完成とは完璧ということじゃない

ちょっと前に見かけたネタで、面白かったので書いてみます。

詳細は投稿の漫画を見てもらえればです。

簡単にいえば、漫画家になりたいと望む人が、作品を完成させられないという話ですね。正確には、作品という定義が志望家とプロでは大分異なるわけですが、なりたい人にとってまずはどんどん作って見てもらって、自分の技術や世界や表現を磨いていく、その熟練になると思うんですね。そこは当然ですが、それまでになぜか温存してしまって、というところが最大のミソというところです。

失敗をどんどんしよう

ツイ主も書いていますが、そういうタイプが駄目なんかでなくて、なぜか見せないし、温存するし、一発でスゴイものを作ろうとするんですよね。故に、リリースまで長く大体そこでエターなるなけですよね(永遠に出さずに終わるということ)。

だから、まず未熟だとか、未完成だとか、全然駄目だと思っても、または少しは出来たものがあれば、「見せられるものがあれば」そこでやっていく。そこで失敗をする。そして改善していく。

ということが必要なんですよね。それがないということで、ずっと失敗できず、一発で頑張っても大きな失敗をして「あー向いてないんだ」となるわけです(笑)

でもこれ全然違いますよね。いきなりやるから痛いので立ち直れないだけであって。多くはもっと小さく刻んで、少しずつどういうところへいこうかとか、こっちではないな、これは確かに違ったなとか。そういう修正、改善、フィードバックを得て磨いていくんですよね。

ということが、構想→温存→試行錯誤→リリースみたいなところで、試行錯誤というところにおいて、誰かに見せるのを極端に嫌うと。というか、嫌がるというよりも、そのプロセスにないってことですよね。

もっといえば、構想も誰かに話せばフィードバックがあるかもしれない。温存していてもこれどうですかといったら何か意見をもらえるかもしれない。そういうことなんですよね。

逐次、そのフェーズや過程ですね、そこで何か見せる、誰かの意見を聴くとかが大事なんだろうなと。当然失敗というか、うまくいかない、違った、そうではないって色々あると思うので。そこを改善していく。または、違うものを次は出せばいいわけですよね。

区切りを付けられるかどうか

作品というところでは、書き切る、やり切るというのがめちゃくちゃ大事な気がします。多くは作品であってもアウトプットでもいいのですが、仕事(お金が発生していなくてもその意識があるならばって感じです)としてやると、例えば1年かかるなら、最後の仕上げで1年前よりレベルが上がっているから、「あれ、なんかもっかい書き直したい」とか、「ここが気になるから駄目だな」とかってなりがちなんですよね。

これはわかります。ただ、自分が見た評価と、他人が読むそれは違うのと、実際に期待値とか何を求めるかで変わるわけですよね。

もっといえば、絶対的に自分が学んでいるならば、書き始めと書き終わりで違和感があるわけです。成長しているからですよね。

その違和感は大事ですが、とはいえそこで区切りをつけないと、一生終わらないし、作品やアウトプットとして終わらないんですね。

仕事なら終わりがないことはないわけです。作品でもどこかで漫画なら指定のページ数か、物語の区切りか、何かで終わる。自分の中で気に入らないから出さないのも良いんですよ。ただ、それをやるなら、区切ったことがあるとか、色々やっている人たまたま一つとかならいいんですけど、ここでは経験値が浅い人ですから、全く薦められないってことですね。いいから区切ろうってことですよね。

錯覚資産とは言わないけど、拙速は巧遅に勝ると思う

結局ここなんですね。錯覚資産は一時期面白い言葉だと思ってましたが、それに近いというところで、拙速は巧遅に勝る、というのが好きです。

早ければいいとかってことでもないんですけど、とはいえ、遅いとフィードバックや反応がない、自分のメンタルや集中ですよね、戦うこともある。結局セルフマネジメントとなると、人ってポンコツなんですよね。僕も含めてそんな綺麗にできない。故に、もっと自立であるなら人に頼る、誰かの評価やフィードバックをもとにしてみる、依存するというよりも、色々な人に頼ることが自立ってイメージが多分適切です。

