「本質直観のすすめ」が超面白かった

マーケティングリサーチにおいて、アンケートだヒアリングだといって調べることは大事です。それで大事なのですが、それって「答え」なのかというと違うと。要するに正解なんてなくて、リサーチャーの解釈でもいいし、クライアントの解釈でもいいし、何かしら誰か最終決定者=それが経営者でも部門長でも誰でもいいのですが、結果的に解釈となります。

組織であればそれを個人の属人的な意図でなく、ロジックや何かしら「それっぽいもの」(確からしさ)にするわけですが、それっぽいものなのか、それなのかというと、「それ」という正解はないので、どこまでも解釈次第となります。

ここで、じゃあマーケティングリサーチは無駄だよということはないのですが、とはいえリサーチしたから当たりが引けるわけでもない(笑)

なんでそんなことになるかというと、そもそも起業や事業や何かしらのチャレンジ、アイデアの検証といっていいですが、論理的ではないからですね。論理的に進められる部分はあるでしょう(例えばモノは壊れない方がいいとか。でも実際に壊れるのが価値というのもありえますよね?)が、感情や情緒、そもそも未来に向けての判断は正解かどうかでなく、決定してそれをどう解釈して動くかの方が実践的です。だから、ものさしが違うのであって、どちらも大事で、どう塩梅良く使うかとなりそうです。

確からしさは答えではない

本書の主張としては、確からしさというのがまずある。例えば、新規事業でこういう仮説があるとかも、多分確からしさかなと言えます。ただその確からしさ度みたいなものは、言葉で言えば「結構、かなり、それなりに強い」ものと言えそうです。「これでいけるっしょ」というのは、弱いかもしれません。「これならいけるぞ」くらいかもしれません。ニュアンスがあって分かりづらいですが(笑)

そして、確からしさを、マーケティングリサーチという手段で、例えばアンケート調査、ヒアリング調査とかやっても、それは「答えを探す」という外的、外にあるってことですが、その参照というなら「直観補強型」でしかないと。

直観補強型とは、直観=確からしいこと、をそういう手段で「補強」しているというわけです。例えば、新規事業担当者Aさんが、上司に対して「僕はペットロボがこれから来ると思うんですよ」というだけでは「うん」といってくれないわけです。「それ、Aさんがやりたいだけでしょ?」と。よって、Aさんは「そうだ、市場データを集めればいいのだ。まずはアンケートだ」といって、ペットロボが欲しい、買いたい、飼いたいですかね、結果を得ると。

自社でやらなくても「ペットロボ欲しいですか?」アンケートはあって、それが信頼性がありえるなら、「ペットロボ長沙結果から欲しい人は4割いました」といって、Aさんは誇らしげに「ペットロボの市場はあります」というと。ちなみにこれが間違いとは思ってなくて、それでGO出来るほどの「補強」かどうかだけです。全員、例えば新規事業に関わるステークホルダーみたいな人たちが、「OK」というのか、それとも「誰かOK」ならGOできるかは分かりません。ものすごく組織的だと思いますが、そういう仕組みが正しいかどうかも不明です。

その上で、簡単にいって、そういう「補強」でしかないというのはなるほどなと感じました。ある種上長を説得するためのツールでしかないと。

でも、待ってください。そもそもマーケティングリサーチとか、マーケティングといっているのは、ペットロボを真に欲しい人がいるか?を調べたいのではないかと。また、ペットロボを真に欲しいなんて分からないので、どういう行動を見たらいいのか。例えばペットを飼いたいのだけど、飼えない事情があればそこの代替策になるのではないか。そういうヒアリングをしても補強というところは、免れないのですが、そういう意味で定性調査だろうが定量調査だろうが、結果的に補強していれば補強でしかないってことです。

長くなりましたが、そういう補強が著者は駄目なんていってないけれど、実はそういうことではないんじゃないかと提示していると僕は解釈しました。

直観検証型こそが「本質直観」

本質直観と言っているのは、直観検証型のことです。というかそのように解釈しました(笑)

上でやや批判的に、リサーチは補強でしかないというのは、リサーチ自体が駄目なのでなくその解釈性、解釈の仕方ってことです。上ではAさんは上長を説得する、通すためだけに使っています。リサーチってそういう風にも使えちゃいますってだけです。手段の捉え方とか、使い方ってことです。

