「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」から学んだこと

少し前に友人が読んだという話を聞いて、なんか気になったので読んでみました。

結論的には当たりで、自分には色々学びとなる本でした。

というわけで、そのあたりをばばっと書いて共有していきたいと思います。

気になる方はブログ風に書かれていて非常に読みやすい本書をどうぞ。

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錯覚本での気付き

便宜的というか、勝手に錯覚資産が強調された本でもあるので、錯覚本と読ませてもらっています。気づき自体は錯覚ではないはずです(笑)

メモったのは順番バラバラですがそこは適当にということで。

思い浮かびやすいをコントロールする

直感と思ったことが、すなわち思い浮かびやすいことだと書かれていたはずです。これは他の情報を無視しやすいと考えても良さそうです。

直感で決めたというと自分が決めたような感じですが、実際は思い浮かびやすいことを選んでいるだけで、思慮深いわけではないかもしれません。

で、こういう機能は人間なら仕方がないので、この直感として思い浮かびやすいことをコントロールすればいいのではないかという話が非常に好きです。

書いてあるか分かりませんが、僕の場合直観だけで選ぶことはなく、論理的に並べて比較して考えることは多いです。が、図表で並べてこちらが優れているからといって選ぶか?というと、考える材料にはなれど、例えば新規事業やビジネスや仕事のアイデアが「論理的に良いからそっちである」というのは解せないわけです。というか納得しない。

その時直観で選んだというのは、面白いとか感情的なことが多いです。論理も感情も大事ってことですね。

この時、直観で思い浮かびやすいものって多分コントロール出来るってことかなと思いました。もちろんこのコントロール自体は、面白いことを多数インプットしてないと毎回同じことになるし、論理が絶対駄目なわけでもないと。

どちらかといえばライフハック的にどう環境をつくるかという視点ですね。

これは他には心理的な話で、デフォルト値=初期値に引っ張られやすいとか、判断や選択に迷う時に吟味の上で、直観っていうけどそれって自分がそれでいいっていう快に従っているだけで、正しくはない。というあたりは非常に好きです。

直観的に求めたものは間違っていてもそれは選択的に快だからオッケーってことですね。これはどう転んでも、自分がオモシロイと思ったほうが間違いがないということを二重に証明しています。

つまり、仮に選択として謝っている負け筋?みたいなものでも、快として正しい。また面白いから選んだということで後悔をしないので正しい。

おそらく著者的には、直観がいいとか論理が駄目とか、その逆でもなく、直観ってあてにならないよねくらいの問題提起であったはずですので、そこまで突っ込むことなく、正しい選択肢とか求めすぎないほうがいいかもねくらいの塩梅で解釈しちえます。

成功者の生存者バイアス

成功者は生き残ったからこそ成功者であって、成功したかどうかって関係なくないって話です。

これについては、成功しているかどうかは関係なくて、有益な情報であればいいのではないかと書かれているのですが、その通りだと感じます。その情報が成功するかどうかってぶっちゃけ分からないので、学んで試してどうか以外だとどうも胡散臭くなるんですね。

とはいえ有益に機能すればいいと。

確率を上げる

サイコロを振るという考え方がわりとというか大分好きです。錯覚資産と実力主義の対比で出てきたかもしれませんが、錯覚資産があればサイコロを振る機会が多いということでしょう。実力だけあって打席に出ていなければ実力すらないと疑われます。

これは端的にいって打って出るといっていいでしょう。殻に閉じこもらずに打って出てみる。とはいえ打たれ強い人ばかりでないので、その打って出る加減はあるのでしょうが。

本書的にはこのサイコロを振るをどうするかという、一種のメタ視点が大事な気がします。つまり、錯覚資産であり実力主義であれ世界がどうなっているか、社会とルールを踏まえた上でどうするか。結果的に試すしかないということで、試せば成功するとかでなく、サイコロを振って確率を上げる、特定の目が出るまで振ればいいという感覚。

これこそが大事な気がしました。

コントロール欲

これは目からウロコで、コントロール欲ってものは、コントロールしたいからコントロールするという欲そのものであると。

自分とか他人とかのくだりは忘れましたが、自分を律したいならセルフコントロールで、人を操りたいなら人のコントロールでしょう。

もっといえば、これは操るということでなく、うまく誘導することも結果的にコントロールかもしれません。言葉的にはコントロールは語感が良くないかもしれないですね。

ただ、欲としてあるのならば適切に受け入れていくしかないですね。別にそれで犯罪をしろとかって話でもないので。

実力の評価を半分くらいにする

これも一つのライフハックです。

一つ思考実験として考えてみました。わりとしっくりきているので共有します。

ある人が、プロゲーマーのプロ間の中で、自己肯定感の話をしていました。

自己肯定感の低い人は、そもそも自信がないため、勝てば良いかなくらいだからゲーマーにはならないし、目指さないと。ファンとか動画勢だと。悪い意味ではなく。勝つのも楽しいけど交流とかが楽しいとかですね。

自己肯定感の高い人は、実力の評価をどうするかが課題になる。そこで自己と他者で異なる評価をどうするか。それが概ね一致するか、自己>他者か、自己<他者にになるか。まあざっくりこの3つのどれかですよね。

自己>他者だと、俺は強い、他人が言うよりも強いとなって、天狗だと思われます。俺つえーってやつですね。

自己<他者だと、謙虚だ。自分は未熟っすというところで、先輩受けもいいわけです。好かれやすいかもしれません。

もちろん単純にこうはならないでしょうし、意図が見え過ぎたり、性格が悪すぎれば駄目ですからね。

この時、好かれる方が自己評価を低めになってるわけですが、謙虚なやつだとか好かれることでチャンスが来やすいのではないか。すると、チャンスが多いので結果も出やすい。その場合謙虚のために、つまり自己評価を過大でなく、低めに捉えたことが良かったとなります。

