なれると信じていれば、失敗はフィードバックになるよ

成功とは何かというところは結構いいのですが、失敗ってなんだろうか、または大好きなことをシゴトにするってどうなんだろうか。実際に僕自身はわりと現状に満足をしている部分もありますが、刺激を受けたりまだまだこんなもんでは死ねんわ!というのもあります。強がりとかではなく、強がりであっても。

ざっくりいえば、仕事だけでなく、お金、そしてビジネスとしての成功みたいなもの、そして同時に時間や人間関係という総合的な良い状態が求められるというか、それがあって幸せであるし、成功だなあと思っています。概ね僕はそういう考え方の人が好きですし、僕もそのようでありたいと思っています。

つぶやきっぽくなりますが、そういうところで色々考えたことをまとめてみました。

何かしら元気がないとか、どうしたらいいんだろうとか不安になってる人には、空元気は微妙ですけど、ジワジワと読んだらやる気が出てきてもらえれば嬉しいです。

自分の副産物をうまいこと提供すること

あやえもんさんの本を久しぶりに読み返してみました。そういえばどういう感じだったかなあと。

本はこちら。

この本の面白いのは、自分の価値が無意識にでちゃっているような「ゴミ」という表現がインパクトがあるのですが、そういうドバドバ出ちゃう、ついついやっちゃう、そういうものを仕事にしようと言っています。それが大好きなことを仕事にするってことですね。

もっとも、それ自体好きなものを売ると自分がすり減るので、ここが難しいのですが、それそのものでなく、副産物的な何かを売るか提供するかというところがポイントです。

この解釈は色々あると思うのですが、僕はアイデア自体を売っていますが、そのアイデアに執着して分け与えられないということはありません。どういうことかといえば、自分のアイデアは素晴らしいし価値があるから売れないとか、売る場合ものすごく高い、みたいなところで売れない。そういうことはありません。

もちろん価値があると思っているのですが、一方で生産自体はドバドバ出るので価値が低い。自分にとっての価値が低いものだけど、他人にとっては価値がある。まさに二者間のアービトラージ(裁定取引)みたいなもので、富士山の8合目くらいで水を売れば300円いや500円くらいで売れるかもしれませんが、地上では100円くらいでしょう。でも、8合目に常に毎日上がっている人にとっては「ゴミ」みたいなものですから、実際は山頂にものを運ぶのは大変なのでそういう労働に価値がないとかじゃないですよ。

仮に無意識レベルやそこまで苦痛に感じない、むしろ好きで登っているところに「さらっと水どうぞ」という感じであれば他人の価値になるということです。でも、水を持って登った人は売るぞ!とか思っていないわけです。ここがポイントで、めちゃくちゃ売るぞ!となると空回りして、水もそうですが妙なたこ焼きみたいなのを作り出したり、全然売れなかったりとかなりそうです。ポイントは水をニュートラルで運べるような感覚であり、たこ焼きも連想する関連アイデアならいいけれど、そうでないなら微妙です。

アイデア自体はドバドバ出るので僕自身、他人から見るほど価値があると思っていません。ドバドバ出しつつそこに基本的に自分のメモと若干のマーケティング、つまり人からみても分かるような仕掛けや仕組みを入れいていくということになります。

こうすることでどんどんとファンが増えていくというわけで、実際に地味にですがメルマガ読者や手応えをもらっています。

失敗なんて存在しない

そのあやえもんさんの本で、面白いというか印象的な記述がありました。

100%「なれる」と信じていたら、思考と現実の食い違いは「失敗」ではなく、「フィードバック」になります。

(「大好きなことでお金を稼いで、独立をする方法」第八章 無意識を味方につけるより引用、位置1466-1467)

最近振り返りの話を友人とメタ的にしていて成長ってなんだ、振り返りってなんだ、目標ってなんだ、生きるってなんだ(笑)とわちゃわちゃやってたところだったので、これだなと思いました。

若干スピリチュアルかもしれませんが、確かに「なれる」と思っていたら、なれるというのはこういうことかもしれません。アイデアビジネスをするとか、アイデアに関連したWebサービスや面白いWebサイトを売買していく、それによって人に喜びを提供する。

