時間は絶対的に足りない。だから決めてやることが大事。

時間は絶対的に足りないし、いつでも不足しているという気付きの話です。転じて最後には、集中することを決めてやれば大体のことはできるという意識に持っていきました。

読み物としてどうぞ(笑)

時間は絶対的に足りない

ふとアイデア出しの材料や調べ物をしていたり、息抜きをしたり、あとは読書をしていて思いました。

「あれ、時間って絶対足りないな」

という事実に(笑)

例えば、本を読めば気づきがあります。本ブログでも書いていますが、本なりインプットなりをすれば気づきがあるからそこから調べてみたいなことを繰り返すと無限に学べます。やり尽くした!なら他の本にいけばいい。

ちなみに本自体も無限に近い数があり人が読める本の数もかなり限界があります(笑)

読書ですらそうなのだから、つまり・・・。

自分のやりたいこと、アイデアを形にすること、これらも同様のルールというか、同じです。もちろん単発で一つずつ全ての時間は足りないのは分かるので、不要必要を判断して、それらをまとめられるかどうかなども考えても多分足りないはずです。

絶対的に足りないというのは、

やってみたいことをすべてやる時間 > 今ある使える時間

という関係になるからです。

じゃあどうすればいいの?

例えば1日に4時間ほど(もないですが)使える時間があるとして、1ヶ月で120時間、1年で1440時間あります。残り人生を50年とすると、なんと、1440時間×50=72,000時間となります。これは1日24時間とすれば、3000日となり、約8年ちょっとです。

この数字かなり少ないと思いませんか?そうでもない?

1日使える時間というのが4時間というのが味噌です。これは仕事とか、省いたものですが、そもそも人はなぜ生きるか。仕事したいから生きる人もいるかもしれないですが、僕はそうは思っていません。というか、自分で決めるというか自分で考えてこれとやらないと充足感はないので、決めないと駄目なんですよね。

普通なんてないんですが、仕事したり、寝る、ご飯、トイレなどがあって、それ以外で考えたわけですけど、異常に短いなと。

例えば、以下のような問いは一発で吹っ飛びます。

「空いた時間で、何かやっていけばなんとかなる」

この考え方ものすごく分かるのですが、ではその空いた時間とは、標準で何もやることがないでも4時間です。ちょっと本屋によろうとかそうすると3時間(笑)ちょっと勉強しようで2時間。どんどん減ってきます。もちろんこれらの「ちょっと何かしよう」が、「やりたいこと」ならオッケーです。でも多くの人は多分そういうちょっとした何かでなくて、もっと意識的にこれをやりたいと思っているのではないか。

その時「空いた時間」なんて存在しないわけです。空いている時間はなくて、自分が空けた時間ならある。時間を作るといったほうがいい。何かをやるために自分が自分の時間を捻出したといえる。

空いた時間はないが、自分が作る時間は存在する

上で言えば、1日4時間は空き時間が最大あるという人でも、自分で4時間作るという人でも、結局時間自体は変わりません。同じ4時間を空いていると捉えるか、作ったと捉えるか。まさに意識の問題です。

空き時間と作る時間の違い

空き時間は文字通り無意識または意図せず出来た時間といったほうが正確でしょう。作る時間は文字通り意識して作った時間です。

空き時間が出来たという姿勢でいると、その空き時間は「天から与えられたもの」となります。そう信じてもいいし、それは自由ですが、その時間を有効に使える感覚は僕にはありません。与えられたものはやはり自分で使いこなせない。なぜなら自分で見出してないので、痛くもないしかゆくもない。誰かの時間を消費するほうがまだ意識が出るくらいです。お金とかも一緒でしょう。誰かからいきなりお金をもらったらそれは多分あぶく銭で、さっさと使ってしまったほうがいい。それくらい意識出来ないものであるのが空き時間じゃないかと。

もちろん「空き時間が出来たらから何かする」という人はそれで全く問題ありません。あくまで僕の言葉の感覚であり、空き時間の感覚においてです。

作る時間は、文字通り作ります。4時間作ったから、びっちり予定をいれなくても、休みもいれつつ、命の時間を意識します。つまり自分が死ぬまでの時間を使っているのであり、他の誰とも代替が出来ない(自分の時間を返してくれというのは台詞としてはありますが、現実は取り返すのは不可能です)時間です。これこそ自分の人生=命=時間を削っている感覚です。痛々しいというわけでなく、自分の時間は有限ということであり、基本的に減るだけです。増えはしない。

もちろん誰かにお金を支払って任せるなどは可能ですが、これでも「時間は増えない」です。やりたいことをたくさんできるとか、時間を短縮出来るのですが、絶対時間である命の時間は増えません。

ここまで考えると、空き時間をぽかんと口を開けて待っているようでは何も成し遂げられない。それこそ目の前の机の上さえ片付けられないという感じです。伝わりますか?(笑)

時間は減り続ける。だから、明確に作りそこで何かする

時間は減っていきます。増えはしません。もちろん仕事が休みだとか、そういう事情で「時間が出来る」ことがありますが、それもトータルで見れば、やや時間が増えたように感じるだけで、結果的に減る傾向からは脱出できません。

カウントダウンに閉塞感を感じる人がいるかもしれませんが、ここでは何か切迫感や追われることでなく、そのありがたみを感じること。まさにエモいと感じることが大事ではないかと。

