そもそも人を喜ばせることが面白い

自己啓発ネタではないですが、僕がなんで仕事をするか、またはアイデアもそうですけど0→1なり企画ってことをやるか。そういうアイデンティティの話を書いてみます。

結論としては、ものすごく簡単でして、人を喜ばせる感覚が好きなんですね。感覚というか、手ごたえや手触り感といっていい。なるべくその人に楽しんでもらいたい、けれど自分があまりに自己犠牲になるのもまあやめつつ、お互い楽しめたらいいですよねという意味での「笑い」って大事だなと考えているし、そうやっているよという話です。

これ、別に最近出来てわけでなく、わりと自己イメージでは中学生くらいかなあというところです。その頃からわりと変わってない気がします。まあ曖昧ですけどね(笑)

人を喜ばせることでの楽しみ

これって別に仕事とか関係なく、生活として、人生としてみたいなことですよ(笑)

どうせなら、面白い方がいいという感じです。笑いがあったほうがいいし、なんでそうなるかって気になるなら詰めていったほうがいいみたいな感じです。絶対面白くなきゃいけないってことではなく、どうせなら面白い方にっていうのが常にあります。

なぜあるかは理屈では説明できないとは思いつつ、気づいたらそうなっていたと。ただ、自分は楽しくある以上に人が楽しんでもらう、道化というレベルではないものの、ある程度面白ければ体を張るのもありかなというところです。

こういうシーンでのお笑いは分かりやすいかもしれないですが、本質は人を喜ばせる楽しませるというところです。サプライズとか別にスキではないんですけど、これも分かりやすいですよね。その人の喜ぶ、驚くところを見てみたいと。やりすぎると悪趣味ですけどね(笑)

そういう喜ばせたいみたいなのがあった、そして今も保持しているというのがポイントですね。付き合いが長い感覚といってもいいですね。

どうせなら楽しい方がいい

これも仕事=人生で長いっぽいよね、FIREとかやりたい人は別ですけど、そういうわけで色々長いなら楽しんだほうがいいよねと。

上でもどうせならというのがあるんですが、「どうせなら」とは、結局どのように生きても一緒ということはないので、まさに自分の意志って感じですが、意志だけは楽しむでないと楽しめる準備すら出来てないのではって感じています。

どういうことかというと、基本的に自分が何か楽しもうってしてなければ、楽しみようがないってことです。人が「楽しもう」といっても、「楽しむ準備が出来てないです」となると、まあ楽しめないですよね。これらは陽キャラとか陰キャラみたいな言葉が分かりやすいかもしれません。陰キャラが駄目とか、陽キャラがいいとかってことでなく、どちらでいようが、楽しむ準備を持っているってことが大事って感覚ですね。

その上でどうせなら、と来ます。楽しい方に持っていくにはどうすればいいのだろうか?を考える。これって一朝一夕ではないんだなと思います。そう言われて、いきなり出来るほど甘くはないわけです。ただ、やっていれば勝手にそうなっていくみたいなトレーニングというか、誰でもなれるとも言えそうですね。

思考やマインドセットはなぜか使われるものが多い違和感

洗脳とは言わないです。従業員として使われるのは言葉は嫌がる人が多いかもですけど、仮に使われるとするじゃないですか。それで満足ならそれでいいと。でないなら一発かましてやれと。シンプルにそうですね。別に二択ではなくて、社長なのに勤めるとかって別に複業ならありかなと。ただ、プライドがあるのか、これは考え方ですけど、自分でビジネスを持っているのに勤めるってありえないという人もいると思います。

このあたりはもう正解とか不正解もないので、個人のあり方や人生設計次第ですよね。

それはさておき、世の中にある考えや目にするものは、相対的に意識しないとってことですけど、やはり「使われる」ものが多い気がします。それで満足するならいいのですが、違うな、なんか違うなというのは大人であれ誰であれ否定されていても「取っておいた」方が良いと思います。ただ反社会的すぎるものは除くとかはありますけど。

例えば「これ絶対自分はAだと思う」けれど、普通に否定されまくるので、違うのかな。自分が間違っているのかなってありませんか?そういう時は、ぶつかるのもありですけど、Aを保持しつつも、別からアプローチとかが大人っぽいかもです。まあ若いと出来ないと思います。感情であるシステム1がシステム2にたどり着かず(笑)って意味です。若くして出来たら単純ブラボーです。

違和感がある時どうするかって大事ですよね。

エンプロイアビリティみたいな言葉もあるのですが、それはおいておいて、その状態ややり方やあり方にどう自分が思うか。これがないと話が始まらないです。そこまで思ったことがないなら、思いましょうみたいなことですし、考えてないからわからんなら考えましょうというか。其上でどうかってことですよね。

で、ここで問題となるのはそうやって思考する人が偉いみたいなことになるのですが、それはまあ思ってないです。そもそも思考量が僕の方が多いので「あなたより優れている」とかそういうマウントではないんですね。取っている人もいるかもですけど(笑)比較したいわけではないと。ただ、自分が向き合うときに自分との戦いというわけですが、その時一緒になりたい、自分が統合するのだ(笑)と願っても受け入れられないってあるわけです。

