雰囲気美人とか雑記的なメモ

いくつか雑記的に書いてみます。

簡単な読み物という感じで。

雰囲気美人って何よ

ある本に雰囲気美人という言葉が出てきました。意味合いとしては「雰囲気」が美人であって、容姿端麗みたいな意味の美人ではないということです。僕としては「良い感じの人」という意味合いなのですが、雰囲気美人という文脈は「相手をホメつつ落とす」みたいな微妙な言い回しだなと。もちろんそのように使うかどうかは人次第ですが、多分使うことはないでしょう。

その小説は、作者は女性で、ストーリー自体はいいとして面白いかどうかでいえば自分はターゲットではないかなというところでした。ラノベなどより重くとはいえ、何か芯があるというまではいかない。印象に残ったのは、世の中のOLと呼ばれる女性たちはそこまで気を使って言葉を発しているのかと関心したと同時に疲れるだろうなあというところを感じました。これは別にディスっているわけでもなく。

同時に思い出したのは、「性格がかわいい」という表現です。これも女性らしいものだなあと。実際に使っている人を見たことはないので妄想かもしれませんが、確かに感触としてあるので多分あるんでしょう(笑)美人やかわいいというのは女性らしい言葉だと思っていて、雰囲気美人も性格がかわいいも「演じきってパワーを使って出せる言葉」でしかなく、ニュートラルかつ自然な状態ではまず出ない言葉だと感じました。

ここからの気付きは自分は言葉に対してやはり感度を高めたいのと、同時に使わない言葉やその人なりの表現が好きだなと。小説としては雰囲気美人というよりも、主人公または同僚の心理的変化と言葉遣いの解釈が結構混乱してすーっと読めるというよりも、「ややこしい心理だな」というところが強かったですね。多分そこをうまく表現しているという意味でさすが小説家と思うのですが、それが面白いというとそうではないってことで。

やった上での説得力が好き

何かをやった上でこういうことをやってみて思った。

これはものすごくシンプルですが説得力があって好きです。一方でやらずに何か頭であーだこーだいうまではオッケーなんですが、それくらい言うならやれよ、でやらないんかい!みたいなこともよくあるので、やる人は単純にグッドだと思っています。

問題は全てのやりたいと思ったことは出来ないので、ある程度「やれないけど頭だけで」ということも多くなるってことですね。つまり、有限時間の中で何をやってやらないか、どっちでもいいのですが、やる側をよりやるか、やらない方を選んでより密度を濃くするか。向いているスタイルでいきましょう、って感じです。

ここでいうやったよ、こうだったよという話は、海釣りにでかけたとか、BBQで色々焼いたら美味しいものができたとかぶっちゃけなんでもいいのですが、その人が見た感じたこう見えた思えたという話こそが面白いわけで、そこがリアリティがあるから、その人らしい部分が見えるから面白いんでしょうね。

これが人から聞いた話だけで構成されて(人から聞いた話とは人が聞いた話をそのままいうたぐいのことで、発言する人の何かが入ってないものですね)いるとひどく退屈です。あなたそれでどう思ったのかという感じですね。最もつなぎとしての人の話はありですけど、まあ解釈してないと「ただの受け売り」となり全く魅力がない、むしろマイナスな話になりそうです。

そういう意味で特殊なことをやった経験は面白いですよね。ただそうでなくても日常的に何があったこれがあったという話が面白いなら多分その人は面白いですし、面白く生きていますね。

足がもつれるのは昔もつれなかったから

ちょっと前にフットサルをやって足がもつれたなあという経験があります。20代では考えられなかったことですが(笑)、実際になぜもつれるかというと自分の解釈では「昔もつれなく動けた自分がいる」からだと思いました。

つまり、自分のイメージ通りにある程度動けていたのが、体力または足の筋肉、実際に運動を結構やってないと動けないので、「イメージ通りには動けない」わけですね。これがもつれを生み、転けそうになります(笑)

ここからいえるのは昔できたことが出来ないことに嘆くということでなく、逆に高い意識やイメージを持つことで、そこに達成できないけど、何かとフィードバックやらを得ていくことで、近づけることが出来るのではないか。それこそ言語化で現状把握して、未来なりあるべき姿を描いておけばいけるんじゃないかって感じがしました。

フットサルでいえば足がもつれたくないなら、足を動かしてイメージをして、筋トレや運動をしていけばかなり軽減されるはずです。イメージが早いなら遅くして、また足の動きが遅いならそちらを早くすれば現実的に動けるスピードで最大の動きが出来るはずです。少なくとも頭の中では(笑)

それと同様に、ギャップを感じたらどのように感じたか、どのように思ったかを言語化するなり書くことで、冷静に自分を見つめ直して何かどうしていけばいいかを見ることが出来ます。多分ここを鍛えているからこそ、ちょっとやそっとのことでは動じなくなったのでしょう。感動しないとか、驚かないとか、感謝しないとかそういうことではなくて、客観的に見つつもそれを笑えるという良い主観が機能しているといっていいと思っています。自己肯定っていいですね(笑)

足がもつれた経験がある人はぜひ逆手に取ってもっと出来るぞと思ってもらえれば(笑)

おわりに

つらつらと書いてみましたが、自分が思ったことを言語化するのはとても大事だなあと最近感じています。

小さな言語化を訓練することで、その一つ一つが塊になっていって、自分を構成します。もちろん真実なんて分からないかもしれないですが、哲学的にいえば考える自分という今自分はそこにいるのだということはデカルトよろしくやはりあるわけですからね。そこは事実だろうと。

とはいえ考えすぎてもどうしようもないので、適度に体を動かしていきつつ、新鮮な情報やら考えやらを得つつまた考えてみる。または動いて試してみる。そんなのがやはりいいですよね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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