ここで直観検証型とは、僕の解釈では、

確からしさまでは一緒。ただ、リサーチを通して、外に答えがあるのでなく、自分にそれを向き合って自分で問い直す作業。

ということです。つまり、ペットロボなら、こういうデータがありましたよ、はい終了でなくて、「ペットロボが欲しい人が4割いる」で、それでAさんはどう考えるか。それが「4割が要る」というラインになるみたいな浅い話でなくて(笑)、「ペットロボが欲しい人ってなんで欲しいのだろうか」「いや、そもそも欲しい人がいるとは思うけどそこまでいるとは思ってなかった」(真に思った場合)となると、Aさんの仮説や元々のアイデアは覆されたり、散らかるわけです。

つまり、この時Aさんはリサーチで得た結果を、自分なりに問い直しているので、「補強」でなく、「検証」しているといっていいでしょう。

分かるのだけど、それで結局何なのか?ってなりそうです。実際に、問い直すだから絶対当たるヒット商品なんてないでしょうし(笑)迷走してしまったり、リサーチ結果から撤退というか実行しないこともあるはずです。

クライアントとしてお金を出すという意味では、お金を出して調べるから、ニーズがないとか、無駄であるという結論は「要らない」というロジックは感覚は分かります。なのですが、これは矛盾していますよね?リサーチする前から、ニーズがあるとわかっているなら、調べる必要性はないですし、仮に詳細に知りたいという場合も「必ずニーズがある」という前提となる。

ニーズが全くないことをあえて調べる人はまずいなくて(ややこしいですが、撤退させるための材料という意味で補強したい人もいるかもしれませんが、まあ面倒くさいですよね。)何か確からしさとして、ニーズあるぞと、何かビジネスとしていけるぞというから調べるのでしょう。

といってますが、多くは直観補強型かもしれませんというのは断っておきます。補強だから駄目ではないのです。ただ、補強というのが根底に「どこかに答えがある」「参照してはい、これでオッケーですよ」というのがあるのは夢物語であるということで、僕は理解していますし、実際にそうだなと思っています。

これは、正解か不正解かで、リサーチの世界、または事業の世界、を見ていると全く分からないものさし、基準だと思います。グラデーションのようにふわっとしていて、正解かどうか分からない。失敗というか、間違えると「自分の立ち位置」すら危ういともいえます。だからこそ、直観もですが、確からしさをそれなりにですが信じて、自分と向き合うというなんとも哲学的な思考が、ここにあると。そういう話だと僕は捉えました。

観察という手法

直観検証型として、オブザベーション=観察することを一つの手法としてあげています。これも見ればその被調査者(見られる側)が答えを持っているわけではない点に注意してください。くどいですが、答えはなくて、調査者であるリサーチャーであるあなたが見つけることになる。

以下ちょっと長いですが、

オブザベーションは消費者を注意深く観察することで消費者のなかにある「潜在的なニーズ」なるものを発見する方法ではないだろうということです。というのもそうであれば、繰り返しになりますが、旧来的なリサーチと何も変わらないからです。より深く聞いたり、よりたくさん聞けばいいだけのことです。

むしろ ATM の例で重要だったのは、利用者が無意識のうちに後ろに注意を払っていることに 疑問を持ち、驚くことのできる観察者がいた ことなのです。

「観察の現場では、仮説の検証を行おうとしたり、先入観をもって物事を決めつけて見るのは厳禁だ」( 52 頁)と西川・廣田のテキストではまとめられています。

と同時に実際には先入観を持たないでいるのは難しいことでもあり、ここではむしろ自らの先入観の存在に気づき、その先入観がオブザベーションの過程で覆されることこそが重要だと指摘されています。(略)

本質思考のススメ kindle 位置No. 1378より引用、太字は筆者注、適宜改行

ここで太字の部分に注目してください。最初の部分は、潜在的ニーズなるものがあるわけではないということです。ATMと出てきますが、これはATMに鏡をつけるというIDEOの事例かと思いますが、それを現場で観察して気づいたという話題です。

ここでリサーチャーが見たのは「ATM利用者が鏡をつけたらいいのに」ということではないです。実際には利用者が利用時にキョロキョロ後ろを注意したりということがあっただけです。利用者は鏡をおけばいいと思っていない。

