集中している時は、外が気にならない

当たり前ですが、集中とはそういう状態を指します。つまり、外や外野が気にならないってことですね。

逆に外や外野が気になってしまってというのがある場合はやはり、集中できてないと。集中するにはどうしたらいいかそこを考えてみましょう。

集中出来ていると時間はあっという間にすぎる

いわゆる1時間があっという間に過ぎた。それはゲームに熱中していたからだとか、話していたら盛り上がって2時間過ぎていた。そういう経験誰もがあるかなと思います。

クロノスとカイロスって時間があったはずで、クロノスがいわゆる時刻、つまり機械的な時間ですね。今15:52ですとか。カイロスは主観的な時間、つまり充実した時間とかですね。

あっという間に過ぎ去った時間がクロノス的には1時間だとしても、カイロス的には充実した楽しかった時間だったとするわけです。ではその1時間は誰にとっても同じか?というとそれはないですよね。集中して愉しんでいた人はそうだけど、「早く試験終わらないかな」という1時間はまあ退屈といってもいいし、長い時間になります。

1時間という単位だけで見ていると全く見えないわけですが、1時間という時間の過ごし方は全く人によって異なりますよね。充実させればいいとかそういう正解みたいなことはなく、どちらもあると。つまり良い時間もあればそうでない時間もある。

そういう時に、やはり集中とは主観的ですから、良い時間という意味で、楽しい時間、集中出来る時間はクロノス的といっていいわけですね。となると、当然勝手にそんなものが生まれるわけでなく、感情や体調を丁寧にもっていく、文字通り「心から」楽しむとか、入り込むことで、時間は主観的にいえば「あっという間」に過ぎ去ります。

まさにこれが集中で、その時の「時間経過」を今30分経ったなという感覚はまあほぼなくて、むしろ気づいたら経過していたというのが集中の結果と言えるでしょう。

心から楽しむとか、やりたいとかそういうこと、やらなきゃいけないことでもいいですけど、体が時間をカイロスなどの時間を無視して、まずは入り込むこと。熱中といってもいいですし、これは言葉はなんでもいいですけど、そこができれば集中しているといえるわけですね。

外部とか外野って書きましたけど、まさにここでの外部は「時刻」とか、今何時だろうかというのが気になることです。または心からやれてないこととか、他が気になるみたいなことですよね。

やや分かりづらいかもしれませんが、例えば料理で1時間やってあっという間に経った場合に、あれもこれもというのも、料理の中で統合されていれば集中といえるでしょう。例えばにんじんを切った、鍋で煮た、その間に別のキャベツを切って、味付けをして、次は肉を・・・みたいなことはそれぞれのやることは別でも、集中していれば時間がどうとかはなくなりますからね。もちろん、15分煮るとかで時間を測るときは、クロノスを意識するわけですけど、カイロスとしては、15分を意識とか、待つとかでなく、他のことをやっている間に終わっている時間とするのがポイントなのかなと思います。

ってことで、時計をある種捨てて、今何時だろうがやり続ける、ゾーンに入るみたいなのがやはり集中となるわけですね。

外部が気になると、やりたいことが出来なくなる

分かりやすいのはTwitterとかSNSとかばかりみていると、まあ永遠と見てられる=情報が変わるので、まあ集中でなく拡散というか散らかりますよね。休憩でみているならいいですが、常時みたり見すぎるとまあこれもやりすぎなので、やりたいことが出来てない、集中はできてないかなと思います。

具体的には、何か作業をしていても、Twitterが気になって中断したとか。中断コストは高くて、もとに戻るのに30分とかかなり時間がかかるんですね。だから切らさずに、集中してやったほうがいいと。マルチタスクって良さそうですけど、実は集中度合いが切れるならかなり非効率かなとも言えます。まあやることとやり方なんでしょうけどね。

中断させられたりしていると、まあストレスになりますから、そこは対策を取るしかないですよね。まあ思い切って休むのもありですし、そこはもう人それぞれですね。

この時、外部が気になる、癖や習慣なら分からないですけど、なんでTwitterが気になるのか。大した情報もないのに(笑)見ている人はいるわけですよね。一方でそれを娯楽としているならいいわけですが、時間が欲しいがTwitterは辞められんみたいなところであると、色々と問題となるので、まあ時間がなくなり、やりたいと思うことへの集中も忘れてしまう感じでしょうか。

やりたいことってなんでしたっけ?自分がやりたいという意志はおいておいて、どういう仕組みや環境が作れますかね?というところを考えると、集中するためにはどうしたらいいか。作戦が練れるかなと。

集中している人は外野をスルーしている

ここでいう外野とは他の意見を聞かないみたいなことでなく、関係なさすぎる人たち=外野というところで、結局二項対立ではないですけど、100%良いことなんてないですし、個性が強ければまあ対立しますよねということですね。だから、ぶつかるんだけど、それやってたら話が始まらないのでスルーすると。で、スルーされるとイラッとするので不毛なバトルが延々とあると。

考えるだけで疲れますが、実際はそんな感じであるというとき、集中している人はスルーしているので、全く気に留めてないんですね。これが集中です。集中している人には大声を出すとか、何か肩を叩くとか結構な刺激をしないと気付いてもらえないですよね。逆にちょっとした会話や音ならスルーされる、耳に入っても脳がキャンセルする感じが正しいかもですが、まあそんな感じですね。

