挑戦をしていくことで学んでいく

日本縦断ネタで面白いものがあったので、応援したかったのですが、なんとこの旅の計画は一旦中止となったようです。詳細は不明ですが、残念ですね。個別のネタに対してどうとかはないのですが、考え方として、批判はあれど中止するレベルではないというのが僕の考えです。

「日本縦断」若者になぜ批判殺到?“無謀”に不寛容な社会を考える

話題になってないなら叩かれてない

ここでの叩く=批判ということです。ちなみに、寒い北海道は9月でも寒い気がしますが、そういう目線で言えば確かに「愚か」なんですよね。ただ、愚かだから=中止ということはなくて、いくつか見方があるような気がします。

まず、こういう若者が多くいてチャレンジするのはとても良いことかと思います。で、これでちゃんと計画しておけばよかったみたいな話はなくて、「じゃあどうすればそれをできるかを大人なり、人生の先輩がアドバイスする」でいいんですよね。中止すべきだ!なんて、行政に対してクレーム言って終わるというか、なんとも寒い感じがします。行政には文句を言うのが権利である!みたいな人もいますが、そういう感じかもしれないですね。

僕が知ったのは琉球新報という媒体で見かけたのでそちらはこれからやるぞーっていうことでした。批判する人、つまり辞めろという人は別に意見でいいんですよね。まあそういう意見もあるなと。でも、この方は死にたいわけでもない(確かアラスカ大地に単身ぶっこんで死ににいく実写映画ありましたが、あういうことではないですからね)ですから、あくまで元気づけるってことですよね。その流れでクラファンもあるのでこのあたりが引っかかるみたいな感じはありそうです。それは分かるかもなというところです。

そこで話題になっていないなら、多分叩かれないでしょう。あと、何か変わったことをやるとか、そういう人をただ叩くだけというのもSNSのデメリットとして出てきているのは顕著です。一般的かどうかはおいておいて、ドリームブレーカーみたいな人に夢を話すと、「それやってどうするの?辞めてよ」みたいな感じになるので僕もおすすめしません。構図としてそういう人の格好のエサになったのかなというところです。

だから話題にならずにしれっとやったら色々な大人に助けられたり美談とすらなったかもしれないです。ただ今は誰でもSNSにあげちゃうので、勝手にあげて叩く人はまあいるんでしょうね。なかなかあれな社会になりましたね。もちろん良い面もあるのですが。

僕は自転車で日本を縦断したが・・・

僕がやったのは縦断ですが自転車です。親からも止められなかったし、そんなことはできないよなんて言う人はいませんでした。大体言っても「なんでするの?」で終わるので、話す人は親しい人、そこの無謀さを加味して分かってくれる人だけでした。もちろん危険があればやめるとかは当然ありです。しかも野宿基本でした。お金がなかったからですよ。

多分エサになったのは、話題になったこととクラファンでしょう。話題にならずに途中で取材が入ったとか、クラファンをしてないならそこまでいかなかった程度の話とは思います。

僕は縦断をして無事に帰ってきて日本の広さを体感したし、今でも大体のことはできるという、ただし時間はかかるが、という感覚でいられるのは宝です。

もちろんいきなりやったわけでなく、自転車で色々なところへいったり野宿の練習までしていたりしました。ただ途中で自転車屋のお兄さんから「そんな装備じゃだめだよ」と怒られつつ(アドバイスなんですが)そこで学習しつつというところでした。具体的にはチューブも1本くらいしか替えがなくて、タイヤとかもあったほうがいいという話でしたね。実際にタイヤが既にやられていたので荷物も重いですし的確な意見でした。機会があればお礼に行きたいですよね。

若者の挑戦を推進していく社会の方がいい

話を戻します。

挑戦自体が無謀だとします。このケースがどうかはどちらでもいいんです。仮に無謀でも、まず北上していくと段々寒くなっていきますよね。それで気づくわけです。「あー確かにこれ寒いから服装どうする」とか「徒歩だと移動距離がきついかも」とか「これケガもありえるな」とか。こういうのは気づきです。やらないと得られませんよね。

だからそのやることが無謀でもいきなり北上するわけではないから、その過程で学ぶことがあると。そこが学びや成長の醍醐味です。指輪物語ではないですけどこういったストーリーは主人公がまず使命を与えられたり、しかし簡単に出来ず挫折、そこから仲間や気づきを得て乗り越え、最後はゴールに達する。みたいなことが物語としてお話でなく、普通に現実にあるわけです。

