アイデアが溢れる社会を作るには

色々と考えていてミッションとかビジョンとかみたいなものを作りたいわけでなく、結果的にそうしていくというような方向性みたいなものですかね。これを言葉の定義でどうこういうつもりはないです。また定義してどうかとも些末にすぎないので。

アイデアが溢れるとはどういうことかというと、僕がアイデアを出さないとダメとかってことはなまあ個人の話だと誤差でしょう(笑)あってもなくても変わらないというか。一方で出し続けて少しでも変えていくとか、変わっていくところを体験している身としてはそういう投げ方もできないんですよね。もうちょっとなんとかならないのかと。

そこで、アイデアがどこでもあるような、そういうイメージをすると、やはりアイデアを出せる人がどこでもいて、楽しくやっていると。そういう社会を目指そうということに帰結しました。

そのあたりちょっと書いてみます。

起業一発目で何をやりたかったか

昔に起業をしたことがあります。というとすごそうですがとくにすごくもなく、体験としての起業だったと。それは僕の言葉としてそうですが、仕事を得るのって大変だなと。今じゃあ楽かというとそういうことでもないですけどね(笑)

それはともかく、社会を面白くするということを掲げていました。これについては何回か書いているのですが、当初「社会を面白い」と感じるのは、僕がそう感じ続けたかったのもあったと。まあ面白かったのでそのままおすそ分けという感覚でした。

それから10年は経つのですが、正直この感覚はあまり変わってないんですよ。変わらなかったというか、変化がなかったとか、そのあたりは分からなくて、社会って思ったほど変わらないんだなと。変えたつもりもないんですけどね(笑)

僕と社会という2つの要素があるのでなく、僕も社会に取り込まれているわけで、その構成員がどう感じるかってあまり取り上げられないなと。ですが、一方で誰かが少しずつ思うこと、考えることで確実に社会は変わると考えています。

ここで、社会を面白くするとか、社会がと述べているのですが、そもそもですが、多くの人にとって「社会」というのが全然身近ではないなということにも気づきました。社会っていうと、自分が関わる人達というだけでも相当の人ですが、色々な人が動いて生産活動から、経済などを通して様々なことをしてるわけですよね。この瞬間もそうですよね。

そうやって一人ひとりの営みといっていいのですが、そういうものに対してまとめる言葉が「社会」かなと。僕の感覚ではです。

で、こういう社会が面白いと感じるのは、そもそも他人や他者がどういうことを考えているかに興味があるんですよね。好奇心といってもいいし、全然違う考えの人もなるほどと思える。怒るとか違うから嫌いだとかそういうのは当然ありますけど、考えが違うのと好悪は別なんですよね。それは一旦ことではスルーしときます。

そうやって社会に対する感覚が時代が進めば増えるものなのかとか色々思ったんですが、正直変わらないというか、プロパガンダやら色々どこかで言われることのほうが影響が強いというか。個人の哲学的考えはそういう意味でないに等しい。その感覚が漠然なんだけど確かにあるんですよね(笑)

僕が起業時にやりたかったのは、そういうダイナミックさというか、社会って色々あるよねーということを、起業もですが色々とやりたかったんですよ。それができたかというと、まあできなかったのですが、そもそもですが何をしたら出来たことになるのか。あと、やってどうするのか。もっといえば、そもそもそういう意味で起業という手段が適切だったか。

そういうことってなかなか答えはないです。僕もわからないままです(笑)

例えばそういう社会を面白くっていう時、そもそも社会に関心がないか、遠い人は興味がもちづらい。あと自分の生活に不満ばかりの人も全然そんな余裕がない。となると、現実に余裕がある(経済的とか精神的とか)ところで、他者への視点、まなざしがあるという人向けの、優雅な遊びなのかな?と穿った見方も出来るんですよ。けどそういうこともでないですよね。少なくとも僕はそんな余裕がある人ではないですから(笑)

そう考えていくと、多分ですが僕の中で起業は1つのチャレンジであって、手段というか試みの1つでしたということになります。起業自体を神聖化するつもりもなく、貴重な体験化するつもりもないと。ごくごく普通の生活の中に、起業があったと。そういう中で僕なりに関わりとして、やっていくことが「社会」を面白く関わっていけるとか、していくところが良かったんじゃないか。