僕も集中していると、色々と頭に浮かんでくるので、それを言語化するだけであって、他のことは考えてないですね。それが集中です。

つまり、集中と拡散は両立できない、これが当たり前ですがポイントとなります。集中しつつ拡散はできないので、集中モードなら集中すると。拡散なら拡散すると。そのアップダウンかどっちかというだけも苦しいんですけど、とはいえ集中出来る時ってわずかでしかないので、リソースが少ないなら集中回数を減らしていきここぞとでやると。それ以外は拡散していって蓄えると。まあ寝るの大事ですしね(笑)

自分の時間は有限ですから、拡散してダラダラするのが悪いわけではないですし、集中だけしてもパフォーマンスが出るわけでもないです。ただ集中する時に集中している人はスルーして、他は遮断できる。またはする仕組みがあるのかなと。

色々やっているなーという人はその仕組みというかプロセスや切り替えが上手い気がします。これは才能とか意志でなく、仕組みで、ここに座ったらやることはやるとか、物理的刺激でもいいし、時間で区切ってもいいし、それはもうあなたがやれるような仕組みを誰かに考えてもらうのではなく、自分で考えるってことですよね。それができればかなりのものを自分で出来るようになるのではないかと僕は考えています。

集中は儀式で入る

ライフハックやルーチーンですね。

僕の場合は、手書きメモをキーボードで打ち込むということをよくやっています。ブログもですが、そうでないメモや調べることも結構多いです。この手書きメモはアイデアということもあるので、これってたまりすぎると嫌になるのですが、そこそこのタイミングでやると。読書メモとかもそうですね。

でも手書きメモがないなら、このルーチーンは作動しないわけですね。ただこれらは習慣化されているので、これらをある程度やってないと、なんかむず痒くてソワソワしてしまう。それだけなんですけど、違和感を利用してそうならないようにしているし、なったらなったで新しいインプットをしていく仕組みとしています。

いつもかけているBGMもあるのでそれをかけたりもいいですし、ときには匂いを線香ですねを使ったり、洗い物をしたりとか、歩いたりとか、仮眠もいいですね、そういうのって手段なので、気分を変えるための手段を色々持つってのが大事かなと。サボるためにではなく、サボっても戻ってこれればいいわけですから(笑)

やる気が出ない時なんかは、ちょっとだけやる、馬鹿馬鹿しいくらい分割してしまって5文字書くとかだけでもいいですよね。それさすがにできないことはないのでやるとそのままやり切れちゃったりしますよね(笑)

これはやはり脳をごまかしている、ハックしている気がします。人、つまり自分がですが、それほど「賢く」ないわけで、であれば適度にごまかしてあげて使っていくようにするのがいいですよね。

で、ある程度入ったなとか、いったなとおもったら、もうそのままやりきってあとは、休むだけですよね。言うは易く行うは難しかもですけど、慣れれば誰でも出来るのではないかと思うところです。

外への意識が強い人は集中できてない

くどいですが、ここでは内面の集中というのがメインです。外へ、つまり外部へどうこうということはその逆です。

だから、人の言動が気になるとか、人から何言われるかっていう思考はまああるわけですけど、それだけとか、それが気になって自分のことができないは、まあ集中できてないといっていいでしょう。

外への働きかけも原因帰属してあまりに人が悪い、社会が悪いとか、どんどん自分と違うところ、ひどいと自分は絶対悪くないとなるんですが、そうなると自分への内省がないので、結構辛いです。つまり、人への攻撃ばかりで、自分がどうとかにならない。

端的に自分の時間がないことになります。これは忙しいとか、何か自分が他にやることがあるからでなく、単に外に構う時間が多くて大変ということですね。馬鹿馬鹿しいですが、そうやって時間を使っている人はいるかもしれません。自分がそれで充実したり成長したりはなさそうですけど、それも人生なりというところで一興だと僕は思っています。

ただそういう人たちと高め合えるかというとそれはないでしょう。自分の時間を大事にする人は、人との時間もめちゃくちゃ大事にします。だから、外へ外へみたいな意識でなく、まず自分が集中できていること、その上で外へとなると多分配慮ってことになるんでしょう。

逆に外に外にというところから始まると、外への干渉や原因帰属がずれたりして、攻撃的になってしまったり。そうなると自分への内省時間も自分のやりたいこと、充実も減ります。なんでこんなことやっているのだろうという虚しさが出てくるかもしれませんね。それはともかくそうなると、自分への肯定感も出ないので、集中どころではなくなると。

これらはどちらかであるとか、二つタイプがあるみたいな話でなく、状態としてやはり自分へ集中できていることを目指す方がいいような気がします。それで自分が充実するからこそ人への愛というか配慮もあると。そこにまさに集中したほうがいいって話でした。

そうすると集中出来ているので、外部の声はキャンセリングされるし、文字通り自分のやりたいことに入っていける感じですね。それを味わったり見えてくるとまあ面白いものなので、何か最近集中できてないぞって人はこのあたりチェックしてみてはどうでしょうか。

改めて書いておくと、

  • 自分のやりたいことができているかチェック
  • 他人や他の言動が気になっているかチェック
  • 時間があっという間に過ぎてるか、それともそうでないかチェック
  • 内省時間を取れたりしているかチェック

くらいですかね。色々な視点はあれど、集中できていれば、自分のやりたいことができ、他が気にならない(まあ色々な人があるので批判されてもそういう考えもあるかなくらいって感じです。過度に反応しない)、時間はあっという間に過ぎて楽しいし、自分の感覚や世界観も把握できている、ってところです。これが集中です。

世界を構築するとは、どこか物理的ななにかを作るのもありですが、まあそれってコストかかりますよね。ということで、メタバースとかってことでもないんですけど、自分が創造する想像かな、イメージを自分でイメトレして作っていくほうがまあよほど効率的でコストもかからないし、QOLもあがるし、人にやさしくなれるってだけなんですよね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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