抽象的だと会社の理念とかビジョンですけど、まあそこまで固くなくて、そう心から思っています。仮にこれが嘘だったら多分実現しないし、何よりストレスでしょう。ストレス具合で嘘かどうか分かりますよね。

自分の頭にある「思考」やイメージではこうなっているはずなのに、実際の「現実」はうまくいってなかったりする。よくありますよね。そんなことはないって方はこのブログを見る必要はないです(笑)あると思うのですけど、普通それを「失敗」って言いやすいです。でも僕の中では失敗って言葉はあまりなくて、失敗だったという時、言語表現をしていても「学び」だったという意識でした。それこそまさに「フィードバック」であって、思考に対してこうすればいいのではないかという現実+振り返りであり、現実+気づきだったということです。

言葉でこうキレイに表現されると思ってなくて大変うれしかったです。上手く伝われば何よりです。

だから、もし自分が考えているイメージ、夢、目標とかあったり、こうなったらいいな。でも、今は違っているよね。そういう時にやっぱり駄目なんだとかでなく、100%なれると思っていれば(これって根拠のない自信って言葉と同じ意味かもしれませんね)、確かに全ての失敗風なこと、現実のうまくいかないことはフィードバックなだけです。そこから修正してまたやっていけばいい。とてつもないシンプルさです。

同時に振り返りがなんで大事なんだろうというところも解決しましたというか見えました。振り返りって反省でなく、内省的であり、成長なんですね。なぜなら失敗風なものも含めて出来事を見直す、可視化する。そこから「100%なれる」イメージや何かがあってそこにたどり着きたい、またはそういうイメージに無意識レベルで持っていくからこそ、意味が出てくるという感じです。

もちろん100%なれる何かがなくても、僕はいいと思っていて、むしろなくても毎日幸せだなあとか良い一日だったなあと感謝できることも同様に幸せだと思います。一方で本などメッセージになる時、「何もやることがなくても幸せでいいのだ」というときあまりにも「メッセージ性が弱い」のであまり文章や塊になりづらいです。でもこれは考え方なだけなので、世の中に名を残せばいいのだとかそういうのも含めてそれらも踏まえた上で「自分の生き方」なんだろうと思います。

なぜか目標がない→目標がある方がいいみたいなことになりがちですが、自分がどっちであっても、焦らず淡々とやること。なれる100%があることとはやはり違う感じがします。これでいいのだ、こういうイメージなのだ、人が言ってることは違うのだ、というところであれば目標の有無は関係ないし、むしろ有言する意味もないというところです。有言する=強さが感じられるのですが、無言で色々思ってやるのでもいいわけですね。やるというのも、何か強い行動でなくても、幸せ行動で満たせばすなわちオッケーです。

ちょっと観念的になりましたが、大分スッキリした一文を共有できれば嬉しいです。あやえもんさんの本はめっちゃ面白いのでぜひ原著にあたってくださいませ。

ゆとりや余裕を感じたら成長のチャンス

そういったファンやお問い合わせやお客様は大変有り難いことですが一方でまだまだ成長できるし、やれると思っています。そしてそこにぬるさや余裕やゆとりを感じたら、これってまだまだ行けるんじゃないんすか。というところを感じるわけです。

コンフォートゾーンに入ってないかみたいな問いかけを半年くらい前にしていた気がしますが、軽くスルーするとして、自分の中で、適切な目標(それは大金持ちとか、無茶な野望というよりも、言語化してもしなくても、これをやったるぜというもの)が大事だなあと思っています。言語化はしたほうがいいと言われますが、一方で強力なミッションや自分がやりたいことがあればまずぶれないでしょう。

僕はそういうミッションベースがなんだろうと思ってふと考えていたのですが、究極的には「人を喜ばせたい」のだろうと思います。それがアイデアでも、ビジネス支援でも、文章でもプログラミングでもわりとよくて、トータルとして総合科目としてビジネスや企画がカチッとはまる感じがしています。もちろん何しているか分からない感じならちょっと修正するとかはあれど、基本「喜ばせたい」「楽しませたい」というところです。

