問いかけ=仮説数が多いと幸せになれる

これも仮説ですが、ちょっとそんなことを考えたので書いてみます。

対比としては、解決数とか答えの正答数とかではなくて、ってことですね。最もそんな正解はないので、問いかけ数で測ったらどうだろうかということですね。

仮説自体は落ちてない事実

日常にアイデアはあるわけで、それに気づいている人は実は多いと考えています。しかし、アイデアがあるとはいえ、気づくかどうかは、実は仮説というか何かしら一定の問いかけがないと生まれない気がします。

ニュアンスが分かりづらいのですが「ぼーっ」と考えるのは確かにアイデアは生まれるのですが、それはある程度考えた上での「ぼーっ」とです(笑)何もしてなくて「ぼーっ」としても、単に安らぎがあるだけで、そこから何か生まれるわけではないと。

どういう「ぼーっ」とは一緒なので、つまり行為自体はそれでいいのですが、その前の仕込みが大事になるわけですね。ということは、既に仕込んでいなければいけない。ないなら仕込む必要がある。それが実は考えるとか、観察するとか、調べるとか、体験するということになります。

よって、仕込みがあってのぼーっと、という一連で捉える、セットで捉える必要があります。

仮説が落ちていることはなくて、もちろん誰かの問題意識を参考にすることはできるしそれを刺激とすることもできますが、あなたが見つけたものでないとまあ弱いでしょう。持続しづらいということで、それだから駄目というわけではないです。出来るならそれでもいいわけですしね。

仮説自体がどこかにあるのでなく、見出すしかないです。だから問題発見と解決があるとしたとき、解決したくても問題がないなら話が始まらないわけです。最も解決する場合、問題を認知はしていますから、全く問題を知らないわけではない。しかし、問題の方が川上と捉えると、常に解決は川下となりがちだと。もちろん、ものすごく解決が難しいこともあるでしょうが、それはレアかもしれません。

トータルでいえば、問題を見つけるか、解決で頑張るか、どっちかしかないかもしれないです。あとは、その間にいてコーディネートするというのもありますが、少なくともこうすればいいのではないか、AならBになるのではないかというものが落ちていることはないという話です。

問いかけ=仮説=ツッコミでもある

問いかけを多くすると、単純に視点が増えます。実際には視点が増えている、多いからツッコミ=問いかけが多いということもあるのですが、このあたりの順序はどちらでも良さそうです。要するにツッコミできるかと。

問いかけと書いていますが、これは仮説と同様です。くだらないことでもいいわけです。なぜ女性向けの服は多いのに男性向けは少ないのかなど、これらも性差なども様々な視点があるので一概にいえないものの、傾向はあると。なぜそうなのかを考えるだけでも鍛えられます。

レストランの女性シェフが少ないように思えるのはなぜか。情報や認知の問題かそれとも?女性棋士が少なかったりするのはなぜか。

男女ネタが多いですので切り替えましょう。

例えば爬虫類をペットで買う人はどれくらいいるか。そしてそれはレアなのかそれとも普通といってもいいのか。それらの人の困りごとはなんだろうか。ということも想像していってもいいわけです。

暑い日の過ごし方は、みな同じでなく様々な対策やアイデアがありそうです。そういう対策が豊かな人は外でもアイデアが溢れているのではないか。

妄想全然OKです。たくましいくらいで良くて、あとは嫉妬みたいなことがそこまでないなら(笑)いいのではないかなと。楽しく自分でやるならいいわけですしね。あとはどこまで検証するかです。

ここまで色々なこれらの仮説、問いかけはツッコミと同義でもあります。例えば最近コーヒーを頼んだらお好みでミルク等を入れてくださいと言われたんですね。ミルクはほぼ入れないのですが、飲んでみたらエスプレッソが効いていてかなり苦かったです(笑)その配慮でそういう声かけがあったのだと後で理解しました。エスプレッソは砂糖入れて飲むので、もともと苦いですしね。

これも新たな視点といってもいいですし、違う観点で考えられます。つまり、学びといってもいい。何か店員さんの声掛けは意味がある蓋然性というか、可能性ってことですけど確率が高いってことかもしれません。

これらのツッコミが出来れば出来るほど、視点があり、色々なことが見えるわけですから、見るだけでなく話す、聞くでも同様です。そのように言う背景が何かあるのだろうか?ということも推測できて、一歩早く動けたり考えたり出来ますね。

視点が多いと色々なことが「理解」できる

もちろん政治とか宗教とか、考えが分からんというのも普通にあります。僕もそうです。でもですね、その考えやロジック、到底立てない立場に想像してみることは出来ます。つまり、痛いならその痛みを代替する経験が自分でなかったか。それで想像する、推測するしかないんですね。これで十分かどうかは実は結論はなくて、なぜなら批評などはその人ではないし、考えを批判する、科学的ならそのやり方や考えは違うのでは?というツッコミはそれまでの共有があるからできるわけですね。つまり、過去の研究や前例があるが蓄積されている。

理解出来れば、おそらく「理解できないからない扱わない人」よりは理解があると考えられるでしょう。

一点気をつけたいのは感受性が強く全部に高共感をしてしまう場合でしょうか。それは敏感ともいえるので、ある程度バリアや厚着をしていかないときついですよね。あえて薄着にする必要はないのかなという感覚ですね。

それを省けば、まあ視点が多くて悪いことがないので、問いかけ、仮説、ツッコミ、体験をどんどん入れていくとなんか楽しいなあとなるのではないかと。僕がそう考えているだけで、そんなたくさんの視点が要らない!って人はまあいらないんでしょうけどね(笑)