1日1日の時間があること、そこに感謝しつつそれを使って何をするか。まさに自分の人生の中で何を考え何を取捨選択し、誰と話し、何を食べ、何で笑うか。

これが1日の中で連続して何度もあるのが基本的な人生と言えます。だからこそ、やりたいけどやらないとか、やりたくないことをやり続けるというような、不本意な生き方はやめたほうがいいということです。もちろんこれは誰もがそうであるというわけでなく、僕がそう感じたという話に過ぎません。

起きて何をするか。逆にいえば起きて何をしないか。寝るまで何をするか、何をしないか。その繰り返しでしかない。もちろん、社会も自分も変化しているので絶対的に同じ日はないわけですけどね。

1日の中で時間を作り、仮に時間が追われていてほぼないとしても、また余裕があるとしても、時間を作って何かやりたいことなり、時間をあてがう、そこに当てていくことをしないと多分一生何もできないのではないか。

実際に何も出来ないは言い過ぎなのですが、ぽかんと口を開けて待つ姿勢ではほぼ99%駄目で、意図的に狙いすぎても狙ったとおりにいかないくらいの感じでしょうか。

人は何かに追われるほうが力を発揮できることもある

背水の陣という言葉が好きです。火事場の馬鹿力みたいなものも。

でも、そういう追い込み環境にすればうまくいくのか?というと、実際はうまくいくこともあるしそうでないこともある。つまり分からない(笑)

自分の気質なり性格なり、モチベーションなりをハックして、うまくいくために仕組みや機能するやり方を考えてそこに工夫をするのが今の所最善策な気がしています。自分ならどうすれば動くか、を意識してそのためにリソースである時間を割く。そうするとエンジンがかかるという感じです。

直観ですが、

「適度に追われる感じで、それをうまく時間を作るというところに意識を持っていって、そのゾーン状態で一気にやる」

みたいなのが多分一番力を発揮できそうかなと。まあこれも結局集中をどう作るかという話になります。

つまり、時間を作るのはマスト。その中で休憩も含みつつ、とはいえ決められた時間の中でやるには基本的に「やりたいこと」をある程度分割したり、定義したり、具体的に落とし込まないと意味がない=見えない。そのうえで、集中リソースをどこに使うかを考える。

みたいなことになりそうです。

目標設定などでよく言われるのは具体的に決めることですよね。でもこれは具体的に決めた途端に何かやる気がなくなることもよくあります。それやってどうするの?みたいながむしゃらになれないみたいなことがあるんですね(笑)

多分それは目標としてそこまでモチベートしたり、それこそ時間を作って=違うことを削ってまで、または集中リソースを使ってまでもやりたくないのかもしれないと感じました。

それくらい人がやりたいこと、自分がやりたことというのは数は多いけれど、実は圧縮して本質まで持っていけばごくごく少数なのではないかと。そんなことを感じました。

例えば僕はなにかやる人を応援したいみたいなことを言っていますが、どのレベルの人をどう応援したいかってかなり曖昧です。ただ関われない人は応援できないし、コミュニケーションできない人も応援できませんから、そうすると身近な人を幸せにするみたいな言い方も出来ます。これって色々あるわけですけど、例えば自分が見えてない範囲のことが絶対あって、でも一方で幸せそうな仲間というか人達がいてなんかいいなあ。エモいなあと。そう感じることも事実です。

おそらくこれらの考えの中に、絶対的に時間を作りかつ集中してもっていったほうがいい何かがあるのではないかと考えました。それは焦らずともこのちょっと追い込むメソッドでかつ意識を高めていくと、行動になるので見えてくるのではないかというところです。

おわりに

時間は誰もくれません。そういう意味で時間管理とは時間を守るとかがルーズな地域や国もあるわけですが、それはそれとして、自分の時間を死守するというのも集中を高めていく上で、自分をコントロールする意味で、ものすごく大事といえそうです。一人の時間の価値とはそういうものかもしれません。

そしてやりたいこと、例えばアイデアが生まれてこれやったらいいよねと思ったことはリスクはなく、コストもほぼ掛かっていません。それらはほぼ自分でやることはないでしょうから、どんどん出していってやってくれる人を見つけないと一生やれないし、他の人が考えた実行結果を見るだけだなあとも感じました。

この仕組みが出来てない状態でいってもあまり意味はないのですが、アイデアを生み出し自分でなく人にやってもらうことで、最終的に自分に返ってくる。多分現時点でいえる最大の気づきはこれかなと思いました。ここを仕組み化するなり、やり続けられる装置を作ることが、今僕が時間を作りそこに投下していくということなんじゃないかと感じました。

もちろん、といって何をするかになりますし、そこに近づけられるかを考えていってどうかということになります。

冒頭の気づきは「時間が絶対的にない」というネガティブな印象でしたが、そこを見つめると、「集中することを決めてやれば大体のことはできる」というポジティブな感覚にもなってきました。なぜなら、時間のなさは嘆いても笑っても変わらないからです。あと僕が出来るのは残り時間で何をしてしないか、そこで仕組みを作れるか(たとえばアイデアプラットフォームのようなもの)だけと言えそうです。もちろん、途中で興味や関心が変わっても、基本的にやりたいことが自然に変化していくので、「基本OS」っぽいこの考え方は変わらないんだろうなあと。

今回は以上です。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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