正解を求めるのは「思考」ではない

要するに正解はないってことです。

では何において正解がないかというと、アイデア、新規事業、企画などの0→1で作るようなものです。一応0→1の時の0って全くオリジナルということを意味してないのであしからず。

そういう何かを生み出すことにおいては、クリエイティブというような、例えば職人で何か作ること、生産者で野菜を作ることとも一緒です。正解がないとはある種技術やノウハウがあっても、それが適合しない領域や状態があるのでそれを何かしらカバーしないといけない時でも発揮します。またある器は使われる人によって使い込みが異なるので、修理やメンテナンスも常に「正解がない」=常に変わるわけですね。

なんで正解がないなんて何度も言っているかというと、正解がない領域に対して正解があると思っている(と本気で思っている)人がいるからですね。

仮にそうでないのであれば、うまくいくアイデアという単語はうまれないし、形容詞はなくなるからです(笑)これをプロとして、微笑ましく実際は違いますよねー?と懐柔するわけですが、別に懐柔したいのでもなく、トレーニングとか考え方として、これは特定の企画やアイデアの話でなく、抽象スキルや根本としてありえる話です。というかそうなっていると思っています。

正解があると思っている人はマインドセットレベルで、そのようにやって駄目なら明らめるからですね。正解がないと思っている人は、試行錯誤で何かたどり着きやすいとも言えます。僕は後者がいいと思っていて、そうしないとアイデアは常に不正解ですし、受け入れられないからでもあります。

ではそれがポーズとして立場としての言葉かというと、まあそれは否定しないのですが、別にポーズを取ってお客を脅して(笑)商材を売るみたいなブルシットジョブではなくて、本質思考をしておかないと、ぐらぐらと揺れるし、常に誰かに何かを求めてしまうんですね。自立や自走だけが世界でも社会でもないのですが、共通していえるのは、考えることを放棄すると結局正解思考になるのかなと。そうでないなら自分で考えれば正解はないことを楽しめるのかなと。

そんな感じでざっと正解思考について考えてみます。

もちろん、正解思考を批判しつつ、本質思考に迫っていくというところを良しという話です。

正解思考とはなんだろうか

思考自体がなぜ「正解」を追い求めやすいかというと、これはもう教育の賜物です。皮肉ですよ。悪い意味で(笑)

知識をインプットして、これが正解ですと、一問一答していく。偏差値教育は批判されがちですが、言葉を生み出した人はそういう意図はなかったという悲劇があると。悲しいですね。

科学ですら一問一答で正解みたいなのがありそうですが、それも「今はそうなっている」ので、違う意見も言える、批判余地があると。そういう点ではとても懐が大きいですよね。まあその使い方がどうかは別として。

この正解思考があると、やはり先に書いたように何か生み出すところでは、「何も参考できない」=正解はないという意味ですね、事例自体は参考になるので、というところで、そこでバグります。バグとは不具合で、思考が不具合というか、プログラムがバグってそこで止まると。

止まるとどうなるか?他の正解っぽいものを目指して進むOSとなっていると思っているので、ますます分からなくなる。

本来ここで分からないをちゃんと考えればいいのですが、他の正解に向かうとか、それっぽいものでごまかすことで、本質とは真逆になりそうです。まあこれも少し考えを入れてごまかす思考もありそうですが、そういうのはここでは一切考慮しないですね。あざとすぎますからね(笑)

本質思考とは何を指すか

正解はないとは分かったし、企画はどう考えても正解はないのも分かるが、どうすればいいか。

まあそうなりますよね。結論的に僕もそれを知りたいですわ、というところです。つまりこれって答えもないんです。

だから、正解思考がある種の一点、その時だけに成り立つ(これはすぐ崩壊するという意味です)でのアウトプット結果に対して、本質思考とは、プロセスや過程で長期的に見てどうかを見ていき、その結果すら過程ととらえる考えだと思います。