本当はこうしたいんだ、自由に生きたいんだみたいな(笑)自由ってそんなのないんですけど、言葉のアヤですよ。そういう時、本当のあなた、自分ですよね、って何か。まあ分からないわけです。正解はない。例えば自分はXしたいのでやろうと、でも明日になったらXってなんだろう、Yしようみたいなことってざらです。でも、その中でも、統合というか、ある種の抽象化した人格みたいなものがいくつあっても、一定程度ホメオスタシスではないですが、恒常的なものがあなたっぽい、なにかといっていい。生物学的には細胞は変わりまくってるので同じ人でもないくらいでもいいようですけど、社会的には昨日の僕はもはやいませんでは「やばい人」なのでそうはならないと(笑)

でも、それくらい変わるので、変わってもいい。一方で自分との対話は詰めていってもいい。それくらい色々と話してなにかしていって思考しないと見えないのではないかと。しても見えないですから、しなさすぎてもますます見えないという感じですね。

違和感としてあるのは、そういう自分と向き合うって自分のためにやっているだけであって、人にどうってことはないんですよね。まあ何か結果を出したいとか、成果を残したいならまた別なんですけど、ただそういう時でも、自分がこういう感じでいるといいよなーみたいな良さげなところを見出してないなら、結構迷路というか、ふわふわしすぎていて(多少はいいけれど)気持ち悪くなるかもなというところです。

思考やマインドセットみたいなものは、自分がこのように生きたいのだという主体性においてありですが、それが従属するとか、要するに「君の自由意志はないのだ」みたいなマインドセットというのは僕はあまり好きではないので、そういうある種の支配欲ベースが強い人は苦手ですね。スルーすると(笑)

そもそも人を喜ばせたかったのだ

結論はこれなんですけど、結局僕のアイデンティティみたいなものって、シンプルに人を喜ばせたい、それでナンボって思ってます。お笑いみたいに直接アプローチもありですけど、そうでない言葉の妙とか、アイデアのキテレツ(笑)感とかでもいいし、社会とのギャップでもいい。興味深さとかの面白さってことですよね、それもいいなあと。

つまり喜ぶためには色々なXがあって、それを自分で出来る分をやろうと。当然それは仕事として、つまりここでは持続可能性がある方がいいよねってくらいの感じですね、としていくといいんじゃないかってことでした。でしたというか、そうなっていたということですので、気づきですね。

そういう人を喜ばせたいし、豊かになってほしいし、楽しんでもらいたいし、役立ちたい。これらはほぼほぼ同じです。豊かの話は前書きましたけど、結局そうやって人を豊かにさせることで、僕も一緒に豊かになる、対等に豊かになるって表現が適切ですかね。

そうやって自分は生きてきたなということに気づいたので、わりと基準は分かりやすくなります。仕事ならその仕事は相手を喜ばせられるかで一発です。また僕が喜んでやれるかもありますから、それに満たないなら断るしやらないと。そうやって「選ぶ」のは悪くないなあと。むしろ自分が健全と足り得る感じがします。

だから仕事は人を喜ばせつつ、継続できるものとなっていくというところで、かなり自分の感覚と一致してきました。完全一致というのも気持ち悪いので(笑)あそびや余白が大事かなと思っていても、その中にしっかり入る感じですね。

ある種「あーこれでいいじゃないか」って感じですね。人によっては「それでやれるのか」とか「ハングリーさがない」とかってなるんですよね。けど、まあスルーでよくて(笑)自分で納得感があるなら多分それでいけるんだなと。そういう意味で意味を得たりって感じなんですよね。

その流れになっていくと、0→1とか、何もないところからとか、ふわっとした話もまあ面白いから好きなんですよね。リスクとかまずはおいておいて、相手に喜んでもらうと。まあ当然相手も人だから、誰でもってわけでなく、明らかに倫理とか不審とか、さすがにこれはって人は省いちゃうのでそこはもう明らめてます。ただ、それはかなり例外ですから、そうでないなら色々な人と関わっていくのは基本ウェルカムなんですね。

そうでないなら、0→1みたいなこととか、企画みたいな見えないこととか、非合理的な起業もですけど、ビジネス的にリスクがあるだけであとからリターンがある話なんてやらないじゃないですか。だから万人が何かやれるとは思ってなくて、向き不向きがあると。そのうえでやってみたいなら学んでチャレンジしていけばある程度のことはやはり出来るのだろうというポジティブな考え方でいます。

今後もこんな感じで喜びアイデンティを元にして、それを色々な形にしていこうという気づきを得たという話でした。これを僕が嘘で書いているならひどいものですが、心からそう思ったので書いてみたということですね。実際に嘘でも書けるのですが、虚しいですし、そういうことをしているとどんどんメンタルや精神がやばくなって、まあ当然そういう嘘でカバーしちゃうとドーピング中毒となって、嘘の自分でしか話せない、登場できなくなりますから、そんな人がいれば怖いかもですが、そういう「嘘の鎧」は外すか、小さくしていく練習をしたほうがいいですね。嘘の鎧もつける練習を自ずとしてしまっただけですから、外すこともトレーニングで出来るはずですから。

人を喜ばせるというところの延長に僕の仕事やビジネスがあります。それだけなんですけど、こういうのってかなり深い話というか、そうなんですねで分かるものでもないので、色々な蓄積があってそうなっただけという結果論でもあります。追い込めば病んじゃうわけですし、それは人なら誰でもですから、やはり楽しんで喜んでというのは外せないのではないかなということを強化する話でもあります。

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