理解が出来る領域が広いと体験、面積が広がる

この面積や体積自体がさらに視点を広げます。雪だるま式といっていいでしょう。そうやって広がったら、視点がさらに見つかる、広がる、見られるので、さらに面積が広がる。面積で考えていけばシンプルですけど、どんどん違う視点にプロットして広がるイメージです。頂点数が3点なら頑張っても三角形ですが、4,5と増えていくとそこには台形とか五角形とかそうやって面積が増えていくことになります。

面積が増えるので、より体験が増えているし、視点もそこからよりとれるということですね。いいことだらけな気がします。

自分が想像しがたい、理解したがい場合でも、わりとタフだったり、柔軟にやれることもあります。限界もありますが、そのストレッチ感がそこそこあればすぐにパリンと壊れることがありません。ストレッサーのケアにもなるし、自分の調子観測とかにもなりえますし、役立つことは多そうです。

一石三鳥といってもいですし、1石N鳥といってもいい。そのNが多ければ一回で色々と釣れる。色々な魚が一回で取れたらその選別はおいておいて効率的ですし、何より楽しい。どう選別するかは別として、それらも工夫していけばいいと。こういう餌を使えばよりこの魚が取れるぞとか。楽しくないですか?このあたりでやると取れるんだけど気候によって大分変わるよなとか。

広がるとアイデアが出る

色々な視点で見えるのでより吸収できて、アイデアも出せると。アイデアがあるということは、常に選択肢や突破口が見える、またはそういう状態に立ってもいちいち悩まなくていいということになります。もちろん必ず答えが見つかるわけでも必ずアイデアがあるわけでもないのですが、とはいえアイデアがあるので一歩手前というか、常に準備出来ている状態となります。

このちょっとした準備が実は大きなレバレッジなり差となります。コンマ何秒というところかもしれないのですがそれが気持ちの安定や精神のやすらぎというかそれにつながると考えています。

まあ、アイデアがあればくよくよしない、ご機嫌になるということで、結局あなたが幸せなら周りも幸せになるということですね。

風が吹けば桶屋が儲かるなら、問いかけすれば幸せになれる

以上証明でした(笑)

問いかけをしてみる→視点が増える→体験の面積が増える→色々と得られるのでアイデアのインプットが増える→アイデアが出る→アイデアが出るのでさらに問いかけをする…

ということですね。まあ問いかけから始めるという意図はなくて、問いかけから切り取りするとそうなるってことです。視点があるぞというところからやってもいいし、色々体験するとなんかヒントになるとかでもいいですし、インプット増やすといいとかでもいいですし。

少なくとも一連の流れでアイデアが出た時になにを色々としていたか、そこが大事ですね。本を読んでいてその中身がきっかけだったなら、トリガーとして本ですけど、本のインプット自体が大事だったかもしれません。このあたりは解像度を高めて確認してみてください。当然同じことをやればアイデアが出るわけではないでしょうが、蓋然性が高い方がいい、確率が高いものに投じた方がより効率性は増します。

効率的にもちろんアイデアは出せたほうが楽ですが、ある情報やインプットでアイデアが1個しかないのに、別のそれは2個出た。この時後者のほうが良いと思いたいですけど、実際にそのアイデアの質もあるので「効率」といってますが、体験などに効率性は要らないですね。

あくまでインプットをアイデアに転化するという意味の仕組みです。これも限度があると思っていて、全く何もしなければゼロですけど、とはいえインプットしまくっても100になるわけでもない。つまり、ロスは必須でどこまでロス率を下げつつ、アイデア率を高められるか、0ではないし100でもない、という感覚を僕は持っています。

その感覚って何か、そうまさにそれらのアイデア出しもですけど、一連のインプットや問いかけなどを楽しむということです。楽しむことで、楽しいので幸せというのは、すなわち幸せであるということかなと思います。ややスピリチュアルかもしれませんが、自分が楽しいということは人に楽しさを分け与えますし、そこから幸せであるといえるので、それも分け与えられます。

アイデアに限らずですが、楽しさってめちゃくちゃすごくいなと。似たようなものに、好きなこととかもありますけど、得意なことのほうがストレスが低かったり、好きなことだと継続しやすいってだけですね。楽しさというのは、わりと何でも言えるのですが、ちょっとしたことを楽しめるかどうか。それだけで楽しさの閾値が低い、幸せの閾値が低いので、「ああ、幸せだな」とか「ああ、楽しいなあ」とか心の中で、楽しんでいけばいいし、幸せであればいいんですね。

他人と比較することはないですが、幸せだなということを感じる時、実は僕にとってはアイデアを出すのもですが、その一連のインプットや全てが自分の身にになるので文字通り楽しいんですね。それがまさに幸せだなと感じたところでした。

というわけで、アイデアが出ない時でもいいですし、問いかけやツッコミが足りないとか、視点がなんかマンネリしているとか、インプット不足してないかなとか、楽しさや幸せが足りないとか、色々な状況があなたにもあると思います。そういう時これらの考えはセットというか一連の流れなので、どこでもいいのでどこかを強化してみて集中してみると突破口になるかもしれないです。思い切り楽しんでやってみたらなんか一気に進んだとか、インプット増やしたらスイスイ取り込めてヒントになったとか、今まで気づけなかった事に気づいたらがらっと見方が変わったとか、これなんだろ?を増やしたらいつのまにか視点が増えていたとかですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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