お客さんのために、自分も本を読んで対話する

これはどういうことかというと、色々なインプットをお客さんに合うように加工したり編集したり気づきを与える。そんなアイデアサポートをやっています。

そこで感じたことを前いくつか書いたのですが、実はインプットしてお客さんにアウトプットして終われば話が早いのですが、これで完結しないんですね。

何があるかというと、僕自身も対話していかないと、どうにかしようとできない(マネジメントできない)なと感じたわけです。

つまり、僕がお客さんと対話出来るのは、対話出来るから出来るみたいなことでなくて(笑)自分に余裕があるとか、余地があるということです。愚痴を聴いているわけではないですよ。

では余裕とか余地って何かというと、時間とかもあるのですが、実際はその特定領域やお題やテーマについて考えるということです。これは簡単に「考える」「考えた」といえるのですが、実際はお客さんならこういう視点があるかな、だからこっちが面白いかもなとか。あえて逆を突いてみようとか。そういう駆け引きとは言わないですが、心理面の想像が面白いわけです。少なくとも僕は。

もっといえば、僕が何か提供するには、僕自身が豊かでないとまず提供できないって話といってもいいです。自己啓発っぽいですが、まあ事実じゃないかと思ってます。本当に思ってますから(笑)

そして、対話自体は相手を受容しつつ、そこで違う視点や整理をしたり、違う概念やアイデアを見出す行為でもあります。それって、セルフ対話してなきゃ出来ないというのも分かりやすい話かなと。

それで、僕は対話をどう自分でしているかというと、こういったアウトプットもそうですが、やはり本を読むは対話じゃないかなと。こうすることで、色々と整理したり、気づけたりして、そこでメモを起こすのですが、それで整理されていくことがあります。

本好きなら分かりそうな言葉でいえば、本屋に行くと探してた本でなくて、「あーこれほしかったかも」という本に出会えるという現象です。そういう潜在的、埋もれてたかもというものに出会うのはやはり対話かなと。

というわけで、冒頭長くなりましたが、そうやって自分が対話するからこそ、お客さんに対話できるとか、対話していくところでアイデアや創造を生み出せるみたいなことをちょっと振り返りつつ書いてみます。

お客さん→自分への流れを考える

分かりやすいのはアイデアサポートであれば、僕の仕事ですね、ここでは、お客さんから依頼が届きます。お題とかテーマがあると。まあ色々ですが、多くはどういうアイデアがあるか考えつかないから何か欲しい人が大半です。または思いついたものがあるが、多分こういうことではない気がするという直感的な違和感があるみたいなのも多いです。当然そこで自分で何かしらやって問題ない人なら、僕に依頼しないはずです。

お客さんは、気づき、学びがある。アイデアや視点、ヒントを得られるわけです。自分で本とかで対話もできるわけですが、対話を普段してなければしづらいんですね。あと、自分で例えば何か本、情報を得てもそのモード=創造や視点切り替えができなければ、ここができなかったりするんですね。このギャップがあることが僕の価値にもなります。一応言っておくと、みんな対話が出来たら成り立たないわけですが、対話出来ない方がいいって念じているわけではないですよ(笑)

僕の仕事は、自分はお客さんのお題をうけて、それをしっかり返す必要があります。ここにアイデア、情報の編集が生まれるわけですね。必須なのはそこで何を受けて何を返すか、逆に何を返さないかと言ってもいいですよね。

そのために、自分の中にある資源でやることはあまりなくて、あってもそれはごく一部で、実は情報を得てそのお客さんのために使えそうか、またはこういう切り口はどうかという提案をし続けることをやっています。

提案であって、正解はないですよ。よって、答え合わせはないと。端的にいえば、お客さんが気に入るか、そういうのは良かったとか、ヒントや学びになったと「定性的」に思えるかどうかとなるわけです。

そうなると、僕は情報の運び屋(笑)みたいになって、消耗しやすいんです。というのは、ここで単に情報だけなら非対称性があるから価値があるともいえるわけですが(先のギャップですね)、実は情報はどこでもあったりすると。しかし、例えばGoogle検索で得られるものは、そもそもの入力ワードがないと得られないという事実を突き詰められて、入れないワードでだしてくるのは至難の技です。その入力ワードを僕が持っているという感じが強いともいえる。けれど、これは本質的な価値ではない、と僕は考えているわけです。

自分→自分の流れがまさにセルフ対話となる

情報はここで一次情報が良く、二次情報だとGoogleさん然りでどんどん埋もれていく、コモディティ化というか、どこでもあるようになるという意味ってことです。自分のオリジナルというか、一次情報というのが適切なわけですが、自分なりの得た体感、経験をどう加工してお客さんに伝えるかということをやっていることになります。