そう今では捉えています。もちろんこれは正解とかはなくて、僕がそう感じているってだけです。

なんですけど、起業って色々あるのであなたの起業は誰かの起業でもなく、なんというか自分の考えた「起業」でいいよってことなんですよね。伝われば嬉しいです。

アイデアが出せる人が増えたら多分面白い

次にミッションっぽいことでいえば、僕はアイデアを出し続けるということで、それを仕事にしているわけです。企画とかリサーチとか。そのアウトプットに特段のこだわりはないのですが、それが活かせて評価されるからやっていこうという、わりと消極的な感じですよね(笑)まあ行動はしないと見えないのでやってきたから見える景色はある、くらいにしときましょう。

そこでアイデアを出せるとは何かということを考えているのですが、難しいことではないんですよ。とはいえすぐ出来るものでもない。だから、辞めたり諦めたりセンスとか言っちゃうと。

これどうしようもないなと思っていて、僕が押し付けるわけにはいかないですし、押し付けても意味がないですから。好奇心ですよね、興味としてこんなことしたら面白いかもですよね?というようなことをワクワクしてもらうしかない。

少なくとも僕が楽しそうにしていないと、ワクワクしていないとダメというか、必須条件だなと。それはある程度出来ている気がするんですよね。だから、あとはこの余波というか、溢れるもの、まさにアイデアが溢れるのでそれを伝えつつ、一緒にアイデア自体の出し方も学んでいくというか。そういうことを考えています。

そうやって色々と一泡吹かせるではないですが、試みて試してあーだこーだいうこと、僕はとても好きです。そうやって今までも生きてきたし、これからもそうやって生きるのだなという、確信があるというか、そういうスタイルは多分崩れないのかなと考えています。そういう意味でなるようになるし、していくというところですよね。

だから、そういう流れでいえば、僕がアイデアを出すのと、アイデアの出し方を考えること、それを伝えることってめちゃくちゃ筋が通るというか、一本というか、1つでまとまると。そしてさらにそれによってそういう人と関わることで、社会に対して何かイメージが変わったり、面白がれないかなというところになると。

つまり、アイデアを持ってして社会を楽しむとか、ワクワクするようにしていくとか、いくらでもやり方はあるよなあーと思うわけですね。

小さく目指すところ

とはいえ、あまり漠然と掲げてもいても見えづらいと。

軽くですが、こういうことになっていくだろうということを書いてみます。僕が振り返る時にそれができているとか、進んでいるかで判断できるし、あなたから見ても何か少しでも分かりやすいかもしれないですよね。

  • アイデアを出すという状態がかなり明確に定義できる
  • アイデアの出し方ということでそれを学んだ人が、かなりの再現性を持って再現してアイデアが出せる
  • アイデアが出せるだけでなく、それをその人のやり方や生活の中に取り入れて行くことが出来る
  • アイデアを出すというプロ側がアイデアの話を聞きに来る。いわゆるプロ中のプロ。プロ側向けのニーズを満たすことが出来る
  • アイデアに関しては色々言っているので少し聴いた方が良さそうだという、例えばメディアや記者や情報を探したりアウトプットする人が僕の考えや記事を参照する回数が増える
  • アイデアに関する記事は当然、アイデアに関する本を出しつつ、それらは世に出ているものとは違う視点、または自分の中での知見を丁寧にまとめたものを出している

みたいな感じですかね。

大きく目指すのは、これらが蓄積すると、社会はもっとアイデア要素が増えている気がするので、その時は一緒に楽しく楽しめたらいいですよね。

起業でもいいし、別に普段の仕事でアイデアを入れるのでもいいし、その小ささとか大きさってどうでもいいんですよね、僕はですよ。アイデアが入っているか、そしてそれを生かしているか。それだけです。それを楽しんでいるかというのも大きい。

そんな形で僕がアイデアを通して実現していくという、ちょっと自分語りですが書いてみました。こういうことから何か変わることもあるので、今の考えを出してみました。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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