のレッスン量のような気がしています。だから体験してないことはやはり言語化しづらい。仮に誰かの体験を自分のように話してもその人の身体が動かないならちょっと厳しいわけです。

僕自身は紅葉を見た経験があるし、きれいだなと本当に思ったことはあるのでそれなりに言えると。でもそれがなければできないってのがまず1つ。

もう1つは、その経験を言語的に表現してみないと、その言語表現力みたいなものは一生身につかないと。

先の話でいえば、頭に浮かんだことをまさに書き出してみるとか、「違う言葉」で伝えてみるとか、そういうことですよね。他の人の言い回しを真似てもいいですし。そこはやり方ですよね。例えば「自然のグラデーション」といってもいいし、「自分が想像していたものを遥かに超えて、自分は紅葉を知っていたと思ったのだけど」というのもあるでしょう。これはもうキリはないし、正解もないと。

これらの言葉が出てくるのは、表現力があるからというよりも、その前に体験→言語化を繰り返しているからです。体験→言語化を何もしてないのにこれらは身につかないと。

このあたりの誤解は普通に、無意識化またはたまにいっている近いOSですよね、簡単に自分は思わずやってしまうことがあって学習できてしまった人が言うと色々と齟齬が出てくるってだけですね。本来は、何か描いた、書いた、違った、また描いた、書いた・・・という繰り返しです。それをふっ飛ばしてなんとかスキルっていっちゃうと見えなくなるんですね。

もっと泥臭く量稽古だーみたいなほうが分かりやすいですかね。それを絶対こなさないとだめとは言わないですが、他のやり方があるのかな?ないならそうなるかなって感じです。脅迫でもなくて、そこで、自分がやりたいかどうかなので、シンプルに選択しなかった、興味を覚えなかったというだけなんですよね。環境もあるのでそれだけでもないですが。

つまり主体として、自分が絵を描かなかったし、描くこともなかったから、今の僕の絵やイラストはその程度であるというだけです。逆にそれなりにやった人はそれなりに描けると。言葉でもそうです。僕は言葉に興味があって知らない言葉は調べるし使ってみるし、何か言えないかと粘ったりします。また普通に色々書いています。そういうときに、書いているけど描いてない。というところで、相対的にも言語優位になっていくんですよね。

それを是とせず、もっと違うやり方がないのだろうかというところで、描いていると。まさに僕でいえば、描いて、違うけどとりあえずやって、表現ができたかどうか。そうやって少しずつやっているわけですね。

工夫やアイデアは制限において発揮される

表現力について1つ気になるのは、何かがない、という時まさにそれを代替できないかがアイデアの面白さです。

言語化において、語彙力がない、語彙が足りないというのはありえるのですが、では語彙があればその人は言語化できるかというと多分出来ないかなと。例えば将棋で様々な盤面、局面ですね、勝負どころにおいて有利とされる状態、定石といってもいいですがそういうのを全部覚えたとします。覚えても・・・そう勝てないですよね。なぜなら使えないからです。

使えないとは、覚えた知識→現実の勝負で思い出せない、ということでもあるし、知識→自分が使いたいところで使えない、というわけです。完全に同じパターンでも気付かないというのもありえそうです。

これは何でも一緒ですよね。自転車の乗り方を3ステップで完璧に覚えても、乗れるとは別ですよね。というわけで、書き方とかマニュアルとかは、実はそういうものであって、それを覚えることってあまり意味がないんですね。実際に覚えることでスピードが上がるとかはあるので、学習の意味がないというと乱暴ですけど、ここで知識がないから出来ないって、これも重要な話とはなりづらいと。

なぜなら今は知識や情報はいくらでもあるからです。そこへアクセスできるかとかはおいておいて、そういう知識があっても使えない方が課題というか。結びついてないといえばいいですかね。

では、自分が感じたことがあって、例えば言葉が出てこないとします。その時まさに「あー語彙がないな」というのは一体何かということです。僕でいえば「あーこういうシーンやビジュアルを描きたいが分からんな」というのと似ています。でもこの時調べてもいいし、何をやってもいいのですが、そこで「分からない、できないな、でてこないな」というものを、毎回調べてやっていては大変ですよね。

だからその知らない分からない前提で代替できないか?というのも僕は表現のうちじゃないかって思ったんです。つまり、僕は人の顔を上手く描けるとかはないので棒人間の頭で代用しています(笑)これがどうかはおいておいて、他の、今ある、自分ができそうな、ことで補えないか。そこがポイントです。