それであるべき姿としては、仮に無謀だとしても辞めろみたいなことでなく、どうすればできるかという大人がいて、そういう人がアドバイスする方向性が、まあいいかなと思った次第です。少なくともそれで分からないなら話は別ですが、その上でやるならここは信条の話になります。ボートで単独横断とか、山登りとかもそういう毛色があるような気がしますが、そういうのってエゴの部分もあるので。

冒険家自体が社会に役立つかなんて冒険家の人の話を読んだ時ですが、それはないと自分で言ってるんですね。ただ未知なものをしるとか、そこから勇気を与えるってのは確かで。そういうこと、つまりある種の冒険行為、旅的な行為が、ある種のマスターベーションみたいに見えるんでしょう。批判する人はですね。

だから、なんでそういうマスターベーション的なことを応援しなきゃいけないか。これだけなんだと思います。分からないでもないけど、実際はマスターベーションではないんですね。そのために準備したり色々やるし、そこで判断するのはその人ですから。

これをもっと極端にいえば、起業も全て計画してそこで承認を得ないと駄目だとなりますが、そういうことっておかしいわけです。なぜなら論理的に矛盾というか正解がない、見えないことをやるのが起業ですからね。そういう意味で冒険、旅というのは起業に近しいかもしれません。

確かにゴール地点はあれど、ゴール地点に着くだけなら飛行機とかでGOでいいですよね。なぜ徒歩なり手段を縛るのか。それによって違う視点や景色や体験があってそれを期待するからです。そこが企画というか醍醐味なんですよね。

僕も自転車屋のお兄さんに怒られた、もといアドバイスを受けたように、そうやって学んでいきます。寒くなっていったら服を調達したり、体調が悪ければホテルを取ったり。そういう工夫をしていくと。こういう学びの醍醐味を奪ったというのは言い過ぎなんですけど、ただ挑戦の機会を奪う社会ってまあ端的にいってダメダメだなと感じるわけです。

僕自身はそういう大人は嫌なのでそうしないだけということです。当然あまりにも無謀なことならさすがにとなりますが(笑)多分今回のケースはそういうことではないかなと睨んでいます。直観に近いので裏を取ったわけではないすし、そこは論点ではないです。

社会が寛容ではなくなったわけでなく

記事は全部見えてないのですが、社会が寛容でなくなるとかはあまりないと思っています。江戸時代から人は変わらないは言い過ぎかもですが、本質は変わらないかなと。何か変わった格好をしたりやっていることが奇天烈だとやはり好奇の目で見られると。

それって変わらないんです。そういうことを学ぶと大人も当然色々いて、話が通じる人とそうでない人が見えるようになるはずです。学生とか若い人からみてってことですよね。

元々寛容ではなかったかなというところで、そういう人がSNSで可視化されただけ、というのが妥当な見方だろうなと。暇な人が何か言っているよね、というところで処理されれば終わるのですが、実際に行動が止まるのはなんともだなというところです。

では、寛容な社会ってどういうことかというと、人のチャレンジを「いいね」といって少なくとも足を引っ張らない社会ですかね(笑)ただ、これも社会=多数の人が生きて価値が多様にある、のでぶつかることはあると。

でも、そこは絶対避けられないので、うまいところ、やれるスキーム、例えば行政なら特区とかやりたい放題(笑)ではないですけどやりやすいわけではないですか。そういうパッケージは大人の方が上手いから、そういうことをこそっといってくれるか、やってくれる大人がいなかったわけですよね。前もっといたか、今はいないかは別ですけど、こういう人はいます。

そして大事なことは、自分がそういうチャレンジ体質な人なら、僕のブログを読む人はそういう人が多いと思いますけど、やはりそういう挑戦をする時に色々と反対する人がいるのは想定しつつ、とはいえ自律というか、人の意見を「聞く」のは大事だけど、自分のやることはやったほうがいいよな。という方向性を大事にしたほうがいいという感じがします。もちろん反社会的なことをやれとかではないですね。

仮に他人の意見を聞くのでなくそれに「従う」だけの場合、自分が消えます。だから極論すると、目立たず静かに存在がなかったように和を乱さず(笑)生きろってことなんですけど、まあ無理じゃないですか?どうですか?目立ちたいってことはなくても、「あー意見合わないな」ってなりますよね。

