抽象的なアドバイスこそが本質だ

抽象的という言葉を「曖昧」と捉える時、「具体的な」アドバイスを求める人にとっては満足しないでしょう。では、「具体的な」アドバイスが常にアドバイスとして有効かというとこれは怪しい気もしています。

抽象度高めでもその人に応じた本質的なアドバイスとは常に抽象的なんじゃないかという視点の話です。もちろん、曖昧なことをいってごまかそうというのは本質じゃないですよ(笑)本質を詰めると抽象的になるよねってことで。

具体的なアドバイスは、経験をほぼ共有したなどかなり限られる

具体的なアドバイスって誰にでも出来ないですよね。あと、同じ分野でも経験が違う、感覚が違うならこれもきついです。そもそも経験が似ていて、同じ考えてという時のアドバイスって「課題をその人が乗り越えた」か「同じ課題があるので共感」くらいしかなくて、なんとも限られる話です。

そもそもそういう「アドバイス」を具体的に求めることが筋が悪いという話ですが、「こうすればいい、ああすればいい」という具体的なアドバイスを求める人は、なぜそのアドバイスを求めているか、考えたほうがいいかもしれません。

例えば、僕がアイデア発想のやりかたの具体的なアドバイスをある程度は可能ですが、これそのまま使えるレベルになるかというと、常に抽象度を高くしたい、またはそれをもって解釈して使って欲しいと考えるからです。

違和感発想法は一つの着眼点いや切り口に過ぎないとも思っていて、それ見て学んで出来るというよりも「そんなやり方がある」ならば、どう捉えてやるか。自分ならどうするか、そこで出てくる「やり方工夫」がめちゃくちゃ大事ということです。

だから、常に、アドバイスは抽象的=受ける側がそれを咀嚼して具体的に落とすことが大事で、その作業は受ける側だと思っています。もちろん仕事や立場として、投げっぱなしでは終わらないものの、フォローを手厚くしても「あなたの代わりに考える」はないんです。ここがポイントです。考えるを代わりにやるとかはない。

そこを手抜いて考えを代わってやってほしいという欲があるならば、具体的なアドバイスでも多分無理でしょう。具体的なアドバイスも具体的であるが故に、より実践力や行動力として受ける側がやることが求められますから。

プログラミング初心者が入門テキストを読んだ後に陥る罠

プログラミングで分からないことを調べてもすぐ解決するのでなく、結構調べても分からないし、的を射た回答はないというところに似ていると思いました。

この場合は、ヒントとして得た情報を自分の問題に適用していくことが求められるわけです。これこそ「考える」ということであり、この作業を飛ばしたり抜くと、骨組みがない家みたいな感じがしてかなり怖いです。

実際に多くの人でつまづくのが、入門テキストをやった後に何をすればいいか分からない問題というのがあります。これは言われたり出回っている情報やパターンとして、簡単に学べて身につくだろうというやや甘い仮説故です。例えば簡単にプログラミングでお金を稼ぎたいしそうしたいというような類のこと、というところに踊らされているといっていいでしょう。

友人がある時仕事をIT系を目指すということを意識的にキャリアチェンジしたのですけど、それはもう「楽して」なんてものではない。勉強してアピールして固めていくという泥臭いことであり、これは楽してやろうなんて人は出来ないのだと思ったんですね。むしろ、楽できるというのは「商材を売る」キャッチコピーでしかないよねくらいの批判性があっていいかなくらいです。

好きでも楽しくもないならやる意味がないかもしれないです。持続しないからですね。やっていれば見つかるのもありますが、いやだと本当に見つからないし、見つけられないものですね。この時見つける好きとか楽しいって本当に些細なもので良くて。自分が心が動くならばであり、その動く感じを人と比較して優劣をつける意味はないですね。

考えるということを疎かにしていると、どんなことも楽してどこかにあると思ってしまいます。実際には頭のデータベースと課題解決の工夫アイデアと紐付かない、どうしたらいいか分からないというところで戸惑うのですが、それが当たり前です。むしろそれを訓練していくことで鍛えられるわけですね。

抽象的が本質といえるのは、余地が考えるを促進するからかも

例えば今何をすればいいか分からないは具体的な悩みですが、実際には抽象的に整理して、本質が抜き出せてないかもしれないなあと。つまり、どこに悩んでいるかが見えないケースが大半ではないかと。

ここで悩んでいる点が明確であるとき、絞り込んでいくので、アイデアが出るかどうかとなります。明確でなくても、アイデアの有無は、リサーチ、経験、行動、思考量なので、そのまま、行動不足となるわけです。または実践不足や思考不足。仮に十分な検証や行動があって、アイデアもあって実践出来ない場合は、スランプみたいなものといえるが、これも短期的なものであって、リカバリーは自然にされるわけです。これって信じてもらうしかないのですが、まあ勝手に解決されることはないので、泥臭くやるしかないと(笑)元も子もない話ですけどね。

アイデアは出るし、何か出したらフィードバックがされるし、ということを信じられる程度の仕組みとか環境はもちろんいるんでしょうね。

そして、抽象的なアドバイスが本質ではないかというのは、やはり本質的といわれるのは、曖昧さがあるからかもしれないなと感じました。そこで余白余地がある。その余地って何か。受ける側が「それってこういうことかもな」と自分で考えて、「抽象的アドバイスの余白」を自分で考えて最適な今の考えを「埋めていく」ことで、アドバイスが輝くという感じですね。

具体的なアドバイスという言葉はわりと恐ろしいとも言えます。そもそもそんなものはなくて、アドバイス自体が抽象的。考えるのはあなたという構図だからです。もちろん、相談やコミュニケーションにおいてそういう感じで不躾には言わないのですが、実際はそうです。ここでいう具体的なアドバイスを求める人とは、「考えた上でそう聴いている」なら分かるのですが、「考えるフリをして、考えてない」ケースも山のようにあるでしょう。

あなたは専門家なら分かるとか、知識や経験があれば分かることって、多いと思いますか?それとも少ないと思いますか?僕は少ないと思っていて、分からないことや知らないことが誰にでも、専門家でもなんでもあるのかなと。とはいえ一定の推測や推論はできる。とはいえ、でも分からないことが多いですよね、という態度が僕が好きなだけかもしれません(笑)

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