そうすると、未熟だと思おうが、思わまいが、出してみる。それで出し切ったものが全てとなります。全てというのは、出せるものしかやはり評価されないんですよ。

これは事実で、自分はまだまだ実力があるが出せなかった(笑)はただの負け惜しみというか、出し惜しみですからね。それを出せるようにしていく、もちろん伸びしろとかを評価するとかもあるんですが、実際には出せないといけない。そこを出せるように調整していく、技術なりメンタルを磨いていく。環境づくりをする。それがプロ意識というか、必要なことなんですよね。プロでなくても。

まさに着手している段階、いやそれ以前からこういう取り組み、姿勢ですよね、始まっていると言えそうです。

完成とはアウトプットが出来たということ

タイトルの回収です。

完成とはアウトプットとして、出来たというところです。完璧とは、その出来が良いということでしょう。

よって、完成があってしか完璧はないんですね。当たり前ですが、完成したものが完璧であるのは自身が納得して、かつ評価者が納得するとかですよね。つまり確率的になりづらい。

もっと言いましょう。となると、完成が出来なければまず完璧になりえない。完成してかつ色々な条件があって満たされて完璧になれるかどうかです。よって完成と完璧は元々全く違う概念となります。

最初の完成ですよね、初心者や初学者が夢を持つのは全然良いし、楽しいじゃないですか。それはとても良いと。でも、最初の完成は、とてもしょぼくていいというか、何これ!みたいなのでいいんですよね。

その最初の完成はそれでいい。何でもいいというか。そして完璧なんて思ってもない。ただ、最初の完成があるから、そこからどんどん磨いていってどんどん理想に近づけばいいんですよ。だから完成を何度も何度もやっていくことが求められる。

これは直観的にいえば、近いOSである人はやっていて、既に完成していたり、今やっているのがあるので見せられる状態にしていたり、出し惜しみしてまだ見せられないとは言わないんですよね。

恥ずかしいけど見せちゃう、出来てないけど「完成じゃない?」と言われたらそうかもと思っても良い。そんな感じですね。

遠いOSだと、意識配分が最大にしつつ、それで無敵状態スターになって、何でもいけるじゃないと作業に着手できない。それってめちゃくちゃ特殊状態で一瞬で消えます。良いことがあってかつ温泉つかって美味いもの食べて(笑)みたいな一瞬じゃないですかね、強いて言えば。そんなラッキー状態は続かなくて、かつストレスというかパワーが出る状態なんて続かないんですよね。もっとマラソン的で、毎日の地味な取り組みが出てくるってことなんですよね。

だから、完成でいいんですね。作ったと思った、これで出来たと思った。それでいいんです。それを出してみましょうと。

おわりに

いつまでも完成しないという心理は何かというと、非常にシンプルです。不安か、有能感/万能感を味わいたいのどちらかです。

不安とは、要するに批判とか、面白くないとかそういうレビューですね。面白くないなら仕方がないわけですが、そういう声が怖い。まさにそこまで考えるが故に作品=自分の子ですからね。これはわかります。ただ、ずっとそれをやることが実は仕事であり、クリエイティブであるということでもあるので、実にメンタルで向いてないということがわかります。慣れもありますけど、文字通りそれで不安で動けないならやはり厳しいと。

有能感とは、自分がそれを実現しない故に、何でも出来る余地を残すというものです。前書いた夢にトドメを刺すみたいな話ですよね。ずっと未着手であれば、そこに妄想や自由があるから、「昔はそう考えていたんだ、やろうとしていたんだ」で終わるので、実際にやっていなくてもそのまま残ります。そういうものが僕にないわけではないです。だからそれだけ見て言ってるのでなくて、その理屈で全部見ていくと全てやらないよねとなると。そしてバーチャルの話でいいとなる。ならば、それはなんだろうか?という話です。