さらにいえば、自分が今できることのみであればそこから何か学習にはなりづらそうですが、強化というところで同じのを繰り返すと自信になるかなと。あと、そういうやり方を覚えておけば次も使えると。頭掛けないなら、「丸」を書いておけばいいというか。言葉が出てこないなら「何か」といっておけばいいというか。数学なら変数とか未知な設定を、認識しておく箱みたいなものですかね。

その時、語彙というものがないという認識は、Xという語彙、言葉があればできるのだ。または複数のXという言語、キーワードですかね、があればできると思っていることになります。実際に言葉を知っていれば当てはめることはできるのですよね。ただそういう一問一答的なことってなくて、大体ドンピシャな言葉が常にあるわけではないと。

これはデザインでもそうでしょう。自分が表現したいロゴ、ビジュアル、Webサイトが常にあるかというとないので創るわけです。まさにそれがクリエイティブだと。小説もそうですよね。物語展開は似ていても違う印象や世界観になるのはまさにないから、つくったからですよね。作りたい世界観があったからそうやってみたと。

なので、今手元にあるものでなんとかやってみて、それでどうかを繰り返すことが大事なのではないかと。

あと、純粋に何かがないから出来ない時、その何か、ここでは語彙を増やすとかをやり方が間違っていることも多いですよね。具体的には辞書を引くは良さそうですが、その言葉を使わないとまあ身につかないかなと。例えば「おざなり」という言葉は使い方が難しい気がしていて(笑)それでこの言葉を使わないと、辞書で引いただけではそこまで定着しないんですね。英単語でもいいですし。そういう時、使うことを意識すると。覚えた言葉を「おざなりだな」と言ってみるとか。そういうことまでセットでいくと抜群に上達する気がします。

絵の場合は描くことで差分なり、表現としてこれは描きたいのでやってみるとか。そのやり方も表現として伝えるのか、自分の癒やしとかリラックスなのか、それとも単にお絵かきが楽しいからやるのか、色々な狙いがあるので一概には言えないんですけどね。ただ、知らないから描けないといって描かないのはやっぱ違うじゃないかってなりませんか?なのでそこ「やらない」選択肢は一旦保留して、その「全然駄目だと思うけども」という自分を受け入れて描いてみる。それだけなんじゃないかと。

といって別に卑屈になる必要もなく、まあそうだよなあと冷静に見ることも大事なので、その冷静な自分がいて、できる出来ない自分がいる。そういうところを観察していって、少しずつ上達を目指すと。

アイデア自体もそうですが、アイデアも思いついたら出したり書いたり何か試したりしないと消えていくわけですよね。だから消えていったアイデアは価値がないというのは僕は好きではないんですが、一方で少しでもやりたいならやってみると。そうやってアイデアと実行の精度を上げることがまさに、企画力を上げることになると。

語彙力なら言葉を知らなくてもその場合になんとか書いてみる、イラスト力ならイメージがなくて描けなくて知らなくても何か代替で描いてみる、企画力なら出来るか分からなくても自分の体験からアイデアを出して実行してみる。

そうやってはじめて比較できる、何かしらのアウトプットが生まれると。そのアウトプットを理想や想定しているものと比較できるわけですね。そこで差分を見れば分かるわけで。そこで満足ならもう出来ているわけですよ(笑)満足できてないからやると。キリはないですからあとは自分がどこを目指すかどのレベルでやりたいか。

そのレベル感もやっていけばまあ分かるはずです。当然上には上が下には下がいるので、僕は比較するって全然興味がないですが、自分がやりたいところにうまく手段とか道具として使えるかどうかが鍵じゃないかなと考えています。

おわりに

アイデアや表現ができる人は、おそらくですが、自分の資源、武器、手段、道具を磨いていると思っていて。それを磨けば他が拙くてもカバーできるわけです。僕なら絵がしょぼくても言語でカバーできるとか。それが良いわけでもないんですが、それによって、言語に引っ張れて絵も上がるかもしれないという。ある種保険があると。

じゃあ最初何もない人はどうしたらいいのかというと、何もないという人は文字通りさすがにいなくて、病気でとか色々な特殊例はありえるのですが、やはりこれかなというのを決めてやってみると。決められないなら全部やると。あとは好きかどうかというポジが苦手なら、飽きないとか、苦手ではないということでもいいかなと。

そうやって1つやれると、そこをベースにして検証したり、その表現や手段と較べてってできるじゃないですか。それが面白いですよね。

ライター

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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