これはわかり易さを求める社会においては、「結論がないなら話にならない」とか「儲けられるわけじゃないですよね、じゃあ興味ない」ということと見られます。わかり易さを求める社会ってなんだろうということですが、まあ現代ですよね(笑)またはそういう集団といってもいいし、組織でもいいですよね。

逆に、現状がまずいのは分かったとか、今を認めつつどうしていくかとなると、結局本質思考になると考えています。僕がですよ。つまり、長期でどっしり構えていく形です。結論が出ないのを恐れないとなります。恐れとは、その何か結果が得られないことに対しての不安の現れですけど、そもそも正解はないので。

こういっちゃうと、正解を提示しないのはいいけど、結果を提示しないのは詐欺ではないか(笑)となります。詐欺は言い過ぎですけど、何か得られることに慣れているとまあそうなりますよね。

客視点ではお金を出すなら結果が欲しいのですね。広告費払ったのに何も売上が変わらないのは詐欺ではないかとなりますが、広告ってそういう性質ですからね。詐欺的ということではなくて(笑)0%しか寄与しない場合もある。そのリスクリターンを知った上でとなりそうです。

企画業もどうかというと、何度も書いていますが結果を保証しますとか、絶対売上が上がりますなんて言わないですよ。というか言えないんですね。それは何が刺さるか分からないからです。そしてそれを言えば嘘となりますから。二重の意味で言えないですね。だからコミュニケーションして理解してリスクリターンが納得できる人でないと、そもそも出来ないですよね。アイデアも一緒ですね。性質上というのは、本質思考だからですね。伝わりますかね?

本質思考的なものであれば、結果だけ見るような正解思考のものさしで見られれば詐欺なんじゃないかなって思います。僕はそう見てないのですけどね。そう見る人からすれば。だからこの場合、正解思考の集団においての本質思考は価値がないです(笑)だからささっとそこにいる人は逃れるか、少しずつ割合を下げるしかないと。実際に思考の深さや幅広さは本質思考に分があるので、下に見ているわけではないですけど、本来価値を認めてくれるところでやりましょうってことですね。

逆に本質的思考の場で、正解思考はそもそもOSが違うので、向いてないのでは?ってなりそうです。企画をするのに、全く関係なさそうなことをやっているとします。この人は評価されるかどうかですけど、わりと評価されるんですね。関係なさそうなことが実は本質に迫っているからですね。もちろん単に遊んでいるだけならアウトですけど、結果をシビアに追求しない故に出来ると。そういう意味でアートも研究もかなり似ている気がします。

これらに価値をおけるかどうか、置いている状態なのかで社会を見ると面白いのではないかと思います。

どう立ち回ればいいか

これも正解はないですよね。という前提でいければあなたも本質思考になっています。なったから儲かるよ!みたいなことではないですからね(笑)

立ち回りは割と面白いかもしれません。

例えば本質思考っぽい人なら本質思考でいけばいいと。でも相手が正解思考ならどうするか。軽く批判してもいいですが、本質思考でいくならまあ本質的に考えて言えばいいと。多くはここで正解思考の人とずれるので話が合わない気がします。二者択一ではないですよ、ただ自ずとそうなるって感じです。

そもそも思考をするしないもあって、「そんな難しいこと考えてません」っていう思考を遠ざける人もいますが、それでも考えることから逃げられることはないと。考え続けろとは言わないですけど。

例えば立ち回りとして、勝手に自分を評価してくれて勝手に価値が上がっていく仕組みなんてないので、自分で動くしかないんですね。これはもう誰もが分かっているはずですが、甘えがあると行動をやめるし、甘えなくても誰かがとなっているかもしれません。正義のヒーローはいないので、どう自分で見えるところで獲得していくかだけなんですね。

そうすると本質的にいえば、長期思考で、どう自前で獲得していって、人生を歩んでいくか。これをある程度考えるならば、短期的な判断はかなり些末というか、小さい判断になって一言でいえばどうでもいいものも多いと思います。