自己評価が強い場合は嫌われやすいのですが、実際にそのとおりの実力であれば結局チャンスは増えます。性格が悪いのと自己評価は関係ないですが、なぜか「俺は強い」というと嫌われやすいし奢りと思われやすいのかなと。実際はどうかは分かりませんが。この時、強いだけとなるので、ファンが付きづらいだけかもしれません。

結果的に、実力を過大評価することは全く良いことがなく、概ね分かっているならいいわけですが、やや他人よりも低く見積もる方が、タイトルにあげたように「半分くらい」に見積もったほうが多分うまく回る気がします。

とはいえ、低く見積もりすぎないというのも大事なので、ここがバランスなんでしょうね。

面白いのは、俺つえーっていう独り言は勝手ですしむしろいいかもしれませんが、他人にそれを言う時は受ける側の文化というか解釈次第かもしれません。人によってはそれでなにくそ!といって成長することもあるので、実力評価を半分にすれば絶対いいとは言い切れないです。

ただ自分の実力で勝負するといって実力土俵でやると、結果的に錯覚土俵で戦っているところではまず非条理や不合理になるのでおすすめできないとなります。

このあたりあまり難しく考えずにチャンスや打率をあげるためにはどうすればいいか。それを何やってもいいとはいってないので、考えて実践してくにはどうすればいいか。そこまで落とし込めれば非常に成長を促進してくれるかなと思いました。

あと関連しそうですが、ダニング=クルーガー効果というのもあるようです。これは、実力が低い人ほど自分を過大評価するということで、そういう意味でも概ね一致かやや下か、自身の半分くらいが最低として評価しておくといいかもしれません。参考:なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか

CVRが低いとPVを増やしたがらない

これはほほうと思いました。

CVRとはコンバージョンレートのことで、チャンスをものにできた確率みたいなものです。これは多分成功経験値といっていいでしょう。その数が相対的に低いと、露出してPVを増やす=打席に立つ、サイコロを増やすということをしたがらないという話です。

これって環境的な話で、成功経験値が不足しているか、そのサイコロを振っても当たらないという感覚が充満しているため、サイコロ自体を振らない傾向にあるって話でしょう。

だからこそ、時間や人生をどうPVに振りつつ、CVRを上げるか。ものすごくシンプルですが多くはこの塩梅で悩んだり考えたりどうするかと管を巻く(笑)わけですね。

これには、PVを高めていけばCVRもついてくるということでファイナルアンサーです。つまり、本書的にも錯覚資産を悪用せずに正しく用いてそれでPVを増やすこととなるため、合致しています。

CVRが低いとPVを上げたがらないのは、多分、やってもしょうがないとか、確率論的に「やっていくとそのうち当たる」みたいに考えづらいからなんだろうと思います。

ブログ運営とかも言えるかもしれませんし、仕事づくりやビジネストレーニング的な意味でも一緒ではないかと感じました。もちろん、やれば必ず出来るとは精神論に過ぎません。しかし、失敗は全て成功までのフィードバックに過ぎないというメンタルな土台が出来るのと同時か、またはその前後で、打席に立っていくという物理的な行動がやはりモチベーションにつながる気がします。

そうすることで、PVを上げれるので、あとはCVRがあがるはずというところです。CVRが悪すぎれば改善はありそうですが、打席に立ちまくれば絶対数のヒット数は増えるわけで、あとは打率的なCVRは後でという考えも出来るからです。

打率が低いなら打率が低いから打席に立つのをよそうでなく、逆に打席に立ってどんどん実力も見栄えも磨いていこうというほうが筋がいいってことになります。

もちろん、これは事業を借金してやらなければならないとか、まずい時にこそお金を注ぎ込めとかそういうことを正当化することではないです。もちろんそういうパターンも稀にあるかもしれませんが、それが異常時というならば、これは平常時の話です。

平時からこのようなメンタル、または試みをやっていくことで戦っていくという感じですね。

おわりに

本書の肝はわりと冒頭で書かれていて、実力主義ということでCVRが低い人が陥りがちな課題を解消しようとするのがメインテーマだと感じました。

錯覚主義的PVを増やそうということに、実力主義者は着手できないか、しづらいんですよね。ものすごくよくわかります。僕もどちらかといえば、そういうタイプです。

例えば、ちゃんとやっていれば誰か見てくれているとかです。これはある種正しいのですが、一方で他力本願すぎます。また実際には見てもらえるようなところで「見られるような振る舞い」をしてないと、一生見てもらえないんですよね。

そういう意味で、これも錯覚資産を上手く使わないと立ち回りとしてうまく本来の実力以下と思われてしまうということにもなります。

誤読すると、本書は錯覚で張ったりをかませば何でもオッケーと思ってしまう人もいそうですが、そういうことではなく、適切に錯覚資産を使うことで、実力を適切に評価または示すことで戦っていくという指南書と読めました。

本当に実力がなければ、錯覚資産を使っても、玉の輿というか、実力ではないということがバレますし、その塩梅は面白いところですよね。

僕としては、最後の気付きである、PVを高めていくことで、結果的にCVRも高めることになるを意識できた良い本になりました。

色々とシゴトづくりでも参考になると思うのでぜひ気になった方はチェックしてみてはどうでしょうか。

 

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