どう欲しいデータを得るか

これ当たり前ですが、自分が欲しいピンポイントのデータはまずないです。なので、抽象化、具体化、ずらすなどのテクニックが必要です。

色々な人とやりとりしてきたのですが、そもそも論として「ピンポイントのデータが有るに違いない」と考えるのはありですが、固執してそれがないのはおかしいとなってしまうと微妙です。ここで上の抽象化等の話に移れないので、「あなたはピンポイントのデータをくれなかったので駄目」という最悪なことになります(笑)

笑い話ではなくそういうクライアントもいると想定しつつ仕事をしたほうがいいでしょう。

それはともかく、今回はどうマーケティングデータを得るか、ここでいうマーケティングとは定義は簡単にして「ビジネスにおいて必要な行為」を指すわけですが、データというのは可視化、顕在化されたものを意味するはずです。

統計データや自社が集めたデータなど、またはこうするといいのではというアイデアベースのものまで含めつつ、どうマーケティングデータを集めていくかを書いてみます。

マーケティングデータへの幻想があれば、しっかりと打ち壊しつつ、そうでない幻想でないどう自力や論理であったり、アイデアや試行錯誤で見えるものがあるかも書いてみます。

マーケティングデータとは

個人情報は得られてもそのまま使うことはまずないでしょう。そして、そもそもここでいうマーケティングデータって何か。

例えば、会社リストみたいなのがあるとします。営業リストなんていったりしますが、これは営業をする側の主観的な呼び方でしかなく、営業される側リストということでもあります。もちろん、それが有益なコミュニケーションになればいいですが、テレアポなんかだとまずそれはないですよね。このあたりがメールやデジタルになっただけで、何も世界線か変わってないかもしれないし、それでもまだましなのか、それともというところがありそうです。

さて、そういうデータがビジネスとして使える、ビジネスの中で例えば営業であったり、提案であったり、分析だったり、ある種の企業にとっての価値になるならば、それらはマーケティングデータと言えると思います。

ただおそらく、マーケティングデータとは、どこのエリアにこういう層がいてこういう購買意欲がある。その率はそうでないところよりも40%ほど多いみたいな、これだと地理的なものも含むデータですね。レポーティングされたものでもいいし、SNSのつぶやきからすべて、素朴なものまで、実は加工度は違えどマーケティングデータって感じがします。あくまで僕の考えです。

こういうデータは、特殊な入手経路があるわけでなく、もちろんネットをやってない人が多いのにネットのデータがほしいって無理ですから、そういうロジックで弾けるものもありつつ、まあ様々な期待値、またはギャップまたは無理難題がある世界なのかなとも思っています。

ピンポイントに欲しいものはまずない

マインドセットのようなものですが、まずこの心得があるかどうかで大分マーケティングやリサーチの態度が変わる気がしますので、改めて書いてみます。

ここでいうマーケティングだーみたいなことは、結局自社または自分が関わっている商品やサービスを売りたいという前提があるのだと思います。ただこの時点で素朴なツッコミとして「その価値があるか」は未検証であることも多いわけです。Xというサービスが、Yという人にZという価値を持ってして、いけるというわけですが、そのYさんにとってはZは押し付けだったりします(笑)そうは決まってないですが、今の時代にピッタリなこれ待ってたんだ!はあまりないですね。絶対ないわけではないがというところが味噌です。

どちらかといえばプロダクトアウト的な押し付けるところを持って、その仮説「良い商品があるので売りたいが、うまくいかない」に関するよくありがちな話ですよね。この時のマーケティングってかなり無理があると思っていて、そもそも「その価値が明確でない、押し付けなのですね」というのは無理なわけです。

マーケティングというのはその一連の仕組を自然につないでいく、届ける全ての過程みたいなことといえば、明らかに初動で無理そうとなる。それが「ピンポイントの望むものを得たい」みたいなことに近いですよね。

