やりたいことにちゃんと着手すること
「ちゃんと」は、「やりたいこと」に係るのでなく、「ちゃんと」「着手する」というように着手に係っています。
どういうことかというと、ちゃんとやりたいことって何か分からないですけど、ちゃんと着手って「着手をしっかりする」ことで、着手を適当にしないってことですね。
今回は、着手をちゃんとしたことについて僕の話を書いてみます。で、ちゃんと着手しなかったらどうなっていたか(笑)についても想像ですが書いてみます。
結論的には、着手したほうがいいことがあれば早めにやったほうがいいよなあという話です。
目次
やりたいことは早めにちゃんと着手する
死の間際まで「美大に行きたかった」という人がいる。漫画家かっぴーに聞く“第一志望の仕事”の諦め方
この記事のポイントは、夢が呪いになるということなんですが、つまり生きるゾンビとなって、本来善でありそうな「夢」が自分の人生に悪影響というかここでは一生後悔するものになるということです。
後悔ってまあしまくるので、やったほうがいいというだけなんですが、これやってる人が言うだけで、やってない人は「いや、そうはいっても」となりがちですね。まあそこはしょうがないんですが、実際に考えていくと、自分がどうかでしかないので、そりゃ人にどうとかはゼロではないけど、死ぬ時に良い人生だったといって死にたいという現世の終え方(笑)をしたいならそうしたいなあと。僕も同じように思いました。
これは大学時代でもゼミの先生に、面白いと思ったことをやったほうがいいということと同様かなと。面白いことでないけどやる研究って何か?ですけど、なんか色々データがあるとか、他の人が取組んでいるとか、自分がやりたいとか思うよりも、優先される何かがある状態のことです。これ結構本質を突いてるなあと感じました。
やりたいこと自体がある人は結構いると思っていて、でもそのサイズというか粒度とかがバラバラなので、やれないんだろうなあと。
着手という意味ではここでは面白いと思ったことを今すぐやるってことなんですね。本当に今すぐ(笑)今まさにすぐ。僕の記事読んでいる場合ではないので、さっさとやりましょうよと。たまに読んでくれれば十分ですし(笑)
やってみたことで見えた話
僕の話です。昔の話が多いというかそれしかないですけど、やることで見えたなというところです。見えないまま、つまりゾンビ化させると超怖いというかずっと自分にゾンビがいるので厄介なんですね。倒すには、やるしかないと(笑)そう思っている人には不要な話ですけど、ゾンビ飼ってる人はまあ悪いことは言わないのでやったほうがいいですよということですね。
会社に勤めてみたこと
僕が会社に勤めてみたことで分かったのは当たり前ですが自分で成長するためには考えて動くことということでした。逆にいえばどこかにいるだけで何か安泰もですが安定もですが、何もないなと。まあそう考えない人も多いのですけど、期待値が高ければ「なんだこんなものか」となりますし、低ければ「すごい、会社ってすごい」と思うかもしれません。
何にせよ自分がその体験をしたこと、経験をしたことを「絶対」視しろとはいいませんが、土台になるんですよね。良い悪い問わず。
僕の中で会社員の感覚はとても良くわかりました。一方で何が飛び出したいとか、色々やりたい人にとっては制度や仕組みがなければ悲しいくらい動けないのだなと。そういう感覚を「会社の歯車」と言えると思うのですが、びっくりするくらいこの言葉聞かなくなりましたね。
起業をして会社を作ってみたこと
会社を作りたかったから作った。というのもあるんですが、どちらかというと、色々あるんだけどまずやらせてくれ、という主張でした。当然世の中に声高に主張したとかそういうことはないですよ(笑)
そうでなくて、自分の中でどうしたらいいのだ?というところが高まって行動できたり、上でいう会社員でいてどうにかなることはないよなとある種の悟りでもありますが考えてそうしたということです。
会社登記も自分でやったので無駄かどうかはおいておいて知識がついたり、会社って作っても信用ないんだ(笑)という当たり前のことを感じたり。結局単発なり個別のトピックとして、何かやれば即ち劇的に良くなるみたいなことがいかに「作られた」ことかと痛感したんですね。
つまり、冷静に考えれば自分がやって嬉しいことをやるみたいな道理だと思うのですけどそういうことを丁寧にやれるかどうか。これって道徳や倫理みたいですけど、会社であろうが、仕事であろうが、なんだろうが「社会」にいる限りそこは外せないなあと。
これもやってみて分かったことが多いです。やる前はもうちょっと色々出来るんだと思いこんでました。そうは甘くないなと(笑)
企画をしたりやりたいことをやったこと
当然会社員だろうが、起業家だろうが、無職であれ、どんな状態であっても、美談ではなくてですね、これしかないかもしれないとか、色々やっていくうちに良いことが起きるんじゃないかというややスピリチュアル的なことかもしれないですが、まあやったと。そこらへんは理屈ではないですよね。
企画をやるって何かというと、イベント的なものでもいいし、ワークショップでもいいので、片っ端からやった記憶があります。実際には創発講座というような学びワークショップの企画とか、働き方を学ぼうといって友人と対話した場とか、起業講座みたいな行政からお金もらいつつやったとかもあります。
何にせよ色々仕事をすると、経験値となるのですが、それ以上にその経験から考えることが増えたり、気付きが増えてやりたいことが増えていく感じです。
多分これが一番面白いところなんじゃないかと思っています。これをやらなきゃ死ねないみたいなことでなく、もっと色々広がっていく、今日やりたいことをやったらまた違うことやりたくなる感覚ですけど、伝わりますかね?
