アイデア出しや企画という仕事に飽きないのか?

結論としては、飽きという要素がないようにアイデアを入れているという感じです。

あるメルマガでそういう「仕事の飽き」とどう向き合うかというお題があったので考えてみました。

仕事論とか好きな人はぜひご一緒にどうぞ。

企画、アイデア、事業を作ることに飽きないのか?

あまり言われないですが、0から1とかアイデアを出し続けるとかってすごいですねってことを言われます。というか、最近取材を珍しく受けて(そのアウトプットは残念ながらなしです(笑))その時に話したことを思い出しました。

僕自身は、毎回のお題に正解が無い方が面白いと思っていて、例えば「1+2」は、「3」というのが大体または概ね決まっている仕事は辛いと思っています。「1+2」の部分を考えたいし、ぶっちゃけ「3」はどうでもいいとすら思います。とはいえ、3が仮に新規事業として仮説を出して開発していって出来ていったものであればどうでもいいとは思いませんが、出て来るアウトプットだけ評価されたら堪らないなという気分もあります。

別に結果がないからプロセスを見ろということではないのですが、そもそも前提を共有出来てない何かってもはや何かではないというか。つまりミスリーディングってやつだなと思います。

それで、毎回お題というか命題というか考えることが異なります。もちろん、新規事業や新規企画やこういう部分のアイデアがほしい、ビジネスというところは絞られているわけですがそこで考えるのが楽しいんですね。

よって、問いとしては「0から1が飽きないか?」は、言い換えると「考えることに飽きないか?」となるんですね。僕の中では。そしてその答えは「考えることめっちゃ好き」というところです。哲学とかも好きですし、人がどう動くかも考えるのは好きです。とはいえ教育的アプローチは結構苦手です。勝手にやってくれよって感じになります(笑)

アイデア出しと考えるって微妙に違うんですけど、まあ基本頭を使って何かしらアウトプットする、またはこうじゃないか、ああじゃないかと考えることは変わりがないので、これらをしなくて生きることはなさそうです。

ここまでで結論としては考えることが飽きることはないので、飽きないっすというのが答えとなります。

言われたことだけをやるのは勘弁

著書にも多分書いた気がしますが、基本的に言われた感じのことをやるだけのは自由度が低すぎて、檻の中のライオンみたいな感じです。いいですね、この表現(笑)

プログラマ時代でも良いチームや仕事場や上司に恵まれていてそこでいい感じでした。が、一方でマンネリとして「出社、仕事やる、ランチ、仕事やる、帰る」みたいな繰り返しになっていって(それはプロジェクトが順調であるとこうなる)それですでに飽きを経験しています。

なお、僕はプログラミングは好きであーでもこーでもないとか、バグはどこだーとかいうのはかなり好きです。よって、ここでは自由度がなくて、わりと言われた範疇や仕様書や決めた通りにやるのってやれといわれればやるのですが、やっぱ「なんでこうなの?」と突っ込みたくなります。

多くの決められたことって、理不尽なことが多いという考えでもあります。社会のルールが素敵で全て良いなんて一瞬たりとも思ったことがないですし、常に駄目なことがあると。もちろん、完璧主義者でもないので、そういう状態を受け入れつつ、隙きあらば一旗あげてやるみたいな感じがあるわけです(笑)下克上までいかないですけどね。

そういう意味でプログラマ時代では、1年目で既に飽きていて、2年目からはオートモードという感じでわりと淡々とやっていました。そういう飽きを克服したのは外部です。色々と友人を誘って企画したり、というところですでにそこで何か作ってやるというのが面白かったんだろうなあと思いますし、そういうこと、つまり企画をすることが飽き対策でもあったといえます。

それでも同じようなことをやるのは飽きないか?

とはいえ、アイデア出しや企画もルーチン化します。まずネタを集めておいて(これは依頼がなくても常にです。もはや病気といっていいでしょう(笑)本人はそうは思っておらず楽しくやっています)、そして依頼やまとめるタイミングでアウトプットする。またそれらをクライアントの要望に応じて加工していい感じのアウトプットに調整。企画書だったり、企画アイデアだったり、望む形にするのであって、仕入れた材料から作るのは一緒ですね。

仕入れのネタが同じだと飽きる確率は高い

飽きそうにないのですが、飽きるとすれば工程において、仕入れでネタが全然鮮度が悪い時でしょうか。例えば僕はマグロが好きですが、毎日マグロは辛いです(笑)それと同様で、企画の材料が毎回一緒だと辛い。多分、同じネタを使いまわしすぎるとそうなりますし、逆に同じようなこといってるなあ(一貫性でなくマンネリを強く感じる時)という時は、仕入れる材料が悪いことが多いです。

寿司ってもちろん職人の腕もありますが、ネタが一定うまければ上手いみたいなことを感じます。職人さんに怒られそうですが、やっぱりネタがまずいのにうまくするのって辛いですから。

そういうところで、ネタがおかしいなあとか、同じだぞという時はネタを変えていきます。

具体的には、読書、違う分野、新しいこと、違う人と出会うことなどでしょうか。逆にそれらを求めてない、身体が求めてない時は無理にやってもあまり吸収できないのでやりません。スポンジが乾くのを待つ、乾いたら水分を得に行くみたいな動きをしています。