このあたりは少し考えれば分かる話なので、多くはあまり考えてないケースとして、そういう人が無邪気に考える欲求ならありです。ありですが、それを求めるみたいな仕事は冒頭で書いたようにナンセンスですから、まさに価値はないといえるわけです。

もっといえば、自分だけが上手くいくようなデータであったり、その関連したことが欲しいってことですけど、そんなのはないわけです。魔法はないし、一発逆転もない。その前提を稀に覆すことがあると、人は奇跡を信じますが、確率論でいえば冷静に対応したいところです。奇跡は起きないとはいわないが、それなりに奇跡になるレベルの試行があれば願ってもいいのではないかなという感じです(笑)

当たりがつきそうな時

ここでの当たりとは正解ということでなく、見込みとか、仮説とか、青写真とかってことです。

リサーチ的な意味でいえば、こうすればいいのでは?出てきそうではないか?というリサーチ仮説みたいなものです。これがあればそれを検討、検証すればいいとなります。これが出てこない時は、後述で考えてみます。

当たりはこれかなー?というのが立ててそれを調べてどうかというところですが、基本的に当たりが一発でいけることもないのかなと思うので、これらもPDCAではないですけど、何回かは「あー違うのか」「これではどうだ」の繰り返しです。地味です。

さらにその地味なことをやって得られることって、そこまで「明瞭」かつ「期待値を超える」となるかというと、そうでもないような。つまり、コストとして時間やお金をかけてどこまでメリットがあるのかというところです。多くは見合わないのではないかとすら思っています。

なぜそんな事を言っているか?リサーチをしているのではないか?というツッコミはありそうですが、多くは新規事業とかこれからのためにやるので、じゃあリサーチにいくらかかけたら元が取れたみたいな世界観ではないんですね。少なくともそこにリターンも求められても困ると。ただ、期待値としては求めるデータや近いものや情報の咀嚼やまとめ、または見解が価値となると。それはレポートとかですね。

単にあるデータが欲しい→あるないって判断自体は無償のように見えますけど、まあ当然知らないと判断できないわけです。だから無償ではまずいような気もします。判断の曖昧なところはするけど、詳細はやはり有償でやるのがお互いのためだろう(お客さんも自分も)という感じはします。

まあ、ともかく、当たりが付けば、それを調べていってあとはそれをよしなにして、満足できるかどうか。そういう意味でデータの価値も、ある程度絞られているので満足されてハッピーかなというところでした。

当たりがつきそうにないとき

次に当たりがつかない、どうも無理そうだなという話です。

それが実力でもあるし、限界でもあるのですが、多視点、つまり多くの見方を変えてアプローチしてナンボというところになります。ここが僕の中でもっともリサーチの面白いところだと思います。

逆に大体こうすればいいって分かっている場合ってあとは指示と作業になっちゃいますよね。誰でも出来るというところですよね。

これはケースバイケースなのかはおいておいて、自分が知りたいことが世の中にない!なんてあります。おそらく正しく言うと「それが学問なのだ」となるので、調べたり学ぶことですよね。それで少しずつ解明していく研究が求められると。でも、おそらくそうではないんです。そういう場合「これを知りたい」だけで、調べたいわけではない。

その時に調べるのが得意な人がやるのがリサーチだと。まあそれはありかもしれませんが、リサーチ=代行である価値、つまり誰かの代わりであるとき、あくまで依頼者が簡単かどうかはおいておいて出来るというものをやることが「代行」ですよね。だから、その依頼者が動くレベルでは請求できると。でも、多くはお金をもらえるのだから買い叩くなんて世界もありえるわけです(笑)論理的にはおかしいことは一杯ありますからね。

さて、そういう当たりがつかない場合はどうなるかというと、実際としては、「それはさすがに調べられないかな」と思って僕はやらないです。老婆心として、教育の意味もこめて「それは流石に無理でしょう」というところで、代替案を出して、違うアプローチをしたりとかはあります。でも、まあこれが最大というところでしょうか。無理なものは無理で、できそうなことはこれくらいだ、が限界ですからね。