夢って実現しないことを妄想するってことではなくて、やはりそのためにリアルとして形にしていくものをここでは言っています。夢の定義は多分そっちがベターかなと思うので。

万能感も同様です。やらないことで、結果がでない。現実を見なくて良い。痛い自分をみない、恥ずかしいカッコ悪い、うまくいかない自分を見なくて良い。めちゃくちゃ回避ですよね。そうすれば、痛いとか、傷つくことはありませんから。

その状態自体はそれだけで完結します。ただ、問題は、なんだけど夢を見るし、志望するし、やってみたいから完璧にしたいなんて思っちゃうってことですよね。その理屈やメソッドやプロセスや当て感がずれてるってことです。

多分こういうアドバイスに対するずれた返答としては、「そうやって夢の実現にあくせくしたくない」とか「叶えてしまうのも違うかなと思う」みたいな感じの返答があると思うんですね。これは完全に「こじれ」「こじらせ」といっていいと思います。素直ではないってことですね。素直でないというよりも、自分のことを変えたくない、やることで痛いのはやだってことなんですよ。でもやってみたいとか、有能感を味わっていたいみたいな。

是正するのであれば、アクションやアウトプットをしたほうがいいでしょう。そうでなくても、不安だということを吐露するとかそこにしっかりと向き合う。不安だから作品を完成させればいいともなりますから。有能感とかも、そんなものはすぐ消えますし、それは自分が有能ではない、または価値がないと思われたくないというこれも不安なんですよね、原因は。

不安って消えないんですよ。いくら上手くいっても、逆にうまく行かなくても(笑)だから、不安マネジメントがうまくいってないって話でもまとめられます。不安マネジメント自体がそこでできないから終わりではないです。何度もできるし、チャレンジして修正も改善もできる。そうやってセルフマネジメントですよね、うまくしていくことで、うまく作品やアウトプットが出来るわけです。

という絵を描けなければなかなか完成、最初の一歩、アクションができない。不安が怖くて動けないっていうのはまさにそれですね。

というわけで、シゴトづくりとか起業とか、何かしたいけど不安だみたいな人は、不安マネジメントみたいな切り口で振り返ってみると良いと思います。不安で動けないのはちょっと何か間違っています。不安はあなたを動かなくするためにあるというよりも、驕りを防ぐためにあるという感じです。不安自体は誰でもあるので、どううまく付き合うかだけです。その不安以上の楽しみとか、面白さがあれば相対的に消えることになる、または薄まるのが不安でもあります。

実際に完成してその手応えを得たり何かしていくことで、アウトプットや学習に集中していくと、まあ不安なんて最初に思っていたよりもとてもとても小さいものになると、僕は考えています。

最後にこちらも面白かったです。

佐藤秀峰先生の「今まで見てきた漫画家になれない人たちの言い訳」

例えば、アイデアマンとか、企画を出せる人になりたいとかも実は同じかもしれないですね。良いアイデアがあったら実現したいとか、良いものが生まれるまで頑張って考えてるとか。全然良いんですけど、アイデアを出したらそれを試してみるとか、試したら次またやってみるとか、アイデアがないならアイデアを得られるところまでやるとか、区切ってやっていくしかないですね、本当に。この区切りがある、それをやって、再度やる、その繰り返しというのが実際でしょう。

誤解がないようにですが、僕は誰でもこのようななりたいけど、今できないみたいな、不安があって行動できないとかって心理や状態になりやすいと思います。見えてないとそうじゃないですか。だから、なりやすいし、逆になってもいいと。でもですね、その状態を継続するってことは、本気ではないと。本気でないから趣味で楽しむならいいわけですよ。というところで、それを取り込んで乗り越えていくとは、結果的に熱量やわりとパワーがいると。そこで諦めちゃう人も多いと思いますが、実際はパワーがものすごくあるよりも、毎日少しずつ補充してまた投下するみたいなサイクルがあるってだけのほうが普通かなと思います。毎日たのしいとか、発見があるとかってことですよ。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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