対話促進サービスアイデア

最近対話というところで、簡単に言いやすい言葉なんですが、実はそれ実践したり相手を配慮する(忖度じゃない)のって結構難しいなと感じています。僕が感じているのでなく、社会的にこれってスタンダードになれるのかという(国際社会では普通であっても)ところです。

つまり、社会的対話みたいなものがもっとあれば、やさしい世界はできるし、そういう半分妄想もありつつ、実は対話やファシリテーションが魔法ではないが、結構いけるんじゃないかというポテンシャルを含めたアイデアです。

やさしい世界の概念図

サービスタイトル

やさしいたいわ(優しい対話)

コンセプト

利用者がやさしい世界を学び、現実世界に還元できる

ターゲットの課題

ターゲットイメージとしては、自身が傷ついていたりうまくいってなかったり、環境として対話状況にないというところです。あまりやると貧困層みたいになっちゃうのですがそういうイメージだけではないです。

自分の周りが「ひどい環境」だと、世界も社会も「ひどい」と思いがちですけど、実はそうではない。そんなポジティブな可能性にカジを切るのが僕は好きですね。

この状況を言葉でいえば、人は触れている環境やそこにいる人たちの常識を再生産しやすいだけかもしれないですね。

一方で、対話が出来ているというのは理想でなく「ある姿」としてあるんですね。これも失敗すると優良思想みたいになりそうですが、そういうことではないと。

推測に過ぎないので、このあたり「え、そんな環境あるの?」というのがマルチや怪しい宗教や詐欺につながるのもあるわけですね。なんでこのあたりの棲み分けが難しいです。つまり概念やビジョンっていいんですけど、怪しいものと言っていることは似てるので(笑)ここで現実化が難しそうかもというところです。

本当にこのターゲットがいて、課題を抱えているかの要調査というところですね。

解決手法

解決手法としてWHATは明確です。つまり、対話をAIでもいいし、インターネットを用いて行うというわけです。

既存に近いのはコーチングでライフコーチみたいにわりかし本音で話せる人がそこまでコスト負担なくいる状態です。実際にここでお金をどんどん出せないはずでだからこそ、ぐるっと回らない印象ですね。

ここをある種プログラムやノーコードではないですが開発や実装コストを下げることで結構いけるような印象です。振り返り、対話、ファシリテーション、コミュニケーションというジャンルの提供です。

セルフコーチとフルコーチの間を狙いつつ、人間がいいなら人間にも別途アクセスできるしというところです。多分将来や未来はこんな感じでAI補助が普通か、または人間はそれを踏まえた上での話となりそうですよね。

補足説明

もうちょっと補足していきます。

やさしい世界のイメージ

やさしい世界は小説やバーチャルの話ではないです。実際に現実にやさしい世界で生きている人の近くはやさしい世界の住人が寄ってくる。これはグッドという評価です。

一方でやさしくない世界、厳しい世界、つらい世界で生きる人はそれで対応してしまう。例えば虐待を受けた人は人を信じるのは時間がかかるが、それで人はどうしようもないと言えるかというと、その加害者やその人を生み出した教育した環境や社会でもっとできないかというアプローチ全体の話です。

これは、漫画「スピンナウト」で主人公がある領主に奴隷扱いされた恨みを「ぐっとこらえて次へいこうという愛」を語るシーンがあるのですが、次の瞬間「怒りがこみ上げてくる」というやり取りを思い出しました。恨みを忘れるってまあ無理ですよね。実際に自分がやられたならなおさらです。とはいえ、怒りって持続しづらいです。やさしさは伝播しやすいが、怒りは消えやすい。だから忘れろって話ではない。そこはかなりのポイントです。そういうやさしさをポジティブに伝播したらいいじゃないかというところですね。

他者を想像する

ある動画で既にお金や教育で持っている人は持っているが持っていない人は持っていないという学生に考えさせるワークショップを見た。そこでは可視化されるのが良い(まずしい身なりとそうでない身なりみたいに)わけでなく、他者と自分が同じではない、または違うということを想像できるか。格差や差はあればそれが解消できるシナリオがなければ、やはり社会的に面白みは薄いだろう。常に持っている人が持っているのでなく、なにか流動性が欲しい。

なんて偉そうなことを言えないとは僕も思ってます。ですが、とはいえ、というところで想像していくしかないんですよね。とんでもないことをしていたってのもあるけれど、実は修正も反省もできる、最も出来ないこともあるんですけど、そこが人間であるという矜持かもしれないですね。

人を羨む時間を自分に当てる

好きなことや自分がこれ楽しいということを仕事にしている人は羨ましがられやすい。またはそういう人になりたい人は多い。しかし、それを目指すために「色々な時間を作る」「今を変えたくないからやらない」人はかなり多い。人間の意志は弱くその程度のものだともいえる。しかし、そうやって好きなことをやり続けて見た目や成果が芳しくなくても楽しくやっている人を批判することはできない。そこが価値となるからだ。

現状を変えない=世界や社会、そして自分と他者を学ぶことをしている人はこのような差に遭遇したとき、愕然とすることもあるだろうが、多くは「ではどうすればいいだろうか」と解決策や問題の本質へアプローチ出来る気がする。これは推測でしかないが、そうであれば、「ではどうすればいいか」という考え方を出来る人に、やさしい対話は可能にできる気がする。