そうすることで、笑い合うとまでいかなくても、そういう考え方なんだね面白いねーとか、そうやって生きるの貴方らしいね、または自分らしい生き方だなと思えること。それが幸せだなと思っています。自分らしいとはユニークであることです。とくにみんなと一緒がいいとかはなくて、もちろん学ぶべき先人や先達から学ぶとは別なんですが、基本自分GOという感じで生きています。

成長とはできなかったことが出来ること

分かりやすい点でいえば、振り返りをして成長を実感できないことも多いです。あれ自分成長しているかどうか分からない。

ただ多くはプラトーで凪です。止まったようにすら感じる。終わった!みたいな。でも、実際は脳や経験や体験がめちゃくちゃ動いていて、後から「ああ、そういうことだったのか」となりやすい。これは時差があるのでそれを信じるしかないですね。信じて下さい(笑)信じられないかもしれないですが。

どちらかといえば学生の時もっと勉強しとけばよかった!みたいなのの逆です。今伸びないから終わるかもしれない、全然成長が感じられないからやっても駄目だ・・・。と言うときにやめると終わるんですね。辞めずに粘る。これは粘ればいいというよりも、自分で決めてもらう話なんですが、よくあることだと思います。

ある日突然、本当に突然「あれ、あれってこういうことだったんじゃないか」とピカー!って分かってしまうというか、それで行動できることって意外に多いです。

そういう意味でできなかったことや分からなかったことが出来るようになったり、分かったり、人に教えられるようになったり、教えられなくても「それは違う」と言えたり出来るのは多分成長です。

僕は成長なき人生は駄目だと勝手に思っていて、これは読者に押し付けることでなく、自分がそうだと思っているという話です。成長がないとなぜ駄目かというと単に毎日が単調でかつつまらない、予定調和になるからですね。仮に単調であっても成長ポイントやワクワクが見えればそれでオッケーだろうと思いますが、ワクワクって単調にはないのでやはり刺激やアイデアや何かを仕掛けることで僕は成長を感じているし、成長していると思います。もっともなんでもいいからやればいいわけでもないと思いますが、このあたり表現が難しいところですね。

上達といってもいいでしょう。自転車に乗れなかったけど乗れるようになった。または見たこと無い旅行先にいって見たとか。好奇心を満たすのも成長だと思います。人の感覚も細かく分かったり、前できなかった仕事やアイデアが実現したり、または昔考えたけど勝手にそれに近いことが叶っていたり、不思議なこともありますが多くは成長しているからだろうと思います。

ちなみに本当の停滞とは、自分を殺して自分らしさとかをなくした時でしょう。これが続くと単に病気になったり、精神をやられたりするので本当に全力で治しにいったほうがいいと思います。冒頭に書いたように、仕事やお金、時間というところが揃っても、健康でないとか、人間関係がボロボロではやはり寂しいんですね。僕はそういう関係やおかげさまで健康なのですが、そういう総合科目的なものってやっぱトータルで見るのは大事ですね。何かがありさえすればいいというのも大げさだなというところですね、例えばお金さえあればいいという人は今は大分減ったんだろうと思っています。

おわりに

大好きなことを仕事にする、振り返り、または100%なれるところでの失敗はフィードバック、成長の話などをいくつか書いてみました。

クリエイターとかでなくても、自分の中でこうしたらいいのではないか、これが絶対いいんじゃないか。そんなことを100%思っていたらぜひやってください。そのモードで失敗はありません。仮に失敗になるのは明らめたり、出来ないと思いこんでしまう(少しくらい出来ないなあとかつぶやいても当然いいですよ(笑))とはまります。

一方で100%なれるパワーって、一回とか2回とかそういうレベルでなくて、粘るんですよね。なんで出来るか?好きすぎるとか、無意識レベルでやっちゃうからですよね。そういうパワーを是非信じてもらって、一方で好きを仕事にすると駄目になるとかそう思ってたら駄目なんですけど、思わないならそれでいっちゃってください!僕もそんな感じですから。

今回は以上です。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。