これによって、「飽きる」=同一状態であるならば、スポンジが乾いたままとか濡れたままとかを回避しているのではないかなと思いました。

ネタを変えることで、毎回の提案が異なりますし、こちらもまとめること、アイデアとして加工すること、ビジネス企画とすることにやはり面白みが出てきます。

アウトプットの部分も同じにしないようにしている

仕入れの部分で飽きという話をしましたが、アウトプットの飽きもありえます。これについては、文章ばかり書いていると話したくなるとか、Webサービスみたいな動くのがいいとか、やっぱ本にしないとブログじゃ話にならないとか(笑)そういうアウトプットを変えていくのもグッドだと思っていて、そういう工夫もしている気がします。常に決まったアウトプットをしてください、ということはあまり求められないのと、それを僕に求めてもらっても困るのでそれは他の方へーという感じで断ることになります。

仕入れとアウトプットを変動させることで、一定の企画やビジネスアイデアという固定されたものも全然違う感じになります。

好きなことをやってる人には勝てない

一方で僕が小説を書くとかはアウトプットの転換という意味であったとしても、まずそれを貫くことはないでしょう。小説が好き、書くのが好きな人は本当にネタを一杯考えて書いてしまいます。そしてそれが面白いので、誰かに読んでもらったり、または発表したりもします。それが好きなのでどんどんおもしろくなっていきます。小説自体もそうですが、その人の感じる体験も経験も「ああ、面白いなあ」となるわけですね。

これを商業的にお金を稼ぐためにという割り切りをしている人がいるとします。プロ小説家というべきですがそれはそれですごいです。ですが、好きでないなら継続要素が弱いので厳しいでしょう。

もちろん、反論としては好きだから商業的に成功するわけではない、なのですが、実は逆で、好きであればマラソンに出続けられるが、好きの要素が薄いまたはないなら、短距離や一つの大会に対して毎回モチベーションの火を失っていく(命を削っていく)ことになるのではないか。そういうスリル感やそれこそがプロだという考えもあるのでなんともですが。

ただ好きならやるたびにマラソンと思わずに走っていて、気づいたらレースも終わっている。しかも脚力や心肺機能から色々な経験値が貯まっている、無意識にです。ですが、好きでないなら、毎回苦労をする、または苦労をしなくても感じてしまう、心理的にストレスになる、そしてストレスがたまってくると「これをやらないと生きていけない」(悪い意味で)となってしまいます。

もちろん、好きと好きでないを天秤にかけること自体がナンセンスなんですが、好きでやってる人は無尽蔵!文字通りのガソリンがあります。アラブ大国の石油みたいなものです。本当に無尽蔵かは分かりませんが。表面的にはそういうマラソンや好きかどうかって見えないので、そこは聞いてみたり、自分ではどう思うかを考えるしかよく分からない部分でもあります。

僕は好きだったり、楽しいという感覚があるので、逆に誰かにやってほしいとか、誰かにお願いしたいとかそういうことはありません。共同でやるとかはあっても、自分の仕事をぶん投げて右から左へわっしょいみたいなことはやる気はないですね。

あんまりないと思いますが、儲かりそうだからーとか、自分でも出来そうだーとかいって、参入してもらってもいいわけですが、好きでないならマラソンが出来ないので「え、こんなに長いレースなんだ。無理!」といって脱落する人が多そうです。

それが持続力であり、継続力なんだろうなあと感じます。もちろん僕自身別に生まれた時から人にアイデアで役立ちたいなんて思ってませんでしたし、プログラマ時代には単なる「こうじゃないんだ感」しかありませんでした。

今でも「本当にそれでいいか」というと、分かんないけどやっぱこれがないとねえくらいの感じです。ミッションとか、生きる意味とかはぶっちゃけ後付けだと思っています。論理的に言って理解されても、本人が感情や感覚的に納得していないならば言葉は浮きますのでやはり何も生まれないでしょう。

よって、好きなことをやってる人と戦うのは多分分が悪いですよ、という点と、同時に逆に仕事や今の在り方が好きというところからアプローチしてもいいわけでここらへんは長くなるので省きますが、好きなことやったほうがいいなあって感じはします。これは好きでないなら仕事をするなとかではないのですが、世の中的に好きを仕事にとかいうと極端に捉えられるのはそういう好きで仕事化していく経験値が社会的にストックがないだけかもしれませんね。

おわりに

あなたは仕事に飽きるとか考えたことがあるでしょうか?飽きとどう立ち向かうか、そういうことを考えると、以前書いた退会時のサービスについてではないですが、マイナスやネガティブなことから軽く刺激を与えるのもたまにはいいんじゃないかと思います。

ポジティブなことばかりじゃ人間らしくないですからね(笑)

僕は飽きることはなさそうです。そして飽きるならさらにメタ的に企画をいれて解決というか継続していく流れにしそうです。これがある種のライフハックなのかなとか思ったりします。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

違和感で発想のやり方が学べます

日常生活で感じる違和感を用いて、アイデアを出すやり方が学べます。「違和感発想法」は誰でも気軽に出来るサービスです。

LINE公式アカウント登録で無料で学べます。気になる方はチェックしてみて下さい。