アイデアがない・アイデアが出ない人ほど、アイデアに対する期待値が高い傾向がある

今回はアイデアに関する話です。

佐渡島さんの動画とかもあったようにですが、それはそうだなと。つまり、アイデアがないという人ほど、「アイデアがない」ゆえに、宝物みたいになるんですよね。これこそ、普段アイデアを出している人はそれをゴミとは言わないですが、かなり雑に扱うんですよね。

アイデアが出ない人ほどアイデアに期待しすぎる

これはアイデアが出ない人がダメとか笑うとかって話ではなくて、アイデアに対して期待しすぎるってことなんですよね。

でもこれはとても合理的というか人間らしくて、自分が苦手なこととして例えば料理があるとします。そういう人が料理人が色々調理して出すことは魔法に見えますよね。それと同様でアイデアがない人にとっては魔法のように見える。それだけなんだと思います。

ここまでは全然良いのですが、一方で、そのまま期待されても困るわけですね。つまり、アイデアが出ない人が期待するアイデアを、アイデアを出せる人が出せるわけでもないというのが最大の課題というか、ギャップです。

当然これは僕においてはアイデアを出す側であることが多いので、そのまま仕事になるのですが、とはいえそれも処置や適応によっては全くダメなこともありまさう。

例えば先の例でプロならなんでも料理出来るでしょうと思っていて、大根を渡して「驚くほど美味いものにして」といっても、さすがにこれは困るはずです。ですが、アイデアが出ない人が純粋かつ素朴にそれをやってしまうこともある。それを罪とは言わないまでも、まあ対応に困るか、どうするかを言っていく必要があるというわけですね。

シンプルにこれはアイデアだけの話ではなくて、あらゆることに対して自分が得意でないものに対して期待値を上げすぎない。まあ自分が得意かどうかに関わらず「期待値を上げる」のはどうしても感覚的ですからやってしまうんですが(笑)それでもなおというところなんでしょうね。

アイデアが出せる人の世界観ではアイデアはどこでもあるもの

次は逆にアイデアが出せる人の世界観を示します。アイデアが出せる人は、アイデアがどこでもあるわけです。だからどこでもあるので、それを大事にしまっておく必要はないとも考えている。もちろんこれは特許だとか、何でも言ってしまうというのとは切り分けてくださいというか、それは人次第というところです。

ただ概念というか、マインドセットは多分そうで、どこでもあるから、アイデアを出し惜しむことはないと。ここで出し惜しむ人は多くはアイデアマンではない、と僕は考えています。単に僕の経験則ですが、出し惜しむ人はアイデアを出し惜しんでいるがゆえに「アイデアが枯渇」しているともいえます。

例えば「アイデア使ってよ、お金は要らないからさ」などと言ってしまう人は本心でそう思っていればですが「価値があると思っている」わけですよね。ですが、実際にアイデアはいくらでも出てくるのであれば、それとは別です。最も正確には「アイデアは価値がないわけではない」のですが、いくらでも出てくるということであれば、そこに価値を求めることは必要がないというわけです。

ここで矛盾しそうなので再度言いましょう。

アイデア自体はいくらでも出せるのでアイデアマンにとっては価値が低くなりがちです。ですがそれはアイデアマンとかそういう生態系にいる人にとってです。コミュニティといってもいい。ですが、それを出ると「アイデアを求める人」が多くいると、そこでは大きな価値です。少なくとも価値がないとは言いづらいと。そういうギャップや違いがあるんですね。

アイデアをどんどん出せるからその価値はないでしょう、だからどんどんくれという人もまあ乱暴ですがいそうです。ですがこれはまた別で、アイデアマンがそういうならばオッケーです。生産者がそういうならばいいのですが、受ける側が言ってはいけない、というだけの話で終わるかなというところです。

アイデアの期待値が低いとどうなるか

アイデアマンはつまりアイデアの期待値、一個ずつは相当低くなります。それはアイデアが苦手な人とくらべてということですが。

そうなると、アイデアは数が求められます。正確には切り口や着眼点が違うというところですが、そういうアイデアをばばっと出していけると。そこから実現やどうしていくかを考えていくことが出来ると。それがアイデアが期待値が低いからこそ出来る芸といってもいいでしょう。芸なので鍛えられるわけです。先天的なものではないと。