そういうどうでもいいものはうっちゃって、重要なことに投資する。時間を使うとかお金を使うとかそういうことですよね。お金より時間の方が大事だと思いますから、そこをサボらずにやると、本質的思考で立ち回れる気がします。正解思考の多くはどうでもいいか、仮に正解がそれでも弱いんですね。土台がないからですね。例えばそれは誰かが言っていたとか、周りがそうだったからとなる。それにケースバイケースもありますけど、人生を委ねるのは流石にやじゃないですか(笑)

間違っていても考えるみたいなことを悪用するのは論外ですけど、やはり間違えていても主体性みたいなものを失ったら終わりじゃないかって。まあそのカウンターに考えない生き方もあるので、僕は否定しないですが、それについて納得しているなら大いにグッドです。納得してないのにそれでいるからまあ色々と不平不満となるんですね。

対話はヒントになる

対話っていきなりですけど、めちゃくちゃヒントになります。

基本的に考えの違う人が話し合うことを対話っていっていいかと思います。または同じかどうか分からないし、違う前提で話すことでもいいかと。

そういうって考えの交換であるし、見え方の違いを学び合うことだと思います。

対話を知らないと、全て会話=情報交換みたいに思っちゃう効率的な生き方になるんですが、それは流石にないはずです。逆にそういうコスパばかり見ているとしんどいのかなと。大いなる無駄だけど楽しいみたいなことが分かればこれがいかに偏っているか分かるはずなので。

対話自体は、人の数でも量でもいいですけど、とはいえ少数でも質でもいいわけで、とにかく話すことを辞めないことでしょうか。色々な人のパターンが見えてくると、なんか色々でいいなって「受け入れ」ができる。ある種の悟りですけど、それが出来る人はかなり色々な人と話をしているか、学んで色々な人の考えを得ている気がします。

白黒つけないこと、曖昧性を受け入れること

最後はまとめでもないですけど。

白黒つけて、あれはXだとこれはYだとか、決めつけないことですね。決めつけたくなる気持ちは分かるのだけど、大いに疑えと。僕の考えも大いに疑ってもらっていいわけですね。別に僕は正しい考えをあなたに伝えたいなんてなくて、というか正しいとかって基準がないですからね。倫理的にどうよってのは流石に外しますけど(笑)

曖昧で正解がないのって辛いですかね?あなたはどうですか?

多分そこには思考が必要で考えないと分からない、例えばクイズを考えて解かないと先へ行けないみたいな感じなのかもしれないです。あなたは自分でクイズを解きますか?それともなんか他のアイデアを考えますか?

それは人それぞれなんですけど、それを辞めたといって考えないこと、そのとき誰かに相談するは全然いいのですけど、相談する=自分で考えないこと、ではないですからね。そこらへんで逃げる=考えないってことですね、やっぱ後から追っかけてきますね。正確にはそういうところで残しておいたペンディングたる思考がストックされていき、雪だるま式で膨れ上がると。これはちょっと怖いですけど、大いにそうなりがちです。

だから別に白黒つけて、竹を割ったような判断とかでなくて(笑)

曖昧なもので、こっちなんだろうけど違うかなみたいな矛盾オッケー、葛藤オッケー。それを大事にしていくわけです。それって短期で結果を出さないので、まあ結果をすぐ決めたい人はめっちゃストレスです。ですがそのストレスは長期思考になりえない反動でもあって、そこをどう曖昧や受け入れで凌ぐかとなります。

先に教育の賜物といいましたが、結果なんてすぐ出ないっすよね、ということが前提である社会なら全く違う感覚になると。

あなたにとっての社会感がどう映るかですけど、常にAならBはないか、BならAではないかと逆の手で見るだけでも、一歩引いて見えることになります。そのうえでAでもBでも、第三のCでもなんでも良いのですが、選ぶとまったく違う感覚になりえるかもしれません。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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