企画が失敗でもそこから学べば何度もチャンスがある

先回書いてた記事でアウトプットしたと思っていたら抽象的すぎて微妙だったのでもうちょっと具体的に書いてみます(笑)

とはいえメモレベルのものは使いづらいのと、結局日常の観察、使用感、その感覚、体験、言語化、気付きの学習、他で使えないかみたいなことを繰り返している「だけ」です。

今回はとあるサービスを注目していて気づけばクローズしていたという話です。そこから何を学べるか考えてみます。

大体の企画はうまくいかない

こういうと怒られることはなくて、多分やってる人ほど「うなづいて」もらえることではないかなと思います。失敗しない人、完璧な人というのはまずやってないはずですから、良いリトマス試験紙になりますよね(笑)

あるWebサービスといえるか、Webメディア系のものですが、インタラクションというかユーザーが投稿できたりするものだと思うので、まあそんな感じのWebメディアが誕生しました。

なんで注目したかは、シンプルでそのサービスの売りはアイデアだったので注目していました。アイデアを売買するとは言わないですが、アイデアをどう加工するか、何にするか、アウトプットからのターゲットは誰で、どういうビジネスや仕組みがあるか、何を企画者は考えたか。これらはざっと考えています。

印象からすれば、企画としてはシンプルでとはいえ検証したいことはとくにまずサービスが認知される前に、ある程度のコンテンツを作ることが課題だったようです。

このサービスは課題を乗り越えられず一旦クローズと見ています。裏を取ったわけではないですから想像ですがこんなサービスはゴマンとあります。だから日常風景といえばそれまでですが、これを日常風景と捉えないから良いとか、捉えているから良いとかでなく、そういう状態の上でどう動くかという思考が大事だということですね。

まさに大体のこと、企画も含めてうまくいきません。自分のレベルが低ければ稚拙ですし、恥ずかしさもあります。とはいえ最初は誰でも初心者なのでやるしかないということなんですね。恥は一瞬で終わるというか、恥ずかしさって僕は大事だと思ったりしますけどね。あとでその恥ずかしさこそが、じわじわきてもう戻れない感を出すみたいな・・・(笑)

企画を安定させるのは結構難しい

Webサービスを安定軌道に載せるのは、ブログも一つのサービスと考えてもいいのですが、結構難しいです。激むずではないけれど、結構難しい。くどいですが、結構です。といって僕が成功したWebサービス事業家、起業家でもないので適当に聞いてもらえる感じが良いかと(笑)

そもそも新しい概念なり世の中にあるかないか分からない、またはあっても良くわからない人やものを使ったりということで色々不安です。穴があります。リスクがあります(笑)

そういう暴れ馬みたいなものに飛び乗って安定させるという感じが近い。実際は凪の湖に電動ボートを繰り広げて騒いでいる人に見られるかもしれないし、一人で子どもプールで遊んでいるのかもしれないのですが、このあたりは分かりません(笑)ただなんかやばそうなことをしていたり、なんか変わってる感で見られるはずです。

逆にそう見られないならば、それは社会的普通に収まっているのであって、何も変化はないかもしれません。とはいえ見られ方でコントロールするのはちょっと違っていて、まずは自分がどう思うか、どう感じたかをばーんと表現する、作ってみる、見せてみるほうが筋が良い気がします。

それを繰り返すとぶれないものになりますし、または社会に媚びるのはやだ!とロックンロールにやってもいいわけですし(笑)考え方はそれぞれです。

だからこそ、何かやること、企画するって本来、前提として難しいものだなと思っています。難しいとは、絶対ムリではなく、結構難しいという感じです。くどいですが(笑)

試す→結果が出る→振り返る→次も試す

今読んでる本でたまたまこんな感じの話が出てきました。面白かったのは具体的経験や実践がないと抽象論で終わって使えない。また抽象的や客観的に内省がなければ、経験主義に陥るみたいなことが書かれていました。