その解決手法として、後ろを見えるように鏡をおけばあ安心できるし、確認出来るというわけです。

一般的に、潜在ニーズというのを探している人はいると思います。潜在的に人は何を考えているのか。どう感じているか。なのですが、「潜在」とは、文字通りATM利用者がどうして欲しいかまではなくて、文字通りないので、潜在しているのですね。提示された解決策でありがたいということは分かる、助かったとかもある。でも、「潜在ニーズ」という特定の何かはない。多分ですが、それっぽい何かはいえても、ヒアリング中に「これがあったら買いますかね」と聞いてもそれは、雲をつかむ話であって、そこまで意味はないでしょう。全く無駄ではないですが、「聞かれてあまり否定したくない気質の人」であれば「無下に断らない」だけかもしれませんから。ここにバイアスなり色々混じってくるってことですね。

リサーチャーであるあなたは、ATM利用者を見て、困っている人を見たり、色々な行動を見て答えを見つけるのではないってことです。自分に現象を問い直して「うーんと、妙な行動をしているな。なぜだろうか」ということを考えていって、たどり着く。ここでいえば、思考の儀式というか、非常に哲学的というか、観察したから分かるみたいなシンプルなことに気づきます。

そして2つ目の太字ですが、先入観を排除できないという前提で、調査して観察している過程で「ああ、これは先入観だったな」と気付いて、そこから問い直すということが重要というのも非常に理解できます。

僕が観察は大事だといって、日常生活で観察が面白いと思っていますが、それも「見たらそこに答えがある」なんて世界ではなくて、見てどう考えるかという思考や解釈の世界観です。それが間違っているかどうかも検証しづらい。思考法という意味では、それをどんなに沢山やっても、どれだけ確からしさを証明しようとしても、つまり「答え」を見つけるとか、「補強」として参照しようとしていると、ないってことです。

100人の人を見たから確からしいとは言えないです。101人目は全く違う言動をするかもしれない(笑)明日までは確からしいけど、明後日は違うかもしれない(笑)

じゃあどうすればいいのかというと、答えはないです(笑)ただ、観察という手法で、そこから得たインプットを解釈していくと、めちゃくちゃ筋が悪いということはないと思っていて、それなりに人の考える原点までいかないけれど、文字通り「本質」に迫れるのかなというところです。著者もこうすればいいよみたいな答えを書いているわけではないし、そもそもないと思うので、そこを考えてねということになります。

あるときはAが確からしいが、別のときはBが確からしい。刻一刻と変わるデイトレードみたいですけど、そこまで刹那ではないけれど、まあ人は変わるものもあれば変わらない点もある。ここでは中長期的にそこそこ変わらない行動様式や思考パターンや人間らしさみたいなのが本質となるかもしれません。

腹が減ったらご飯を食べる。なのですが、ダイエットしているなら別かもしれない。いやそうでもない。そういうのって人間らしいわけで、そのあたりはやはり僕は面白いなと思います。

本質直観をするには?

最後のあたりに著者なりのまとめがあります。これだけ読んでもあまり分からないはずなのと、僕なりの解釈を書いておきます。

ここで、本質直観を行うにあたって大事だと思われたことを簡単にまとめておきましょう。大きく五つくらいになりそうです。

(1)できるだけたくさんの知見に日常的に触れていること
(2)その知見を、なんとなくであれ自分の問題として考えていること(たぶんここがいちばん大事)
(3)ときに、切実な問題として深く考えてもいること
(4)創造的瞬間は確信に違いないが、本質直観の中で、当初の確信が失われることもありうること
(5)創造的瞬間が得られるかどうかは偶然に近いが、本質直観という方法は、しっかりと学べば誰でも体得できること

これが絶対というわけでもないし、もっとほかに重要なこともありそうですが、このくらいでどうでしょうか。

同上、位置No. 2893 

1については、確からしさや問題提起、視点やアイデアといっていいわけですが、仮説とかもですね、やはり色々な知見に触れないと、しかも日常的にやっていないと無理だなと感じます。アイデアもインプットで決まると思うのでその通りでしょう。

2は、著者的には最も大事というところですが、ここでいう「自分の問題として」とらえるというのは、かなりふわっとしています。なのですが、この表現以外なかなか表現しづらいです。自分ごとといっていいわけですが、「これは自分が考えないといけないことだぞ」とか「これは何か気になるというレベルではない、すぐ答えがでなくても考えたいテーマだな」とか、そういった意識レベルです。