こうやって時々でいいのですが、每日どうかだと辛いので(笑)出来ているかやっているかという問いかけはしています。出来てないから駄目なのでなく、あとは自分次第だなと。環境構築も含めて。出来ているならGOODです。もっとやればいい。あとは、ここに人生においてエモい部分というか楽しいよね、面白いよねを入れていくということですよね。
本気をいつ出すかという話
もう1つ大きいかはおいておいて、いつ着手するかって結局本気云々という話もあるはずです(笑)中二病っぽいですけど、本気はいつ出してもいいのですが、自分の中で、自分が取組んだなというのって、強制、自律とか色々あるんですが、やはりやりきった感があるかどうかだけなので、最初から分からないんですよね。
つまりやった後で自分が本気だったかが分かるわけです。その語り口はなんともいえないその人だからもので、誰かと比較したり代替はできないですね。
ある若者は本気は今出せないと言った
鉄板ネタとして僕の中であるのは、会社員時代のこと。ある客先常駐等での面談というのがありました。要はシステム開発は受託事業でなく、客先=いわゆる取引先企業ですね、にいってそこで仕事するスタイルが多かったです。その先として、僕を含めて3人ほど入社数年目の人がいました。まあ面談とあるんですが、実質選考ですよね。
その頃上司から葉っぱをかけられた(笑)のもあってわりとアピールを意識した気がしました。結果的にそこの現場に行くことになって、結局それが会社員では最後の現場となりました。辞めたってことですね。
それはいいのですが、その時、同じ面談者としていた人が、本気の話をしていたんですね。つまり、面接官からあなたの特徴や強みなどはなにかって聞かれていて、答えていた。でそこで致命的なエラーというか、その人らしさでもあるのでこれが間違いとかではないんですよね。
それはなにかというと、「今は本気ではないが、時が来たら本気になる」ということをいったんです。もっといえば「本気になればすごい」ということです。一見そこそこ若い人であればちょっと大丈夫か?と思いますが、まあそういう個性もあってもいいかもしれません。面接官としては「うーん、分かるけど、本気というのはいつ出るものか?」ということを聞いてた気がします。
確かそこでは、プロジェクトが炎上したり(笑)ピンチになった時に力を出せるような。そういう受け答えをしていたような気がします。別に炎上プロジェクトに火消し要員を探す面談ではなかったと思いますが(笑)それであれば逆に正しい受け答えですけどね。
まあそれはそれで。
実際は僕は本気を出すのはそうではないなと。今この瞬間、出さないといけないのではないかと感じてました。今もそうです。
なのですが、その人にとっては本意ではない場だったかもしれないし、分からないですよ。ただ僕は本気とかって多分選んでやるものではないし、そういうコントロールってまず無理だなと。僕は出来ないです。なので、丁寧にその場でやりとりする、それだけなんじゃないかと。まあ実際に微妙な場なら辞めればいいし、断ればいいんですよね。その択がないほどやばい会社ではなかったですし(笑)
赤本の残り問題を取っておきたい症候群
これは浪人時代に聞いた話ですね。浪人生か現役生かわからないが赤本=志望校などの大学の過去問集のこと、受験生をこの過去問を解いて対策をするが、その赤本を全部終わらせずに取っておくという話を聞いたんですね。
理由は不明ですが「終わらせるのが怖い」とか「解けなかったらどうしよう」という感じだと思います。もっと深い理由があるかもしれないですけどね。
ここで先の夢に蹴りをつけるとか、って話に戻るのですけど、実際に着手してしまったら、全く届かない世界だったのが怖い。夢に着手しないことによりその夢を壊さない、その夢のままでいたいというある種の現実逃避に近いと僕は思っています。
それで夢を維持したいならいいし、もしチャレンジしたいなら着手したほうがいいということになるんですが、どうでしょうか。
実際に、赤本の残りをやらなかった学生は多分受験に落ちるだろうと思います。落ちたら必ずやらなかったことを後悔するだろうなと。受かることもあるだろうが、多分それは対策が出来たからでなく運でしかないと思う。それはおいておいて、受からない時に「なんでやらなかったんだろうな」とわりとでかい後悔になるんですよね。
漫画ブルーピリオドとかもそんな感じを受けますね。絵を描くなんて「だせえ」と思ってたのがそうではない本気でやる。落ちたら否定されたら怖い。でもやる。熱血系ですけど、そういうのってまさにこういう自分なりのチャレンジのところに出てくるんだろうなあと。
仮に赤本やらずに受かってもまあ、必ずそういう択をしているとやりきれなかった何かが残っていくのかなと。そこが怖いところです。一気に後でぶり返すというか。まあ絶対そうなるわけではないですが、なりそうなのが怖いというところで、僕はそういう選択はしてないってだけですね。
この夢を叶えない、つまり着手しないことで守るというのはとても人間らしいとも思えます。だって怖いからやらない。痛いからやらないに近い。でも、本当のところがですよね、心の声では「やりたい」のだが、それを怖いと思う現実がある。そこはある種勇気かもしれないですが、そこにいけないならやはり着手できない。