これはその通りだなと思っていて、僕が書いているのは、試すが具体的で、結果が出るのも具体的。その後振り返りは具体的事例について考えるというよりも、もうちょっとクールダウンして頭を冷やして「これって本質じゃなくね?」みたいなツッコミを入れられることという感じです。そのレベルは振り返りする人に依存するとは思います。

次も試すという時は同じことを同じレベルというよりも、同じことでも上のレベルで、または同じレベルでもより精度を高められないかという意識でやる感じです。

成長バカみたいに思えるかもしれませんが、これくらいでないと質は上がらないし、最低限という感じです。このループを回していくと、多分Webサービスであれ企画であれなんであれ、毎回やる度にレベルアップするので気づけば(意識的にやっているので言葉的にはおかしいのですが)レベルアップしつつ、大分進んでいたということが起こるはずです。逆にこれが出来てない同じことを文字通り繰り返していると同じことで失敗します。

とはいえ一度の失敗ですべてをマスターしてまた同じ失敗をしないかというと・・・まあそこまで人間って賢くないような気がしていて、僕だけかもしれませんが(笑)そんな感じで2,3度は繰り返すSlack(余裕)を持つのがいいのではないか、これもまさに許容出来る損失を明確にしておくって感じかもしれませんね。

そういうわけで、死んだサービスはまた違う形で何か形を変えて出てきてほしいです。一回死んでも全然です。何度失敗してもやり続ける人がいると聞けば、話を聞きたいというか、なんでやれるのかと興味が出てきますし、当然アウトプットはレベルアップしているわけで、そういう人の成長をみたり、サービスが成長するのは観察していて超楽しいですね。こっちの刺激にもなるからですね。

人の失敗から学べば最強かも

失敗した人のほうが当然学び実践は高いですが、振り返りや抽象概念は低めかもしれません。一方観察者は抽象度は高いけれど実践値が低くなります。

とはいえこれは一地点の話です。実践者が他の人のやり方を見て振り返って自分のもののように考えればきっとより学べるので成長が早いのかなと。

そういう意味で教育とは、他の人のやり方をうまく入れることかもしれませんね。

僕がこの失敗したであろうサービスから学んだことは、

  • 綿密な企画はあってもいいが実はある程度ざっくりやりたいことをA4一枚くらいでまとめたものが荒れば良い。それを見た企画した自分が想像できたり、現在地とのズレや未来とのズレを認知できれば良い。仮にそれすら出来ないものは資料が多数あっても無駄といえる。
  • 試行錯誤は大事だが、仮説として、AするとBになるという具体的なものがあるほうが良い。もちろん、「いい感じになっていく」など言語化出来ないこともよくあるので、その場合は、「Aした結果自分がイメージしている状態で気持ちよくなっている」ということを明記しておく。振り返るときに「浅いと思えば深堀すればいいし、モヤモヤして言語化できないならそれは言語化スキルなのかそれとも実際に材料がなくて実現化できないのかなど考えられる」ので、いいと思う。
  • 仮説がなくてなんとなくやると、失敗した場合は振り返りしづらく試行した時間やリソースが無駄になりがち。なんとなく成功した場合も結構問題で、それは「再現性がない」ことを証明していることになる。このあたりは、言語化できたり説明できなくても、感覚で再現できるというケースもあるけれど、その感覚や主観のみで何かというのは地図を持たずに山登りをしている感覚になるのでおすすめしないし、僕はやらない。もちろん、全てにおいて地図がそろっている山登り=企画ということはないのだけど、少なくとも現状ある地図はもっていくほうがいいだろうねということ。使わないなら使わなければいいし大した荷物になるまいということ。
  • 何度も言っているというか認識しているように、マッチングではコンテンツの収集や投稿などの仕組みが相当仕組みを練って戦略を立てて検証してやっと出来る形。昔の何もない時代なら目新しさや珍しさでいけたが、珍しいとは一時的には良いが多くは飽きられる。非日常感とは日常があるから成立するといったほうが分かりやすいか。日常に受け入れられたいならどうすればいいか、そこを発掘するにはどうすればいいかという視点が必要。
  • コンテンツの価値やアウトプットの価値は、なんでもそうだが人によっては無価値いやマイナスともなったりする。もちろんプラスにもなるのだけど、絶対的な価値がある状態、万能的なものはない。どういう人にどういう価値があるかって実は考えることをスキップしやすい。考えても結論や答えがないから。そこで仮説を考えてみるが、説というよりも、想像と思い込みであることが多い。自分が考えたものがとくに時間をかけたり年月がかかっているものほど「必要ない」といわれること(間接直接関係なく)はわりとぐさっとくるので。そういう意味で自分の人格スライド=作ったものやサービスとせずに、メモリの実態でなく、ポインタのように指し示すだけというか、ずらしたほうがいい気がする。つまり、Aというサービスを作った自分とせずに、Aは自分が作ったけど自分ではないというような認知の仕方というか。これは結構難しく、作ったものの思い入れがあればあるほど切り離せないし一体化する。ドッグフーディングの弊害みたいなのはそういうことかもしれないけど、多分別問題な気がする。自分で使うことと切り離すは別ロジックという意味。
  • アイデア自体の価値を最大化したり、最低限保証したりみたいな取り組みは面白いと感じる。一方ですべてのサービスは、商品や仕事は、アイデアがあるわけで、そのアイデアと具現化されていることで価値となる=それ自体が見えるというのも強いし、何か提供していることが分かりやすい。アイデアという概念自体はギリギリまで価値が見えづらいが、どうすると価値感(価値観でなく)を受けられるか。そこがやはり面白いところ。