僕が得た情報や知見をそのまま使えることはあまりなくて、どう加工して、お客さんに寄せるか。寄せるとは、受け入れやすいように加工するかということになる。同時にそれができるのは、自分でその情報やヒントを噛み砕いて自分なりに揉んでいることがポイントとなっていくわけです。でないと、ただの情報参照データでしかない。羅列した記号みたいなイメージだろうか。

そうならないためには、僕がきちんとヒアリングするなり、お客さんの想定する期待値レンジみたいなのを得て置く必要がある。というか、それをしないと多くのアウトプットは評価され難いのだと思います。

だからこそ、僕が噛み砕くためにも、ただ情報を得るというのは適切ではない。本のように得つつ対話をしつつ、色々と揉んでいくことがポイントとなるんですね。そこには考え方、価値観、社会などを多く含んでいて、それは情報というにはあまりにも乱暴な感じがしていて、多分「情報」だと適切じゃないなあというところです。

僕はそのために、本を読むし、対話をしてそこで考えを整理したり、気づきを得たりする。この行為、作業は何なんだろうかと思っていたのだけど、自分の状態なり感覚を把握できないと、やはり他人、ここではお客さんの状態を把握するなんて無理だなと感じたというわけです。ここが今回の最大のポイントです。つまり、自分が対話して、余地や余白があるから、そこで色々とゆとりですよね、豊かであるからこそ対応出来るといっていい。と、確信的に言っています。

医者が病気だから、患者を診られないみたいな感じに近いんですよ(笑)実際はそうでなく、医者は健康だからこそ(もちろん怪我や一時的に健康でないこともあるだろうが)、他の人を診られるとも言えるわけですよ。

そうなると、対話なら自己対話ができるからこそ同時に他者対話もできるし、アイデアや情報の得方もそうで、自分では色々とやっているからこそ、それを誰かに展開できるといってもいいかなと。これはそこまで乱暴ではないかなと思いますし、適切かなと。

お客さん→自分→セルフ対話→余白/余地→おすそ分けという産物がまさにアイデア

ここでつながるのは、おすそ分けという考え方です。僕は昔からこの考えが好きで、お客さんには見えないだろうけど、こちらは色々得ていてその中でこれはどうかなという「おすそ分け」、もっといえば「ついで」といっていいのだが、さすがに「ついででやってます」というのは、ちょっと軽んじてしまうのでさすがに言わないですよ(笑)

あくまで僕の主観世界の印象なのでそうは言わないと。あと向こうもついでで仕事をしていると思われても嫌だしというところです。

おすそ分けという概念は、つまり色々ある中で溢れるものがあるし、これは自分では使わないし、あとは食べきれないみたいなところがあるよねと。だからそれを提供しようとなる。これはとても自然だし、無断がないような気がしています。合理的ということよりも、なんというか、分け与える感じに近い。ギバー的なイメージです。伝わりますかね?

水でいえば、コップに水が割りと入ってて溢れると。溢れるのでそのまま出ちゃうと勿体ないですよね。なのでどうですか?という感じです。当然自分が水があふれるような水源を持っている、それがまさに観察してメモするみたいな思考するみたいなことをやり続けるストック源であったり、そこから出てくるアイデアということになります。

だからこそ、僕はそのために、分け与えるとかおすそ分けは全然上から目線ではなく、対等かむしろよかったらーくらいで謙るくらいのイメージがある。そのために、情報を得る、一次情報を好むし、自分で体感する、価値観や考えが好きであり、他人の面白い考えを好む、社会を好む、そうやって気づきを得て揉んでいって考えていることがある。そこにアイデアなり、ビジネスなりのヒントや視点もある。ということを繰り返しているんじゃないかと思ったんですね。

境界は溶けて最終的にそこにどれだけ向き合ったかが残る

ここまで言えば明確ですが、お客さんをトリガーにして、自分にぶつけられる課題や問題、または僕が問題や課題と思うことは溶けてきます。どっちの主体での課題なんてもはやどうでも良くなるんですね。伝わりますかね?

ある種悟り、語りに近いのですが、結局相手と同一にはならないですけど、主体としては別だけど、やはり考えや共感とは相手とは似ている点があるとか、この考えは共有できるとか、色々と考えていくと深まっていくと。そうなると、何がお客さんと僕とを分けるのか。結構曖昧なわけです。宗教とかではないですが、概念としては一体化するイメージです。もっといえば、境界線が溶ける感じです。

ちなみにこの溶けるとは、昔面白いと思ったシュルレアリスムとかで、溶ける魚って本があって、昔読んだのですが、全然わからなかった(笑)ただ、なんか世界が溶けてるとかは感覚知として分かる気がしたんですね。あまりやり過ぎるとちょっと理解されがたそうですけど(笑)

そうやって、お客さんと僕の境界線が溶けると、お客さん→自分というのは消えると。あと自分と自分の対話というのはまあ普通にやっているのでこれは境界線は関係なくて、自分の主観ワールドなのであまり関係ないと。ただ発動するのは本などの別の人との考えや刺激なのでそこは外部の助けが絶対にいるわけです。自分で出すにはワールドが狭いというところですよね。セルフ壁打ちみたいなイメージですね。

