ライスワークかライフワークかみたいな二極的思考には身体性が足りないかも

ライスワークとライフワーク。よく聞く言葉ですが、これらの違和感性みたいなものって、ワークライフバランスという言葉もそうかなと。

ワークライフバランスとは、仕事とライフ=プライベートのバランスということだったかなと思います。ですが、ここで前提として、仕事とプラベートが違う概念として存在しているところに違和感を覚える人もいるんじゃないか。僕はやや違和感を覚えたわけです。

ライスワークとライフワークも、目がおかしくなりそうですが、ご飯のための仕事、生計労働ですね、と人生のための仕事、一生のための仕事。なんて理解ですがこれも、極端過ぎるなと。

極端な概念を対立的に扱えばそれは扱いに困りませんか。というわけで、もっと曖昧でいい、抽象的でいいんじゃないか。そんなことを少し書いてみます。

人生って何か

哲学的ですが、人生って何か?これ答えられる人がいるかですよね。答えないですから。

で、そういうところでいえば、自分が何を大事にしたいか、どういう人生を送りたいってまずなるはずなんですよ。その哲学がないのに、「ライフ」なんとかは使えない。少なくともなんとなくプライベートの充実とかっていってることを否定しないんですが、それはそれでいいんじゃないか。

そうであるとき、なんとなくプライベート充実ができればいいだけであって、それをどうすると満足できるか、満たせるかって考えればいい。それだけなんですよね。あまり難しく考えない。

とはいえ、実際には多くの人が賃金労働をするので、時間がない、仕事のために時間を割くと。そうすると充実しない(笑)そういう矛盾みたいなものがあるんですね。でも、これって矛盾というか、事実であり、その通りでしかないと。

だからFIREなり、起業して裁量を得てみたいなことに憧れる。または憧れるのままでいる方が実は夢を見られるからいいなんてこともありえるかもしれません。誰がそうするかはおいておいて。

人生における感覚、考え方、もっといえば身体性がないのに、ライフは語れないし、ワークも語れない。語れないからダメではなく、語れないなら、まずは人生を考えてみる。

ってなると、思考であり哲学に戻ると。教養に還れとはいいませんが、哲学したり、考えてみるとなかなか難しいし、分からないはずなんです。分からないからスッキリしないことを扱っているのに、それがすぐ分かる、こうすればいい、ああすればいい。それはブームであり、流行りでしかなく、些末なものでしかない。これを悟り的とは言わずに、本質を突いた思考と思われるなら、まさに人生において考えていなかったりという証左となるかなと思います。

仕事もプライベートも自分の人生だ

当然環境によっては酷いと思われる人生もあります。そこに同情しないとか、悲しいとか思わないわけではないです。ただ色々なケースが有る中で、自分の人生に対して誰かが勝手にいい感じでうまくやってくれるなんてのはさすがに都合が良すぎると。

都合が良いのはどういう心理かというと、それは詐欺師の大好物であり、浮ついた心理で全て持ってかれるんですね。何をか、それはお金とかです(笑)

自分の人生ってこうじゃないか、色々なことができるじゃないか、そうでもないか、色々な葛藤と矛盾を経て、経験して色々と考えていくと、ある日突然はないですが、解像度が上がる。人生の解像度が上がるというとき、これは人の人生ではなくて、自分の人生についてです。

自分の人生について語れないって悲しくないですか?僕は少なくとも嫌なので、自分はこうしていきたい、ああしたい、そしてこうしたいのだといってその通りでなくてもいいので、藻掻いて生きたいなと。この感覚伝わりますかね?そうやってもがくことのほうが生きている感がすると。藻掻くためではないですよ。ここは履き違えないようにしたいですよね。

そうやって人生を考えると、冒頭のライフワークバランスとか、ライフワークとかライスワークは結構どうでも良くなって、統合されるというか、消えていく気がします。

それは何か誰かの生活や人生が羨ましいとか、自分にはないものがあるのでいいなと思う。満たされない何かに対して願うことを否定しませんが、それって大概というか、お酒のように少し嗜めばいいので、多くを味わうものではないだろうなと僕は考えています。

身体性があれば0か1なんて極端にならない

身体性とは、もっとフィジカルで、肌で感じる何かです。直感と直観とかそういうのもそうです。頭だけで考えると、0とか1とかでデジタルみたいになるんですね。

でもアナログではあるかないかではなく、あったりなかったり、実はあったものが違っていたとか、一瞬で分かる。そういう感覚が失せると結構危険だなと。そういう意味で体を動かすとは、本質的に良いことだといえます。動かしすぎたりとかは大変ですけど。

そういう自然なある程度適切な動きができていれば、先でいう、極端な仕事をするとか、プライベートをやるとかってあまりなくて。戦略があってやっているならいいですけど、そうでなく振り回されたりも同じですよね。依存とかもそうです。

誰かに頼るか頼らないかとか、お金があるかないかとか、頭がいいかどうかとか。そういうのも0か1思考です。とても浅いので付き合わないわけですが、冗談でも怪しいところですよね。そういう01思考で考えると、やはり窮屈ですし、のびのびと余地がなく、遊びがないので良いアイデアも生まれないと。なんか悲しいですよね。

そういう時身体性として、心から君はどう思うか、色々な制約があるけどそれを外したらどうなるか。そういう風に考えられるかどうか。直観ですよね。それがあなたに今あるかないかで、思考の免疫というか、身体性のレベルが分かるのかもしれません。レベルが低いからダメではなくて、低いと実際に心の病気を発症して健康ではないってことでもあります。

おわりに

うまい話なんてないよというところでしかないんですね。自分で考えて解釈してどうかをしないと、投資もビジネスもあらゆる仕掛けもまあできないと。そこで正解がないのに怖い、失敗が怖いは少しわかりますが、怖いからやらないとかでなく、どうすると怖くなるのか?って問いを変えてみてはどうかなと。

そうやって少しずつ変えていくと視界や視野は変わるので、極端な思考ってちょっと危ないなって思ったりするんじゃないかなと。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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