みたいなことを感じたりしました。結局他人の脳をハックしてそこからパラレル処理ではないですが、得ていくとめっちゃ色々学べる感じですね。

まだまだだけど失敗してる方が共有が早いかも

まだまだ感はありますが、何かやって失敗している方がその経験からどこまで学んでいるかは当然あるものの、それが具体的経験、実践で終わらずさらに抽象内省とか客観的に振り返る材料となって次へとなります。本当にそれをやって何か得ようとしていれば自ずとなるのかなと。もちろんこれらも様々なことを考えた上での話ですね。

つまり、失敗経験者が認められるみたいなことはある程度あって、とはいえまた失敗するんじゃないのってことで軽んじられる見方をすることも出来るわけです。当然前者の人など評価してくれる人のそばにいたほうがいいですよね(笑)

失敗は成功へのフィードバックということで考えるわけですがそうすると、結果的にどこまでフィードバックし続けて、どこまでやり続けるか。それってもはや人生レベルでその人単位だと僕は考えています。

失敗してもいいというか、そこから学んで次をやればいいじゃないかってことですよね。これをやり続けられるかはまた別なんですが、多分次の景色や違うフェーズを見たいっていう知的欲求やら面白いわーっていうことを燃料にしている人はぐるぐるぐると回せていそうですね。

失敗経験などが共有されると分かりやすいというのもあります。それは、失敗したのはこうだから「ああ、この人は一定程度考えてやったんだね」ということが一発で共有できるからです。もちろん、内省や振り返りで学んでいるというのがなければ、一方的な誤解になりますけどね。高く評価しすぎというか。

こういう評価のずれは結局は均される気がするので、なんでも一時的でいいならいいんですけど、それは疲れると思うし、僕はそれはどうなんだろうという姿勢です。いわゆる疲れて回復すればいいですが、毎日疲れるというかその疲れるのは楽しみの見返りとかもなく、単に疲れ発生装置、純粋100%疲れ発生装置!みたいなものです。それはヤですよね(笑)

スナップショット的に一瞬のみの刹那的な単位は好まないです。一瞬自体は何も悪いことではないのですが。そこだけ見て判断しないほうがよく、それを通して何が見えるかが価値があるという感じですかね。

失敗しても明らめることもないです。明らめずやり続けましょう。誰が見ているかは、他の誰でもない僕が見ているので大丈夫です(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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