仕事という言葉の意味合いの多様さにしみじみする

「仕事を増やすな!」という時の「仕事」は、やることやタスクという意味合いで、意味としてはやることを増やすなってことくらいの意味ですよね。

「仕事をつくる」の「仕事」は価値を生み出す、人が喜ぶことって感じで僕は使っています。

当然ですが、「仕事」と言ってるのだけど、まあかなり価値観が異なるというところでは、同じ「仕事」でも全く意味が異なるので仕事の言葉の使い方は注意したいなって話で、ちょっと書いてみます。

仕事自体には絶対的客観的な価値はない

当たり前ですが、ある「仕事」が価値があるかなんて分からないのと、Aさんが面白い!けど、Bさんにとっては全然おもしろくないってのはざらにあります。よくあるってことですね。

自己啓発ではないんですけど、例えば何かを調べる仕事があるとしましょう。探偵みたいなものでもいいですけど、ビジネスシーンで使うものでは、「競合の動向調査」ということで、競合Aについてどういう戦略を取っているか調べるとしましょう。

これをAさんが面白い!っていうけど、Bさんは「やりたくないな」って思うというケースです。当たり前ですが、Aさんにとってのこの「仕事」は面白いので、面白い仕事となります。

Bさんにとっては、「調べて何が分かるのだろうか」みたいな感じでまあ否定的な感じだとします。調べてみることは悪くないけど、まあ気乗りしないでもいいし、調べるの苦手だなとか、調べて何が分かるのさ!くらいで(笑)

この時、Bさんに対して「追加で調べて欲しい」と言ったら「仕事をこれ以上増やすな!」って(笑)怒鳴られるかもですよね。Aさんなら「仕事の価値を高める工夫を考えてみました」なんて、提案をしてくるかもしれません。

不思議ですが、こんなものだなあと。仕事ってというのが僕の感覚です。

だから、面白い仕事みたいな絶対的な何かなんてなくて、逆の絶対的につまらない仕事もないと。どう感じられるか、捉えられるかだけなんですよね。

面白い仕事を増やしたい

面白いや好きなどのポジティブな感覚として、そういうポジティブさは、仕事に求めてはいけないなんてルールがあるかですが、ないですよね。最も、銀行などの金融機関での業務に面白さってどう出すかですけど、理屈ではどんなルーチンでも工夫を入れて高めることができる、って感じですが、限界はあるかもです。ただ絶対つまらないという仕事はないわけで、「ルーチン楽しい!!!」って人もいるわけです。

それで、面白い仕事って矛盾しているって突く人もいるのですが、理由は面白いことは仕事ではないっていう仕事の定義があるんですね。前提とか価値観といっていいかなと思います。

つまり、仕事は面白くないものであり、つまらないものだ。それは苦行であり、やりたくないことである。それをやることで、それが価値となる。かなり古臭い考えとは思いますが、大いにある考えだなあと。僕は全くそう思わないのですがそういう考えがまずあると考えているわけです。

こういう人に対して「面白い仕事をしましょう」という時には、まず存在を認めてもらないというわけです。なぜなら面白い仕事なんてないからですし、面白くないと思ってやっているし、仕事なんてそういうものだという態度や姿勢が強固にあるからですね。

だからその姿勢やガチガチのものをまず緩めるところから始める必要があるのですが、まあ手間ですし厄介でもあります。なぜなら、人の考えを変えるってことにもなるので、感謝されると思いたいですが、中には「そんな知恵をつけさせるな」なんて言う人もいるかもしれませんが、怖い感じですけど怖いとかでなくしれっと存在するかなと。

僕としては、もっとシンプルに絶対的な何かはないので、面白いと好きだなとか得意かも、強みを活かせてる気がする。そんなふうに思えることで仕事をやっていける、つまりそれである程度食えるってことですけど、そういう人を増やしたいなあとやはり思いました。

ある人との会話で思い出したネタですけど、12年前くらいに僕が起業したての頃に「面白いことって食えないですよね」なんてしれっと言い放った人がいるんですけど、別にポーズでもなんでもなく、ガチでマジで(笑)面白いことをやって稼ごうとしてたんですね。今も変わらないです。