よって、多くの「それ無理じゃね?」は誰も調べないし、やらないです。または「無理そう」「辛そう」ならそうかもですね。だから、依頼者が自らか、最悪なのは「できないけどやってみる」みたいなケースですね。まあこれもお互い不幸になりそうな気がします。

だからこそ、当たりが0から100まであったときに、全く無理な0は論外というかやらないほうがいいですよね。そして、依頼者がそういう自覚「これは無理だと思うが」ならまだ救いようがあります。そこから話が「無理ですよねー」「ではこういうやり方では?」という余地が見えるからです。依頼者がそういう自覚がない、つまり「これは調べれば分かるのだ」という謎のロジックを展開する場合はまあ悲劇ですから、悲劇生成装置といってもいいので、スルーするのがいいでしょう。また依頼者側の人はそういうオーダーを出さないことがお互いにとって良いことになります。

肌感では、依頼者がその業界や知識がない、またはあまり得意でない時に、仮の青写真が10-20くらいだとします。リサーチする側がめちゃくちゃ強いわけではないが0ではないとしても、50くらいはあると。そういう時に、そこですり合わせて、まあ50を全部出すわけではないけど、そのテーマに基づいて固めていけば、多分想定する80くらいは見えるよと。でも100=すべてクリアはないよね、という了解を得るところがポイントな気がします。

難しいのは全ての依頼者がオラオラでもないですし、とはいえ自分のやっているオーダーがどうか見えてないとかもあります。ただ、この見分け方はわりと簡単でして、専門家とか人に頼むことに対して敏感である、つまり礼儀もですが、コストやその知見があるのでそれに対するリスペクトがあるかってことです。

それは見分け方としては、例えば依頼する時に雑であればまあ「雑な仕事」をするわけですが、「雑なアウトプット」をすると怒るわけですよね。雑なやり方に対して雑なアウトプット、客観的に見て美しいバランス(笑)ですが、本人はそう見えてないんですね。自分は雑ではないのに雑なものがきたと。悲しいですが、自分が見えている、自覚や自分の見立てがどこまでできているか。

そこはわりとロジックとかで質問したり、ここはどうですか?と問えば見えます。その質問に応えられないならどうするのか?それは論外です。次の人やお客さんや新しいことをやりましょう(笑)

多分良い感じのアウトプットを出すには

リサーチだけでなくてもですが、多分ある程度の筋が良い仮説と、筋が良い行動計画、筋が良い地図、筋が良いアウトプット、みたいな感じです。同じことを言っているかもですが(笑)

筋が良いとは、経験値や知見で裏付けられたそこそこ良さそうなというところで、自分がでなくて相手もということです。了解を得たというのが強いかもしれません。とはいえ、フェルミ推定ではないですが、明らかに外す、明らかに多い、明らかに違っている、とかではないことがいいと。とはいえ平均値出して終わりだとそれもどうかって感じですけどね。

行動計画はスケジュールですし、地図はドラフトとか下書きやラフで示せるかどうか。実際にそういうラフや地図を描けない人は全体工程は見えてないので、逆に「全体工程をどう見ますか?描いてみてください」といえば、出来るかどうかすぐ分かります。完璧なものはなくてもいいですけど、そこで破綻しているとか、明らかに土台がない、そもそも無理があることが見えたらフォローするか、そこで見切りをつけるかって感じですよね。

それらによってアウトプットはわりといい感じのつまり、両者で理解できて、求めていたもの、出せるものというところで着地します。

これを永遠と繰り返すのが、僕の中ではリサーチを自分のためなら自分との対話ですが、仕事ならお客さんとの対話、またはコミュニケーション。仕事も同様ですね。アイデア出しも結構それに近いです。知的生産みたいなものはそれを永遠とやるので、まあ疲れますから、適度にチョコなり頭を休めたりして、ゆるゆるいきましょう(笑)

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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