ここにあるのは希望ってやつかと思います。なんかやったら良くなるかもがあるのは多分とてもいいことで、それがまったくない社会、感じられない社会はやっぱり控えめに言って駄目だなと思うわけです。
こじらせたら受け入れる
着手したい、自分がしたいことをやりたい、本気でやりたい。というのはあっても、実はそうできないって人がいると思うんですね。こじらせたというところでしょうか。
例えば、夢はかなわない方がいいのだみたいなやつですね。多分それは相当ひねくれてるのだと思いますが、失敗すると他人が成功するのを呪うみたいな。勘弁してほしいですがそれで精神を保てるかは疑問です(笑)
こじらせというのは、夢があったりやりたいことがあるんだけど、なぜか色々理由を入れてやらなかったり、という状態のことといえます。もちろん出来ない理由が本当にあればいい。でも、やりたいならその一部、ステップを分けて100あれば1は出来ると思うんですね。
それこそアスリートになりたかったなら、走る事はできる。どこかのイベントに出ても良い、なんならゲームでもいい、そういう人を支援してもいい。やることはいっぱいあるし、それはアイデアの話になると。
自分の世界が狭い、閉ざしていることを受け入れるしかない。とはいえそれは痛いから、心の鎧ではないけれどやはりガチガチに守っているのだと思う。こじらせるとは、色々言うけれど全て外に向けているのだが、全て内、つまり自分に返ってくるのでそれを鎧で守っているという状態ともいえると思いますね。
だから、その状態をどうするかは大事だけど、外に出して返ってくるのをまた守ってということで、そのオーラは負的なものをまとう(笑)まあそれをやり続ければ相当のオーラ感が出てしまって結構しんどい。
どこからかやるしかない。鎧をはずすのが辛いなら、ステップで進めるところを一個やってみるとか、実はやれてたことがあったという発見とか。個人でやるなら本当に少しずつしか出来ないと思う。けれどその一歩はものすごく良い一歩になると。
まあ、ここでもこじらせを認識できるか問題もあるのですが、こじらせてね?と思ったら受け入れることをトレーニングするのはありですよね。
やりきった経験は雪だるま式に膨れ上がる(笑)
良い意味です。金利がやばくて借金がみたいなことでなくて。
先の話で本当は走るプロになりたかった。でも、走ってさえいない今があるとします。なら走りましょうと。物理的に走れないなら明らめるのかどうか。そこらへんからですよね。走る人を応援しようとかはどうだろう。走る人の絵を描いたらどうか。
なんていって一個やってみるとします。絵を描くとかいいじゃないですかね。で、それで伝えると。あとは創作でもあるので世界観をつくるなり、自分が伝えたかったことを試してみる。純粋な応援でもいいし、走ることを仕事にできないかでもいい。なんか楽しそうじゃないですか。そうなったらそのままやっちゃえばいいと。
仮にこの取組みが、うまくいかないとします。まあ大体うまくいかないんですよね。その時でも、「今回はやりきったし、考えたことをやった」というのはやりきった経験となってしっかり残ります。次に活かせばいいんですね。
何が悪かったのか、やり方でもいいし、見せ方でもいいし、絵を描くことへのむきあい方だったのか。そういうものがしっかりと残って「雪」みたいに溶けない、つまり雪だるまみたいに固まってわりと残る。その間にさらに別のことをチャレンジしてみる。土台があるから「前は絵を描いたけど、漫画風ならいいのかもな」といって考えたらやってみる。そうすると最初の取り組みより全然やれるんだと思います。土台があるから楽というか。
こうやってどんどん積み重なっていく、転がっていく感じですけど、自分の糧になるんですね。これはもう信じてもらうしかない(笑)実際は人生における考え方が、自分で取組んだことって面白いよなとか、色々合って面白いよなとある種受け入れ体制が出来ていることが大事でしょう。それがないと人に頼る、依存する、または誰かが決めてくれるだけではさすがに辛くて、とはいえそれ自体が悪いわけではないですからね。あくまで、自分がやりたいところに人が介在して手助けしてくれたり一緒にやれる仲間や対等に話し合える人がいるって感じですからね。
僕が先に書いた勤めたから分かったこととか、会社作ったから分かったこととかってまあ一つのトピックに過ぎません。そういうのを積み重ねていくと見えるものがある。気づくことがある。それを信じて欲しいというか、信じているから動けるしやれるのかもしれないというところでした。
そういう意味で、ちゃんと着手することってやはり大事で、やりきったももっと大事で、丁寧にやりたいことに向き合うとこれらは自然に出来るものだと考えています。
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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