僕でいえば、アイデアがどう出るかはそういったレベルですし、発想法を作りたいのでなく、どのレベルまで細かくしていけば「否が応でも、うわアイデア出せるようになっちゃったよ!」という感じにしたいんですね(笑)

この自分の問題としているかどうかは、熱量でもありますが、一旦冷めてもやはり後から戻ってこれる、または勝手に戻ってくるという感じにも近いかもしれません。アイデアでいえば、前考えたことがある日突然思い出して閃くというのがあるわけですが、そういうイメージですね。

3は、2のなんとなくであれというのもありつつ、でもしっかり深く考えることもあるし、どうにかしないというある種の問題レベルや取り組みレベルが異なるという感じです。緩急スイッチやアップダウンに近い感じでしょうか。

4は仮説であれば、当初のアイデアを捨てて違うものを検証する、採用するイメージでしょうか。

5の創造的瞬間=ひらめきといっていいと思いますが、確かにこれは偶然で、そのために意識的な作業としてのインプットや思考、考えることが大事だというのは僕は言ってきました。それである種の余白やリラックスまたは全然違う刺激で閃くことは、無意識です。そこはコントロール出来ないというので文字通り「偶然に近い」です。だけど偶然を再現性が高く、いつできるはいえないけど、「確からしく」ここらへんだなというのは分かる。そのなんともふわっとしているけれど、あるので、やはり本質直観って学べるよね、身に付けられるよねというところです。

この5つを理解するのもやや難しいかもしれませんが、簡単にいえば、自分が真に自分ごととして、心からってことですね、問題や課題を解決しようとしたりすると、「確からしさ」というある種の直観が出てくる。それをどこかで補強するためにでなく、さらに確からしいのかを検証していくことで、それらはある種の気づきに変わる。

みたいな感じですかね。色々ミスリードはあるかもしれないと思いつつも、この確からしさがないとか、何も見えてないのに、リサーチをして「これでどうか」みたいな、着地がみえない、ある種の迷子は辛いです。というか、それでやってしまっている人もいるかもしれませんが、その場合は、一つの視点として、補強になってないか?そして答えを探してないか?と考えてみてはどうかというところです。

自分に戻して検証や問い直しをしたら問題が解決するなんて甘い話ではないです。ただ、問い直しをしないと、まあ答えを探しているだけなので、深まらないと。本質ってそこから問い直したり、先入観や思い込みをさらに飛ばして、潜っていく感じです。まさに思考は潜る感じで、それこそ自分の確からしさの潜在性といいますか、それによって、他者の潜在性に気づけるというのはあまり乱暴ではないかなと。自然な気がします。

例えば、語りというのもそうです。語れるというのは、ある種の自己開示や相手の理解を促すものです。何か神経物質が出ているかもしれませんが(笑)それはおいておいて、カタルシスのようにものすごく浄化というか、落ち着いたり、認められて安心したりしますよね。ああ話していて楽しいなというある種の共感となるわけですが、そういうのも潜って見つけた、ある種のダイビング的な感じで似ているのかなーと思ったりしました。まあ、これは僕が勝手に思っただけですけどね。

おわりに

というわけで、リサーチの話が出てくるのでリサーチをしている人向けの本です。ただ、哲学性もあるので、リサーチをそこまで深く考えてないとかって人は「なんで哲学なんだ」で終わる気もします(笑)

よって、リサーチのより本質とか、より理解を深めたいという人で、視点としては哲学視点みたいなものになりますが、そういう視点で考えてみたいとか、またはリサーチって答え探しでもないよなーともやっとしている人には良いとも思います。

僕はめちゃくちゃ面白かったです。そしてマーケティングリサーチもですが、相当研究されているのかなというところで、学問的なアプローチは遠い世界と思っていましたが、いやいややはりそんなことなくて、実務で使えるかはおいておいて(明日から使えるわけでもないので)、何か中長期的に根本で後からしっかり土台となるようなまさに直観を得ました。という意味でものすごく良かったです。

なので、実務やって学問で補強も面白いですし、学問やって実務やって学ぶとか、色々な視点とアプローチで学んで理解を深める方が僕は楽しいのでそういう組み合わせや色々な視点でリサーチを学びたい人はぜひ読んでみてください。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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