面白いの認識や考えはある程度変わるとはいえ、本質は変わってないなあと、今でも思います。つまり、面白さとは、当時言語化できなかった気がしますが、0→1で何か生み出すこと、これがある程度出来れば僕は満足です。自己満足とかだと駄目ですけど、それをしつつ、相手とか他者が求めていること、社会がある程度求めていること(万人受けってことではなくて)ならまあある程度いけるのだろうという見立てがあるわけで、そうなればいいし、そうしていけばいいって感じです。

それを当時は「社会を面白くする」っていってました。確かに分かりづらいですが、これも「社会」にいる人が「面白く」「仕事」をできる環境を作りたい、またはそのようなキッカケを作っていくみたいなことだったんですね。今もあまり変わらなくて、応援だー!とか、励ますぞ!とかそういうのも、このロジックというか、考え、青写真というもので説明できますよね。

あなたや誰かが僕から話を聞くでもいいし、考えてもいいけど対話して何かやってみようと思った。うーんじゃあちょっとやってみるかな。となると、それ社会ですよねと。なぜならあなたは社会の一人ですよねってことで成り立ちます。非常にスマートというか分かりやすい。

全くそういう過去に通じなかったというわけでもないですが、なぜ手ごたえがなかったのかというと、仕事自体をそもそも考える、人生における仕事とは何か、考える質や量が違ったんですね。別に考えてない人を馬鹿にするのでなく、自分は考えたい。こういうことをすると、なんかいかもなって考えたい。そういう性質や持ち味を上手く使うとなると、僕みたいな「社会を面白くする」ってなるはずなんですけど、手段はなんでもいいので、まあこれが分からないんだろうなあと。

相手が分からないことを詰めてどうとかもなくて、「あれ、通じないななんでだろう」「考えて偉いね」みたいなになるぞ(笑)別に褒められたいわけでもないし、考えを対話したいだけなんだけどなって感じで終わるわけです。

届けたい人に届けられてないだけだったかもしれませんけど、じゃあそれで終わるかというと、それはないわけで。灯火は小さな火でも消さなきゃいい。仮に消えてもまた灯すと。その繰り返しをやると。意地でなく環境と習慣でカバー(笑)運用でカバーみたいな概念で粘るということこそが、僕の中で社会を面白くするってテーマでありました。

そして面白い仕事を増やすことは、面白いと思えることをやる人を増やすでもいいし、自分がまずやってみるでもいいし、なんでもいいので、そういうところを手っ取り早くやっていってどうか。その短期の結果を焦って求めるのではなく、こういうことをしたらこうなったよと示すこと。

それこそがまあシゴトクリエイターのミッションでもあるよなあと思っていて、仕事ってまあなんでもいいのかなと思っていて、それをどう作るか、しっくりくるものとしていくかだけなんですよね。あとはそれこそ食えるなら不満になりづらくて、あとはどういうことをしたいかって余裕が出てくるんですよね。これがないと、まあなんかしんといというか、責められたり追い立てられたりするので、楽に食えるかどうかはおいておいて、一定の食えるレベルとか、食えるプロジェクトとか、食えるスキルみたいなのを磨きつつ、余裕が自然と出てくる環境を作るのがいいのかなって感じです。

そうしないと、忍耐とか耐えることを求められてるみたいでしんどいんですね。一瞬くらいはいいけど、それを恒常的にやる、なってしまわないようにするというところですね。

自分が良いと思う仕事を応援する

自分がこれをやりたいとかがなくても、応援でもいいんですよね。あーこのひとの仕事いいなって、ならば買うのもいいし、話を聞くのでもいいし。そこらへんは色々やり方があるかなと。

応援も社会活動で、そうすると応援されたら、僕がそうなら嬉しいので、またやるかなーってなるだけです。パワーをもらったのでまた持続できると。そんなもんかあなと。それが気持ち自体の補給になって、ぐるぐるまた、「あの人のためにやるかな」ってなるわけで。そういうのが多分社会でもあるんじゃないかと、僕は考えています。

仕事には人それぞれの価値がある

ドリームキラーみたいな言葉がありますが、キルするというよりも、嫉妬とかで現状うまくいってない体験を人に対しても同様になるぞとある種の脅しですよね(笑)脅迫といっていいですが、それは人間の心理としてありえることですね。やられたらたまったもんじゃないですが。