逆に期待値が高いアイデアが苦手という人は一個ずつ丁寧にやるのはいいのですが、それは数が出ないというのもあるし、期待値が高すぎるということなんですよね。自分のアイデアもそうだけど、他人へのアイデアもそうだと。

これらは誤差とか紙一重な感じもしますが、期待値への高低というか、大きさというのは結構コントロールが難しくて、慣れて下げていくしかないという気がします。だからトレーニングとなっていって、まあ僕はそういうトレーニングが出来ないかというところを模索しているわけですね。

数学的には期待値って確率として高い方がいいわけですが、ここではアイデアへの期待値とは、実際にリターンというよりも、自分が望むものかというと定性的で見えない、見えづらいものです。その定性的なものは苦手であれば高くなるという性質であってそれ以外ではないと。

図にまとめるともう少し分かりやすいかも

というわけで簡単に図にしてみました。以下のようなイメージです。

今後使うかはおいておいて、まあこんな世界観があると。

視覚的にいえば、灰色がネガティブなものです。オレンジはポジティブということです。

つまり、アイデア出しが苦手とかアイデアが出ないと思っている人は、最初のアイデアに対する、または出したアイデア、または出してもらうアイデアでもなんでもいいのですが、総じて「アイデア」全体に対して期待値が高いんですね。だから「うまくいくはず!」というポジティブな感覚があると。これは全然否定すべきではないことですよね。

ですが、アイデアへの期待値が高いゆえに、出てきたアイデアを評価する、これは実践的には出したアイデアでもいいですし、出てきたアイデアを収束したり、または実行する段階前後で出てくると。おそらく最も多くは出した直後、閃いた直後なんじゃないかと。そこで自分の想定する期待値より低いわけですよ。なぜなら最初が「高い」ハードルを設定してそこで追い込むからですよね。これは当然です。

だから、最終的には「良いアイデアじゃないな」「これではダメだ」「他にアイデアがないぞ」となっていくと。別にここで、そういう感覚があってもなくても次に他のアイデアを出そうとすればいいのですが、ポジ→ネガとした時に、そこから改善するのは結構しんどいです。というのは、不満解消というのも、不満を見てどうすればいいか?という視点や感覚があるから出来るのですが、それがないと「不満は不満だ!」で終わるんですね。

では逆に、アイデア出しが得意な人はどうかというと、最初のアイデアに対するものもそうですが、アイデア一発でそもそも出来るとは思ってないんですよね。むしろネガティブだと。「これではダメかもな?」くらいな感じです。イケると思っても違うこともあるから、そこは冷静に捉えていると。

そうやってアイデアの期待値が低いので、評価はポジティブになりやすいと。これもできる、あれもできるぞと。じゃあ次をやろうと。だから、順序がネガ→ポジなんですよね。そして次に繋げることが出来ると。

これを冷静に見ると、アイデア出しが得意な人は期待値が高そうに一般的に思われている気がしますが実は逆なのではないかと。期待値が高いってあまりアイデア出しにおいてはワークしないんですよね。なぜなら、アイデアの1つ1つが良いかどうかを自分で全て判断することは少ないし、自分で考えたけど「なんだこりゃ!」みたいなのあるわけですから。僕もですよ(笑)

だからこそ、アイデアを出す話と、それを見ていく話は分けたほうがいいと。これは発散と収束っていうフェーズで分けられます。ただし、フェーズは分けられても熱意みたいなもの、感覚や感性は消えないので、そこは冷静に別ベクトルで見たほうがいいかなと思います。

これだけ見ると、固定的にも見えますから留意してください。正確には、アイデア出しが苦手な人なんていないのですが、そう認知していると思っている人がいるだけです。その人の世界観が期待値が高すぎるなら低めるしかないと。低められないならどこかをいじるしかなくて、アイデアが多くはうまくいかないことを知って「失敗していいんだ」と安心してもらうみたいな、そういう話になっていく気がします。精神論でなくて、メンタルでそう感じてもらうしかないということです。

だから例えば、期待値はめちゃくちゃ高いけど、失敗しても気にせずやれるみたいな人もいるでしょうし、期待値低いのでそのまま期待しないから他のアイデアも出せないよねという人もいるかもしれないので、絶対ではないですよ(笑)そこはご留意を。