僕も意見は合わないので、「あー言っても駄目だな」「じゃあ、そういうことで」で話をあわせなくてもいいんです。ただそういう意見があることは分かるよね、ただその意見を理解するのと、自分の世界観を変えるのは別ですよね?という議論や話し合いが出来るかですよね。

たちが悪いのは、こういう話は実は批判したりした人はただそういう一つのネタを叩いただけであって、全然なんとも思ってない、まさに今頃パフェ食ってる(笑)だけであって、考えてないんですよ。つまり考えて思い込んだり悩んだ人が単なる損というだけのパターンです。ひどいですが、そういう感じのことは別に今までもあったしこれからもあるわけです。

ひどい社会だと思うかどうかはあなた次第です。僕はひどいというか、面白くない社会だなと思うので、そういう批判して終わるのでなく、「未熟感はある、けどやりたい気持ちは分かる。のでこうしたらどうかな」くらいを言える大人が多い方がいいなと。大人だけでなくても、誰でもいいのですけどね。とはいえ、さすがにこれは「余裕」がないと、つまり幸せであるとか、精神的にも余裕ですよね、がないと出来ないのもあるので、識者の方のコメントは適切かもしれないと今思いました。

僕はアイデアを出したり色々な人のアイデアを支援することを仕事にしているわけですが、その世界線はそれをやってどうなるなんてわからないし、形にならないことも普通の世界です。そういうところにいると、こういう旅アイデアなんて普通だし、やってみたらいい。そこで修正してフィードバック、つまりやりながら変えていくことで目標を達成すればいいだけの話なんです。という世界線でいくとなんとも奇妙に写ったわけです。

こういう世界線はメジャーではないと僕も認知しているので、メジャーでやりたいなんて思ってないんですよ(笑)だから、そのとおりだなと思った方はぜひメジャーでやるぞなんて思わず、分かってくれる人を育てたりじわじわ広げていく方がいいかなと思います。このマイナーやニッチ路線の人が、メジャーでやろうとするギャップに悩むのは当たり前で、スタイル、ものさしの問題です。どちらか正しいとかはないのと、あとメジャースタイルが合うなんて人1万人に一人とかいるくらいで、もっと少ないような感じがしますので、僕も含めて、ニッチかマイナーでしっかりとやるという方がいいのではないかなーと思っています。

まとめ

というわけで、何かやりたい人はまずやろうと。でそれを批判したり否定する人はまあ「そうかな」くらいで聞いておいて、あとは実行するのがいいかなと思います。

たちが悪いのはそうやって否定する人に限って色々強く言うし叩く割に無責任というか(笑)何もしないのですね。だから否定するという構図もあるので厄介です。まさにパフェ食ってるわけです。

実行してそれがすぐ成功するなんてまずないです。だからやりながら少しずつちょっとずつやるのがいいと。僕の場合は自転車で1日100から120kmは移動できるので、鹿児島から北海道まで3500kmだから単純で35日くらいでいけるって計画でやりました。当然途中途中のペース計算は雨なら60-80kmとか色々あるんですけど、これも全部やりながら学んだことです。練習は限界がありますし、練習が目的ではないので、やってみることをいかにやれるか、やっていく社会を作るか。

社会というとでかいのですけど、話が合わない人はスルーしておくのが良く(意見を聞かないのではなくて)、その上でどうか。なんで社会といっているかというと、自分が構成する想像する社会の世界線と、どうもかなり違う世界線もあるわけで、それを「社会」といってもまあずれているんですよね。

僕が見た社会はこうだ、あなたはどうだ。そのズレが常にある中で、やはり若い人がこれから何かやる人が「挑戦をやめよう」「挑戦することは悪いことだ」「挑戦は和を乱すことだ」なんてインプットされてはたまらないのでそこは全力で否定して、「挑戦はいいことだ」「挑戦することで何かを得られる」「多くの挑戦は大体パフェ食ってる方々に否定されるので、そうでない人に話していく」とかでいこうってことですね。

あなたも何か挑戦しようとして否定されたり批判されてやめとこかーってなったかもしれませんが、無謀も色々あるし、それだけで判断できないこともあるので、多くは挑戦してみてどうかでやってみましょう(笑)

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