イシューからはじめたい。

ベストセラー本である「イシューからはじめよ」に敬意を評したパロディータイトルです。今、読んでるんですけど面白いですね。これ読んで、イシューから始めたいとか言ってたらダメなんですけど、まあなんとか取り込んで消化してみますので、またレビューというか、アウトプットをお待ち下さい。

というシゴトクリエイター大橋です。

この記事の分類先のため新カテゴリ作りました(笑)なんとも危うい「思考・考え方・メモ」というMECEっぽくないネーミングでいってみます。

手書きメモを無性にしまくっている

最近、友人が昔やってたような気がする「手書きメモって思考まとまって超楽しいっすよ!」みたいなことを意識的にやっている。スマートフォンに打ってもいいんですが、手書きで書いた思考感には勝てない。実際に思考しているから、「感」ではないんですが、感もあるというか。

要するに、手書きで思ったことをメモするということを今一度かみしめていて、それって楽しいなあって気づきです。多分イラストとか図的なものもそのままのインターフェースで書けるのがグッドなんでしょう。キャンパスも広いし、紙とペンと言葉ってツールの偉大さを感じています(笑)

多くの人は思考や分析が苦手かもしれない

言語表現などもそうですが、論理的な話し方とかもそうです。あと、自分は正しいと思い込む人はいても、自分は間違っているかもしれませんね、という人が少ない。またはそういう印象が多いんですが、どうでしょうか。

そういうところを踏まえて、もしかして自分が普通だと感じるほどには思考とか分析って嫌だなあ!って思ってる人が多い気がしてきました。

その理由は分かりませんが、なんとなく疲れるし、答えがないし、メリットないんじゃね?(笑)みたいな洞察があるからでしょうが、でも突き詰めればそれはある種のアイデアのネタになりますし、それを抽象化したりツール化すればビジネスになります。と、僕は思うんですがそう考えない人も多数いるんだろうと。お互い様かはわかりませんが、そういうニーズがあれば全然お役立ちできそうですな、というのが今の気分です。

イシューはどこにいった?

これも某懐かしいベストセラー本のパロディということで、イシューではなくある食べ物でしたね(笑)

自分自身というか、色々なプロジェクトや事業ですね、のそのイシューってなんだろうというのが半分くらい読んだざっくりとした気づきです。問いっぽいものはイシューか。または本質的かどうか。問いを変えたら見極め方も変わるのではないか。そんなことを思っています。

これは実は営業マンプロジェクトにも活かせそうです。なんとなくですが、小さいタスクをやっていけば大きくなる。これって解の質を高める行為に似ています。違う言い方をすれば、小さいタスクはいくら経っても小さいタスク。コンフォートゾーンでやっていたら多分そのままコンフォートゾーンで終わり。意識とか決意とかでなく、環境をかえる、引っ越しする、付き合う人を変える(笑)ほうがGood。

後半のほうがイシュー、つまり本質っぽい話になるかなと。

例えば、「パソコンの操作で分からないことがあるんですけど。例えばここのサイトからデータをダウンロードしたいんですけど、これできないですよね?」は多分本質的ではないと、ある程度コンピュータが分かる人なら思うだろう。そうイシュー度は低い。

どちらかといえば、「質問者が状況とやりたいことの整理が出来てない」のだ。だから、回答としては「イシューを整理して、何が問題だと感じているか言い換える」ことが最適なことになりやすい。

例えば「なるほど。ダウンロードは確かに出来ないんですけど、このファイルをダウンロードしたら何をしたいんですか?」というと、実はExcelの表に、画像(実はこれが表データで別のところから取れた)を入れたかった。よって、表データをコピーして貼り付けることが解決出来た。

みたいな話はゴロゴロ転がっている。

人は自分の状況を認識し、表現することがうまいかどうかといえば、実は訓練をしないとうまくなれないと思う。実際に、企画でもそうだ、新規事業もそうだ。自分が考えたアイデアがあるんだけど、できるかどうか。そんなものやってみないと分からない(笑)のだけど、ある程度生きてきたなら、経験値から判断できることは論理的には整理できる。明らかに居酒屋を未成年向けにやりたいはエラーだし、人がいるかどうか分からないところに自動販売機を置いてもビジネスになりえない。そういう極端なことを言われてもという人もいるが、実は極端な事例をあげないと「気づきづらい」ということもある。

だから結論がトライアンドエラーですよね、ということではない。正しく認識できていないかもしれないという前提で、つまりすごくがんばってこれで間違いないがないだろうでも、間違えている。それくらい曖昧なアンテナであり、ものさししかないということを踏まえる。これも謙虚になれってことではなく、認識が曖昧であることを踏まえるだけだ。精神的にいえば、曖昧さを受け入れる感じのほうが正しいかなと思う。

それは結局「ある程度一言で説明できないと伝わらないですよね」というのは真実だと言えそうだ。しかし、いきなり最初から「説明できる」人もまたいない。しかし、解の質を高めれば、個々の事例を鮮度を高めていけば良くなるわけではない。これは値段が高いものが良いものとはいえないけれど、良いものの可能性は高いという相場観に似ている。傾向であるが絶対ではないということだ。

だからブラッシュアップをしたプランが全然ダメになるのも説明ができる。イシューを見誤ってはならないが、見誤る弱い存在であるというところで一先ず逃げておこう。確かにこの考えでいけば、無駄な解を深める作業は相当減らせる。それイシューと関係ない、ずれてますよねで仕事をしている人は泣きたくなるだろう。大丈夫、そういう仕事をしなくてもイシューに近い仕事をすればより本質に迫れるはずだから(笑)

最後に

オチはないんですが、イシューからはじめよ、が面白いので整理がてら書いてみました。知的生産とか興味ない人はダメかもしれませんが、仕事を見なおしたりするとか、そういうところでグイグイ参考になっております。気になる方は調べてみましょう!