ただ1つ言えるのは期待値なんて勝手に思ってしまうことですから、それによって手を止めてしまうことがもったいないと。これって評価とかの話ですから、評価なんて一旦おいておいて考えていく方が大事になるってことですよね。

問題はそういう評価をする側も適当な評価基準だったりして、出す側が萎えるということになっていることもあるので、政治とか組織とかの問題も出てくると厄介です。あくまでこれは個人の内面の話で、そういう感覚があるとなりやすいかなくらいでどうぞ。

全然違うぞという視点や見方もウェルカムです。

最終的には期待せず期待するみたいな境地へ(笑)

最終的にはこの期待値とか期待ですよねは自由にいじれるので、まあまあいけるかなーくらいとか、だめかなーくらいでいいんですよね。それを色々と出さなくてもいいというか。自分の中でトドメておけばいいと。

あとは出したらそれは聴いた人が判断することなので、そこはそれということで、どう振る舞うかは状況次第になってきます。そういう意味でアイデアってとても形がないし、捕まえづらいし、これという固定的なものではないことが良くわかりますよね。哲学ではないですが、アイデアがすぐ形を変えるならば、吟味していたものはなんだったんだとなりかねないですし、消えるし、また生まれるしというわけですよね。

固定したいなら、現実化するとか、実行して少しでも固めていくしかないというだけです。それを僕は企画とか、形にするといっています。だからその動作や行動があまりにもないと妄想で終わりますし、妄想を否定しないですが、妄想を実現するにはやはり行動していくしかないという着地となります。

ここまで考えると、アイデアの期待値っていうものは概念としては不要ですよね。期待値によって後が上手く行けば良いのですがまああまり関係ないというか。そりゃ自分が出した、考えたものは思い入れがあるからそれはやりたいよというのはわかります。ですが、それとアイデアは別というか、思いとアイデアは別なんですよね。ただ一緒と思われるところもあるのと切り離しづらいのもあると。例えば誰がやるのか?というと、考えた人がやるってケースが多いからなんですよね。

あとは確率というか、これをやり続けると考えると、実際にアイデアが出せる人はやり続けるので結果的に大数の法則みたいなもので、自ずと期待しなくなるという態度を持って、だけども、やはり実現していきたいということになる。矛盾していそうですがそれがわりと現実的な気がしています。

大数と言いましたが、その数が少なければ、一喜一憂していって疲れてしまって続かないと。そういうのがアイデアが苦手な人の傾向で、諦めたりもういいやとなると。これは結果論に過ぎませんが、どの状況でも粘れないかとか、もっと良くならないか(期待ではなくて)と粘ることで全然違っていくのかなとも考えています。

おわりに

結論的には期待値はどうでもいいので期待しないようにする、または期待を外すとなります。ですがこれってアイデアを自分で考えるということで「わくわく」するはずなので(笑)禅みたいな感じなんですよね。

頭を真っ白にしろ、けど白くするみたいにしてはいけないというか。考えないとか考えるとかでなく、ニュートラルってやつです。ゲームでいえば、コントローラーが何も押されてないイメージです。これって対等とか、対話とかもリンクするはずで、公平とかもそうかもですね。

アイデアに対する態度をニュートラル出来るってことは結構すごいことだと思います。おそらくニュートラルまで来ればアイデアマン中のアイデアマン(笑)ということで、かなり評価されるのではないかなと思います。

逆に一個ずつに固執したり、一喜一憂したり、自暴自棄になったりというのは、アイデアに対して経験値が低いとか浅いというわけです。それを否定するわけでなく、仮にそこからステップとして得意になるとか、色々出せるようにしたいならば、そこの意識を変える必要があるわけですね。

とはいえ簡単に変わるものでないので、少しずつやっていくしかないと。意識みたいなものは徐々にしか変えられないので気づいたらどんどんやっていけばいいのではないかと。

そして、アイデアが豊富な人ほど、色々とアイデアがあるのでアイデア一個ずつの価値は低めな気がします。ただこれはアイデアマンが低めと言っているのであって、別の人からみれば全部面白いと感じることもありえるのかなと。それはそれで仕事というかビジネスとしてニーズがマッチすると面白いというわけですね。

ライター

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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