Aさんの価値は、Bさんの価値と同義ではない。先程の仕事の例からも明確なのですが、なぜかBさんがうまくいってないとすると、Aさんが羨ましくてしょうがない。だから嫉妬、妬み、僻みが発生する。

その気持自体はまあ自然かなと。ただ、それをAさんに対してするのがまずいからといって、そういうやり方を否定してどうこうしてもまあしょうがないですよね。単に好き嫌いで終わってしまうというか。

ある種のこじらしとも言えます。本来なら、BさんがAさんを羨ましいと思うなら、尊敬ですよね。ならば、Aさんの仕事から学べること、Aさんの考えから学べばいい。で、Aさんの仕事とかあり方を否定するのでなく、Bさんが持ち味を活かせる、つまり調べることではない、Bさんが好きなこと、得意なことでそれをやればいい。つまり、Bさんの仕事を作る、自分が考えてやる必要がある。ってことです。

多分、Bさんはどこかにぴったりな仕事があってそれに当てはまるまで転がっているのかなと、まさに「ぼくを探しに」にある世界観ですね(笑)そんなのはないんですね、あるのは、自分の見え方、捉え方でしかなくて、当てはまるものでなく、当ててそれを修正適応していくってだけです。なので、Bさんはまず自分でやってみて試行錯誤をする必要がある。それを面倒だからといってやらないなら、まあそのままじゃないですか(笑)

それだけなので、Aさんが羨ましいのだ、私はやろうと思ったができなかったので。というほうが素直ですし、とても分かりやすい。そして、持ち味が違うのですから、Bさんなりの何かをやればいいだけです。それがこじれていることを、こじらせと言っていますが、まあその通りですよね。

Bさんみたいな人はわりと多いかなと。シンプルに素直に客観的に自分はどうなんだろって人がどうとかでなく、って考えられる人はまあこじらせる要因がないのでこじらせようがないのですが、自分で勝手に歪曲させたり、「社会が悪いのだ」みたいな感じにしちゃうとなりがちですね。まあ社会が悪いとかうまくいってないから、それをどこかにぶつけたい気持ちは分からないもでないですが、それを肴にして、自分がやらない理由にはならないかなと。

まっとうな人なら、自分がある程度やってどうかをやりつつ、同時にですよね、やりつつ批判すればいいだけですから。もちろん社会全ウェルカムなんてないですし(笑)全部駄目もないので、そこは極端な白黒つけるからおかしくなるだけでしょうと。もっとグラデーションだったり、中間地帯があるみたいな感覚、選択肢がないとまあそうなっちゃいますけどね。

理想論はそれぞれが生き生きする感じで

まあ理想論となるのは、単に反射的に、目の前にそういう人がいるぞとかで「くそ、こっちはうまくできない!」となって、単に反応しちゃうだけなんですね。そうではなく、「何が違うんだろ」「学ぼう」となれば、まあ違っていくのですが、そうならないんですね。そんな理屈でなく、感覚で反応しちゃうからだけかなと。

これが一人ひとりが主体的に生きろ!といってそれができたらまあ戦争も何も起きないので、という意味で理想ですね。けれど、そういうOSなり思考もないと、まあ物騒なわけで、なんとも動物的だなと。思考できるし、想像できるし、もっと考えられるぜというところがあります(笑)

まあ、卑下することもなく、とはいえ極端に喜ばなくても、なんというか日常生活でエモいというか、色々感動して、幸せを感じていれば一定程度「こういうことかもな」とある程度見える(それが勘違いでも)いいんじゃないかと。幻想に踊らされたいとかでなく、なんというか、ある程度の悟りを持ちつつも、自分がやるようになるようになる、それを時には踏ん張りつつもやると。まあそんなことを思っています。

ちょっとポエムっぽくなりましたが、仕事ってかなり曖昧な言葉ですから、考える人もいればそうでない人もいるし。難しいことをすればいいわけでもないし、そこの醍醐味も色々で。

僕が好きなのは、その正解もない、色々な考えがただあるという状態で、それって対話しないと見えないし分からない世界ですよね。それが好きですね。だから僕はあなたに、考えてやれとかをいいたいのでもなくて、自分が考えるペースややり方でやってみたらどうかってことです。やらないとやっぱ駄目なので、なぜかというと、こじらせになりえるからです(笑)こじらせるなら、ストレートに言ってどうかって感じの方がまだいいだけですね。

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