そしてそこで溶けるとは言ってますが、自分の中の余地や余白はまあ溶けるがゆえに、明確に見えてきます。こういう余地がある、ここでは遊びですよね。課題やテーマを踏まえた上でこういうのもあってもいいんじゃないか、こうすると面白そうではないかというところだと。それが余白です。それがあることで、溢れてくるものがある。そこがポイントとなると。

この溢れたというか、こういうものがアイデアとなって、豊かさといっていいのですが、アイデア、価値といってもいいのですが、生まれると。そのイメージや概念を言語化する。拾うイメージですが、地面に落ちているよりも、コップのように溢れてくるのでそれを掬って提供する感じが近いですね。

それがまさに「おすそ分け」だと。

くどいですが、そのためには、僕がまさに充実していること、余白や余地があること、本を読んで対話してその豊かさを感じていること、それがないと、まあ出来ない仕事と言えます。仕事というと狭く感じますが少なくとも、僕が豊かでないとこの対話は出来ないのと、この対話の価値があって、かつ誰かが見て真似しようとしても多分出来ないのはこの内面的な世界、価値観ですよね、それがあるからかなと。外枠はそりゃプロセスだけ真似したら出来ると思いますよ(笑)

でも、内実は、実際のところですよね、対話ってかなり言語化もですが、主観や客観の行き来をしたり、それを粘り強く続けていく必要があるんですね。それは僕も明確にですが、一朝一夕で出来ることではない。しかし、やれば学んでいけば出来ることでもあるので、僕しかできないってわけではないんですよ。ただ、そういう人がいなかったり、そういうことが出来るのはなぜか?というと、裏というか別に隠してないんですが、そういう内面の世界があって、それをやり続けられる仕組みがあるからってことなんですね。

種も仕掛けもないわけですが、地味にそうやって内面を充実させていって、そこから溢れてくるものがあると。それだけです(笑)

自分が本を読む時間ってなんだろうか?

ふとそういうことを考えたんです。僕が読んでいるのですが、僕が感じているのですが、僕が考えているのですが、同時に課題やテーマを探している(無意識で)ので、やはりそれは同時にですが、お客さんの代理というとちょっと言葉が微妙ですけど、僕がお客さん視点OSをインストールして、そこで見るみたいな。そういう代替というか、ある種の変態?というのですかね、変わっているというのはありますよね。変態は変な人ということでなく、変わるって意味合いですね。

面白いのは僕が僕だけのために読む読書ももちろん大事ですよ。ですが、それだけでなく、僕が何かこれは役立ちそうだという一人の視点よりも、別の人の視点を入れておく方が、そっちでも得られると。つまり、僕もですが、お客さんも役立つので2つ同時に役立つと。そうすると一冊読んでるのに、色々と得られるものがある。これって楽しくないですか?ってことですよね。僕は楽しいわけです。面白いわけです。

そこをそう思えない人もいると思うので、ここでの本での対話は限定的な、僕だけしか言えないかもしれないのですが、そんな感じでおそらくクリエイターはネタを探しているのではないか説です。まあ仮説でなくてもいいんですが、僕はそう自分の現象を説明できるなと。

よって、僕が僕と対話するのもそうですが、そこで得られるものもあるので、そういう一回で色々得られるからこそ、これは余裕が生まれるわけです。つまり、常に「アイデアがある」状態になる。アイデアがないから「アイデアを探さなきゃ」ではないわけです。アイデアが常に最初にあるので、よりアドバンテージというか、余裕ですよね、予め動けるイメージがあるんですね。

当然それは、課題があるテーマがあるとか、そういうお題がなくてもやっているからで、そうやることで、常に先に先に備えて動けるという感じですね。

おわりに

今回は僕の仕事で、アイデアサポートについて最近書いていますが、さらに僕の内面世界、というか仕事の過程ですよね、それについて書いてみました。考えてみると、本読んでるって仕事と思ってるんですけど、ぱっと外から見ると遊んでいるようにしか見えないじゃないですか(笑)企画とかってそういうイメージがありますけど。

まあ実際は、外でなく、内面でどこまで動いているかなので、とても分かりづらい話ではあります。だからこそ、内面ワールドで旅したものがあるので、そこを外の世界に、つまり言語化して持ってくると。これこそまさに思考だと僕は考えています。

思考が深いとはこのワールドでの旅を色々やったことといえます。それが浅ければ浅い思考となる。深ければ良いわけではないんですが、より刺さるとか、人間らしいとか、短絡的ではないアイデアになったりするのではないかと考えています。

これを真似しろって話でなくて、アイデアを出すといっても、水面下では色々やってますよね、ということをちょっと書いてみました。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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