これはそのとおりで、状況を踏まえたり、現実を見ていってそれで「ああ、だめです」ではなく、どうすればいいかというだけなんですね。最も無理ゲーも本当にあるわけですが、無理だと思うと無理なのも事実っぽいので、その見極めをサポートしたり手助けしてくれたり、最低「会話」できるだけでも全然違う感じがします。このときの「会話」の価値はお金で買えるものではないはずです。

対話やファシリテーションはお金になりづらいが

実際に自分の経験や企画として2つの出来事があります。詳細は省くとして、言いたいことは1つは「余裕」「余地」は対話や相手の想像から生まれるということですね。クレームで完全に「お前が悪い」扱いで会話できないとまあ揉めますよね。これはクレーム側の余地(反論があるなら聞くという発言でなく、実際にそれを聞いて理解できるかということ)なども同様かと思います。想像することができないことでも、つまり未経験でも人ベースの配慮があると結構そういうことできるポジティブな話です。

もう1つは対話やフィードバックや振り返り(リフレクション)ってめちゃくちゃ頑丈です。これも実際は低コストかどうかは人付き合いやつながりによるんでなんともいえないのですが(関係資本を作れない人にはハードルが高いので、だからこそのこのサービスです)、それによって僕も友人らもわりとポジティブに生きているけのかなと。少なくとも僕はそう感じているので取り組みを続けてます。

これらから一般的に対話は稼ぐとかと相性が悪いっぽいですが、実はそれは側面、局面でしかなく、本質は人を動かしたりもっとドラスティックに変化ができる、社会の大事なことなんじゃないかってところですね。大事だから金になるというわけではない、が適応できるという感覚です。

小さい手法で効果は出せる

ライフハックとかルーチーンみたいなものって低コストというか小さくないですか?というところです。人が見ればわけわからないこともやるとやる気が出るならやるほうがいいというkとです。

好きな漫画に読み耽るのもいいし、思い切り声を出すでもいいし、軽く歩くでもいいし、寝るでもいいし。そういう生活にありそうなことを一つだけ切り取ってやることを「おすすめ」してやってくれるか適切なフォローをしてくれるイメージです。これは小さいけれどやりたくてもできてない人は多くいると思うのでそれをやるだけでも価値になるわけですね。

アイデアの背景にあるもの

なんでこんなアイデアが出てくるか不思議だったり、何か理想論をかざしていると感じる人もいそうですが、わりと必然です。

具体的には、この話って学生の前で勝手にようこそ先輩やってきたので振り返ってみるで語ったのは「楽しく学んで仕事して回せば最強」みたいなことは実は自分で環境を作れるか、Learn Better的にいえば「ジョブ・クラフティング」であり「ラーン・クラフティング」ということでしょうか。

あと、励まし企画もそうですが、良い人の周りには良い人がいます。逆はそっとしておきましょう。良い方向に集中していくと。まあこの目安が分からなくて病む人もいますがここもスルーします。そういう中で良い人や良い環境は勝手に生まれるのでなく、獲得または構築するというのが僕の考え方です。逆にいえば環境は個人能力を軽く凌駕するし、集団の力も結構な力だと思っています。個人は簡単に負けるということです(笑)

近いOSでサバイブするでは結局自分の好きなことっぽいしかやり続けられないし、そうでないとなんか生きる意味あるの?は言い過ぎでもそれくらいになるよねと。好きなことやろうってことです。みんなが起業しようとかってことは思わないですので、それはそれぞれでいいかと。人によるスケール(尺度)が違うので、上場企業の社長さんが、市井の人より偉いとかってないです。という感覚で対話できるか、居られるかがまさに態度の問題ってやつでしょうか。権力強いですしね(笑)

サービス化という実現化、またはマネタイズというビジネス化は弱そうですけど、実はこういう精神がないとビジネスもプロジェクトもまあものすごく弱い組織やチームや仕組みにしかならないのだろうと思ってます。どうせならでなく、そもそも対話しつつ、お客さんもパートナーとも社会とも生きることで楽しいという状態が良くないですか?

僕は学生の頃に「真面目な人が損をしない社会にしたい」と言ってました。声高にいってるのでなく言ったことがあるくらいです。この真意は真面目であればいいということでなく、然るべき適した尺度を持って生きる人はその尺度を全うしたりときには無茶もいいのですが、楽しく生きててよかったといえる社会、または時代または人生にできるということです。これは個人の努力よりも、社会の環境整備だったかなと。つまり、個人の努力だけでどうかは面白くないので(だから近いOSの話になる、つまり好きでないならやれない、あと感謝されないならすぐ期限が来るということ)、あとは社会でなんかいいよねこの感じとか、いわゆるエモいことが起きてないならやっぱ降りる(人生を辞める)んじゃないかと思うんですね。理不尽なことなんてありますから。

そこをある種のテクノロジーや仕組みや社会という仕掛けでできるならGOなわけです。多分似たようなことを考える人はいるはずで、遠くから応援していますということで。

以上、アイデアでした。

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